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はてなキーワード: 本音とは

2025-01-14

褒めてりゃ金くれるんだからおぢはちょろい

いやマジでさ、世の中ってちょろいよね。特にあの「おぢ」ってやつ? なんか年取ってるからか知らんけど、ちょっと褒めてあげるだけでホイホイ金くれるんだわ。マジ笑えるっつーの。たとえばさ、「おぢはやっぱり人生経験豊富ですねぇ~」とか適当にヨイショすると、「おまえは見る目があるなぁ」なんてドヤ顔で財布取り出して、「これでなんか旨いもんでも食べな」なんて言っちゃうんだよ。ありがてぇけど、ウケるよね。こっちは適当に口先だけで褒めてるだけなのに、おぢったら完全に鼻の下伸ばしちゃってさ。いやほんと、お世辞って最強じゃね?

でね、これがさ、ちょろいだけならまだしも、なんかすごい自分が大物になった気でいるのが最高にイタイのよ。「やっぱ若い子はおじさんの良さがわかってるね」とか言うけど、あたし的には「いやいや、そんな大したもんでもないっしょ」って思ってるわけ。でもそこは演技力フルスロットルで、「すごいですねぇ~!」「おぢの昔話、勉強になりますぅ~!」とか言いまくってりゃいいわけよ。もうそれだけでおぢの目、キラキラからさ。大人って単純じゃん。やっぱ年くうと脳みそ固くなんのかねぇ? 適当に褒めときゃ何でも信じちゃうっていうか。

あ、でも勘違いしないでほしいんだけど、別にあたしも悪意があるわけじゃないのよ。ただ、おぢ相手ちょっとヨイショするだけで、サクッと金が手に入るんなら、そりゃやるでしょ? だってさ、バイトするより楽じゃんか。だっておぢは喜ぶし、あたしはおこづかいゲットできるし、Win-Winってやつでしょ。いやもうコスパ最強。おぢはちょろい。ちょろすぎる。ちょろすぎて笑える。下手なアルバイトより全然効率いいわ。

ただ問題はね、おぢが勘違いしすぎるところなんだわ。なんか「若い子に慕われてるオレ様」に酔ってるっぽいのね。「やっぱ年の功だよな~」とか言っちゃってさ、まるで自分がスゴイ人間みたいに思ってるのが痛々しい。あたしもなんか適当に相槌打って、「そうですね~、おぢみたいな人生経験がないとダメですよね~」とか、口から出まかせ言うと、まるで天下取ったみたいな顔するんだよ。逆にかわいいっちゃかわいいんだけど、もうね、どんだけちょろいんだよって思うわ。そうやって自分自分をアゲてくれんのはいいけど、客観的に見たら完全にカモ扱いだからね、おぢ。

でもさ、これ言っちゃうと世の中の「おぢ」全員を敵に回しそうなんだけど、ホント申し訳ないけど、褒められたら財布ゆるみまくるおぢって絶滅危惧種なんじゃないかと思う。最近の若者SNSで褒められ慣れしてるからちょっとやそっとのゴマすりじゃ動じない。だけど年配の人って、なんか昔は褒められる機会が少なかったのかね? ものすごく褒めに飢えてんのよ。そこをちょこっとくすぐってあげれば、お金がポンと出てくるんだから、そりゃああたしも頑張って「すごーい!」「おぢ天才!」みたいなこと言っちゃうわけよ。だって現金ゲットできるんだもん。やめられないわ、こんなの。

つーかね、あたしだって最初ちょっとは罪悪感あったのよ。いや、こんな大したことない人をめっちゃ持ち上げて、いいのかなって思ったりしたの。けどさ、一度おこづかいもらっちゃうと、もう止まんない。だって向こうだって喜んでるし、あたしは楽してお金手に入るし、誰も傷つかないでしょ? だったら全員ハッピーで良くね? これこそ平和世界ってやつよ。わざわざ細かいこと考えるのアホらしい。おぢが満足してるならそれでいーじゃん。あたしの頭ん中は金のことしかないし、おぢの頭ん中は「可愛い若者に褒められてハッピーしかないわけだからある意味お互い様よね。

それにしても、こんな簡単なことで金稼げるんだったら、ほんとにバイトする意味って何なんだろって思っちゃうだってアパレルとかコンビニとかで時給1000円とか1200円とかで働くより、おぢに3回くらい褒め言葉投げかけたほうがよっぽど稼げるんだもん。おまけに座って適当に話聞いてるだけでOKだし。そりゃあ学校とかでは先生に「ちゃんと働いてお金を得るのが大事」とか教えられたけど、現実問題としてこういう「ちょろいおぢ」を捕まえたほうが効率いいわけで。世の中にはたぶんもっと上手におぢを転がして稼いでる子もいるんだろうな~。なんか自分もまだまだ修行が足りないかもって思うわ。

なんかさ、これ書いてて自分でもちょっとアホだなって思うんだけど、でも事実から仕方ない。おぢは褒めてりゃ金くれる。めっちゃちょろい。ありがとう、おぢ。感謝してるよ、ほんとに。こっちだって適当とはいえ、嘘ばっか言ってるわけでもないしさ。だっておぢのいいところ(?)を見つけて褒めてるわけだし? まあそれがどれだけ本音かは聞かないでほしいけど。とにかく、あたしの中ではもう金銭自動販売機みたいなもんなんだよね、おぢって。ボタン押したら自動で金が出てくる。ある意味最新テクノロジーよりすごいよ。ほんとにおぢは最高の発明品かもしれないって思う。

てなわけで、結論としては「褒めてりゃ金くれるんだからおぢはちょろい」ってこと。これに尽きる。あたしがやってることが正しいかどうかはわかんないけど、おぢが喜んでるからいーの。これ読んだ人はどう思う? 「いやいや、そんなのよくないよ」とか言うのかもしんないけど、実際問題として、みんなやりたいことしてるだけじゃん。おぢは褒められたい。あたしは金がほしい。欲望が一致した瞬間、そこに「ビジネスチャンス」が生まれるんだよ。そう、これは愛とか友情じゃなくてビジネスちゃんとした経済活動なんだわ。だから遠慮なく言わせてもらうけど、褒められて財布開いちゃうおぢがいる限り、あたしはこの商売やめらんないわ。ごめんね。でもまぁ、そういう世の中だし仕方ないっしょ。結局はおぢがちょろいんだもん。世の中の仕組みがそうなってるんだから、あたしは悪くないよね? むしろ、褒められたら金くれるおぢが生み出した新しい経済システム適応してるだけだからさ。はい、これからよろしくね、おぢたち。末永くあたしを褒めさせてくれよ。そしたらあたしもちゃんと褒めてあげるから、どんどんお金ちょうだいね。お互い幸せならそれでいいじゃん。ね?

ギグワーカーだけどもう限界

 気づけば、毎日のようにいくつもの配達アプリ単発バイトアプリを立ち上げ、その時々の仕事をこなしている。ウーバーイーツ、タイミー、その他の短期日雇い募集リロードしながら、効率よく仕事を掛け持ちしてきた。好きな時間に好きなだけ働ける──そう思って始めたはずなのに、いつの間にか心も身体も追い詰められている。名前は伏せさせてもらうが、そんな自分の小さな物語をここに綴りたい。

 最初は「自由に働ける」「拘束時間がない」「上司に叱られない」などの言葉に惹かれて、ウーバーイーツの配達パートナーになった。自転車さえあればスマホ一つで仕事スタートできるという手軽さも大きな魅力だった。通勤電車に押しつぶされる苦痛も、会社独特の人間関係に煩わされるストレスもない。好きな時にアプリをオンにしてオフにするだけ。その自由さが、自分未来を切り開いてくれそうに思えた。

 しかし、現実は甘くはなかった。ウーバーイーツを始めた最初のうちは、「デリバリーして報酬を得る」ことへの単純な楽しさに勢いづけられていた。街を走り回り、新しいお店や道を知り、配達先のお客さんと時折交わすちょっとした会話に刺激をもらう。SNSで「今日は〇〇円稼げた!」と成果を自慢する仲間たちの投稿を見ると、自分ももっと頑張ろうという気持ちになっていた。

 だが、いつの間にか市場には同じようなギグワーカーが増え、報酬は徐々に下がってきた。それに合わせるように、自分身体も疲れやすくなっていることに気づく。最初は平気だった長距離移動も、今では足が鉛のように重く、坂道を見るだけで気が滅入るようになった。食事タイミングも不規則になり、おまけに天候に左右される仕事なので、雨の日はカッパを着てもずぶ濡れ。真夏猛暑日灼熱地獄で、熱中症寸前の状態で走り回ることもある。

 そんな中、稼ぎは思ったほど伸びない。ウーバーイーツだけでは生活が安定しないので、タイミーなどの単発アルバイトにも手を広げた。イベントの設営やチラシ配り、倉庫作業警備員仕事まで、その日その時の募集に合わせてシフトを埋めていく。それこそ、朝から倉庫作業をして午後は配達、夜は警備の仕事へと転々とすることだって珍しくない。一日で3種類の仕事を掛け持ちする日もある。昼間の炎天下自転車をこぎ回し、夜は立ちっぱなしで交通誘導。体力はぎりぎりだ。

