はてなキーワード: 屋内プールとは
プール入る前の消毒的なシャワーの勢いが異常に強い。シャワーというより滝みたいだった。
泳げる距離で帽子の色を変えるシステムがあった。自分はマジで泳げないのでずっと泳げない人の帽子の色だった。その帽子だと特に泳ぎ方をしっかり指導されるとかそういうことはなく、一番端のコース(壁にすぐ手をかけられる)を指定されるだけだった。
水深の浅いプールと深いプールに分かれていて、高学年になると深いプールを使うようになる。自分は背が低かったので高学年になっても顔の半分くらいまで水に浸かっていた。泳げないので普段指定されていた一番端のコース以外は怖かった。本当に怖いと思っていたので、授業でクラス全員でリレー?(25mを全員が泳ぎきった早さを競う)をすることになり、真ん中のコースを割り当てられた時は「どう考えても無理があるのでせめて一番端のコースに変えてほしい」と担任に相談したが却下された。結果的にはプールの途中で溺れかけてクラスメイトに助けられた。あの子が助けてくれなかったら今頃どうなってたんだろう。担任は助けてくれなかった。
公立なのになぜか50mの屋内プールだったせいで雨でも中止にならなかった。屋根や壁はあっても空調はなかったので蒸し暑く塩素くさいだけの気持ち悪い空間だった。
体育教師(女)は女子生徒が生理で授業に出られないとプールサイドで筋トレを課してくるので、内心では「なんで体調悪いのにそんなことさせるんだよクソババア」と思っていた。
このクソババア……ではなく体育教師、泳ぎ方の指導もろくにしないのにタイム測定だけはやたらやりたがる。タイムにこだわるのなんて水泳部だけでいいだろうと思っていたが、それが授業なので仕方なく付き合っていた。中3の時だけ着衣水泳をやる話があったが、それも最終的に平泳ぎのタイム測定になったのは流石に笑った。
プール自体が壊れてて水泳の授業がなかった。高校選んだ理由の一部はこの話があったからだった(もちろん他の理由もあるけど)。校舎は綺麗だったのにプールだけ廃墟みたいだった。
賛成派や維新の主張ではなく、大阪市役所の事実だけお伝えします。
これからリンクを貼るのは賛成派ウェブではなく全て市役所のウェブです。
市民利用施設の廃止・縮小が市政改革プランに載ったのは2012年。
https://www.city.osaka.lg.jp/shiseik.../page/0000163563.html
これに基づき市議会は2013年9月議会で維新・公明と「自民」「みらい(民主)」の「4会派」が賛成し
https://www.city.osaka.lg.jp/.../result/201309_12.html
さらに翌年の市議会は2014年9月議会で維新・公明と「自民」「みらい(民主)」の「4会派」が賛成し
https://www.city.osaka.lg.jp/.../result/201309_12.html
そんななかプールとスポーツセンターは2015年の大阪都構想の区割りが決まるまで廃止は待つことを当時の橋下市長が決め、屋内プール・スポーツセンターの指定管理を非公募で実施する為の条例案だけ出すことになった。
https://www.city.osaka.lg.jp/shiseik.../page/0000279536.html
そしてプールの指定管理を非公募で実施する為の条例案は2014年9月議会に提出され、なんとなんとなんとなんと。
驚くなよ。「全会一致」で可決されたのである。
これ証拠。303号ね。
https://www.city.osaka.lg.jp/.../result/201409_12.html
