はてなキーワード: 主治医とは
双極性障害のパートナーが、同じような境遇のコミュニティで知り合った異性との依存が強く困っています。
困っている行動としては、
・当日急に相手に会いに行ってしまう(公共交通機関で3時間以上かかる)本人の弁明としては、相手の希死念慮が強く、助けに行かなければならない衝動に駆られるようです。
・夜の寝落ち通話。単純に私の睡眠の妨げになっているのもありますが、そもそも状態としてはおかしい気がしています。
私が常時見ていられるような環境にはなく、また実家に帰ってもらっていても衝動が強いようなので、どうしたらよいかわからず……
SNSが本人の希死念慮を和らげる効果があると主張しており、やめることには抵抗を示しています。
上記のような行動もやめてほしい旨は伝えていますが、あまり聞き入れられません。
おしっこの出口がもう一つ開通したんだけど、そっちの門がまだ小さいので、逆に勢いよく出ちゃう
一つ目の出口と同じくらいの大きさになるって主治医は言ってたけど
年内はこのままかな
来年は3つ目の出口も開けるつもり
まだ初心者マークみたいなものだと思ってます。一応病名は適応障害で、休職を少しして、今はリハビリ復職中。
自分としては、少し疲れたところに色んなストレスが集中してかかったことがきっかけで抑うつ状態が一気に加速した状態だと思ってるので、おそらく対応を間違えなければ、このまま回復できると思ってます。
ただ、「まだ初心者マーク」と言ったように、主治医からは、このまま良くならなければ、うつ病という診断名になるよと言われているから、いまはとりあえずゴースの状態で止まってて、ゴーストへの進化を一生懸命Bボタンでキャンセルしてる状態だと思っています。
もっと適切なポケモンいるかもしれないけど思いついたのと世代が赤緑なんで…
で、適応障害もうつ病も症状としてはあんまり変わらない気がするんだけど、私がかかった時にいちばん顕著な症状は睡眠障害と希死念慮だった。あとは仕事への集中力、思考のまとまりがなくなるとか、急に涙が出るとか。
睡眠障害は、途中で目が覚めちゃったりとか、一睡もできずなにか悪いことを考え続けちゃうとか。
これへの対処は、比較的容易だと思っていて、というかしっかりしたクリニックであれば適切な服薬を処方、定期的な通院で寝れてるかをモニタリングして、服薬調整。
容易というよりは、標準化された治療がある、対処可能な症状だと思う。
問題は希死念慮の方で、これって人によって何によって引き起こされるかが全然違うし、それにどう対処すればいいかも全然違ったりする。
だから、私がどういう時に希死念慮が発動しやすく、どうしていたかっていうのを書き残しておこうと思ってこの文を書いてる。
発症して2ヶ月以内くらいの間は、休職してて仕事のストレスがなんにもない状態にも関わらず、1週間に1回、もしくは4日に1度くらいの結構な頻度で死にたい衝動が襲ってきた。
たとえば、もうジムとか遊びに行けるから元気なんでしょ?くらいの感じで、夫から雑にからかう言葉をかけられた。
仕事への復職が近づくのに、仕事へ戻って同じ仕事をこなせるかわからない。
あるいは、何にもきっかけらしきものがないのに、夜になって急に全部リセットしたい衝動がやってくる。
今書いてても、俯瞰して見ても、自分で振り返っても、なんでこんなことで?って思うことばっかり。
夫が雑な言葉かけるのなんてこの10年そうだし、夫からしたら「僕何言った?」みたいな感じだと思う。
強いて言えば、自分の辛さを理解してくれない、と感じたことが、いつもの何十倍もの辛さにブーストされてのしかかってきたんだと思う。
仕事にしたって、配慮のある職場で、いきなりフルで復帰させることはしないよとはっきり言われていた上でのことだ。
近所の子どものくだりは、私が不妊治療をしていて、そのストレスが適応障害の引き金のひとつになったことと関係してるけど。
あとはシンプルに、なんか不意にやってくる、なんだろう、電波障害?天気予報外れの雨?みたいな感じの予測できない不調が週一かそれ以上で来て、その度に、この世の終わりかのような絶望感と、なんか自己の存在への諦めというか、いてもしょうがないじゃん、みたいな理屈で説明できない感情に苛まれる、それが私にとっての希死念慮というやつだった。
これを経験するまで、私は、うつの人が死にたいっていう気持ちを心底は理解できてなかったなと思う。
そうは言っても、そう言って気を引きたいだけで死ぬ気なんてないんでしょ?って思ったり、ましてそれで実行に移して死んでしまう人なんて最重度のごく一部の人なんだと思ってた。
多分夫とかうちの家族にしてもまだそのくらいの解像度なんじゃないかと思う。
これはこの負のブースト状態を体験してみないとなかなか察しにくい。
対処すれば過ぎ去る短時間のものだったり、頭にこびりついて何日も引きずるものだったり、私が経験したものも程度は色々だったけど、紛れもなく、その全部が「死んじゃいたいー」だった。
家族もいるし、友達もいるし、職場の在籍も保証されてるし、励ましてくれる存在はいっぱいいるのに、その希死念慮に苛まれてるあいだはそれを一足飛びに飛ばして「我思う、故に我死ぬべき」が頭を支配するんだよ、不思議としか。
私は仕事で精神医学とか心理学とかをかじっていて、なんならそういう人もたくさん仕事で相手にしてきたから、まさか自分がそんな状態になるなんて思ってなかった。
いちばんひどい状態の時は、家にある死ねそうな薬を集めるのを試みたりネットでしらべたり、近所のタワマンの一番侵入できる高いところまでいってみたりした。
(その時は気づいてなかったけど夫が過去の病気で処方されて飲んでなかった睡眠薬がいっぱいあった事に後で気づいた。あの時気づいてたら危なかったなー。あれ隠しといてもらわないとな。)
どこかで理性は残っているから、そうなってる状態のことを、Twitterに書いたり、仕事中の夫にLINEで書いて伝えたりして、誰かに止めてもらえるようにはしてたと思う。
その行動が、はたから見ると「構ってちゃん」になるんだろうし、すごく矛盾した行動だけど、いけない行動だと分かってるのに思考と行動が死に向かう、その状態を自分だけでどうしようもないから、他人に知らせるんだと思う。
さてこの希死念慮の時の振り返りはけっこう再体験に近いので今書いてても涙が出るしリアルに思い出しそうになるので、この辺で私がその希死念慮にどう対処したかとか、どんな対応がありがたかったかに話題を変えようと思う。
とりあえずは、すぐに医療にかかれたこと、処方薬がもらえたこと。わたしはこれが大きかった気がする。
精神科や心療内科って絶望的に予約が取れなくて、初診だと1週間後ですとかざらに言われたりする。
今このどうしようもない希死念慮をなんとかしたい!って時に一週間後だったら、確実に間に合わなかったんじゃないかと、ぞっとする。