 スケジュール管理地獄だ。スマホカレンダーには隙間がないほどバイト配達の予定が詰まっている。ちょっとでも時間が空くと、自分を奮い立たせるように「いま休んだら、その分稼ぎが減る」と考えてしまう。「休みたい」「眠りたい」と思っても、どうしてもスマホの通知が気になってしまうのだ。案件が出ては消え、人気の仕事は数分で埋まる。画面を閉じてしまうと、まるで「自分けが損をする」ような気になって、結果的にはずっとアプリを見張ってしまう。

 自由な働き方のはずが、いつの間にか24時間仕事のことを考えるようになっている。何時に寝ても「明日は朝イチでいい案件を取らなきゃ」と早起きをするし、日中配達の合間に単発バイト募集をチェックする。夜勤の警備を終えてフラフラになっても、「ウーバーイーツの朝活を逃したらもったいない」という気持ちが首をもたげる。こうして「休むタイミング」を自分で見失ってしまうのだ。

 もちろん、成果があがる日はある。一日じゅう走り回って数万円稼げたときは、達成感も大きい。けれど、その分身体の疲れも半端ではない。一度寝込んでしまうと、翌日の予定がすべてキャンセルになり、収入は激減する。ギグワークは働いた分だけ金銭が入る仕組みだが、逆に言えば「休んだらゼロ」なのである固定給保障されているわけではない。契約社員でもなければ、正社員のような福利厚生もない。病気になればすべて自己責任だし、事故にあったとき補償手続きも複雑で、泣き寝入りするケースも多い。

 ある日、配達先に向かう途中で自転車のチェーンが外れ、修理に手間取ったことがあった。その時間が大きくロスとなり、その日の報酬目標に届かなかった。それだけならまだ良かったが、焦る気持ちのあまり安全確認も疎かになってしまい、狭い路地で車との接触事故にヒヤッとした。幸い接触ギリギリ避けられたが、一歩間違えば大けがにつながっていただろうと思うと、冷や汗が止まらなかった。その時、「自分は今、どれほど危うい橋を渡っているのだろう」と改めて恐怖を感じた。

 もう一つの悩みは、周りに相談できる相手がいないことだ。ギグワーカー仲間と呼べる人は、SNS配達先でたまに顔を合わせる程度で、深い付き合いをする機会がほとんどない。配達単発バイトは一匹狼のような働き方なので、基本的個人プレー上司も同僚もいない。困ったときに頼れるのは自分だけ。何かトラブルが起きても、サポートセンターに連絡したり、ネット検索したり、自力解決するしかない。そしていつの間にか、「人に相談する」という発想そのものが薄れてきてしまった。

 親や友人には「自分で選んだ働き方だろう?」と半ば呆れられることもある。特に昔ながらの正社員志向の強い人たちには理解されにくい。「きちんと就職しないのか」「いつまでそんな不安定仕事をするのか」と詰問されると、言い返す気力も失われてしまう。正社員の道を選ばなかったのは自分意思だが、それでも誰かに認めてもらいたい気持ちはある。だが、ギグワークを誇らしげに語るには、現状はあまりにも厳しい。結局、周りの声も気になって精神的に追い詰められ、だからと言ってこのままギグワークをやめると今度は生活費が足りなくなる。その堂々巡りから逃れられない。

 一方で、「自分にはこれしかない」と思ってしまうほどに技術経験を積み上げられずにいるのも事実だ。ギグワークは基本的に専門的なスキル要求されにくい。もちろん配送効率を高めるテクニックや、接客でのコミュニケーション能力は多少身につくが、いわゆる「キャリア形成」という視点では弱い。そのため「この先ずっと同じことを続けていても大丈夫だろうか」と不安がつきまとう。もしアプリ運営が急に方針を変えたり、報酬体系が改悪されたり、新しいテクノロジーが登場して仕事のもの消滅したりしたら…。いまの自分には「スキルを生かして他の業界で働く」という保険ほとんどないのだ。

 どこかで一度腰を据えてスキルを磨きたいと思いつつも、「今月の家賃光熱費をどうにかしないと」という緊急事態が常に目の前にある。少しでも時間を惜しんで働かなければ、すぐに家計赤字になる。勉強をしたり資格を取ったりするための時間を捻出するのが難しく、結局は今日バイト明日配達を優先せざるを得ない。そして無理をして働いた結果、心身ともに疲弊してしまい、ますます長期的な展望が見えなくなる。そんな悪循環に陥っているのだ。

 周囲には、器用にギグワークをこなしながらも別の副業投資、またはクリエイティブ活動で成果をあげている人もいると耳にする。しかし、自分にはそうした才能や投資に回す資金もない。趣味仕事につながるような器用さもなく、日常の大半の時間エネルギーバイト配達に費やしている。結果として何のステップアップにもならないまま、ただ疲労けが蓄積していく。そのことを考えると、閉塞感がいっそう強くなる。

 さらに困ったことに、ギグワークを続けているうちに生活リズムが乱れ、毎日食生活も疎かになりがちだ。食費を節約するためにコンビニ飯やカップラーメンで済ませることが多くなり、栄養バランスは崩れ気味。不規則睡眠からくる倦怠感も加わり、最近ではよく体調を崩すようになった。病院に行くにも保険証の問題医療費負担が気になり、結局「大したこといか大丈夫」と先延ばしにしてしまう。自分健康を後回しにしていることも、心のどこかではわかっているのだが、日々の仕事に追われる中でつい目をつぶってしまう。

 こんな状態が続くと、気づかないうちに無性にイライラしてしまうこともある。ちょっとしたトラブル、たとえば注文の配達先がわかりづらいとか、バイト先で誰かに指示を出されるとか、そういった些細な場面でカッとなってしまう。もちろん、その後すぐに自己嫌悪に陥る。自分でもコントロールできない不安定精神状態が、さら自分を追い詰める。それでもアプリの通知が鳴ると、また仕事へと向かってしまうのだ。

 たまに、どうしようもなく自分自身を情けなく感じることがある。かつては「正社員になりたくない」と言いながらも、「それでも自由に生きていける」と信じていた。だが今はどうだろう。休みもなく、全力で動き回ってやっと家賃と食費を確保するのが精一杯。何かの拍子で仕事に穴が空けば、一気に生活破綻しかねない危うさがある。働いても働いても先行きが見えず、自分はこれから何を目指していくのか──そんな疑問が頭をもたげるたびに、どうしようもなく不安が胸を締め付ける。

 先日、久しぶりに地元の友人と話す機会があった。「就職してもう3年になる」と彼は言う。昇給もあり、休日ゆっくり趣味を楽しむ余裕もあるらしい。もちろん会社勤めには会社勤めなりのストレスがあると彼は言う。それでも、安定した収入社会保険、将来の見通しがあるのは大きいなと、正直羨ましく思った。かたや自分は、毎月のように思いがけない出費で苦しくなる度に、ギグワークの限界を感じてしまう。

 最近は、「このままでいいのか」「もっと自分らしく働ける場所があるのでは」と、胸の内で葛藤することが増えてきた。もっと若い頃にちゃんスキルを身につけておけばよかったとか、就職活動をまともにしていれば違う未来があったかもしれない──そんな後悔の念が頭をよぎる。だが、一方では「正社員になっても合わなかったらどうしよう」「自由を失うのは嫌だ」という思いも消えない。結局は自分の軸が定まらないまま、いくつものアプリに振り回されている状態だ。

 それでも今、立ち止まって考えなければいけないと感じている。ギグワークのメリットだけを見て始めたけれど、その実態は思った以上にハードで、先行きも不透明だ。瞬間的に稼げる日があるからこそ、「もう少し頑張ったら、もっと上手くいくかもしれない」と期待してしま自分もいる。しかし、その期待に何度裏切られてきたことだろう。そして今、文字通り身体も心も限界に近い。

 働き方は人それぞれで、ギグワークが心地よい人ももちろんいるだろう。だが、自分のように生活が常に綱渡り状態で、休めない、将来が見えない、そんな不安に怯え続ける日々が正解とは思えない。自分否定したくはないが、このままでは本当に持たない。そう思う瞬間が増えてきた。いまの自分にとって必要なのは、「仕事を詰め込むこと」ではなく、「働き方を根本から見直すこと」なのかもしれない。

 けれど、現実には今月の家賃支払いが迫っている。止まってしまうと収入ゼロになる。タイミーに登録しているバイト先も、急にキャンセルすると二度と仕事をもらえなくなるかもしれない。そういう不安が頭をよぎるからこそ、「もう少しだけ頑張ろう」とアプリを起動してしまう。その葛藤の繰り返しに、心が悲鳴を上げている状態だ。