つまりプールはもっともっと早くに削減されていたはずなのに、ある二つのことが起こった為削減しなかったのである。
その二つのこととは第一回大阪都構想住民投票と第二回大阪都構想住民投票である。
その結果区割りが決まって住民投票の結果が出るまでプールは削減しないことになっているのである。
さらにさらにプールは全て特別区に移管されることになっている。
そんなの嘘だ、という方は下記の特別区設置協定書pdfを見てほしい。
紙に書かれているだけで法律でもなってないじゃないか、という方へ。
大阪都構想住民投票というのは特別区設置協定書に法的拘束力を持たせることに賛成か、反対か、なのである。
結婚したらいいよ、という言葉で唯一効果があったのは、見知らぬおばあさんからのものだ
当時私は30代前半くらいだったと思う
都心の某区の屋内プールは人も少なく快適でしばらく月イチで通っていた、習い事のついでに
客層は周辺在住の家族連れが少しと、あとはほとんど一人で泳ぎに来ている人という感じ
どういう流れだったか、おばあさんは私に結婚しておいたらいいよと言った
その言い方は、自分がしなかったことの後悔を含むニュアンスがあった
私は結婚をしないつもりはなかった、けれど当時、積極的でもなかった、いつかはするつもりだけど、と
どこかで自然に相手と出会い恋愛して結婚に、というようなことを夢見ていた、それが無茶な夢だったと自覚したのはずっと後だったが
メンタルに問題がある人は、孤独だ・生きる意味がない、そして『やることが無い』って言いがちだから
趣味の専門度を尋ねてるのではなく、単純に楽しく暮らしてるか?ってことだぞ。聞いてるのは
下記のおっさんみたいに
2020-09-20
12時 スーパー銭湯へ。サウナ水風呂を4セット。外気浴がたまらなく気持ちいい
13時 施設内の食事処へ。冷水がたまらなくうまい。そしてがっつり飯をくう
14時 施設内の休憩所へ。TV付き電動リクライニングシートにごろんした直後が休日気分のピーク
15時 はてぶに飽きたので、スイッチでゲーム。ホロウナイトにはまり中
17時 夕方のニュースを見る。今日は屁がよく出る。おっさんなんで遠慮なしにぶちかます
21時 しこしこ
23時 就寝
うちも似た感じ
でも幼稚園で「うちって貧乏なの」と私がみんなに言っていることが伝わると母は慌てて「中流家庭」と言い直した
あとからなぜ貧乏だと言い聞かせていたのか聞くと「平均的な金銭感覚を持ってほしかったから」らしい
しかし小学校から海外校で芝生の校庭にエアコン付き屋内プールだし、クラスメイトの親は社長などの明らかに高収入とわかる職業ばかりだったし、年に何度もビジネスクラス時々ファーストクラスで海外旅行
さすがに気付く、というか自分のことをお嬢様だと思い込んで完全に天狗になっていた
そんな時突然父が会社を辞めた
家にあったフィットネス用品やらカラオケやら高そうな家財を売り払って帰国することになった
父は私が高校生になってもまともに働いていなかった
でも私は大学に行きたかったので家計を気遣って奨学金を申請した
先生に呼び出されて、審査が通り無利子の第一種を借りられることになったと伝えられた
奨学金担当の先生は苦学生だったらしく、我が家の源泉徴収票を見て哀れみ激励してくれた
学部4年次、就活が嫌になったし大学院で研究を続けたくなったので再度奨学金を申請した
そして大学院を修了して就職、しかし奨学金の返済がなかなかにキツかった
母に愚痴をこぼすと学部、院の分全て、合計数百万を一括で返済してくれた
ここで疑問が湧く
なぜ一括で返す金があるならわざわざ借金したんだ……?
