はてなキーワード: ヤフー知恵袋とは
ヤフー知恵袋における「至急回答お願いします」ってやつ、どういうつもりなんだろう。
知らないことへの回答をお願いするのに上からの態度だし、それも至急って。
どういうことやねん、ChatGPT君!
確かに「至急回答お願いします」というフレーズは、読む人によっては少し高圧的に感じることがありますね。質問者としては本当に急いでいる事情があって焦っているだけかもしれませんが、回答を提供する側にはその背景が伝わらないため、「なんで見ず知らずの人にそこまで命令口調で頼むんだろう?」と思われることもありそうです。
また、ネット上のコミュニティでは「助けてもらう立場なら、丁寧な言葉遣いが基本」という暗黙のルールがある場合も多いです。それを無視して「至急」と言われると、「自分で調べる努力をしたのか?」と疑問を持つ人もいるかもしれません。
ただ、質問者も必ずしも悪気があるわけではなく、「とにかく早く答えが欲しい!」という気持ちが先走った結果、少し言葉が荒くなっただけかもしれません。コミュニケーションが文字だけに限られる場では、こうした意図のすれ違いが起きやすいですね。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664
閲覧数は約200万回、はてなブックマーク数はヤフー知恵袋の中でトップだ。
「自然界は弱肉強食なのに、なぜ人間界では弱者を抹殺しないのか?」という質問。
対する回答は「そもそも自然界は弱肉強食じゃない。適者生存だ。
多種多様な遺伝子を残すことで、環境に適応できる可能性を増やしておく。
それが人間界における生存戦略であり、社会性である」といったもの。
人類の叡智を感じさせる説明に感動したのか、弱者に救いのある言説だから感動したのか、
この回答は絶賛の嵐だった。
「夜の停電時には全盲の人間が健常者よりも活躍できた」などという話もあったが、
いくらなんでもシチュエーションが限定的だろう。目が見えない人間は基本的に弱者だ。
規則正しい生活が送れない、突発的で感情的な行動に走る……そんな特性も配信の世界では有利に働く。
だが配信で飯が食える時代だから適応できているだけで、朝早く起きて日中活動できるアウトドア派がいつの世も社会適合者だ。
健康的な生活を送り、他人とコミュニケーションを活発に行い、食料を得る。
社会を生き抜くために必要な資質は、時代が変わろうと不変のはずだ。
優生思想を是とする主人公・鈴原冬二が、強者の定義を語るシーンがある。
人間は猿から進化したのだから、強者の条件はそれだけで十分なのだ。
すなわち、子供の頃殺されずに済んだという運、病気に打ち勝つからだ、殺し合いに生き残る力、
俺はこっちの方がよっぽど納得できる。普遍的な強者の定義は絶対ある。
年収が低い男、身長が低い男、高齢の男、容姿が醜い男、主導権を握れない男……
どれだけ技術や倫理観がアップデートされようと、子孫を残せない男の特徴は変わることがない。
経済的に困窮すれば、いつだって弱者は切り捨てられる。養う余裕が無くなる。
以前見つけたヤフー知恵袋の、海外のブルマー画像をgoogle画像検索した。すると、興味深いサイトがいくつかヒットしたので共有したい。
ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11230851566
https://viknaodessa.od.ua/old-photo/?kholodnaya_balka
同じキリル文字を使っているせいで、ウクライナ語で検索してもロシアのサイトがヒットしてしまっていたので、ウクライナのブルマーが見つかったのは僥倖だった。サイトのかなり下に画像がある。
キャプションは次の通り。
Детям нравятся игры с мячом. Фото И.С. Карпа в проспекте «Республиканский детский клинический санаторий им. Октябрьской революции», 1983 г.