処方してもらったのはごく軽い睡眠導入剤(抗うつ薬)と、不安になった時に飲むようの少し強めの抗不安薬。
まずはしっかり寝ることと、仕事は問答無用で休み、そして一人にならない環境を作ることを主治医に言われた。
休んでても、一人になった時に希死念慮が来て,抗不安薬も効かなかった時に、ポーンと境界線を超えることがあり得るからだといわれた。
まさにそうで、誰かがいてくれる、誰かと約束があるという状態の連続が、私にとっての抑止力になった。
そして、先に書いたようにそれでも境界線を超えかけて「我死ぬべき」になった時はどうしたか。
やっぱり、自分の今の状態を知ってもらえる人を作ることだった。
Twitterに死にたい状態であることを書いて、紛らわせられるような動画とかがほしいことを添えて書いた。
実際はもっとやばい状態だったけどさすがにそこまでを全部さらすのはやばいと思ってまだ余裕のあるポーズをしたりするから、よけい構ってちゃんに見えただろうなぁ。
でも、全くそれまで交流のなかったフォロワーの人からくすっと笑える動画とか、猫の画像とか送られてきて「生きてくださいね」って声かけてくれたりして、大袈裟なんだけど、ほんとうにそれだけでも飛び越えるハードルは一個上がった。
あとは、投稿見て心配してLINEやDMを飛ばして来てくれた友達がいた。その人達には、自分の今の状況や気持ちをもう少しありのままに話せて、実況みたいにしてたけど、そうして話しながらぐるぐる歩いてるうちに疲労してきて、家に帰ろう、ってなれた。
本当にありがたかった。
とりあえず些細なきっかけに理不尽なブーストがかかっていて訳の分からない状態の私の話を聴いてくれる人がいて,共感してくれたり、とりあえず寝ようよ、不法侵入て言われないように家に帰りな、って促してくれたり、それぞれの言葉で私を心配してくれると思うだけで、あの世へのハードルはだいぶ上がった。
あとはうちの夫は本当に言葉が雑で不器用な人なんだけど、とりあえず私が休んでる間は何も仕事のこととか聞かず、たまに元気が出そうな食事を出してくれたりした。その放置具合が逆にありがたかった。
けど、上記のように私が些細な冗談で死にたい状態になったり、火のように怒ったりする泣いたり、喧嘩になっちゃうもんだから、話し合って1週間くらいお互いに距離をおく(物理的に話さない状態を作る)をした。
身近な人に理解してもらう、実はこれが一番難しいかもしれない。これは長い時間かけてお互い努力と配慮をするしかないと思っている。
あとは、休職期間中に読んだこの記事も,自分の中の得体の知れない希死念慮につながる状態を俯瞰するのに役に立った。
https://note.com/kaerukoakeno/n/nb3d72b72b3b0?sub_rt=share_b
この記事でも言われてたり、友達にも言ってもらって安心したのは「こういう思考になったり、傷つきやすくて家族と衝突したりするのも、自分のせいではなく病気の急性期症状のせいだよ」と言ってもらえたこと。
もちろん,病気のせいに何もかもしていいわけではない。私の寂しがりのパーソナリティは病気のせいだけではなかったりするんだけど、要は、自分をなるべくその状態に持っていかない環境設定をすること、だと思う。
あとは、症状が落ち着いてきた今、自分の中に溜まってもやもやしている気持ちとか、不安への向き合い方を教えて欲しいなの目的でカウンセリングにもかかるようにしている。
自分の思考のくせを他人に共有して,受け止めてもらった上で、違う視点をもらえるのは受診だけでなくカウンセリングならではのメリットだと思う。
あなたがそう思うのは自由ですが、術者、あるいは麻酔科医にとっては漢方薬の服用はイレギュラーな事象ですので術前の服用はなんであれ主治医に相談してください。
多くの漢方薬品は西洋医学においてはエビデンスがあったりなかったり機序がわかっていなかったりします。術後のイレウス予防と記載のサイトは謳っていますがその用途であれば術後で十分であるし(消化管オペによる絶食時は除く)まあ普通に運動した方がいいと思います。痛いと思うけど
年齢は30代後半。数ヵ月前に精神疾患で退職して無職になってしまった。
ぼーっとして仕事が手につかなかったり、風呂に月1しか入れなかったり、いわゆるうつ病っぽい症状がしばらく続いて3年ぐらい前にうつ病診断。
最近、主治医との話で過去の軽躁らしきエピソードが出た結果双極性障害に変わるかも、というのが現在の診断状況。
半年ぐらい前まで、頭の中でもう一人の自分が勝手にしゃべり続けているような症状があって、
それのせいでまともに考え事もできなくて、一日中ボーッと寝ていたのが、この間出された薬に変えたらピタッと止んだ。
……止んだはいいんだけど、それから一ヵ月ぐらいして、あらゆることに集中できない症状が発生した。
テレビやゲーム、動画などを見ても数分と集中できずに苦痛になってくるし、散歩に出ても不安なことについて考えるばかりで景色を見る余裕もなく、目的地まで歩いて、目的地から自宅まで歩くだけ。
こうしてこの文章を打つのも、5分打って、5分休んでの繰り返しであり、何をするにも5分ごとに休憩が必要。
脳の機能障害かとまで思ってしまうものの言語に関してだけはこの通りある程度意味の通る文章を作ることができ、わけがわからない。
ぼーっとしてすごしていられればまだいいのだが、ぼーっと休んでいることにさえ"集中できず"、何かしなければという焦りだけが自然とわいてきて、毎日が苦痛である。
SNSで昨日教えてもらった行為で緩和が見られたものの、この症状が一体なんなのか、まるでわからない。
若年性認知症にでもかかってしまったのだろうか。でも認知症で調べてもこのような状態の話は出てこないんだよな。
自分も今の自分の状態を正しく言語化できないから、同じ症状に苦しんでる人がいてもやはり言語化できなくて、病態として認知がされていないのかもしれないし。
脳に何が起こっているのだろう。
保険適用だと3割負担で3万円くらい、保険適用外・検診だと10万円~という料金が多いと思います。
「保険適用でしてくれ!」と無茶を言ってくる人もいますが、基本的に保険適用は癌の確定診断があって、主治医からの依頼があった方のみです。
増田のいるPET施設では「〇〇先生にすすめられたから説明聞きに来たのに、保険にならないの!?」と言われる方もいますが、先生は「(今現時点で癌はないけどそんなに心配なら)PETしてみたら?」って意味で言ってることもよくあります。
その他よくある質問で、確定申告の医療費控除は対象外です。ただし癌など重大な病気が見つかった場合は医療費控除の対象になることもあるので、税務署に相談してみてください。
親友が自殺未遂した。多分本気で死ぬつもりで、遺書も、自宅の整理もすべて揃っていた。消化しきれないので、フェイクを混ぜながら書いていく。