 こんなふうに自分本音言葉にすること自体が、ひさしぶりかもしれない。いつもは一人で走り、一人で悩み、身体酷使してひたすら稼ぐだけの毎日から。もし似たような境遇の人がいるなら、「限界を感じるのはあなただけじゃないよ」と伝えたい。世間では「ギグワークは自由で気軽」なんて言葉がよく飛び交うが、その裏でこうして苦しんでいる人もいるのだと知ってほしい。

 この先、どうするのかはまだわからない。いきなり正社員の道に進むのも気が引けるし、あるいは資格を取るために短期的に集中するのも現実問題として難しい。だけどこのままのギグワーク漬けの生活が続くと、いつか本当に身体を壊してしまいそうだ。そうなって初めて「働きたくても働けない」と、取り返しのつかない事態になるかもしれない。考えるだけでも恐ろしい。

 小さな覚悟として、明日は一日だけでも休みを取ろうと決めた。生活費は苦しくなるだろうが、まずは自分自身のために時間を使わなければならない。それがきっと最初の一歩になる。スマホの通知をオフにして、久々に一日じゅう寝るもよし、図書館情報を調べるもよし。心と身体を整え、将来について冷静に考えるための時間を確保してみる。そうしなければ、きっと何も変わらないまま、自分さらに追い詰めてしまうだろう。

 「ギグワーカーだけど、もう限界」――こんな言葉自分の口から発することになるとは思わなかった。けれど、今の自分にとってこの言葉は紛れもない真実だ。自由を夢見て飛び込んだ世界で、いつの間にか不自由の枷に縛られていた。それでもまだ、どこかで「自分らしく生きたい」と願う気持ちが残っている。この文章を書きながら、せめてその願いを灯し続けたいと思うのだ。

 もう少しだけ悩んでみよう。もう少しだけ自分を大切にしてみよう。もし同じように疲れ果てているギグワーカーがいれば、いまが踏ん張り時かもしれない。休む勇気を持つのも、逃げる決断をするのも、次の一歩を踏み出すためには必要だ。自分らしさを取り戻すために何ができるのか、ぎりぎりのところで考える機会をつくってみたい。そう、ほんの少しだけの勇気で、自分人生は変えられると信じているから。いずれにしろ、僕は今、限界寸前だ。だけどこの限界きっかけに、新しい一歩を踏み出せると信じたい。

anond:20250114112728

いやらしい目つきをした男性警察官の立ち会いのもとでは、本音を話すことができなかった。

本心では同意してなかった。

結婚指輪で、婚約者と揉めている。

それぞれの主張は以下の通り。

増田(男)→自分が気に入った唯一無二なものをつけたい。ハイブランド大衆的なデザインのやつは嫌だ(地金だけみたいな)。

婚約者(女)→長く使うからこそハイブランド志向。二人で同じブランド(のセットアップ的なもの)を付けないと意味がない。

長く使うものからこそ、までは一致している。でも、そのあとの「だったら自分が一番気に入った、自分だけのものであるべきだよね」という意見と、「由緒ある、信頼できるブランドがいい」で意見割れしまう。

ハイブランドの中にも個性的デザインはあるけど、なんだか心がときめかない。地金だけのシンプルものは慣習上無理やりつけている気がしてしまう。そんなものにウン十万も払いたくないというのが本音

議論の途中で源田がなんかの授賞式で結婚指輪を外してた話になった。

増田「源田があそこで外せたのは、指輪奥さんとの縛りという意味しか持ってなかったからだよね」

婚約者「どういうこと?」

増田「つまり自分で本当にお気に入り指輪だったら外してないんじゃないかな。これは奥さんのためにつけてない、自分のためにつけてるんだって言えるし」

婚約者「でも自分お気に入りしかないならそれはただのファッションリングであって、結婚指輪ではなくない?」

増田「…」

婚約者、頭いいなぁ〜。

源田の話わかりにくかったらすまん。

ただ要約すると、増田の主張はまさに「誓いとして一生つけるんだからファッションリングくらいお気に入りを」

ってことなんだよなぁ〜

多分なんだけど、男性向けの結婚指輪って

誓い的な意味性ーーーーーーーーーーデザイン

という2極があった場合

誓い的な意味性ー◎ーーーーーーーーデザイン

のものって、百歩譲ってここしかなくて、

増田的にはもう少し右に寄ったものが欲しい。

だって誓い的な意味を薬指につけるためだけにウン十万も払って、で(デザイン的に)付けたくもないものを一生つけるの、めっちゃ嫌じゃないか???

もっと探したらあるのかなぁ。

増田が折れるべきですか?

2025-01-13

anond:20250112213804

冗談じゃないだろ。

冗談だったことにしたい、だろ。

120%の本音漏れただけ。

プロンプト 「見出しなしで、タメ口で、弱者男性になり切って、アラサーだけど婚活がうまくいかないのでラーメンレビューブログを書いてる話を書いて。鍵がっこはできるだけ使わずに。語尾が「ね」「さ」はできるだけ禁止段落ごとの文章量を変えて。主語は俺。最後オチをつけて。」

婚活全然うまくいかない。

アラサーになってから焦って始めたんだけど、マッチングアプリ結婚相談所ダメだった。メッセージのやり取りは続かないし、たまに会えても二回目につながらない。なんでかわからない。いや、正直わかってる気もするけど、認めたくないってのが本音

仕事は地味。中小企業事務年収は低くないけど高くもない。趣味アニメラーメン巡り。特にラーメンが好きで、毎週新しい店を探して食べに行ってる。でも、そういう話をしても女性全然興味なさそう。ラーメン話題で盛り上がったことなんて一度もない。

もう婚活で疲れ果てて、どうでもよくなってきた。そんな時、ふと思った。どうせなら好きなことをとことんやってみよう。誰にも読まれなくても、自分楽しいことをやろうって。

で、始めたのがラーメンレビューブログ

最初は「〇〇店の味噌ラーメン食べました。濃厚で美味しかったです。」みたいな一行日記みたいだった。でもだんだんこだわりが出てきて、スープの濃度とか麺のコシとか、細かく書くようになった。写真角度とか照明とか気にして撮るようになった。

そしたら少しずつアクセスが増えてきた。コメントもつくようになった。「この店美味しそうですね」「今度行ってみます」とか。共感してくれる人がいるって嬉しい。

最近では「○○市のラーメンならこの5店!」みたいなまとめ記事も書くようになった。たまに店からレビューありがとうございます」って言われることもある。

ブログに夢中になってたら、婚活のことは完全に頭から消えてた。

それで気づいたんだ。

結局、好きなことやってる時の方が、自分らしくいられる。

この前、ブログの読者だった人とラーメン一緒に食べに行った。

その後、二軒ハシゴして解散したけど、連絡先交換も何もなかった。

でも今度その人、ブログコメントくれてた。

「次はつけ麺食べに行きましょう」って。

なんか、ちょっとだけ報われた気がした。

2025-01-12

私のパートナーはてな匿名ダイアリーユーザだった

 普段の何気ない会話の端々に、妙な言葉かいや独特の言い回しを感じることがあった。たとえば、やけに「はてブがどうの」とか「増田でこんな話があって」などといったフレーズを使うのだ。わたし自身は以前からSNSTwitterくらいしか触れてこなかったし、「はてブ?」と訊いても「はてなブックマークのことだよ」と軽く流されるだけだった。もちろん、わたしには特に興味もなく、「そんなものがあるのね」という程度でいつも終わっていた。

 今思えば、彼のなかで何かを吐き出すための行為が「はてな匿名ダイアリー」だったのだろう。わたしが初めて「匿名ダイアリー」というものにピンときたのは、職場の同僚と雑談をしていたときだった。そこでは、ニュースサイトSNSには決して書けないような本音愚痴、あるいは日常の裏側を覗き見ることができるという話題で盛り上がっていた。わたしは正直、その場に居ながらあまり話についていけなかった。ふだんの生活で、そこまで"裏の声"に触れたいとも思わなかったし、それを必要とするほどの秘密や不満を抱えているとも感じていなかったから。

 だけど、そのとき話に出てきた「増田」というニックネーム存在だけは頭に残った。なんでも、はてな匿名ダイアリー投稿者を「増田」と呼ぶらしく、投稿される記事の多くは日常の不満や、家族恋人への隠された感情職場内緒話などが一気に吐き出されている、いわば"匿名文化"の最前線なのだそうだ。

 あまりにも秘密めいていて、少し不気味に思った。身近な誰かが、あそこに匿名で何かを書いているのかもしれない。そう思うと、世の中のどこに潜んでいるかからない"本音"のかけらが、いつか自分自身に向けられる可能だって否定できないわけで、なんだか落ち着かない気分になった。

 それから数週間後、わたしパートナー――以下、彼と呼ぼう――の部屋で何気なくノートPCを眺めていた。というのも、彼がシャワーを浴びているあいだ、友人からメッセージを処理しようと思ってパソコンを借りたのだ。もちろん勝手プライベートフォルダを覗き込むつもりはなかったし、最初は本当に必要作業だけを終わらせるつもりだった。