子供たちはボール遊びが好きです。写真提供:I.S.大通りの鯉「共和党小児臨床療養所にちなんで名付けられた」 10月革命」、1983年
https://lorincimagazin.blog.hu/2012/12/09/lorinci_fono_kistext_noi_kezilabda_merkozes
ロリンチ・フォノなる人物が、キューバからの季節労働者を含めた女性に働く場所を提供したらしい。そこのハンドボールチームがブルマー姿だ。8mmのカメラなのが懐かしい。
そういえば以前に書いたようにオランダのチームもブルマだった。
ttps://www.youtube.com/watch?v=7x2D5crktPw&ab_channel=lorincimagazin
「Wakacje w PRL-u. Gry zespołowe fot: Narodowe Archiwum Cyfrowe」つまり「ポーランド人民共和国の祝日。チームの試合 写真: National Digital Archives」らしい。
https://www.tsv-radeburg-handball.de/verein/geschichte.html
そして、学校やバレーボールだけでなく、ハンドボールでもブルマーが、ヨーロッパの広い地域で採用されていたのだとわかった。
https://www.facebook.com/watch/?v=1873354096289837
ブルマーが映っている動画。デパートで実際に購入されているシーンを含んでいる。
To nejlepší pro školákyという文字が出てくる。「小学生にとってはそれが一番」という意味らしい。ということは、大きくなったらブルマーを卒業するんだろうか? 例えばスパルタキアダみたいにレオタードに着替えるとか?
https://www.facebook.com/Socialismus/posts/%C5%A1koln%C3%AD-t%C4%9Blocvik-/4902732136491410/
View digital copyをクリックするとみられる。日本国外で紅白帽子を見かけると妙に感慨深いものがある。確かにイギリスの日本人の稚園でも色付きの帽子を見た記憶があるのだが、僕の記憶はいい加減なので確信は持てない。1988年の画像だ。オーストラリア人もブルマーをはいていたのね。ウィキペディアのシンガポールの日本人学校でのブルマーと比べて、海外の事情という意味で、興味深く思う。
ところで、このサイトでは、
Aboriginal and Torres Strait Islander people should be aware that this website and the archival collection may contain images, voices or names of deceased persons in photographs, film, audio recordings or printed material.
つまり、死者の情報が載っていると先住民に注意喚起している。上橋菜穂子が「隣のアボリジニ」で、オーストラリア先住民には、亡くなった人の名前を呼ばないとか、いろいろと死に対する独特のタブーがあると書いていた覚えがあるのだろうが、それに関係しているんだろうか?
https://jp.rbth.com/lifestyle/85065-soren-jidai-syouchou-suru-syashin-30
「体操選手の子どもたち」のところでは、以前アメリカで書いたロンパースーツ(anond:20221110080036)やレオタードに似た衣装が紹介されている。
https://gpophotoeng.gov.il/fotoweb/Grid.fwx?search=physical%20education#Preview19
ttps://www.pinterest.jp/pin/811703532824057386/
以上。
そんなに喋ったことのないかわいい人に不意に名前呼ばれたりしたら「え!?わたしのこと見えてるの!?名前まで覚えてくれてる!?なんなの!顔もかわいいのに、そんなやさ... #ヤフー知恵袋https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10218185785
これ好き
先日のことだ。
Deviantartのこちらの記事を読み返していた。二列目の写真に、チェコの女の子のブルマー姿の写真がある。
また、ヤフー知恵袋の次のページも見返していた。
ttps://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11230851566
欧米では、子どもが親元を離れて何日か自然の中で過ごすサマーキャンプが盛んだ。では、そこでもブルマー姿だったのではないか。そこで、チェコ語で「Letní tábor. dívka. vintage fotografie」と検索した。「サマーキャンプ、女の子、ヴィンテージ写真」という意味だ。