親友は職場で出会った後輩。歳は1つ下。元気で活発で、仕事も全力投球!みたいな女の子。
シフト制の仕事なので毎日会える訳では無いが、休みが合えば必ず会っていたし、旅行にも頻繁に行った。休みでなくても仕事終わりに銭湯に行ったり、食事に行ったり、互いの家でゲームをしたり、ずっと一緒にいた。
出会って数年になるが、お互いが無くてはならない存在になっていた。
ボーナス後に奮発して、露天風呂付客室に泊まったことがあった。温泉好きなのでもちろん2人して大興奮。夜中、露天風呂にお湯を張って、小さな声でお互いがいかに大切か語り合った。以前、友達を好きすぎるあまり、その相手に避けられてしまったことがあるのだと涙声で明かされた。私も好きだから大丈夫、と言うと、親友は、じゃあおばあちゃんになるまでこうやって遊んでようね、と。
親友が自殺行為をしたつい1週間前にも旅行(登山)に行っていた。2人とも計画性がないので、途中で道を誤って山頂にはたどり着けなかったが、その過程すら楽しくて2人でゲラゲラ笑って下山した。汗だくで銭湯に向かい、また行こうねと笑っていた顔を思い出す。今度はちゃんと調べて、次休みが合えばリベンジしようと約束した。
その1週間後。早く職場に着いた私は、癖で自分のデスクの引き出しを開けると、見慣れた字のメモ書きが入っていた。
『○時までに来なかったら読んでね』
自殺をしたこと、場所、警察や家族に連絡を取って欲しいことなどが書かれていた。
時が止まったかと思った。あいつがそんなことするはずがないと。とにかく○時まで待たなくては。あいつはいつも通り仕事に来るはずだ。
親友は来なかった。メモ書きに書かれていた通り、家族に連絡を取った。実家にも招待されたことがあって、家族とも面識はあった。
母親が電話に出た。親友は昨夜実行前に、遠方の母親に電話したらしい。様子がおかしかったので母親から通報、すでに搬送先の病院にいるとの事だった。
一命を取り留めたと聞いて、心底安堵した。でも後遺症が残ったら?体が動かなかったら?それでも私は親友さえ許すのであれば担いででもどこへでも連れていこうと思っていた。
一部の上司にのみ報告した。涙が堪えきれなくて早退を申し出たが、今日は人手が足りないから残ってくれと言われた。それでも耐えきれずに押し切ったら帰り際に上司に呼び止められて、ショックなのはみんな同じだよ、と笑われた。代わりにお前が死ねよと思った。
親友のアパートに向かった。鍵を開けているから入って、とメモにあったからだ。遺書があった。私宛にもメッセージが残っていた。大好きだ、楽しかった、と……じゃあなんで、と言いたくなった。
親友はそのまま精神病院に入院になった。携帯もパソコンも使えない環境を案じて、塗り絵やブロック、その他遊べるものを買っていった。手紙も添えた。公衆電話から連絡できるように、現金も預けた。面会はできないので看護師に手渡した。
まず、絶えず電話がかかってくるようになった。そして住所を聞かれ、手紙が送られてくるようになった。
私の差し入れが主治医の判断で没収されたこと、生活の不満、不安定な感情、いろんなものをぶつけられた。
それから、ほしい物を頼まれるようになった。あのおもちゃがほしい、あの漫画を持ってきて欲しい……私は律儀に答えていた。仕事終わりにでも買い物に行って届けていた。
親友の母親もひどくショックを受けていて、私に依存するようになった。娘との会話で少しでも気になることがあると、私に連絡してくるようになり、私は都度泣いている母親をなぐさめた。
だんだん眠れなくなってきた。家のことが手につかなくなってきた。食事もできなかった。
気力も体力も時間もお金も奪われていて、自分のことを出来る余裕が持てず、自宅はゴミであふれかえった。
それでも親友は私に連絡してくるし、手紙も寄越した。中には〇〇さんに渡しておいて、というものや、〇〇さんとの約束をキャンセルしておいて、というようなお願いもあった。
プライベートでも職場でも、退院後に馴染みやすいように出来るだけ気を使って、親友の事を聞かれても明るく答えるようにしていた。家族にも、(私)ちゃんに頼っていて申し訳ないけれど、遠方だからね……と言われた。誰かに相談するということは、自殺未遂をしたことも明かすことになるので、誰にも相談できなかった。
私を安心させようとしているのか、もう元気だよ、と手紙に書かれていた。眠れているし、食事も摂れている、医師や看護師にも相談できている。(私)ちゃんがくれた遊び道具も許可がおりて、楽しくすごしてるから、もう死にたいと思わないし心配しないでね、と。
私がこんなに気を張りつめて、食わず眠れずギリギリの体力でお前の要求に応えているのに。お前は黙っていても食事が出され、下げられ、身の回りの世話もしてもらえるのに。私は家族と疎遠で、お前には遠方でも心配して来てくれる家族がいるクセに。私は職場で1人減った分の穴埋めで休むなとプレッシャーを掛けられているのに。休職を申し出ても断られた。入院も休暇も困ると言われた。2人欠く訳にはいかないと。なんだ、先にやったもん勝ちじゃん、と思った。
そして、こんな短期間で、医師や看護師に相談できて、私や家族に心配されて、もう元気になるようなら、もう自殺しようなんて思わないなら、それは初めから大したことではなかったのではないかと思った。構って欲しかっただけなのではないか。なら初めからこんなことを起こすな。分かっている。そういうことではないのだと、分かってはいるのだけど。
こんなに負担をかけられて、ただ仕事に行って病院にいって帰って布団に入って寝ずに朝を迎えるような日々にされるくらいなら、初めから自殺が成功してくれていたほうがまだよかったのではないか。そしたらもう取り返しつかないことで、諦められたのに。
あんなに一緒だったのに、ずっと遊んでいようと誓い合ったのに、こんなことになってしまって。でも、親友は今も私を好きでいる。だから、むちゃくちゃにされてもう会いたくない気持ちと、好きでいてくれることに対しての罪悪感の間で揺れている。押しつぶされそうになっている。
もはや私が限界であることは、親友と同じことを起こさないと誰も心配してくれないのでは、という域に達している。
そして、退院後に私の死(或いは自殺未遂)を知って、永遠に消えない傷を付けてやろうと思っている。
あんなに好きだったのに。バランスが崩れたらあっという間。もはや恨みしかありません。
長々書いたけど読んでくれた人がいたならありがとう。
(追記)
そうだ、なぜこれを書こうと今日思い立ったのか。それを書くのを忘れていた。
今日は半年も前から楽しみにしていた、彼氏の職場関係の団体旅行だった。でもどうしても行く気になれなくて、ドタキャンしてしまって、いま1人で陰鬱と部屋にいるからだった。
私は何を楽しみに生きているのだろうか。
これが増田での、BYDの初出かも?
ありかも!