 ところが、ブラウザのタブを見ていると、どうやら「はてな匿名ダイアリー」で何か投稿しようとしていた様子がうかがえた。たまたま前に開いていたタブの履歴に「投稿完了」みたいな文字が残っていて、わたしは一瞬、まじまじとそのタブ名を凝視してしまった。もちろん、タブをクリックすればどんな記事投稿したのか、あるいはすでに誰かがコメントしているのかを見られるのかもしれない。でも、そこに手を伸ばすかどうかで、わたしものすごく迷った。

 たぶん、わたしは彼を信じていたし、勝手プライベート踏み込むことは、もうその時点で裏切り行為のようにも思えた。とはいえ、同時に好奇心燃え上がる心が抑えられなかったのも事実だ。「ほんとうに彼が書いたものがそこにある? もしかしてわたしに関する話題が載っているかもしれない?」そんな疑問が頭をぐるぐると駆け巡っていた。

 結局、数秒だけ躊躇して、わたしマウスカーソルをそっと動かした。そして「投稿完了」と書かれたタブを開いてしまった。そこには、ほんの数分前に投稿されたばかりらしい文章が表示されていて、タイトルの部分に「恋人意見が合わない」とあった。

 胸がドキリとした。わたしと彼は最近ちょっとだけ意見が食い違うことが増えていた。お互いの仕事が忙しくなってきたこともあるだろうし、生活リズムが違うのがストレスになってきたというのもある。だから内容を確かめるまでもなく、「ああ、やっぱり彼はわたしのことを書いているんだな」と直感にわかった。

 しかし、そこに綴られていた文章想像を超えていた。ここ数日の出来事を通じて、彼はわたしの態度が冷たくなったと感じており、自分存在意義すら疑いかけているようだった。わたしはそんなに冷たくしていたのだろうか。仕事が大変で、たしか気持ちに余裕がないことは認める。でも、彼がそこまで自分の心を追いつめていたなんて、気づいてあげられなかった。

 もちろん、エントリ匿名で書かれているから、わたし名前なんてどこにも出てこない。ただ、「同棲中の彼女最近忙しくて、何か話しかけても気のない返事ばかり」というような表現がはっきりと状況を示していた。彼女わたしだということは、少なくとも当事者わたしならすぐにわかる。書き手が彼であることも、間違いなかった。

 わたしはそのエントリ最後まで読んだ。彼のささやかな悩みと不安、そして寂しさが、行間に滲むように浮かび上がっていた。それと同時に、まったく別の感情わたしの中に湧きあがってきた。――これは、一方的な言い分じゃないか。彼も忙しい時期だったのに、わたしばかりが冷たい態度を取っているかのように書かれている。でも、わたしがただ無視していたわけじゃない。そうせざるを得ないときだってあったし、お互い様の部分もあるでしょう、と。

 苛立ちと申し訳なさが入り混じって、わたしブラウザをそっと閉じることにした。戻ってきた彼に問い詰めるべきか、それとも黙っているべきか。その数秒のうちにたくさんの考えが頭をめぐり、結局わたしは何事もなかったようにパソコンを返し、「ありがとう」とだけ告げた。

 ところが、それで終わるはずがなかった。わたし自分でも意外だったのだが、その日の夜、こっそりスマホからはてな匿名ダイアリー」を覗きに行った。さっきのエントリコメント欄が気になって仕方がなかったのだ。そして、誰かが「同棲中ならしっかり話し合ったほうがいい」「忙しいのはお互い様だよ」といったコメントを書いているのを見つけて、わたしは複雑な気分になった。他人言葉なのに、なぜか耳が痛い。そう言われると、わたしが彼の話を聞く時間を本当に作ってあげていたか、自問することになる。

 翌日、仕事が終わってからわたし勇気を振り絞って彼に切り出した。「ネットでさ、匿名気持ちを吐き出すのって、どう思う?」当たり障りのない聞き方だったけれど、彼はやけに「ん?」と反応して、目を逸らすようにして笑った。「まあ、人によってはそういうのもアリなんじゃない?」彼が答えたのはそれだけだった。

 その直後、わたし仕事家事の合間をぬって、さらにいくつかのエントリを読んでみた。同じIDかどうかはわからないけれど、タイトル文章雰囲気、細部でふと感じる気配から、「あ、これ彼が書いたんじゃないか」と思しき投稿がいくつかあった。テーマは多岐にわたっている。仕事愚痴家族問題ゲーム攻略メモのようなものから恋人とどこでデートすべきか悩む話まで、本当にいろいろだ。わたしの知らない彼の一面がそこにあった。

 ただ、好奇心と同じくらい罪悪感も大きくなっていった。だって、やっぱり勝手に彼の書いた記事を探し回るなんて、うしろめたい行為だと思ったからだ。一方で、彼が匿名で吐き出している本音を「知りたい」という欲求は抑えられなかった。

 それならば、いっそわたしも「増田」になってしまえばいいのかもしれない。そう思ったのは、このまま何も言えないままでいるよりも、同じフィールドに立ったうえで彼の心の動きを感じたいという衝動があったから。自分文章を書くことで、彼の気持ちに近づけるものがあるかもしれない。そう考えて、わたしは深夜、初めてはてな匿名ダイアリー投稿しようとした。

 ところが、いざ投稿画面を開いてみると、何を書いていいのかわからない。彼について書けば彼の秘密暴露しかねないし、それは誰かを傷つけるかもしれない。だから結局、日常のささいな感想仕事で感じたストレスを数行だけ書いては消し、書いては消し、を繰り返すだけだった。

 そのとき感じたのは、彼があれだけ多種多様感情匿名自由に吐き出していたのは、単純に自分を守りながら本音を書けるからだけではなくて、書く行為のものが彼の救いになっていたのかもしれない、ということだった。わたしにはなかなか打ち明けられないことでも、見知らぬ誰かに向けてなら素直にぶつけられるのだと。そこに共感アドバイスが集まれば、一瞬だけでも孤独を感じずにいられるのだろう。

 そう考えると、わたしは彼が自分に隠れて匿名ダイアリーを書いていたこ自体を責めるよりも、むしろもっとちゃんと話してほしかった」と思うようになった。もちろん、ネットに書くよりもずっと勇気のいることだろう。けれど、一度でもいいかわたしを信じて本音を話してくれていたなら、ここまでこじれなかったかもしれない。――これはわたし勝手な言い分かもしれない。もしかすると、すでに彼なりに努力した結果として、それでも言えなかったのかもしれない。

 わたしはある晩に彼を真っ直ぐ見つめて言った。「最近わたしすごく忙しかったし、言葉が足りなかったかもしれない。それは悪かったと思ってる。でも、もし何か思うことがあるなら、ネットじゃなくて、わたしと直接話してくれないかな」。すると、彼はしばらく黙ったあと、不意に笑って頷いた。「ごめん。あんまりにも気軽に吐き出せる場所があったから、そっちに逃げてたんだよね。話すのが苦手で……」

 その夜、わたしたちは今まであまり触れてこなかった話題――将来のことやお互いの家族観、仕事ストレス、そしてずっと言い出しにくかった本音――を一気に共有した。どこまで理解し合えたのかは自分でもよくわからない。でも、彼がはてな匿名ダイアリーユーザであるという“秘密”は、悪いものばかりじゃなかったのかもしれない。もしあのときわたしが気づかずにいたら、彼の不満や不安ネットの海のなかで増幅し、わたしたちの距離もっと開いていたのではないかと思う。

 匿名ダイアリーをすべて否定する気はない。それは誰にでも必要な逃げ場になりうるし、そこに書かれる文章が誰かを救うことだってある。だけど一方で、わたしは彼と直に話し合うことでしか埋められないものもある、ということを強く感じている。「匿名場所からこそ言えること」もあるだろうけれど、「顔を合わせてだからこそ言えること」もまた存在するのだ。

 いまでも、彼がどんなエントリ投稿しているのかはわたしにはわからない。おそらく、匿名で書き続けているのだろう。わたしはあえて踏み込まないようにしている。知りたい気持ちがまったくないわけではないけれど、結局のところ、「誰が何を書いているのか」を追いかけるのはきりがないし、それこそ信頼を損ねる行為だと思うから

 それよりも、彼が本当に苦しいときや寂しいときに、わたし言葉を投げかけてくれる関係でありたい。はてな匿名ダイアリーユーザであることは、彼のひとつの側面でしかない。たとえどんな匿名場所に書き込んでも、現実世界で隣にいるわたしへの思いが消えてしまうわけではないはずだ。

 もしまた、どこかではてな匿名ダイアリーを眺めているときに「これは彼が書いたかも?」と思えるエントリ出会ってしまったら。わたしは今度こそ、そっと画面を閉じるだけにするか、あるいは何も知らないふりを貫くかもしれない。けれども、わたしはもう「わたし自身気持ち」を、誰かのコメントスターに委ねるのではなく、ちゃんと彼と共有していきたいと思っている。