すると、上の写真とは違って白黒写真なので色はわからないが、実際にブルマー姿で過ごす女の子が見つかった。
https://rohozna.net/akce/1983/letni-pionyrsky-tabor-zalesak/
https://zelenabara.cz/na-nocni-bojovky-se-nezapomina/
二番目のリンクでは、どうも男の子がブルマーをはいているらしい。
個人的に興味深かったのは、以前書いたアメリカでのサマーキャンプとの関連だ。
公共の場では女性はスカートで過ごすべしという規範から自由だったのが、アメリカではサマーキャンプだったのだ。だからそこで彼女たちは体操服で過ごしていた。
なお、ポーランドについても調べてみたが、特にヒットしなかった。
今までグーグルやツイッターの検索でブルマーについて調べていたのだが、そういえばFacebookはどうだろうと思って検索してみた。すると「gym knickers」「navy knickers」「basketball scungies」のキーワードで「60年代あるある」「昔の学校」みたいなアカウントがヒットした。実は今までフェイスブックの検索はアカウントを探す機能しかないと思い込んでいた。それぞれの記事を検索できるのね。
そこで自分は、今までグーグルでは見つけられなかったドイツのブルマー「Turnslips」を検索してみた。すると次の画像がヒットした。
ttps://scontent-nrt1-2.xx.fbcdn.net/v/t31.18172-8/13662363_1141951349213276_7500798634715242075_o.jpg?_nc_cat=110&ccb=1-7&_nc_sid=9da984&_nc_ohc=jmFgDFiNFfQAX_KJ31x&_nc_oc=AQn6SurxKJjLpIYzl0MgNdO7jgOmONz98MfbxkeqgJkz2mwIyCMrZe2f2EUuaMCYdS0G0gob9A6s_p2zFtMkC90W&_nc_ht=scontent-nrt1-2.xx&oh=00_AfBOSUR3LqK8Q3kTGK7UmaFsFuNOxa1RrId-KlfcIQSwLA&oe=65C63680
→リンク切れ https://www.facebook.com/photo/?fbid=1141951349213276&set=o.299357643521861&locale=ja_JP
こちらは当時のドイツのカタログだ。図のように、Knabつまり少年用のところに、ショーツ型のブルマーが描かれている。自動翻訳すると次のような個所がある。
当時私たちがスポーツのためにドレスアップしたものです。 10歳までは男の子と女の子のトレーナーと半ズボンがあり、その後スウェットではなく男の子のトレーナーを手に入れました。
これは、自分が以前投稿した次の証言と一致する。
女性、女の子、男の子の場合(ただし、男の子の場合は約10歳まで)、1960年から1990年の間にパンティーの形のジムショーツがありました。これは通称ジムブリーフと呼ばれていましたが、カタログにはジムショーツとして記載されていました。当初、使用された素材は黒いダブルリブとヘランカでした。それに合うジムシャツもありました。
このように、ドイツでは男の子も10歳まではブルマーをはいていたのだ。
「turnsilp」で検索すると、実際にブルマーをはいている写真もヒットする。
https://www.facebook.com/groups/wisstihrnoch/permalink/2153063888287153/
上下黒なので、今までレオタードだと思っていたのも、こういうセパレートタイプだったのかもしれない。それにしても、数年越しに画像が見つかって謎が解けるとすっきりする。
ところで、これはドイツだけのことではない。日本の一部地域でも少年がブルマーをはいていた時期もある。
ttps://www.at-s.com/news/article/shizuoka/907768.html
ttp://www.tsv-radeburg-handball.de/verein/geschichte.html
バルト三国は当時はソ連の支配下だったため、どのみちロシアと同じようにブルマーが採用されていたのだろうと思っていた。しかし、証拠がないので念のため検索してみた。
「kehalise kasvatuse tund. tüdruk. 1970」つまり「体育の授業 女の子 1970」で検索。
https://www.facebook.com/groups/916933231650615/posts/2272210679456190/
https://www.sporto.lv/sporta-veidi/komandu-sporta-speles/kombinaciju-kamola-tineja/
体育学校の様子。
https://www.ventasbalss.lv/zinas/sports/43673-sporta-skolai-jubileja-70