でおなじみ、中国の電気自動車(EV)メーカーくらいの認識だった人も多いと思うけど、実は初登場はマスクの話題。
最近まで詳しくなかったんで、増田は調べてみたらめちゃくちゃ多角的な企業だったんだよね。ちょっと驚いたから、まとめてみた。
iPhoneにも使われてる。
電動フォークリフトも作ってる。倉庫とか物流センターで使われてる。
これ、意外だったんだけど、コロナの時にマスク作り始めたんだって。しかも一日1億枚も作れるようになったらしい。適応力すごすぎ。
はてなーも主治医のマスクを見てみ?EVと同じエンブレムがマスクについているかもよ。
再生可能エネルギーにも手を出してて、高効率の太陽光パネルも作ってるんだって。
ちなみにBYDは「Build Your Dreams(夢を築く)」の略。
1995年にバッテリー会社として始まったのに、今じゃこんな感じの総合テクノロジー企業になってるんだよね。特にEVとバッテリーの技術では世界トップクラスらしい。
正直、ここまで多角的な会社だとは思わなかった。みんなはどう思う?こういう企業って面白いよね¯\_༼ •́ ͜ʖ •̀ ༽_/¯
私の公開されている役職や所属は明記しているので目を通しました。
しかし、この団体がなんなのかも、よくわからず、文章も意味不明。
なんの反応求めているのかもわからりません。
誰か同じく困っている人のために、記録として残しておこうと思います。
おかしな点は
•メールアドレスの名前と本文の名前が別人、一応団体の関係者として名前はあがってくる。
https://www.npo-homepage.go.jp/npoportal/detail/013090379
•住所は閉業とグーグルマップには書かれている
•ホームページは閉鎖している様子
•大神氏はいるようですが、リンクを踏むと履歴がつくので、未確認
https://jp.linkedin.com/in/%E6%83%9F%E7%85%A7-%E5%A4%A7%E7%A5%9E-7a5071101
新手の迷惑メールかどっかの偏った団体なのか謎が深まりますので、ご存知の方いらっしゃいましたらコメントお願いします
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XXXXXXX様
岡山市北区今一丁目12番110号
07.05.15.oga@gmail.com
不躾ながら用件のみにて
(1) A病院では、不都合な部分は削除、訂正記録は残さない。
(2) さらに、記録の書き換えを行う。
(3) 書き換えは、長年行われている。
2 庇い合いのリスク
(1) レントゲン写真! 真面に撮影が出来ない・読影も出来ない、整形外科開業医。
(2) 一時的! と庇い合いに応じたところ、逃れられなくなった、臨床教授。
(3) (先医の診断に差し障らないよう?) 軽い症状のみを記録した、整形外科医。
(4) 精査せず! 原因が分からない。不定愁訴と説明する、総合内科医。
(5) 症状と一致する! 脱臼等のCT画像。異常はないと説明する、整形外科医。
(6) (犯罪! も厭わず)MRI検査画像を加工・捏造する、放射線科。
(7) (異常個所飛ばしや差替えられた)捏造画像に沿った所見を書く、読影医。
(9) 診療情報提供書に虚偽記載して、適切な診療を妨害する、主治医。
(10) (紹介医が提供)矛盾だらけの情報に、診療(検査)を拒否した、准教授。
(11) 上司(講師)の診断に異を唱えられず、患者を真面に見られない、医局員。
3 Selected People
整形外科開業医、私立病院脊椎脊髄外科医1名、公立病院脳神経内科病院教授1
名・同整形外科医2名・同放射線科医3名・同検査技師・同事務職員、私立大学
整形外科系准教授、国立大学整形外科系講師・同歯科系教授の、合計10数名。
以上
ご挨拶
ご多忙と重々承知しておりますが、患者を慮れない利己的環境は「一部の方々の
こと」としても、「意図的に患者の人生を狂わせた」ことは看過できません。
本例は、「こんなことはもう止めませんか、先生も嫌でしょう」との問いかけに
「別に嫌じゃあないよ。世の中、こんなもんじゃろぅ」と平然と答えられました。
そこに、「倫理観はなく、リスク意識も無い、社会性も欠如と、完全に社会を見誤
っている。(医療界の常識?)社会全体に押し付けている」と感じ、驚愕しました。
と言うのも、大多数の国民は「健全な社会を望み、健全であろうと努力し、自身
は本より家族を守るためであっても、一定のルールの下に防御」しています。
ところが、上記2の各項は本来許された防御を著しく逸脱。根源とみられる「庇
い合い」は、当該医師の「逃げ場を奪い」一種の「人格崩壊状態を強いるもの」で
あり、一方患者に対しては「非人道的扱い」となるため、如何なる理由があっても
そもそも、レントゲンさえ真面に撮影・読影できない開業医に「庇い合いの下に
地域医療全体のレベルを合わせざるを得ない環境は非道」と言え、患者のみならず
あたら多くの優秀な方々の将来を失い兼ねない状況を見るにつけ「忍びない」との
思いから、選ばれし方々を「見捨てはしないだろう」「暫時猶予を」と、地域医療
のリーダーである教育者の方に「庇い合いとは補い合うこと」との「解釈変更の先
導に期待を込め、自浄作用を期待、患者ファーストを切望」。正面から向き合う日
が来た旨をお伝えすべく、耳障りとは承知の上でご連絡しています(悪しからず)。
それに、可能であれば、この度選ばれし方々が犠牲にならないよう願っています
が、そのためには医療者の、とりわけ影響力の大きい教育者の方々のご尽力は不可
欠! と考えます。
慣習から深く考えず。成り行きから拒否できない状態におかれ、気が付くと犯罪
行為まで・・・犯してしまった方々に犠牲になっていただくのか。この場合、ご家
族も巻き込まれることになるのではと懸念され、とりわけ人生経験の少ない子供達
にとっては将来を左右する程の出来事になろうことか想像に難くなく、犠牲者が生
まれようとも変わることはないのか。あるいは、犠牲者を出す前に変わる・変える
上記のとおりですから、この度を以って「二度と犠牲者を生まない、望ましい庇
い合いのスタイルが確立されるべきではないか」等々・・・期待させてください。
なお、方々については(より良い社会を作るために・・・)「各界各層のご意見
をお聞きした上で判断を」と考えており、忌憚のないご意見を頂ければ幸いです。
以上
ずーーーっと腹が痛くて、便座に座って肛門の力を抜いたら尻から血がビチャビチャ出てきて、出しても出しても残便感があって、マージで最悪。プレドニンとか諸々の薬を再開したけど今回は効きが悪くて、なんとか血は止まったっぽいけど泥みたいな下痢は続いてるしガスの量がやばくて夜中でも一時間おきに便所に行ってる。ガスだけ出そうとしても一緒に下痢が飛び散るから。
前にねえ、十年くらいなーんの症状も出なかった時期があったんよね。それで私の中では「この病気は終わったんだな」みたいに油断してた。そこからは一年とか三年とかそれくらいおきに再燃してるんだけど、なんか今回はちょっとダメかもしれん。もう頑張りたくねえなって気持ちが出てきた。
