はてなキーワード: 復興とは
ロサンゼルスの火災、金持ちが多く個々人の資金問題は無いのでさっくり復興するんじゃないかとも思ったが、金持ちがわざわざ火災リスクのある同じ場所に済むとも思えないので、廃墟のまま放置されたりスラム街になる可能性もあるのだろうか。
20年ほど前、中学の生徒会で「制服を残すべきか、私服登校を認めるべきか」というどうでもいい議論をしていた
教師も巻き込み喧喧諤諤の議論をしていたが、心底どうでもいい、制服で通いたいやつは制服で通って嫌なやつは私服で通えよとしか思わなかった
それより顔が不細工で性格も根暗な女子がいじめられて保健室登校してることをどうにかしてやれや、と思ってた
俺自身はそいつと仲良くもなければ好きでもなかったが、毎日保健室に顔を出して挨拶だけはしていた
そいつのためというよりは、俺自身のプライドのために。そしてアホな議論をしている生徒会へのアンチテーゼとして
表題に戻る
別に勝手にやりたいやつがやればいいし、そんなことに国家や社会の許可を得ようとすることや、
許可が与えられないことの不平不満をいう奴の相手をするのは無駄すぎる。その許可を与えることで社会構造が変わるということなどない
といっても俺は夫婦別姓に賛成でもなければ同性婚とかきしょとしか思わない
BL好きのキモい女同様、石の裏のダンゴムシくらい隠れて暮らしとけとしか思わない
アイデンティティポリティクスがクソなのは本当にこういうところなのだ
金がなくて死にそうになっている世帯がいたり、能登半島沖地震で何も復興が進んでいなかったり、
闇バイトで脳なしのバカがいきなり高齢者の家に押し入って強盗したり、政治家が脱法的に金を集めて政治活動したり、
そういうことをこれからどう対策していくかの方がよっぽどか重要なはずなのに
なんで日本は(世界も)こんなアホな生徒会みたいな議論をするようになってしまったんだ
マジで夫婦別姓をどうするかとか同性婚を許可するかなんて議論は
餃子の王将の大手筋店が一向に復興しないんだけど、もうやる気ないの?
失火してしまってずーっと建て直されることなくずーっと臨時休業中。
お店再開しないの?
もう餃子の王将ぜんぜん行けてないんだけど、
もう復活しないの?
餃子食べられなくて悲しい。
え、自分で掘った穴を自分で埋めたならそれってマイナスをゼロに戻しただけじゃないの?
発達障害だって生まれつきマイナスに振り切れてるけどそれを努力してゼロに戻しても誰も褒めたり尊敬したりしないよ?
むしろ自分がゼロに戻す努力をしてる間に周囲はもっと努力してるから「お前はなんでゼロなんだ」って叱られるまである
しかも戦争は生まれつきの障害じゃなくて自分たちで起こした悪さじゃん
受刑者が刑務所で「私はこんなに努力してるのに普通の人間は甘えてる」っていってたら「一理あるな」って働く人間は思うのかっていう
入社試験でもそうじゃん「私はこんなに苦労しました」ってつらつら言い続けてたらお祈りされるよ。確実に。
要するにさ甘えてんだよな。
だいすきなキャラクターの記念グッズを買いたかったのに買えなかった。
ずっと好きで、今回のデザインも好きで発売前から楽しみにしてたのに買えなかった。
仕事中に周りに謝りながら張り付いたオンラインショップは、発売と同時にすぐにサーバーダウンして、5分後に入れた時にはもうなかった。
次の日に発売の実際の店舗にならびに行った。