体育学校の写真。「Lietuvos kūno kultūra. mergina」つまり「リトアニア、体育、女の子」で探した。
ちなみに、ブルマーをリトアニア語で探そうとしたのだが、出力された「žydintys」は「咲く」という意味だった。「ブルマー」を英語経由で「bloom」と解釈したらしい。言語によってはブルマーがうまく翻訳されないので、やはり自動翻訳に頼りっぱなしなのは危険だ。
学校の体育も体育大学も一緒くたなので、ブルマーの存在を確かめたにすぎず、どの程度普及していたかは不明だ。ブルマーの各言語での名称も不明。
なお、バルト三国では今でもナチスの鍵十字だけでなく、共産主義のシンボルである槌と鎌を公共の場に掲げることは禁止されていると聞いた。
また、今までは昔の写真や文章だけを検索していたが、当時のカタログの存在は盲点だった。これは素材や色合いなども細かく載っているだろう。
一方で、フェイスブックを使った調査はもやもやするものがある。もちろん、基本的には本人や関係者がアップロードしているのだろうが、すべてがそうではないだろうし、本来の意図と違って歴史の調査として使うのは何となく後ろめたい。
僕はネットとは危険なもの、個人情報を安易に出してはならないものとして育ってきた世代で、facebookに始まりTikTokに続く顔出しの文化にはいまだになじめない。
少なくとも自分は子どもを授かったとしても、写真をSNSに載せることは決してしないだろう。
また、ブルマーが男の子のものでもあったということも知らなかった。
衣服や露出の強制は女性同様、男性でも問題になりうる。実際、20世紀の欧米の体育は、男性が上半身裸でやっている写真もある。
今の学校での水泳の授業は、男性も上半身を覆える。いい傾向だ。
あと、最近は「ポーランド ブルマ」「チェコ ブルマー」と検索すると、自分の記事が上位に出てくることが多く、照れくさい。
以上。
なんで自殺行為したの
山のぼったことないどころか山見てすらないやつに登山の心得を訊いてどうすんだって話
たとえばよつばととヘルシングならどっちが画力が高いなんて問いはナンセンスだろ?
ある程度絵として伝わる力量がその絵から見て取れるなら、あとは画風に対する好みの問題であって、「画力」なる一意に順序付けられる概念で比較できるようなもんじゃなくね?とも思える。
あとは作品というのはある目的に沿って描かれたものであって、「自分にとってできうる最高の画力」をひけらかすために描いてるとは限らないから、そういう意味でも作品ベースで画力を見極めようとするのは違う気がする。
画力を知りたいなら「自分が一番人に対して上手いと思えるような描け」というお題でも出して描いてもらわない限り原理的に無理だと思う
漫画における絵のうまさを評価するにあたって、純芸術の風景画やルネサンス期の人物絵に対する評価軸を完全に適用することはできない。
そういう意味でうまいことが、かえって作品の目指すムードを損ねることがあるから。
というわけで平野耕太とあずまきよひこはどっちの方が画力があるなんて問いはナンセンスということになる。画力の評価はアウトプットした作品からなされうるものだが、そもそも彼らがアウトプットした作品から見いだされる画力は、作品に最適化された画力であって、彼らがなしうる潜在的な意味での最大限の画力ではないのだ。
じゃあヤフー知恵袋とかではなぜ自分が描いた絵の評価をお願いしたときに低評価をくらった時「これはヘタウマなんだ」とか反論するとただの言い訳扱いされるのかといえば、
あのような場では質問者は「自分が可能な限りの最大限の画力でもって描く」ことが期待されているからだろう。
商業漫画を描くみたいな実践の場面で要求されるような、作品の性質に合わせて画力を調整するみたいなことは想定されていないのだ。
好みでいうなら一般的には深淵絵師とみなされうるラインだろうがこいつらの絵すら俺は好き
https://www.pixiv.net/users/16301040
https://www.pixiv.net/users/97971454
漫画における絵のうまさを評価するにあたって、純芸術の風景画やルネサンス期の人物絵に対する評価軸を完全に適用することはできない。
そういう意味でうまいことが、かえって作品の目指すムードを損ねることがあるから。
というわけで平野耕太とあずまきよひこはどっちの方が画力があるなんて問いはナンセンスということになる。画力の評価はアウトプットした作品からなされうるものだが、そもそも彼らがアウトプットした作品から見いだされる画力は、作品に最適化された画力であって、彼らがなしうる潜在的な意味での最大限の画力ではないのだ。
じゃあヤフー知恵袋とかではなぜ自分が描いた絵の評価をお願いしたときに低評価をくらった時「これはヘタウマなんだ」とか反論するとただの言い訳扱いされるのかといえば、
あのような場では質問者は「自分が可能な限りの最大限の画力でもって描く」ことが期待されているからだろう。
商業漫画を描くみたいな実践の場面で要求されるような、作品の性質に合わせて画力を調整するみたいなことは想定されていないのだ。