いやー分かってんのよ。頑張ってるのは主治医。私は彼の判断を信頼してできるだけ忘れずに薬飲んでるだけ。まあ一ヶ月で一回とかしか飲み忘れてないからそこそこ頑張ってるとは思うけど。少なくとも主治医はめちゃ親身になってくれてる。でも彼の最善の努力にもかかわらずこの病気は不意に再燃して、私の何週間とか何ヶ月とかを腹痛と下血と微熱と倦怠感で塗りつぶしていく。主治医がなんとか私を元気付けようとしてくれてるのも、薬局の人もどうにか励まそうとしてくれるのも、なんか申し訳ない。
タイトルで大体完結してるが一応詳細も含めて
睡眠不足になるとめちゃくちゃイライラしやすくなってちょっとしたことでもキレやすくなったりした
例えば物音がうるさかったら静かに注意すればいいものの怒鳴ったり自分の思い通りにいかなければすぐにイライラすることが多く、もちろんそんなことが続けば人間関係も上手くいかなくなるので自然に病んでいった
オマケに食生活も偏っていたので多分脳に行く栄養が足りてなかったんだと思う
で、スマホ依存も重度になりとにかくスマホスマホと人間関係もますますおざなりになっていってぼっちになった
特に人の癖(?)が無性に気になってイライラしてた、これは多分俺だけだと思うけど
そんな訳でメンクリに通うことになったのだがこの時は原因が分からなったので今まであったことを躁状態に近い感覚でペラペラと喋っていたことは覚えている
結局原因が分かったのだが、主治医曰く「睡眠不足は知らないうちに身も心も壊していく」ってさ
確かに最初からネット依存気味で睡眠も足りなくなっていたけどモロに心壊れていったとはね
ちなみに初診時は夢と現実の区別がついていないような感じだったらしい、どういう意味か詳しくは分からないけど
あと、早くスマホしたくて無性に家に帰りたかった時があったけど、あれは依存というより家に帰って寝たいという身体からのサインだったのかもしれない
というわけでみんなも寝ようね、おやすみなさい
がんだった。
長く病みつつも7月まで働いていたが、8月には歩けなくなり、10月には入院もした。
父は家で過ごしたいと言って、自宅介護が始まった。
余命宣告は年内もつかどうか、だったが、3月の誕生日も越えて、4月に父は身罷った。
深夜だった。
訪問看護師さんに連絡し、看護師さんから主治医に連絡してもらい、主治医から死亡診断書を受け取って、
深夜に叩き起こされただろうに嫌な顔ひとつせず、頑張りましたね、と父を労うように支度してくれた。
死に化粧だけはどうしても苦手で……お嬢さんが手伝ってくれないだろうか、と申し訳無さそうにいうので、
わたしは死んだ父の顔に化粧水を塗り、乳液を塗り、下地を塗ってファンデーションを塗った。
チークをほんのりいれると、寝ているだけのように見えた。
火葬場が混んでいるそうで、葬儀までに予想外に間が空いたのだった。
父に遺産はなく、借金のほうが多そうだったので、相続放棄もしなければいけなかった。
引き出したら相続を承認したことになるので、父の口座にあるお金はもう使えない。
両親は同居してはいるが離婚済みで、色々あって元サヤに戻ってはいたが籍は戻していなく、当面の相続人は私だけだった。
役所へ行って、年金事務所に行って、法テラスに行って、信用情報機関へ負債の照会に行って、
火葬を済ませて、相続放棄の手続をして、親類に連絡をして、父名義の各種契約の終了をして、
相続人でない母がこのままこの家に住み続けられるような手続きもだ。
会社を休んだ数日でしなきゃいけないことが多すぎた。
父が本籍を居住地に移しておいてくれたことを感謝した。出身地が他県なので、そのままだったら戸籍類の取り寄せだけでえらい目に合うところだった。
今は全国から取得できるようになったんだっけ?今後手続きする方が少しでも楽できるといい。
余命宣告されてから探して相談しておいた葬儀屋さんにお願いした。多分すごく安く済んだ部類なんだろうが、相場がまったくわからない。
お金がないのでずっとどきどきしていた。払えてよかった。
親の死に目に金をけちるなんてと悲しく思う心もありつつ、この先暮らしていくだけの資金だって必要だった。
火葬場へ遺体を持ち込むための自家用車と、火葬日まで遺体を安置できる場所があればもっと安く済むんだろうか。
DIY葬したよという方がいたら聞いてみたい。
もう数年経つけど、未だにお父さんどうして死んじゃったんだよと寂しく思う。
こういうのは順番だから、いつかはお別れがくるのだとわかっていても、なんでだよ、と思う気持ちが消えない。
最晩年の寝たきりの頃でなく、元気だった頃の父にまた会いたい。
今でも家を訪ねれば居そうなのに、もうどこにもいないことが寂しい。
お父さんの作った唐揚げが食べたい。
https://anond.hatelabo.jp/20191003175753
お久しぶりです。
2019年に書き捨てたこれを久々に見たらブコメその他が暖かくてうれしかったです。ありがとう、今でも母とは仲いいです。
当時は返信の仕方?とかわからないので書きっぱなしで失礼しました。あの後も半年に一度の血液検査+尿検査を実施して悪化していないことが確認できています。
そんな増田が妊娠出産を経験したので同じ思いをしているかもしれない増田のために書いてみんとす。
当時の口調がちょっと幼くて恥ずかしいな、とは思いつつ。
寛解が2019年で、病気になったのは2016,7年でした。私の腎臓病の発症は高熱を出して血尿が出てから?なので、引き続きノロやインフルにかかって高熱を出さないように気を付ける生活を送っていました。(コロナももちろん怖かったです)
定期検査の時に「妊娠したらどうしたらいいんでしょう?」と大学病院で主治医に相談していて、「うちで出産でしょうから妊娠したらまた教えてください~」とは言われていたので、妊娠したらダメなほどの症状でもないようでした。
実はこの時は心拍が確認できなくて、8週まで粘ってみたけどダメで手術をしました。そしてさらに2022年妊娠。先にネタバレするとこの子が無事に生まれます。
この時は町の産婦人科にかかっていて、腎臓病の持病があって出産は指定する大学病院でしたいですと伝えたところ「そっか、じゃあ安定期に入るころにでも紹介状でも書こうか」と言われていて、のほほんと過ごしていました。
腎臓病の先生も産むときはうちでとしか言わないし、産婦人科の町の先生もまぁじゃあ後期まではうちで見るねと言っていたので、あんまり問題ないのかな?と思っていたところ、安定期に入る1か月前にちょうど腎臓の定期検査があったので主治医に報告して「いつごろから移ったらいいですかね~?」とのほほんと尋ねたところ、「え!?じゃあすぐにもう見ますよ!妊娠高血圧症候群の高リスク妊婦ですからね!」と慌てられて、思っていた温度感の違いに驚きました。すぐに産婦人科に連絡して翌日には紹介状をもらい、腎臓内科からも産婦人科へ紹介状を出してもらって2枚の紹介状を持ってその大学病院の産婦人科へ。
なので結果的には妊娠4か月から大学病院で妊婦の定期健診の度に産婦人科と腎臓内科をはしごするようになっています。1か月ごとだったかな?