開店1時間前に着いたが列があり、私以外の9割が外国人だった。どう見てもターゲット層ではないジジイババアばかり。待機中は大きな声で叫びながら仲間同士の打ち合わせをしており、開店と同時に列の後ろから大量の男性が走って店舗に入っていった。
「ペンは後ろの方に回してください」と配られていたシート記入ボールペンは、そのままポケットに入れられ私物化されており、後ろのわたしまで回ってこなかった。全商品を買い占め、1人一個制限のためそのまま2周3周と回って購入していた。
最悪最悪最悪最悪最悪
なんでだいすきなキャラのグッズを買うだけなのに殺意にまみれないといけない?なんでこんな気持ちになりながら買わないといけない?あんまりすぎる。
てかグッズ買うたびに仕事休ませるコンテンツなんなんだよ舐めてんのか。
色々並びながら考えたけど店舗側に対策って言っても無理があるよだって言葉も通じない人間に規則なんて守らせられるわけない。個数制限も顔の見分けなんかいちいちできないから何周も回られたり時間差でされたら制御できない。走るな押すなと言っても無理だと言っても理解できないんだから。
国籍区別も日本人優遇も叩かれるからできないし月に何回も商品が出るのに全部に受注生産もできない。
はーあ、こんなの国が悪いよね
こんな野蛮人にとっては安いんだもん安いのに高く売れるんだもんわたしたちの気持ちなんてわからない動物なんだから
グッズも買えないキャベツも買えない大卒の国民があってたまるか。
地震が起きて復興もできずにそのままで給料も上がらないのに仕事ばっかりしてバカじゃねえのか
大人になって仕事したって相手はカスの外国人で怒鳴られクレームつけられても相手は私たちにとっての大金を落とすからお客様お客様って馬鹿馬鹿しい
安いのに清潔で丁寧な国ってバカにされてんだろ
必死に働いても税金取られて生保や後期高齢者の費用ばっかり負担させられ払わされて
誰がこの国に未来を見出せんだ
クソみたいなスーツの政治家が「内閣です」っていい加減にしろよ
こんな国でこんな自分で夢なんか見れないからみんな推しという輝いてる一部の人間を自分のことのように応援する方法でしか希望を見出すしかないし、その推しのためにって企業にまたお金を搾取されんだ
どうしたら前向きになれる?無理なんだが
車一台分の路面、鍋に残ったカレー一杯分の食糧、トイレを流すための水…
これら「被災地の人々のための貴重なリソース(笑)」を山本太郎は無駄にした!と叩いたがために、ボランティアも委縮して、結果能登にボランティアは来ませんでしたあ~(笑)
自民出身で今維新顧問の元プロレスラー馳浩としては、にっくき反日パヨクのれいわ山本太郎を叩くチャンスとみるや、「民間のボランティア、能登への通行をやめてください」とアピール https://news.yahoo.co.jp/articles/7c17c1647f3825bcd80033db7c23e740f9206d78
常識的に考えてほしい。「誰が行くかよ」ってならん?で、実際そうなってる。「鉄は熱いうちに打て」っていうじゃん。その初動、震災のショックに揺れている時の情動をこそ大事にすべきだったんちゃうの?もう冷めてるよ(笑)
「今は、来るな」→「もう来ていいよ」→「なんで誰も来ないんだ(絶望)」←(笑) 犬じゃねーんだからw馬鹿じゃねーの?
山本太郎憎しで、残飯のカレー一杯食っただけで大騒ぎしたバカって、今どう思ってんの?彼が車一台で大量の緊急車両せき止めたことになってんの?