うちの親は基本的に放任主義で、子供がやりたがることはとりあえずなんでもやらせてみる方針だった
私は貧乏な家計を気遣えるいい子ちゃんのつもりだったので、奨学金を借りることをもちろん両親に相談していた
両親は「とりあえずやってみなさい」と言い私はそのままうちを無収入の貧乏一家だと思い込んだまま奨学金を借り続けた
それは源泉徴収票の提出で行っていた
そんな風に先生に激励されたのを覚えている
それを私は知らなかった
今思えば両親はろくに働いている気配がないのに私は塾にもピアノ教室にも通い続けていたし、海外留学は高校生の間に2回も行った
留学費用を稼ぐためという名目で学校に許可を取ってアルバイトをした
しかしなんだかんだで親が出すことになり、バイト代は全て服に使った
大学附属のやつではない
入居時に百何十万円納め、毎月の支払いも二十万弱だったことを後から知った
住居費と学費は親が払っていた
両親が働いていないからうちは貧乏というのは私の思い込みだった
あまり働かずに好きなことをしていても暮らしていけるほどの資産があったのだ
聞けば家や車などの大きな買い物も含めて、借金や分割払いはしたことがないという
私の奨学金以外は…
まあこれは親ではなく私がした借金ではあるんだが…返済を頼ってしまったが…
今でも私が車などを買う際にローンを組むと払う金額が増えて損ということで、まず母が現金一括払いをし、私が毎月いくらかずつ返す"お母さんローン"というシステムを利用させてもらっている
「今思えば」とは言えどうして気が付かなかったんだろう
かなり狭い枠だったはずだ
それをお金を借りる必要がなかった私が掠め取ったために本当に必要な家庭が枠から溢れてしまったのではないか
直近1年間の収入が極少ないことと、多少成績が良いだけでどうして申請を認められたのだろう
というか源泉徴収額って資産は関係ないの?収入に対してだけ課税があるの?
その辺もいい加減勉強した方がいいのだろうな
これを堂々と語ったら多くの人が呆れ、軽蔑すると思う
元増田を読んで似ているなと思って吐き出したくなった話
ブコメ読んで沸いた疑問
しかしそう考えていくとさらに先祖の資産であって親の金でもない
親はそんなに働かずたまに減った分を補充している程度なので増やしてもいない
今生きている誰の金でもない金は誰の金なんだ
私が生きてきたのにかかった金は私程度の収入では一生かかっても返せない
もちろん収入の半分以上を毎月家に入れて誰かの資産を補充している
でも一生補充しても補充し切れる金額ではない
初めて海に行ってきたよ。だからどうしたって感じの文章だけど、もし自分みたいに海行ったことないのにツレがなんくるないさー系であまり詳しく教えてくれず不安になってるひとが来年以降にでも読んでくれたら嬉しいなって…今年はもう海水浴の季節終わっちゃったしね…。
・海水浴場までは車移動
・増田は女だけどTPO的に許されるならスッピンで居たいタイプだし近所の買い物どころかゴミ捨て程度でがっつりフルメイクする人はすげーなって思う。右に倣えで普段から日焼け止めやら日傘やら使ってるけど別に焼けてもそれはそれで気にしないタイプ。
・増田は所謂「とくに何も入ってないはずなのに鞄がパンパン」かつ「不要なものは何一つとして持ってないはずなのに荷物が多い」人種。ツレは財布とケータイだけ持って平気で出かけるタイプの人種。むしろ財布さえありゃ近場ならどうにかなるだろ系の人種。
・増田は海ほぼ未経験(物心つく前に行ったかもしれないレベルのうっすらした記憶しか残ってない)だし、プールもほぼ未経験(スク水で公営プールとか親に連れてって貰って近場のちょっと広い屋内プールに行った経験がある記憶はあるよ、レベル)。水着?スク水しか知らないよ???ってかんじ。
・以上を含めてツレに必要なものを聞いたところ「水着と日焼け止め、あとシャンプー。靴は要るけど要らないスニーカーとかでいいよ」程度の答えしか貰えなかった。
・海の家に車を停めて荷物も預かって貰って、最後にそこでシャワーを浴びて帰ってきたよ。駐車代1000円とクローク(?)+シャワーで800円?だったかな?