やってる内容は妊婦検診と変わらないので町のお医者さんでもできることだと思いますが、それ+毎回血液検査もしていました。
腎臓病の妊婦はほかの妊婦より高血圧になりやすいとのことで、毎朝晩血圧を測って記録をつけていましたが、私は最後まで高血圧にはならず。
その代わり特に何をしているわけでもなかった(大学病院に早くから行かされるくらいには健康優良妊婦とは自分は違うのだろうという思いで食生活にも気を付けていました)のに、糖尿病検査で引っ掛かりました。
この辺は関連性がわからないです。
糖尿病の人は腎臓病になりやすい、というのは調べたら出てくるけど逆はあんまりない気がして…遺伝でもないはずなんだけれど…。でも結果的に再検査をしても血糖値が高く、妊娠糖尿病は確定、この検査後から大学病院で回る科に糖尿内科がプラスされるようになりました。3科回るとなると朝いちばんに診察に来ても終わるの1,2時になっててけっこうしんどかった。
結果的に軽い糖尿?だったのでインシュリンを打つまでには至らず、とにかく食事管理、また運動で様子見をすることになり、妊婦でおなかはすいているのにウサギの餌のような量や献立をずっと食べていました。このころの記憶はとにかくひもじかったかな。
例えばコンビニおにぎりの量でいうと血糖値的にたんぱく質の摂取量が多すぎるらしく、ご飯の量はそれの半分、片手のひらに載る程度のサラダ、そして焼き鮭の1/3切れ。
でもまぁ、子供のためを思えば…と我慢はできるものの、ずっと文句は言っていました。中で聞こえていたらごめんだけど、普通にストレスで…だっておなかすくんだもん…。
だからだろうけど、妊娠前150センチ52キロだったのに、出産のときは58キロで全然体重は変わらなかったなぁ。こんなに体重増えなくて大丈夫?と思うけど、おなかの中のエコーで大きさは問題なかったので、OKとのことで。また医学的には体重が増えすぎるよりはキープのままのほうが全然いいらしい。
妊娠糖尿病の子供は大きくなりやすいと言われていて、私も臨月のエコー検査と経腟検査では「3500以下ではあるけど3000はあるかな?大きくなる前に出てきてほしいけど初産だから予定日超えるだろうな~」と言われておびえていました。
私自身がチビなので骨盤粉砕される…!とおびえていたけれど結果的に生んだのは2780gのど平均の下のほうといった女の子でした。
出産後3日くらいまでは血糖値も測り続けていたけれど、産んでからは一気に平均値に戻り、食事制限はなくなりました。とはいえ大学病院のごはんは個人的にはおいしいとは思うけれど、やっぱり薄味かつ量が少なくて…よくある豪華なフレンチのお祝い膳を夢見ていたけれどそんなのはなく、結局産んでからもひもじい思いをしながら、お散歩で院内のタリーズでココアを飲んだりするくらいがごちそうでした。
子どもは何の問題もなく(実は回旋異常で分娩時間は35時間超えで苦しい思いはしたものの、それは腎臓病にも糖尿病にも関係はないはず?とのことなので割愛)、元気にすくすく育って今1歳半です。よく食べてよく寝、今はふらふら歩くのがマイブーム。
産んで半年後からは大学病院の検査も半年に一回に戻り、今も数値の悪化等はありません。よかった。
なので結果的には腎臓の数値は妊娠出産を経ても悪くならず、血圧も普通のまま、糖尿もインシュリンを打つほどではない数値で産後は完治。
もう随分昔の話だけど、母親の主治医のことをエレベーターの扉でガンガン挟みまくったことがある
うちの母親は糖尿病だったんだけど、足に血栓ができたとかで暫く入院してたことがあって
入院したときにそいつから家族揃って説明を受けることがあって、そのときには「僕は東北大を出てキャリアを積んできたので治療には自信がある」みたいなことを言っていた
東北大が賢い大学であることは子供の私もなんとなく知っていたが、医者って学歴の話とかするんだ…と不思議に思った
とにかく、手術は簡単なのでうまくいく、手術が終わればすぐに歩けるようになる、みたいなことをそいつが言っていて
こんだけハッキリ言ってるんだから安全な手術なんだろうと家族一同安心していた
失敗した場合のリスクとかは何も言ってくれなかったからそれだけは不安だったけど
(父親が質問したら「そんな専門的な話いらないでしょ?笑」みたいなこと言われてた)
それで、結局手術は失敗した
術後に主治医と会うことはなかったので本人の口から失敗したと聞いたわけじゃない
でも全部上手く行ったわけではなさそうだった、これは子供の私から見ても分かった
数歩歩くたびに痛そうな顔をしていた
一度病院に相談してみたけど「血栓自体は取れているはず」とだけ返事がきて
じゃああの医者が大口を叩いていたのは何だったんだ?あれだけ歩き回れるとか言ってたのに?と医者に対する不信感だけが家族側の私たちには募って
それでも一応糖尿の治療は続いていくわけだから退院後もその病院には通っていて
(主治医はなぜか変わった)
私がトイレに行くためにたまたま母と別れていたとき、エレベーター前でその医者と会った
向こうは全然私のことを覚えていなくて
でも私はあいつだ!って覚えていて
あいつの顔を見た瞬間に母の痛々しい姿とか腫れた左足とかが脳裏に浮かんできて、ものすごくムカついてきて
カッとなってしまい、エレベーターの閉ボタンを連打してそいつを何回も挟んだ
結構勢い良く閉まるタイプのエレベーターだったからすごい音がしていたと思う
あと普通に痛かったと思う
いきなり扉でガシャガシャやられて医者はとてもびっくりしていて
それで、死ね!東北大!死ね!って何回も言いながら何回もボタン押して足踏んで、そいつがこっちに掴みかかってきそうだったから走って逃げた
その後、階段を上って何事もなかったかのように母と合流して普通に診察受けて帰った
とにかく顔を見た瞬間に殺意というか何か危害を加えたいという思いがガーッと湧いてきて
その時から「カッとなって人を殺す」という心理が理解できるようになった
結局母はそのあとも悪化してすぐに寝たきりになって死んじゃったんだけど
あれが医療事故だったのか、手術は成功したのか失敗したのかどうなのか全く分からない そもそも手術に成功失敗という基準があるのかどうかも分からない
一介護施設の一職員の立場からつらつらと思うところを書いてみます。
車椅子対応車両を購入して外出に使用されているとは、素晴らしい家族さんですね。そこまでされる家族さんはなかなかいらっしゃらないです。
自宅で介護しており、頻繁に病院受診しなければならない場合は車椅子対応車両の必要性があるかもしれません。
ただ、最近は訪問診療・訪問看護もかなり増えているので、主治医がいれば相談してみるといいかもしれません。
施設に入居されると外出される方はあまり多くありませんが、自家用車で外出される場合は後部座席に抱えて座らせている家族さんがほとんどです。意外と何とかなりますが腰だけは気をつけてほしいです。
外出頻度が少なければ日程調整と毎回費用がかかりますが介護タクシーの方が良いように思います。
病院以外に思う存分外出させてあげたいなら車椅子対応車両の選択は全然ありだと思います。