たかが車一台で、カレー一杯で、大ごとになっちゃったねwせめて人殺しの顔をしろよ
で、この件って能登半島地震だけにとどまらないんだと思うね。次の地震でも、カレー一杯でボランティアを叩いたって事実は消えないわけでさ。おいそれとボランティアに行けないよね?求められるボランティアのハードル上げってるんだからw
救急車がコンビニ行ってるの見たら叩いてそうだよね、山本太郎がカレー食ったのに切れてた層って
彼は残飯処理のために、鍋をカラにする必要があるから食ったわけだが、それすらもネット軍師様たちは許さなかったわけだ
じゃあ救急車がコンビニ行くのも禁止しろよ。飯とか水とか最初から自分で持ってきとけよ。一分一秒を争う仕事だよね?コンビニ行ってる間に無線入ったらどうすんの?←このレベルの話なんだよね、山本太郎のカレー叩きって
山本太郎を叩いてたやつらはせめて今「邪魔なボランティアが来なかったおかげで緊急車両がすいすい通れて仕事がはかどって助かりました」って笑えよ。「おかげで復興もスムーズに進みました」って
才覚でナチスと共産主義の嵐を生きぬいた給仕のお話。経験から相手の本質を見抜き、最高のサービスをする、ってのは序盤だけで、あとは東欧諸国の悲惨な歴史の中で話が進む……はずなんだが、文章全体にユーモアが漂っていて、ナチス政権下でも結構いい思いをしていて、「歴史をこんな風に扱っていいのか?」とその大胆さに驚かされる。当事者だからいいのか? いや、そんなことはないのか? 最近は意外なことで炎上したり叩かれたりするので何もわからん(なんか、アジア人のふりをして小説を書いたらバズって、そのままアジア人のふりをする羽目になる、みたいなキャンセルカルチャーをネタにしたアメリカの風刺文学があった気がするんだが、思い出せない。キーワードで検索しても新しい価値観についていけないで炎上しちゃう六十代教授の出てくるアベル・カンタン「エタンプの預言者」という別の文学しか出てこない。で、pretending to be an Asianでググってやっと見つけた。R. F. KuangのYellowface」。洋書だった。たぶんどっかの文芸評論家が紹介してたんだろう)。
関係ないけど、ナチスが優秀な子孫を作るための女性たちのためのキャンプ、ヌーディストの楽園のような外見を持っていながら(いや、記憶違いかも)発想がそもそも家畜改良みたいで、恐ろしすぎて「これは露悪的なSFか?」ってなる。しかし、殺戮こそしていないものの、今では人権意識の高いとされる北欧諸国でも、かつては平気で障害者や異民族の断種が行われていたのだ。Whataboutismは建設的議論にとっては有害だが、人間の原始的感情に訴えかける強い説得力を持つ。「確かに俺も悪かったけど、お前にだけは言われたくねえよ」的なね。結局、政治は感情で動く。
話を戻せば、この作品は映画にもなっているらしい。というか、このエントリ全体で映像化された作品が結構あるらしいのだが、全然見ていない。
ポーランドとアフリカって接点があると普段はほとんど考えないのだけれど、きわめてよいルポタージュ。こうして独立してから何十年経つのに、アフリカ諸国とひとくくりにされがちな国々の個性を伝えてくれる。
しかし、出来事は基本的に救いがない。人類史の多くは悲惨の連続だが、アフリカで起きたことは桁の振れ幅が一つ違う。世界経済システムとの不幸すぎる出会いから五百年余り、まだ立ち直れていない大陸という印象を持った。とはいえ、暗澹たるルポタージュと言うわけでもなく、人々が村の中心の樹々に集まって生活するところや、市場の活気などは生命力にあふれ、まるでそこで暮らす人々の顔が浮かぶようだ。破綻した国家の状態は目を覆うようだが、そこから復興して何とかやっている人々の姿もある。……と、当時の日記に書いてあった。
ところで、ヘミングウェイはよくアフリカに狩猟に出掛けているけれども、それは所詮旅行者の目で、上っ面でしかないと批判しているのがこの本だった。そう思っていたのだが、日記を読み返すとそれはポール・セロー「ダーク・スター・サファリ」だった。著者はマラウイとウガンダで教鞭をとっていただけあって、アフリカに対して遠慮が無く極めて率直だ。時として情のこもった叱責や、人々へのまっすぐな好意も出る。きれいごとのないアフリカを知りたい人にオススメ。
