はてなキーワード: 日本国籍とは
例えば、憲法上の平等原則に興味があれば聞いたことがあるであろうこの判例。
一方,父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得するか否かということは,子にとっては自らの意思や努力によっては変えることのできない父母の身分行為に係る事柄である。したがって,このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的な理由があるか否かについては,慎重に検討することが必要である。
こうした理由付けは他の判例にも見られる。近年、憲法学会ではホットだった判例群ですね。
そして,法律婚という制度自体は我が国に定着しているとしても,上記のような認識の変化に伴い,上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという,子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず,子を個人として尊重し,その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきているものということができる。
これらは比較的最近だが、昔からこういった考え方がなかったというわけではない。元々、日本の憲法学は芦部信喜や伊藤正己がアメリカ憲法学を輸入して大きな影響を受けたのだが、その中で平等原則については「疑わしい分類」という判例理論が紹介された。アメリカらしく典型的には人種問題に使われた法理で、その理由付けとして属性の「不変性」が挙げられていたのである。そういうわけで、こういった属性は厳しめに見るという考え方はあった(と言っても例えば性別は中間審査を使うとされたり複雑だが)。
ただし、該当すれば合憲性判断を厳しく行うべきという話であって、それ以外はすべて合憲になるという話ではない。
正直なところ、ネット(主語でか)ではこういう一要素として考慮という話が抜けて即結論みたいになるのが存外多い。例を出せば、表現の自由についても、表現の自由の問題か否かという入口部分で攻防が行われて、表現の自由問題なら違憲、表現の自由問題でないなら合憲という議論になっているのも散見する。「性的表現は価値が低いので表現の自由に入らない」も大概だと思うが、別件で逆の立場からも「商標権の問題は表現の自由マターではない」という意見が出ていたのを見た覚えがある。雑に言うが、どちらも主張としては、表現の自由の問題だが、この制約は○○という理由で許容範囲内みたいな感じになるのが筋だと思うよ。
あとは留意点として、憲法の議論をそのまま私人間に持ち込んでよいかという疑義はある。「見ない自由」がネットでボコボコに叩かれていたことがあったのだが、その用語自体は元々はわいせつ表現規制について刑法学説でも主張されてた論だったはず。しかも、公序良俗論を振り回す裁判所に対抗する表現の自由擁護という文脈で、である。ただ、それを私人間でそのまま援用しちゃうと歪んじゃうなって気はした。平等原則についても、裁判所は私人間効力について間接適用を認めてはいるが、ほとんど間接適用されているとこをお見掛けしないので慎重になった方が良い部分ではある。
ひょっとして日本国籍ではない?
「佐藤」とかそういう感じの平凡な名字で生まれた。分かりやすいように「佐藤(仮)」とする。
日本人と外国人が結婚しても名字は変わらない。夫婦同氏は日本人同士の場合だけだ。
私はこれまで通りの日本の氏名で生活してきた。むしろ夫が通称名として「佐藤」を名乗るようになった。生まれた娘の戸籍名も「佐藤」である。
29歳の時に夫が帰化した。
在日韓国人が帰化をしたら名字は自由に決めれる。夫は帰化後の名字に「朴」を選択した。
帰化をしたら日本人同士の夫婦になるので、同じ苗字を名乗らなければならない。
夫と相談をした。私は戸籍上の名字が「朴」になっても、私と娘は夫が今まで使ってきたように通称名で「佐藤」が使えると思いこんでいた。不安はあったが、夫の意思を尊重したいと思った。
私は朴になった。
想像以上に辛かった。
学生時代、在日コリアンの人がクラスメートにいた。日本名を通称で使っていたので在日コリアンであることを知らず、成人式で再会してその子がチマチョゴリを着てるのを見て初めて知ったくらいだ。
だから「佐藤」を通称名で使えると思っていた。しかし、この「通称名」制度は日本国籍の人には適応されない。