 そう思えるようになるまでには、いろいろな感情の波があった。読んでは傷つき、読んでは見えない敵を探すような、そんな時期もあった。だけど最後にわかったのは、相手が何かを隠しているのではなく「言い出せないものを抱えている」状態こそが孤独を深めるのだということ。匿名ダイアリー投稿を追い回すより、横にいる人間としてやれることが、たくさんあったのだ。

 そして今、わたしたちのあいだには以前にはなかった小さな合言葉がある。「ネットに書く前に、ちょっとはこっちにも言ってみてね」――彼が困ったように笑って頷く、その顔がわたしにはなにより愛おしい。彼が誰かに向けて匿名つぶやく言葉を無理に止めることはできない。それもまた、彼の大事表現方法だろうから。でも、そんな彼をわたしは真っ向から受け止めて、一緒に笑ったり泣いたりしていたい。それが、ふたりでいる意味なのだと思う。

anond:20250111205442

Grok(無料版)による要約

以下は、与えられた文章の要約です:

この文章は、はてな匿名ダイアリーというプラットフォームが持つ可能性とリスク、そしてその中で人間本音感情がどのように交錯するかを深く探求しています

anond:20250111205442

ChatGPT(無料版)による要約

要約:はてな匿名ダイアリーの魅力と課題

  1. 匿名性の魅力
  2. 共感と繋がり
  3. 言葉の持つ力
  4. 匿名性の危うさ
  5. 読み手としての視点

結論: はてな匿名ダイアリーは、匿名性ゆえの自由と危うさを内包しつつ、人々が本音を分かち合い、繋がりを感じることのできる特別空間である

2025-01-11

依存症じゃん

街中に掲示されるエロ文脈の絵柄の二次絵とか、ネットエロ広告規制されるとか、そういうちょっとの「性」が減らされることへの拒否反応や怒りみたいなもの、それって性依存症日本って潜在的な性依存者、凄い多いと思う。依存症のヒントは「怒り」なんだよね。止められる事へ怒りを感じるかどうか。

痴漢とか性犯罪セクハラニュースみたいな、まともな人から見たら怒りしか感じない事件脳内エロカテゴリに入れる時点でヤバい日常生活に支障をきたしたら病気だし本音リアルでは言えないならもう支障じゃん。酒タバコギャンブル以上に、病識がないのが沢山いそう。あ、もちろん今話題スキャンダルもなんらかの依存、習慣化を感じるね〜そこに企業が絡んでるのがもうね。企業丸ごと性依存じゃんね

はてな匿名ダイアリーユーザーに捧ぐ

 あなたは、いったいどんな思いを胸に、ここへやってきたのだろう。喜びや悲しみ、後悔や憤り、あるいは日々の生活に潜むささやか奇跡への感動――。この場所には、他人には決して言えないような本音から、誰かと分かち合いたい小さな秘密まで、さまざまな感情が渦巻いている。書き手は「匿名」という仮面をつけ、読み手実名顔写真もないまま、その文字列だけを頼りに心情を推し量る。はてな匿名ダイアリーは、そんな不思議空間である

 インターネットにおける匿名性というのは、ときに素晴らしいものだ。人前で話すのは怖いことも、本当の顔を晒すのは恥ずかしいことも、そこではずいぶんと緩和される。書き手にとっては、己の感情吐露するのに最適の場。読み手にとっては、まるで多彩な人々の脳内を覗き見るような感覚にさえなる。そして、その過程言葉自由になる。言ってしまえば、ちょっとした「秘密の共有」を通じて生まれる、奇妙な連帯感。ここがはてな匿名ダイアリー最大の魅力といえるかもしれない。

 だが、それは同時に、不安定で危うい側面をはらんでいる。何を思っているのか、どんな背景を背負っているのか――その全貌が見えないまま互いに言葉を交わすとき共感と誤解が背中合わせになることは少なくない。時として傷つきやすい人が傷つく言葉を受け取り、書き手もまた、コメント欄非難の声を浴びることで、思わぬダメージを負ってしまう。匿名からこそ、むしろ気軽に吐き出せる痛烈な一言は、ときに誰かの心を突き刺す刃ともなる。

 それでもなお、あなたはここへ来る。むしろ、そういった刹那的な繋がりがあるからこそ、人間くさくて魅力的な場だともいえる。たとえ刹那火花であっても、「自分はひとりではないんだ」という感情を味わえる。それはコメント欄の小さな「わかる」「なるほど」の言葉だったり、ブックマークスターに込められた軽い共感の表明だったり、あるいは「もっと知りたい」「応援しているよ」といった温かい反応かもしれない。そこで得られる心の拠り所は、案外馬鹿にできないものだ。

 言葉とは、不思議な生き物だ。書き手の頭のなかでは明確だったつもりの感情も、キーボードを叩き始めた途端に何か違う形へと変容してしまうこともある。意図しない誤解を招くこともあれば、読み手に新たな解釈を与えることもある。特に匿名ダイアリーのような場所では、下手に取り繕わず、垂れ流すように本音をぶちまけてしまうことが多い。そうやって生まれる乱雑な文章なかに、妙にリアル感情が埋まっているからこそ、読む側は思わず引き込まれしまうのだろう。

 たとえば、何かに行き詰まったり絶望感に打ちひしがれたりしたときあなたは「助けて」とはなかなか言い出せないかもしれない。リアルな知人には相談しづらいし、SNSではフォロワーや友人の目が気になる。そんなときこそ、この匿名ダイアリーは役立つ。名前を伏せたまま、思いっきり弱音を吐く。怒りをぶつける。恥部さらけ出す。それでもどこかで「誰かが見てくれている」という安心感がある。コメントブックマークがつけば、それは「あなたの声が届いた」証拠になる。

 書くことで癒されることもあるだろう。声にならない叫び文字に変えることで、自分自身思考を整理できる瞬間もあるかもしれない。コメントや反応を得られなくても、「この想いを綴る」という行為のものが、自己救済のためのステップなのだ。書き終えたあと、あなたの目にはどんな光景が映るだろう。あるいは、胸のつかえが少し取れているかもしれないし、意外にも新たな怒りや悲しみを再確認して、さらに落ち込んでしまうかもしれない。それでも、書かずにはいられなかったのだとしたら、それはあなたが前に進むための第一なのだと思う。

 一方で、読むことによって救われる人もいる。人間は誰しも、自分と同じような境遇や似通った感情を抱えた人の存在を知るだけで、奇妙な安心感を得るものだ。「この苦しみは、私だけが抱えているわけじゃないんだ」と思えたとき、そこに一筋の光が差すことがある。それは、当事者同士にしかからない痛みであり、それゆえにコメントで寄り添い合うのは難しいかもしれない。けれども「誰かの投稿を読む」という受動的な行為だけでも、思いがけず自分を支える糧になることがあるのだ。

 この匿名空間には、現実のあらゆる制約を外した「書き手世界」が無数に広がっている。孤独な人、悩みを抱えた人、喜びに震える人、憎しみと怒りを抱えた人、軽い暇つぶしやおしゃべりを楽しみたい人――それぞれが書きたいことを、書きたいときに書く。そこにあるのは純粋言葉の奔流だ。だからこそ、互いの声なき声が重なり合い、ときにはぶつかり合い、また離れていく。その動的なやりとりこそが、はてな匿名ダイアリーという場所生命力なのだろう。

 しかし、匿名性がもたらす功罪は、私たちが十分に認識しておく必要がある。名乗ることな発言するということは、その発言に対する責任曖昧にしがちだ。ちょっとした悪意のはけ口や、勢い任せの誹謗中傷に利用されることもある。言葉が刺さることを充分に理解していても、どこか“仮面”をかぶっているか大丈夫だと錯覚してしまう。しかし、実際にはネットの向こうにも生身の人間がいるという事実は変わらない。あなたの何気ない一言が、相手を深く傷つける可能性があることを忘れてはいけない。

 とはいえ、それは即ち「何も書くな」という意味では決してない。むしろはてな匿名ダイアリーは「書く自由」を大切にする場所だ。ただ、その自由には、最低限の配慮必要になる。あなたが発する言葉責任を感じるかどうか――その判断は究極的にはあなた自身が下すしかない。そして、もし誰かの言葉によってあなたが傷ついたとしても、そこで生まれ感情をどう受け止め、どう行動につなげるかも、結局はあなた自身選択次第だ。それがネット上の言論空間における避けられない現実である

 人はみな、自分体験した悲喜こもごも物語を抱えて生きている。それを打ち明けるか、隠し続けるか、あるいは別のかたちに昇華するか――道は無数にある。はてな匿名ダイアリーは、その「道の一つ」を提供しているにすぎない。けれども、そこには確かに何かがある。匿名という安全地帯から我慢し続けてきた声をようやく吐き出せる喜び。SNSいいねフォロー数とは無縁の、純粋な読み合いの醍醐味。時には厳しい言葉を受け止めることで、思いもよらない学びがあることもあるかもしれない。