また、消費税非課税で実は一般的な車両を買うのと案外値段が変わらなかったりしますので、元々自分の車の買い替えを検討されている方は選択肢の一つにするのもありかと思います。
最近は60才を過ぎてもフルタイムで仕事してる人が増えて日中なかなか捕まらない家族さんも多いです。
施設からの連絡は大体良い連絡じゃ無いので(転けて受診、高熱で受診等)電話する時は申し訳ないと思いながら掛けています。
あらかじめ家族さんの連絡の取りやすい時間帯を抑えておいて、衣類や書類提出の依頼等は驚かせないように心がけています。(それでも施設からの電話だからドキドキしたと言われますが)
極力手を煩わせないようにしていますが、どうしても緊急で受診が必要だったり入院が必要になってしまう場合は来てもらう必要があります。
身体的に何かにつかまれば数m歩けるレベルだけど認知症が進んでいる方の場合、頻繁に転倒して緊急受診が必要になったりします。(このレベルの方は施設側も大変だったりします。基本的に転倒事故は防がないといけないので、、)
総じて、ご利用者様が安定していれば基本的には急いで呼び出される事はないのですが、不安定な状態だと頻繁に呼び出されることになり、仕事によっては就業の継続が難しくなる可能性があります。
呼び出すことは申し訳なく思っていますが、医療系サービスとの連携上、現状では致し方ないと思って対応してもらっています。
本人の性格と言いますか、状態と言いますか、人によってここがかなり難しいポイントになります。
私は今はある程度介護度が高めの方が入居する施設で働いているので、サービス導入時の苦労は殆どありませんが、要支援2、要介護1あたりの方は人によっては本当に苦労するケースがあります。(ケアマネや家族など周囲の人が苦労するという意味です。)
傾向として、本人の性格的に自分で何もかもしたいという方は、状況的にヘルパーやデイサービス等の介護サービスを受けた方が良いように周囲が思っても絶対に受け入れてくれない方が一定数いらっしゃいます。
ここに認知症が加わるとさらに大変で、家の中がぐちゃぐちゃで生活が成り立っているのか怪しいレベルでも絶対に首を縦には振ってくれません。下手したら通院すら拒否してしまいます。
とりあえずスポーツジムのようなデイサービスに通ってもらってハードルを下げていくのが王道ですが、そもそも出不精だったり家で過ごすのが何よりも好きという人はそれも叶いません。これに関しては転倒事故等のきっかけが無ければ解決しないので本当に辛いです。
普段から親の様子を見れる人であれば何となく傾向が分かると思いますので、該当するようであれば普段からそれとなく促すのが良いかと思います。(どこまで効果あるかは、、、ですが)
まとまりのない文章になってしまい読みにくいかと思いますが何かの参考になれば幸いです。
一業界人より。
今の仕事は簡単に言えばデータ入力のようなもので正直誰でもできるし、そこまで難しくないと思う。
けれど見落としたり、思い込みで動いたりして変なものを作ってしまう。
手順を抜かしたり忘れたりはよくあるし、質問リストを作って管理してもよく考えず衝動的に質問してしまうので同じことを聞いて怒られたり。
何度か繰り返していれば慣れることもあるが、慣れる頃には案件が終わる時期だったりすることもよくある。結構案件によって細かい部分が変わるため新規案件のたびに1週間はごちゃごちゃとミスを繰り返している。
なんか私にだけあたり強いな……いじられキャラと思われてるのかな……と思ってたんだけど私の仕事ができなさすぎるからかも!と最近気づいてきた。遅すぎる。
あと人間関係の面でも、思い込みの激しさとプライドと攻撃性の高さからすぐに言い返したり言い訳をしてしまう。否定されるとヒスってしまい、その後私が悪いと気づいても口に出してしまってるしもう終わり。
同期は私よりも年下の人が多いが、とてもしっかりしていて、頭も良く、字が綺麗で羨ましい。私もどうにかしたい。
これまでの人生友達は少ないもののそこまで不自由せず大学院までスムーズに進学したが、所属したラボが結構ブラックなところで適応障害を起こし、精神科受診。その際発達障害の検査を勧められADHDと判明。
鬱の時は受けられないからと知能検査は受けてないんだけどワーキングメモリ低そうだよねとその時の主治医には言われた。
鬱がなんとなく治った気がしたのと、働いてないとおかしくなりそうだったから就職して、引越したから今は通院してない。
一番最初に派遣社員として働いてた時は遅刻とか社員証忘れが多いのを注意されてたものの業務は特に問題なく勧められていた(と自分の中では思っている)
その時は検査員をしていた。
その後正社員として今の会社にいるが、仕事内容があってないのか私が無能すぎるのかいつも怒られてるし誰とも仲良くないし早く辞めたいと思ってしまっている。
今の会社では遅刻しなくなったし社員証忘れる頻度も減ったので働くコツは掴めてきていると思うけれど、とにかく仕事ができない。
どうしたらいいんだ〜
まずはきちんと通院して服薬かな。でもちゃんとした保険入りたいから精神科通院歴作りたくないよ〜
助けてくれ
こっぴどく叱られて勢いで書いた文だけど色んな人に見てもらえたようで嬉しいです。
よくある反応に答えていきます。
・なんで通院&薬飲まないの?
適応障害とADHD診断受けてからまだ5年経ってなくてちゃんとした保険入ってから通院しようかなと思ってます。
あと生活圏内の精神科や心療内科は評判悪いところ以外初診受け付けてなかった。
学生の頃は結構黙々と作業するの得意だったのでいけるかな〜と思っちゃいました。
あと一応技術職として入社してて、色々と体制が変わり当初の予定よりもかなり事務っぽい仕事になっちゃったのはある。
・配信者やれば?
昔やってたことあってそれなりにいい思いもしたけど今からやるのはレッドオーシャンすぎない?
・営業向いてそう
性格がカス&不注意強めなので免許更新のたび違反者講習受けています。社用車で事故るの怖い!
・結婚しちゃえば?
一人暮らししてると、よくうっかりでボヤ起こしたり死にかけたりしたのでリスク管理としてかなりあり。
でもそれに巻き込まれても許してくれるような人はもっとちゃんと幸せになって欲しいから結婚はないな〜
これめっちゃやってます。心の中でやってるけど側から見るとぼーっとサボってるやつなので最近はわーっと書き出してる。
あと「何か忘れてることを忘れる」ので毎日なんでもない時間にアラームかけて行動振り返るようにしてます。ほんのりマシになっている気がする。続けよう。
これに関してはタイトルに「仕事ができないADHDを〜」って書いた私が悪いが、多分会社の人に嫌われてるのは注意欠陥によるミスの多さよりも性格に難があるからだと思う!
機嫌のいい人を心がけたいけど快不快関係なくリアクションがでかいのでフラットな対応ができない!あと多分被害妄想とかも酷い!本当はADHDよりも先に認知の歪み直したり思考を変えないといけないんだろうな〜とは思う。本とか読んでみます。
読もうとしてはあらすじに出てる「筆者の自我」にイライラしてあまり読めないからいつまでもアンガーのマネジメントができない。今度腹括って読んでみます。
以上!