・日焼け止め(スーパーウォータープルーフどうこうとかで海水浴向けっぽいやつ)
・クーラーボックスに保冷用の氷とペットボトル(氷入れた魔法瓶をコップ代わりにしたらすごく冷たくておいしかった)
・浮き輪(1000円だか500円だかで借りた!貸借品だから持ち歩いてたけどじゃまだった…百均でも売ってるしそれ買っていっても良かったかも…でも持って帰ってもゴミだからなあ…)
砂浜に持って行かなかったもの
・シャンプー類
・フェイスタオル(砂浜に持って行ったのと別に2枚)(シャワー後に拭く用と肩に掛ける用)
・財布スマホとかの貴重品
持って行った方が良かったもの
・ふつうのウェットティッシュ(クール系洗顔シートは持って行ってたけど水99%とかのほうがよかった…)
・パラソル(ツレの家にあるものをあえて持って行かなかったのでレンタルするのもなんだかなあ…ってかんじだった)
・車のフロントガラスの遮光のやつ(名前解らない…帰りに乗ろうとしてすごかった(こなみ))
・やわらかい保冷剤(日焼け後のクールダウン用に、やわらかくてひんやりしたものが欲しかった)
・タオルケット(日除け。パラソルあったら不要だと思うけど、水分補給と休憩で海からあがったときの直射日光の痛さ熱さに対する鎧が欲しかった)
・目薬(海水、意外と、しみる)
・ビニール袋(余るだろぐらいの数持って行った方が良かった)(脱いだ水着を入ってた袋に入れたのにパンパンになっちゃった)
・絆創膏(使わなかった)(けど、怪我をしたらないと不便だろうから…車に積んでるぐらいで持ち歩かなくても良かったかなあ…)
・お金(ふつうのビニールのポーチ?小物入れ?にチャック袋で500円玉6枚入れてネックストラップつけて首からさげてた)(あくまで自分たちの仲では、だけど、ひとりひとつ持つ必要はなかった)(浸水はしなかった)
・クロックス(泳ぎにくい!靴ズレしそうだから早々にマリンシューズに履き替えた)(帰りし靴下履くの面倒だったので割と重宝はした)
・ゴーグル(ツレが持ってきてたけどなんとなく使わなかった)
・ラッシュガード(長袖パーカー)(割と熱心に日焼け止め塗ってたのに焼けたし必要は必要なんだろうけど、どうも着衣水泳感があって結局ほぼ着なかった)(馴染みのないものだから積極的に着ようとしなかったのもある)
確か小学生のころ、某大手商社の社宅のプールに遊びに行くことが何度かあった。
基本的に社員と家族用だけど、社宅住人がいて紹介してもらえたので入れた。
一応有料だけど、小学生の小遣いでも行けなくはないお値段だった。
幼児用が本物の幼児で混みあい始めたのもあって、浮き輪もあるしいっかぁ~、と大人用プールに入り込んだ。
浮き輪でふよふよ漂ったり、浮き輪をビート板代わりにバタ足で進んでみたり
元々泳げるようになったばかりの頃で、楽しくて仕方なかった。
そのうち引率者の兄が俺の存在を忘れて自分の友達と集まって騒ぎ始め
一通り遊んで疲れた俺は浮き輪の円の中に尻だけ入れてケツボートにして揺られてた。
近くを通過した大人の集団の起こした波で、俺のケツボートが転覆してしまった。
パニクりながら浮き輪を探したが、プールの底から水面の浮き輪に手が届かない。
完全に沈んでしまっているので、とにかく息を止めてプールの端のハシゴのところまで歩いて行って、兄の友達を捕まえて事情を話し、浮き輪を回収してもらった。
人間って案外簡単に溺れるんだなというのが良く分かった事件だった。
尤も、俺以外の人間は俺がおぼれていたことを把握していなかったが。
その後、その件は特に取り上げられることもなく、プールも社宅の建て替えで無くなったような話を聞いた。
「僕は、競争を前面に打ち出して規制緩和する小泉・竹中路線をさらにもっともっと推し進めることが、今の日本には必要だと思っている」と橋下徹は発言し、
まさにその通りの政策を実行した
竹中・小泉の改革により失業を理由とした生活保護が増え、非正規雇用も増加した