在日韓国人の「朴さん」は住民票に通称名「佐藤」を登録できるが、日本人の「朴さん」は通称名「佐藤」を使えない。ただ、旧姓併記の制度があるので、旧姓として佐藤を登録はできる。でも旧姓はあくまで旧姓。
まず日本人だと思ってもらえない。
外国人と日本人が結婚した場合、婚姻届を出すだけで名字は変わらないが、届出をすれば名字を変更できる。しかし在日コリアンと結婚した日本人女性は、ほとんど名字を変更しない。
もし夫がアメリカ人で私が「スミス花子」なら「国際結婚ですか?」と聞かれるが、「朴花子」の場合は「在日コリアンですか?」となる。
可哀想なのが娘である。親の都合で佐藤から朴として生きていくことになった。
通常は片親が日本人なら日本の名字になるはずなので、朴の娘は両親とも在日コリアンだと思われている。そして日本国籍なので通称名で佐藤を名乗れない。
娘のクラスメートには在日中国人がいるが、その子は通称名で「張本」みたいな感じの日本名を名乗ってる。娘は日本人なのに朴。
正直、朴として生きていくことがこんなに辛いと思わなかった。差別よりも、自分の日本人としてのアイデンティティを奪われてる感じが辛いんよ。
八村塁のような身長2m・体重100キロ超のアフリカ系日本人選手と身長170cm台のアジア系日本人選手が試合で接触して、不幸にもアジア系日本人選手が半身不随になったとしても、
「スポーツにこういう事故は付き物だね。障害を負った選手が十分なサポートを受けられることをお祈りいたします」
と同情するのと同じ程度に、トランス女性選手とシス女性選手の接触で半身不随の事故が起きても同情するよ。逆に言うと、それ以上の感情は何も無い。
「だからアフリカ系選手がアジア系日本人選手と接触のあるスポーツをやるのは危険なんだ。アフリカ系選手は日本国籍があったとしてもアジア系日本人選手と一緒に試合をするのを禁止しろ!」
などと言い出す者がいたら、人間のクズの差別主義者として軽蔑して徹底的に批判する。トランス女性の女子スポーツからの排除を言い出す差別主義者に対するのと同じようにね。
以下、グダグダ解説するが読む必要は無い、結論は出てる。議論の余地は無い。
人生の損得を論理的に選択しろ、すると選択の余地は無い、日本から逃げるしか無い。
違う、そうなることがわかっているのに逃げなかったオマエだ。
選挙行くだけで自分は責任を果たし、当選者は国民を幸福にする義務を付託されたと勘違いしてるオマエが悪い。
この国が衰退を続けるのは政治の問題ではない、民主国家なんだから国民に原因がある。
そして根深い。
戦わずして逃げろ、個人の利益が最大になる環境に身を移すことだ。
せいぜい日本国籍の恩恵を受けながら、効率よく利益と幸福を掴め。
きっちり標準治療、日本で莫大な納税と社会保障費を払ってるマヌケと同じ内容の治療。
金銀銅石炭、当時のレアメタルとエネルギーが無尽蔵にとれた、そして人口ボーナス。
第二次世界大戦の敗戦で明治期の資本蓄積はさほど毀損していない。
工業生産力、特に復興困難な重工業はアメリカは復興を見越して攻撃対象にしなかった。
製鉄所高炉は戦後すぐに再稼働していた。
ところが社会制度や法制度は復興を最優先としたため矛盾だらけ筋論を無視したパッチワーク。
つまり、カンフル剤、一時的な救命措置の効果はあるがそれを続けると副作用が出る、いずれ根本治療をしなきゃならない、のだが、日本国民はそれを避けて今まで来た。
ならば病状は進むだけ。
日本衰退の原因をいくら論じても意味がない、どうでもいい、不可避なのは明確だから。
国家国策に従わず戦っても勝てない、抗えない、ならば選択肢は「逃げる」しか無い。
決断と行動は早ければ早いほど利得を得られる。
いつまでも若いと思うな、肉体と精神の柔軟性を保持できると思うな、あめぇよ
あと、日本人の海外移民のハードルは日本衰退と反比例して上がっていく。
日本衰退が本格化しイザとなれば逃げればいい?あめぇよ
今が最後のチャンスだよ
最後に、
じゃぁてめぇはどうなんだ?行動したのか?海外在住なのか?
残念ながら日本で十分に食える所得、地位、能力がある。だから日本で暮らしている。
だが俺もあと30年もすりゃ寿命だ、それまではかろうじて日本にアドバンテージが残っているだろう。
日本の公教育は優秀だよ、バカにするやつが多いが、なぁになぁに、世界最高です。
美味しいところは頂きましょう。
無論、子供の人生は子供が選択するもの、示唆誘導はするが強制はしない。
いずれにせよ子どもたちはいつでも海外に出られる身分とパスポートを持っている、自由度は高い
ここまでしてやりゃ十分だろう
この国はもダメだ