書き出したりみなさんの意見聞くことで「このままでもいいか」と思えた部分もありましたが、やはり人に迷惑をかけまくってるな〜と実感できたので、高くてもいいから現状で入れそうな保険探して、保険に入れても入れなくても半年以内には通院(とできれば服薬も)できるように環境整えようと思います。
ありがとうございました。
退院の目処はまだ立ってないけど、今から退院のことを考えると寂しくてしょうがない
この春、夫の転勤についていくと決めて、友達がいる東京から飛行機で2時間の土地に引っ越した
仕事はリモートワークで続けているので、パソコンの向こうに知り合いはたくさんいるけど、身近なところには文字通り1人も友達がいない
そんな中、入院という形で大学病院という一つの社会に組み込まれることになり、初めてこの土地の人たちと関わることができた
主治医の方や看護師さんと、病状の話のみならず雑談もあったりと、割と楽しく過ごしている
さて今夜も睡眠に挑戦です。
昨日、タイムアタックとか思いながら、早く寝るぞ〜と息巻いていましたが、あれはよくなかったとイマジナリー主治医にしかられました。寝るぞ寝るぞ寝るぞとなっていると、かえって眠れないことがあるから力まないようにと、ものの本やウェブサイトに書かれていました。反省です。淡々とやるのがいいのかもしれません。
22:40抜きました。22:55デエビゴ7.5mg服用です。2315布団に入りました。
マインドフルネス等をおすすめいただきました。マインドフルネスというやつはよく知らないのですが、昔京都のお寺で習った坐禅を数年間続けていたことがあります。半眼で無を思考して、数を数えるやり方です。
坐禅すると、私の場合はかえって眠れませんで、今は寝る前はやっていません。マインドフルネスやヴィパッサナー瞑想は眠れるのでしょうか。人によるのでしょうか。そのうち調べます。
“クローズド就労、仕事はホワイトで残業なし7.5h”続ける以外に選択肢が浮かばない(´・_・`)相手が見つかり結婚するにしろ続ける以外にないと思う。詰んだら周りに依存しよう
きつくてもできるし、やるしかないし、いざとなったら頼るを繰り返すのが妥当だとは思う
できる範囲で妥当な判断(進学、就職)を選び続けてきて、これからもそうすべきなのはわかる
周りもそう言うし、私もそう思う
けどきついよ〜やめたいよ〜
これやめれるなら死んでもいい〜ってぐらいやめたい
妥当な判断に従って生き続けた結果が今なのに、全然楽にならないからやめたい
職場の人間は優しくて家もあって少ないけど友人もいて、それらを捨てたらダメなのは重々承知してるけど、ほんと捨てていいからやめたい
ママが「貧乏はすごく辛いよ、知らんけど」って言ってて、ほぼ真理だと思うけど、今も辛い(ママは認めないかもしれないけど)
昔から学校行きたくなくて、今も仕事行きたくなくて、毎朝毎晩泣いてるから成長ないなって思う
泣いてスッキリして一旦定型の真似生活に戻るんだけどしばらくしてまた病むの繰り返し
親も私も満足できる
この間練習で首吊りしてたらびっくりするぐらい恐怖心なくて、「できる!」って確信した、だから死ぬかも
せっかく部屋片付けてくれたのに死んだらごめんね
フルタイムで働いてる
女、実家遠方、発達障害、鬱(適応障害という医師もおりどちらか不明)
クローズド就労、仕事はホワイトで残業なし7.5hだが業務が非定型的なため、発達障害には負担が重いと医者は言う
精神的に健康な時は問題なく働けているものの、数ヶ月周期で人の視線に強い不安を感じ他人が怖く感じるようになるため、引きこもりたくなる気持ちを抑えて、ギリギリ就労している
自殺用の道具は一通り揃えたものの、睡眠導入剤が充分量ないため実行には至っていない
今後の人生をどうすべきか考えあぐねている
以下に私の考えた選択肢を示す
おそらく、どこかで破綻するだろうものの、キャリアや安定的な収入のためにも、今の仕事を続ける。定期的に自殺企図しながら死ぬか定年退職まで就労を継続することになるだろう
今の主治医は適応障害だと見込んでいるため、休職や転職を勧めてくる。それに従う
ある程度プログラミングができるため、ITクソ雑魚中小企業などが考えられる。今の仕事よりは発達障害向きな気がするが、職場環境は悪化する可能性がある。また、仕事内容よりも家事ができないことや出勤が怖くなることの方が生活への影響が大きいため、仕事を変えても解決しない可能性も大きい
20代前半と若いため、ワンチャン、理解のある専業主婦orパート主婦をさせてくれる男性と結婚できる可能性があると勧められている
しかし、発達障害でうつ病の女を引き取る稀な人間と出会うために他人と会うのは億劫であり、現にマッチングアプリで会う約束をして退会ブッチを繰り返している
議会員を連れて生活保護受給申請をしにいく・障害者年金をもらう・障害者年金をもらいながら実家で老いた父母の年金を食い潰して暮らす
学生時代から鬱及び発達障害であるため障害者年金はもらえないのかもしれないが調べていない
母はわたしに健常者としての生活を望んでいるため、強く失望されるだろう
実家に帰る場合、運転が壊滅的にできないことや、外出の精神的ハードルの高さから、田舎に暮らすと引きこもりからの鬱悪化自殺や可能性も高い。
どうすべきかわからない
しかし、生きる場合わたしか家族のいずれかが精神的苦痛を受け続けることになるだろう
そう考えるとやはり死ぬのが1番楽な道に思える
中学でメンタル壊して10年引きこもった俺が何とか必死に生きようと頑張って病院行ったり仕事してみたり頼れる制度ないか探してみた結果がこれ。
生きる気力が削がれてしまう。そもそも金無さ過ぎて生きていけないんだけど。
まあ制度の公平性や福祉としての在り方を考えれば理解はできなくないけど、それでもいくつか不条理を感じたのでいくつかまとめてみる。
障害年金は基礎と厚生に分かれるが、どちらに該当するかは初診時にどちらに加入していたかで決まる。
厚生年金に加入していなければ基礎になるわけだが、当然20歳未満や学生のうちに発症すれば問答無用で基礎となる。
で、ここからが問題だが厚生には1~3級があるが基礎には1級と2級しかない。
ざっくり1級はほぼ寝たきり、2級はサポートなしでは日常生活が送れない、3級はサポートなしでは労働ができない程度の障害者が認定されるらしいが
基礎には2級までしかないので、障害を押してでも頑張って働く人間は「労働ができる」ために年金が支給されないのだ。
当然、働いて十分な賃金をもらえていればそれで問題はないのだが、障害を抱える人間にとってそれは至難の業だ。
厚生であれば3級で月5万円ほど貰いながら時短で働くなど選択肢があるだろうが、もらえなければフルで働くしかない。
結果無理がたたって休職や退職になり生活が苦しくなり、療養期間中も金銭面の心配で心が休まらず、そして金のためにと無理して就職してまた潰れる。俺みたいに。
たまたま若いうちに障害となって長く苦しんできた人間が不利になる制度ではないかと思う。
上記と一部被るが、障害基礎年金は「労働ができない人間」が貰えるものだ。
一方、失業手当は「労働する意欲と能力がある人間」が求職中に貰えるものである。
疾病や障害が原因で退職した者は失業保険を申請する際、支給条件の緩和と引き換えに労働に問題がないことを証明する主治医の意見書の提出が求められる。
当然この2つの条件は矛盾するので、両方を受け取ることは不可能だ。
ここまでは実に合理的な話だと思う。
そして障害年金は申請まで1~2か月、審査が終わるまで3か月、支給決定から支給まで1か月半ほど、合わせて長いと半年以上かかり尚且つ支給されるかは不明瞭だ。
しかしながら支給も早く確実性の高い失業保険をもらってしまえば年金が貰えないのである。
無収入の時間を耐え、わずかな希望を年金にかけていた人間が不支給の通知書を見た時の落胆はそれはもう堪えるものである。
年金申請の手順はまず初診日を確定させ、これまでの年金の未納がないか調べ、診断書をもらい、添付書類を集め、申立書と申請書を書き提出し、
年金機構から問い合わせがあれば対応し、その末審査されるものだ。
正直煩雑で辛かった。
そもそも働けず日常生活もままならないから年金を申請しているのになぜ仕事よりも大変な作業をしなければならないのか。
俺はなんとかできたからまあいいものの、おそらくこの作業ができなくて申請にすら至ってない人が相当数いると思う。
まあ社労士に依頼すれば個々の労力はほとんどいらないわけだが、さんざん言っている通り金がない。
成功報酬は支給される年金から出せるとしても、そもそも着手金の数万すら捻出できないのである。
つらい。あまりにつらい。
ここまで書き連ねて思ったが、この制度は重度の障害があり自分の代わりに動いてもらる支援員やサポートできる人間、後見人などがいる人たちのためのものではないだろうか。
つまり俺のようになんとか短期間なら働くことができなくもなくて、煩雑な申請作業もできなくはない人間は端から対象外なのではないかという気がしてくる。
そう考えるとなるほどどうして、このプロセスは審査前に非該当の人間を振るい落とす「一次審査」として機能しているのではないか。
だったら俺みたいな疾患の人間は対象にしなければいいと思うが。
寛解したと思ったら10年以上前の古傷のせいで念願の仕事に就いたのに辞めざるを得ない状況に追い込まれ、何とか希望を見出して頑張った結果がこれ。