 もし、あなたがこの場所で何かを書こうとしているのだとしたら、どうか覚えておいてほしい。ここでは誰かに評価されることだけが目的ではない。むしろ自分感情を認めるために文章にすることが、大切な場合も多い。うまく書こうとしなくていい。無理にまとめようとしなくていい。自分でもうまく言葉にできないままの混乱こそが、ある種の真実かもしれないからだ。あなたが綴る文章が拙くても、見る人が見れば、その混乱の中からかすかな真意を感じ取るだろう。

 また、読み手として匿名ダイアリーに触れるときには、ぜひ広い視野文章を受け止めてほしい。表面的な言葉に振り回されるだけではなく、その人が置かれているかもしれない状況や、そこに至る経緯を想像してみる。その結果として、あなたが何も感じないかもしれないし、怒りを覚えるかもしれないし、時には深い共感を得るかもしれない。たとえわからないままでも、「わからない」という事実に思いを馳せることが、相手との間に生まれるほんの少しの理解を助けてくれるはずだ。

 おそらく、はてな匿名ダイアリーはこれからも形を変えながら続いていくだろう。書く人と読む人の交流は、時代技術の変遷を受けて少しずつ進化していく。AIが発達して、匿名文章自動生成できる時代になっても、そこに人間味あふれる“本音”の手触りが残るのだろうか。そんな問いかけを抱えながらも、私たちは相変わらずここへ足を運ぶ。だって、どんなに技術進歩しようとも、人が言葉を発して誰かに届くことに、やはり大きな意味があるからだ。

 最後に、ここに集うすべてのはてな匿名ダイアリーユーザーに伝えたい。あなたが今、どんな思いを抱えているとしても、ここで書くことには意義がある。たとえそれがネガティブな吐き出しであっても、あなた思考真剣にめぐらせた痕跡だ。その痕跡は、未来あなたや、あるいはまったく見知らぬ誰かの心に小さな火種を灯すかもしれない。もし今日あなたが自信をなくしているのなら、どうか遠慮しないでほしい。匿名仮面かぶったままでも、あなた言葉には十分な重みがある。そこから得られる感情や学びは、他ならぬあなた自身人生を動かすかもしれないのだから

 書くことは、ある種の自己解放であり、同時に他者との接点を生み出す行為でもある。自分の悲しみや苦しみを打ち明けることで、思いもよらない形で他人から共感を受けとることもある。逆に、誰かの文章を読むことで、これまで知る由もなかった人生観に触れることもある。はてな匿名ダイアリーには、そうした偶然の出会いが満ちている。うまくいくこともあれば、そうでないこともある。けれども、その予測できない化学反応こそが人の言葉面白さであり、匿名ダイアリーという不思議空間醍醐味なのだろう。

 どうか忘れないでほしい。たとえこ匿名世界真剣感情を吐き出したところで、リアル世界に戻れば、あなた名前や顔や立場はそのままだ。けれども、匿名の場で得た気づきや、さまざまなやりとりを通して感じたことは、リアルあなたにとって何らかの糧になるはずだ。あなたは、書くことで少しだけ自分を知り、読むことで世界を広げる。そして時には、誰かの心をほんの少しだけ照らしているのかもしれない。その証拠は、また誰かの新しい書き込みによって紡がれていくのだ。

 だから、もしこの先あなたが苦しいと感じたなら、またここに戻ってきてほしい。あなたが聞いてほしいことは、すでにここで待っている他の誰かが拾い上げてくれるかもしれない。あなた自分物語を探しているのなら、ここには数えきれないほどの物語が転がっている。人の数だけ人生があって、人生の数だけ言葉がある。どうか、その中からあなたが救われる言葉や、何かのヒントを見つけ出してほしい。

 はてな匿名ダイアリーユーザーへ――今日あなた物語が生まれては消え、そしてまた新たな物語へと続いていく。それは一人ひとりの足跡でありながら、やがて大きな流れになっていくのかもしれない。あなたが書いた言葉は、どこかの誰かの夜を少しだけ明るくするかもしれないし、あなた自身明日をほんのわずかに変えてしまうかもしれない。ここは、そんな可能性を秘めた場所だ。書き続ける者、読み続ける者、それぞれがさまざまな想いを携えて、この広大な匿名空間をさまよい歩く。そしてときどき、遠くから手を振り合う。それだけで人は、少しだけ強くなれるのではないだろうか。

 あなたが何を願い、どこへ向かおうとしているのかはわからない。けれども、文章を綴るという行為が、あなたを一歩でも前へ進める力になり得ることを、私は信じている。そしてその文章を誰かが読んだとき、何らかの共鳴や励ましが生まれ可能性は、決して小さくはない。だからこそ私は今日も、ここで文字を紡ぐ。はてな匿名ダイアリーに集う、まだ見ぬあなたに向けて。どうかあなたも、もし心に余裕があるならば、ここでの自由な発信を楽しんでほしい。たとえ小さなつぶやきでも、遠くの誰かにとっては大きな灯火になることがあるのだから

 書き手読み手、その垣根は紙一重であり、ときに容易に逆転する。今日読み手明日書き手になり、今日書き手明日読み手になる。そんな柔軟な循環こそが、このコミュニティ本質ともいえる。ここでは名前も知らない人々が、それぞれの人生を断片的に開示しあい、そこに何らかの反応を示し合っている。顔も声も知らない相手だけれど、文字の向こうにいるのは同じ人間だ。そしてそのやりとりが、あなたの心に、あたたかくも奇妙な「つながり」を芽生えさせることもあるだろう。

 はてな匿名ダイアリーユーザーへ――どうか、あなた言葉を大切に。どうか、あなた自身を大切に。ここは匿名仮面かぶった人々の集う場所しかし、その仮面の下にあるのは、たしかに生きている人間の心だということを忘れないでいてほしい。もしあなたがここで孤独を叫ぶなら、きっとどこかで誰かが耳を傾けてくれる。もしあなたが怒りをぶつけるなら、その理由を汲んでくれる人がいるかもしれない。もしあなたが喜びを共有したいなら、一緒に祝福してくれる仲間が現れるだろう。ここは、そんな可能性に満ちた場所である

 そして、もしあなた言葉が、誰かにとって苦しいものであったとしても、そこには相手人生があるのだということを思い出してほしい。遠い世界の誰かだとしても、何かを抱えて生きている人間であることに変わりはない。だからこそ、言葉が持つ力を見くびらず、どうか誠意をもって文章を紡いでほしい。たとえ感情的な吐露であっても、その奥にある“想い”を人は感じ取る。だから書くほどに、あなた自分を知り、同時に他者と繋がっていくのだ。

 あなたがここで紡ぐ文字が、いつかは誰かの行く道を照らすかもしれない。あなたの書いた言葉が、数年後に読み返されて、また別の人の心を動かすことだってある。はてな匿名ダイアリーという小さなステージに、あふれるほどの人生が断片として散りばめられている。そのひとつひとつが、かけがえのない存在だ。今日もまた、新しい投稿が生まれ、誰かがそれを読み、やがて何かしらの行動へとつながっていく。その循環が、あなたにも、私にも、そしてここを利用するすべての人に、ほんの少しずつではあるが、変化や成長をもたらしている。

 だからこそ、はてな匿名ダイアリーユーザーに捧げたい。どうかあなた言葉を信じてほしい。そして、あなた言葉を受け取る誰かの存在も、ほんの少しだけ信じてほしい。いまは小さな声かもしれない。でも、その声はきっと届くべきところに届く。思いがけないかたちであなた人生と交わり、あなたを励ましたり、支えたり、ときに戒めたりする存在が現れるだろう。そんな奇跡を、ここでは何度も目にしてきた。それを信じるのは、決して無駄なことじゃないと私は思っている。

 今日も、はてな匿名ダイアリーユーザーあなたは、何を想い、何を綴ろうとしているだろうか。心に宿るほんのささやか感情であっても、あるいは長年くすぶっていた大きな悩みであっても、あなたが書きたいと思ったなら書けばいい。読むのは、あなたを含む、ここを訪れる誰かだ。私たち匿名仮面の下にそれぞれの人生を持ち寄っている。だからこそ、見知らぬ誰かの声が、あなたの中に眠る想いを目覚めさせてくれることもあるのだ。

 もし明日、心が折れそうになっても、どうかここを思い出してほしい。はてな匿名ダイアリーは、完璧場所では決してない。批判誹謗中傷、思わぬ行き違いも数多くある。それでも、人間の生々しい感情がこれほど集まる場所は貴重だ。そして、その生々しさのなかでこそ、人は自分本音を知り、誰かとの小さな共感を感じ取り、支え合うことを覚えるのかもしれない。あなたがどのようにこの場を活用するかは自由だ。だが、あなた言葉はたしかにここで息づき、誰かの心と呼応する可能性を秘めている。

 この不思議匿名空間へようこそ。そして、今いるあなたへ、ありがとう今日もまた、新しい物語生まれる。もしあなたがその物語を書きたいなら、ぜひ書いてみてほしい。誰かの書いた物語を読みたいなら、ぜひ読み漁ってほしい。そのどちらも大いなる価値があり、あなた人生を少しだけ豊かにするかもしれないから。どうか、はてな匿名ダイアリーというこの小さな世界で、あなたの心が少しでも軽くなるような、そんな瞬間を見つけてほしい。それが、ここに集うすべてのユーザーに捧ぐ、ささやかな願いである。

オカンがさぁ、さっき「今年はいい人と出会いがあればいいのにね、あんた」って圧力をかけてきてさぁ

「いや、俺は一生結婚しないで行くつもりなんだが」って本音を言えなかったじゃねぇか

オカンの期待が重いぜ

やっと長きに渡る戦いが終わった…ぽい

色々あって、増田も含めたネット上のあらゆる場所である人物たちと戦っていたわけだが…やっと終わったっぽい。

一人は、存在自体が虫の息となり、消えるのが時間問題となった。

もう一人は、インターネットの外での活動が増える見込みとなったため、ネットちょっかいかけてくることが減ることが確定した。

もはやロジックとして

「あの意見絶対に間違ってる」

「あの言葉は何が何でも取り消させる」

ちょっかい1000倍返しにして、国八分電脳八分にしてやる」

というぐらいの怒りはなくなった。(そのぐらいのことをしておきながら、何を血迷ったかこちらを監視しては妨害している人間が2人もいたわけだが…もうそれもなくなるならこちらがキレる必要もあるまい)

これだけを読むと統合失調症の人っぽいが…彼らから妨害嫌がらせを受けたことで、1日たりとも彼らについて考えない日はないほどしんどい時期を送ったのだよ…。

そこで、増田を含めた色んな場所情報戦を繰り広げていた(過去増田を洗いざらい探せば、争いの痕跡は残っているけど…探さないでね。もう終わったことだし。)

勝利宣言

いや、一人は勝手に負けただけだよ。

こちらが向こうから受けた仕打ち暴露するまでもなく…自滅したか

「俺と戦う暇があったら、あなたが裏切った人間達と向き合えば?」

あなた裏切り続けている人間に少しでも償えば?」

しか、あの人にかける言葉はないです。

私はもうあなたの友でもないし?

私が鳴らした警鐘・助け舟の全てを握りつぶしてきたわけだから…負けちゃったあなたに言えることは「一人で負けろ。他人を巻き込んでんじゃねぇ」という内容の言葉しか出てきません。

本音を言えば、あなたから私に喧嘩を売ったんだからあなたに味方した全員を残党狩りしたい。

だが、私が狩るまでもなく勝手に負けそうだから妨害されない限りは残党狩りはしないかな。妨害するほどの忠誠心がある人間もいなそうだし。

もう一人…こっちは10年以上私に粘着してたやつなわけだ。

そりゃ、分相応の報いを受けさせようと考えてたけど…こっちも自滅ルートに入ったからいいや。

最後最後まで面白くない人間すぎて

ネットをがんばってたのは、自分立身出世できない人間だと思い込んでいたからという…そんな陳腐理由かい!」

と呆れ返ってしまったよ。

ぼくに、10年間粘着した人間は、たしか能力のある人間だった。

そこは俺が認めなくても、他の人も認めてることだろう。

ただ…能力があるからこそ、上には上がいて、自分なんて立身出世できないと思っちゃったんでしょうね。

それで、あなたの話をある程度聞いて・あなたが持ってるものを羨ましがるような僕にちょっかいを出し、十年も先輩ヅラしてたわけさ。

今だから言うね。

俺が、あなたオタクでもネット住民でもないと思った根拠は…高尾山ハンドバックにルイ・ヴィトンの財布で来たときだよ。

ぼくなら、どれだけお金持ちになろうと、高尾山ルイ・ヴィトン持ってこない。

ヒカキンクラスルイ・ヴィトンオタクで、ルイ・ヴィトンと聞けばサッカーボールのケースまで集める愛好家のことは尊敬してるし?

同級生不動産屋の息子が、「金持ちすぎて、高校生ルイヴィトンの財布を持ってて、少しでもほつれがあると修理してもらいに行く」みたいなのは、好きだよ?(実話です)

ただ…自己表現と結びつかないルイ・ヴィトンは…悪趣味な浪費だと思ってる。

高価なルイ・ヴィトンも、コレクションとして慈しんでないやつらに渡るのはかわいそうだと思ってる。

そもそもオタクだとか金持ちだとか自分で言っておきながらなんだ?

金持ってるオタクなら、自分ファッションや持ち物まで自己表現であふれてろ!

金持ちだなんて人に言うなら、庶民がわからない「粋」をお金の力で表現してみせろ!!

俺が「金持ちになってもルイ・ヴィトンを買わない」といったのは、酸っぱいブドウなんかじゃねぇ!

ちゃんと質の良く、それなりに高価で、大半の人が高級品だとさえ気づかない良い皮財布を知ってて、それがほしいから「ルイ・ヴィトンちらつかせてる金持ちはひったくられろ」としか思わんのさ。

ぼくはどこまで行ってもオタクからね。

わかる人にしかからないようなメタファー生活に、言葉に盛り込むのが大好きなんだ。

財布なんてピンキリもの自己表現できるお金があったら、私なら「物の良さで逸品だと気づくもの」を選ぶ。

ホームレス成金が見ても絡んでこないが、本物がわかる人が「いいの使ってるね」と思うものを選びたい。

少なくとも、私はそれがオタクってものだし、お金を持った時にやりたい自己表現だと思ってる。

若い時ほどネット大衆に期待しちゃいない。

はてなのような時代に取り残された異物の生き方も、今のXみたいな見栄とネームバリューの殴り合いにも関わりたくない。

「愛と自由のために戦う」

今の私の頭にあるのはこれだけだ。

私の愛と自由を妨げない限りは、君が高尾山ルイ・ヴィトンを持ってこようが?降って湧いた立身出世に小躍りしようが?興味がない。

ただ、「お金能力だけでは、人生は味気ないのだな」と、愛と自由のために生きることの正しさを再確認するだけだよ。

愛も自由もない余生をお幸せに。

勝手に自滅していくあなた抵抗してこない限り、私が興味を示すことはないよ。

これだってふたりももうすぐネットから消える目処がたったから「やっとストレスの種が消えたし、自分自身との戦いに集中できるぞ」って決意表明で書いてるだけ。

…君らに言及するのがこれで最後であることを願うよ。

私を攻撃粘着してる2人以外で、この文章を読んだ人間がいるとしたら…最後まで読んでくれてありがと。

この文章…人に読ませたいんじゃなくて、僕の心の整理のために書いたもの死ぬほど読みにくかったと思う。

そんなのを読んでくれる第三者は、めちゃくちゃ優しい人だよ。

から最後まで読んでくれたあなた達に幸せが来ることを心から願うよ。

ほな

2025-01-09

anond:20250109150816

大規模工場環境に優しい構造に切り替えるかどうかに比べたらささいなことだよ

君の本音は「生意気な女を黙らせたい」でしかいね

田舎に住んでるんだけど何故みんな迷いなく家建てれるの

田舎に住んでいる。

見渡す限りミドリってほどはないけど、かなり田舎の方だと思う。県庁所在地から車で2時間ほど離れている。

正直不便さを感じるし、将来この地域はどうなるんだという不安がある。

そんな地域で、まわりで結婚した人は当たり前に家を建てる。

なんでみんなその決断ができるんだろう。

自分はできなくて悩んでいる。

妻の地元であり、自分にこの土地への思い入れ特にないのも大きいかもしれない。

自分も既婚者で、子供も未就学児が2人いる。

いまは安い賃貸に住んでいて、子供のためにも出来れば大きな家に越したい気持ちはあるが、

現時点で国道沿いに空き店舗が乱立しているこの地域未来希望が全く見出せず、子供には将来は都市に出てもらいたいし、自分自身も身体的にも精神的にも永住できるだろうか…と不安である

子供が出ていく前提で、自分も不便さを感じていて、未来も見えない地域にローンをしてまで家を建てる勇気が持てず、なぜみんなあんポンポン家を建てられるのか、と感じる日々。

夫婦とも、わりと求人のある職種なので本音を言えばそもそも家族ごと引越したいが、妻は地方公務員で長く勤めたい気持ちが強く、育児祖父母のチカラが借りられたり、地元愛もあるためか強く反対されている。

考えてみれば1番悩んでいるのはこの部分なのかもしれない。

anond:20250109102815

上限が高くなったらその医療を諦める人が出てくる、という大切な点を忘れていないか特に一部のがん関連。あとおそらくこの話でのがんと並ぶ主戦場になりそうな透析。この辺りは延命期間が短かったり、生存してもQOL悪化が著しく大きかったりして、医療サービスの消費自体を控えて欲しいのが本音でしょ。

2025-01-08

anond:20250108105353

MGAの何がダメなの?

というかその中でばうんでいだけが作風が違う

月もまあそこまで凝ってはないだろうけど基本音理論歌詞を乗せてるだけ

その中でミセスだけを嫌う理由がわからない

歌詞が爽やかだから

貧富の差が拡大する!」←じゃあ最初から子育て支援とか要らねえだろ

パワーカップルの特例給付復活を立民はじめ野党が叫んだ時に、ちゃんと言うべきだったんじゃねえかな、そんなことは

再配分ガン無視女子供に甘い顔したがるのは別にネオリベ連中の専売特許じゃないし、昨日今日始まった話でもねえっていうのに

政策の中身なんかどうでもよくて、「小池維新人気取りに使うのはムカつく」って、それだけじゃねえか

こいつらの本音なんかさ

anond:20250107115715

2025-01-07

anond:20250107120747

子育て支援はむしろ重要だよ。

多様性なんて建前の話で、ちゃん国民子供産んで人的リソースで回さないと国は国家を維持できないし国民は今の生活を続けられないんだから

移民拒否し続ける以上は日本人日本人を産む他ない。

結婚すらどうでもいい。ただの契約しかない。産んで増えてくれれば何でもいいのが今の本音だよ。

anond:20250107120747

子育て支援はむしろ重要だよ。

多様性なんて建前の話で、ちゃん国民子供産んで人的リソースで回さないと国は国家を維持できないし国民は今の生活を続けられないんだから

移民拒否し続ける以上は日本人日本人を産む他ない。

結婚すらどうでもいい。ただの契約しかない。産んで増えてくれれば何でもいいのが今の本音だよ。

2025-01-06

anond:20250106163022

自分の「あのキモい絵を見たくない!」という嫌悪感正義をまとわせるために「子供への悪影響ガー」と言ってるだけで、

別に子持ちではないし、本音では子供への悪影響なんてどうでもいいと思ってるよ彼女ら。

マッチングアプリモテない男性へ。女性からアドバイス

はてな匿名ダイアリーをご覧の皆さん、こんにちは

最近マッチングアプリでなかなかうまくいかない…と悩んでいる男性も多いのではないでしょうか?

実は、私も以前はマッチングアプリで苦い経験したことがあります露骨性的メッセージを送ってくる男性容姿や年齢に対する心ないコメント個人情報執拗に聞いてくる男性ドタキャン遅刻を繰り返す男性…挙げればキリがありません。

そこで今回は、同じように悩んでいる男性に向けて、マッチングアプリモテるための秘訣を、女性目線アドバイスしたいと思います

なぜモテない? 女性不快に感じる男性の行動

マッチングアプリ出会いを求める女性にとって、残念ながら不快な思いをすることも少なくありません。  

露骨性的メッセージを送ってくる。

容姿や年齢に対する心ないコメントをする。

個人情報執拗に聞いてくる。

ドタキャン遅刻を繰り返す。

マッチング後すぐに会おうと迫ってくる。  

このような行動は、女性に恐怖感や不信感を与え、せっかくの出会いのチャンスを逃してしま可能性があります

中には、プロフィールと全く違う人が現れたり、既婚者なのに独身と偽っていたり…というケースもあるようです。 女性は、このようなリスクを常に抱えながら、マッチングアプリを利用していることを理解しておく必要があります。  

マッチングアプリ費用

より真剣出会いを求めるなら、有料のマッチングアプリ選択肢の一つです。 実際、多くのマッチングアプリが、男性は有料、女性無料という料金体系をとっています。 例えば、「with」というアプリ場合男性は月額3,960円かかります。 有料会員になると、より多くの機能が使えるようになり、出会いの幅も広がります。  

女性の心を掴む! マッチングアプリモテる男になるための4つのステップ

では、どうすればマッチングアプリモテるようになるのでしょうか? 具体的な方法を4つのステップに分けて解説します。

ステップ1:プロフィール写真で好印象を与える

プロフィール写真は、あなた第一印象を決める重要な要素です。以下のポイント意識しましょう。

清潔感のある服装髪型にする。

例えば、Tシャツジーンズといったシンプル服装でも、清潔感があれば好印象を与えます。逆に、ヨレヨレの服や寝癖のついた髪型では、だらしない印象を与えてしま可能性があります

笑顔自然な表情を見せる。

自撮り写真ではなく、誰かに撮ってもらった写真を使うのも良いでしょう。また、自然笑顔を引き出すために、写真を撮る前に楽しいことを考えるのもおすすめです。

加工アプリ使用は控えめにする。

加工アプリで顔を変えすぎてしまうと、実物とのギャップがっかりされる可能性があります自然範囲で、肌をきれいに見せたり、明るさを調整したりする程度に留めましょう。

全身写真も入れる。

全身写真を入れることで、あなたスタイル雰囲気をより具体的に伝えることができます服装姿勢にも気を配り、バランスの取れた写真を用意しましょう。

ステップ2:プロフィール文で魅力をアピールする

プロフィール文では、あなた内面アピールしましょう。

趣味や興味、性格などを具体的に書く。

例えば、「映画鑑賞が好きです」と書くだけでなく、「最近は〇〇という映画を見て感動しました。特に〇〇というシーンが印象的で…」のように具体的に書くことで、あなた趣味に対する熱意が伝わります

ポジティブ言葉を使う。

ネガティブ思考です」「人見知りです」といったネガティブ言葉は避け、「明るい性格です」「人と話すのが好きです」のようにポジティブ言葉表現しましょう。

女性への配慮を感じさせる文章にする。

「一緒に楽しい時間を過ごしたいです」「相手意見尊重します」のように、女性への配慮を感じさせる文章を入れることで、安心感を与えることができます

長文にならないように簡潔にまとめる。

ダラダラと長文を書くよりも、簡潔で読みやす文章の方が好印象です。要点を絞って、あなたの魅力が伝わるように書きましょう。

ステップ3:メッセージのやり取りで距離を縮める

メッセージのやり取りでは、以下の点に注意しましょう。

女性プロフィールをよく読んでからメッセージを送る。

女性プロフィールをよく読み、共通話題や興味のあることを探しましょう。

丁寧な言葉遣いを心がける。

丁寧な言葉遣いは、相手に良い印象を与えます。また、絵文字効果的に使うことも、親しみやすさを演出する上で有効です。

質問ばかりにならないように、自分のことも話す。

質問ばかりでは、相手を interrogation しているような印象を与えてしまます自分のことも話し、会話を盛り上げましょう。

女性のペースに合わせて返信する。

返信を急かしすぎたり、逆に放置したりするのはNGです。女性のペースに合わせて、自然な流れでやり取りを続けましょう。

会話を盛り上げる話題提供する。

女性を楽しませるために、面白い話や興味深い話題提供しましょう。ただし、下ネタ過去恋愛話などは避けるようにしましょう。

ステップ4:デートで好印象を与える

いよいよデート! 以下のポイントを押さえれば、成功間違いなしです。

清潔感のある服装で行く。

TPOに合わせた服装を選びましょう。初めてのデートでは、カジュアルながらも清潔感のある服装おすすめです。

時間厳守。

時間に遅れるのは、相手に失礼なだけでなく、あなたルーズさを印象づけてしまます時間に余裕を持って行動しましょう。

女性を楽しませる会話をする。

相手の話をよく聞き、共感しながら会話を進めましょう。また、ユーモアを交えながら、楽しい雰囲気を作ることも大切です。

押しつけがましい言動は避ける。

デート中に、自分意見押し付けたり、相手プライベート踏み込みすぎたりするのはNGです。相手気持ち尊重し、心地よい距離感を保ちましょう。

女性本音:外見だけじゃない! 誠実な男性モテる

最後に、女性としての本音を少しだけお話します。

女性は、外見だけでなく、内面も重視している人が多いです。 誠実で思いやりのある男性は、必ず魅力的に映ります女性は、自分仕事趣味内面に本当に興味を持ってくれる男性に魅力を感じます。 表面的な会話ではなく、相手のことを深く知ろうとする姿勢が大切です。  

マッチングアプリあくまでも出会いきっかけの一つ。焦らず、自分に合った相手を見つけることが大切です。

最後

マッチングアプリでの出会いは、時に困難や frustration を伴うこともありますしかし、今回ご紹介したポイントを踏まえ、自分磨きを忘れずに、積極的に行動することで、きっと素敵な出会いを掴むことができるでしょう。 諦めずに、自信を持って恋愛を楽しんでください!

応援しています

anond:20250106115136

今朝とかXですごく働きたくないポストを見かけたけど本音とは裏腹にみんな真面目に8時にはオフィス着いて粛々と仕事してそう

anond:20250106113153

変な事書いてしまって申し訳ない

ただ増田脳内だとしても同じことかもしれんよ

脳内増田A(上司兼建前)と増田B(部下兼本音)がいて、部下が提案しても上司否定するからボトルネックで事が進まないとか

自分自分をほめてあげればうまくいくんじゃないかな?

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