遅延する電車、かつての豊かな文化と個性を失い広大なスラムと化したそれぞれの国の首都、高い失業率、飢餓、地元民のやる気を削ぐ支援、窃盗や強盗と犯人へのリンチ、放置されて本が残っていない図書館。親切な人や旧友もたくさん出てくるがいささか気が滅入ってくる。……と、当時の日記に書いてあった。
今はスマホも普及していてアフリカの様子も少なくとも都市部では大分違うと思う。ただし高野秀行は今でも地方の市場では窃盗が起きると犯人がリンチされると書いていた。
沈没事故で船を見捨てた船員が、延々と続く良心の呵責に苦しみもがいて生きる話だったはず。
試練に敗れ、卑怯者のレッテルを貼られた人物の独白を、別の語り手を通じて聞くという不思議な構成だけれど、緊迫感が良い。最後には西欧世界の手の届かないところに引っ込んでしまうんだけれど、これって著者の中で「闇の奥」をどのように発展させてここに至ったのだろう。「闇の奥」の内容をあまり覚えていないので困る。語り手が「闇の奥」と同一人物だと全然気づかなかった。やはり覚えていないのは心細い。これは、たとえ敵意ある世界から逃れても……、的な話なのだろうか。……と、日記に書いてあった。「黒檀」と違い、こちらは日記を読み返しても当時の気持ちはほとんどよみがえってこなかった。
この全集では最重要作品かもしれないのだが、実はこの作品だけ読めていない(だからこのエントリのタイトルは「理系が池澤夏樹の世界文学全集を全部読んだから五段階評価する」ではない)。何かで水俣病患者が苦しみながら「これを垂れ流した企業の連中にメチル水銀の汚染水を飲んでもらいたい」と心の底から呪っていたというのを読み、これほどの憎悪を自分の中に受け止めるだけのエネルギーが無いと感じたためだ。もしかしたら社員だけでなく、その家族にも呪詛を向けていたかもしれない。記憶にない。あるいは、これはどこにも書いていないのだが、本当はこうして水俣病にかからなかった全ての人に向いていたのかも。
こういうことを言うと結局自国中心主義なのかと言われるかもしれないが、それをはっきりと自覚したのが石黒達昌「或る一日」を読んだ時だ(伴名練が編集した短編集がある)。戦争か事故かはわからないが、強烈な放射能汚染で次々に子どもが死んでいく話で、読んでいて相当しんどかったのだが、特にきつかったのは名前が「美優」とか「翔」みたいに死んでいくのが現代の日本の子どもの(それとも自分と同世代の人間の?)名前だった点だ。おそらく「亀吉」や「トメ子」だともっと冷静に読めただろうし、「サッダーム」とか「ウルスラ」とかだったらかなり距離ができる。
僕がこうして世界文学を読めていたのも、他人の苦しみが言語と文化の壁によって希釈できているからでは、という疑念を僕に抱かせるに至った。
今にして振り返れば錚々たる作家ばかりだし、気に入った作家の(あるいは、ドナルド・バーセルミみたいによくわからなかった作家の)短編集を借りて読んだりもした(バーセルミは結局全然わからなかった)。一方で、後になって適当に手に取った本の作者だったと後で気づくこともあった。当たりはずれがあるのがアンソロジーの楽しみである。
フリオ・コルタサル「南部高速道路」は東日本大震災の際に、災害時にできるコミュニティに関連して話題になったが、震災を知らない世代にも刺さる普遍性があるコルタサルの作品の中で一番面白いものの一つ。金達寿「朴達の裁判」は前提となる知識をほとんど知らずに読んだのだが、したたかに生きる庶民の話で、吉四六ばなしとひがみ根性のない「阿Q正伝」を足して割らない印象を受けた。官憲に殴られて卑屈に笑ってみせても、決してへこたれることのない強さがある。アリステア・マクラウド「冬の犬」は悲しいけどいい。この人の作品は何を読んでもカナダ東部の寒さが伝わってくる。新潮クレスト・ブックスで出ているので是非読んでほしい。レイモンド・カーヴァー「ささやかだけれど、役にたつこと」はわざとらしいが嫌いじゃない。村上春樹訳だ。最近の村上春樹は一つの権威になっちゃってとうとう早稲田の名誉博士にまでなって、「俺たちの反体制な村上はどこに行っちまったんだ」みたいな気持ちになるが、翻訳は好きで、いまだに村上訳の本をたまに手に取る。それに、村上春樹の小説は男性中心的でときどきレイモンド・チャンドラーみたいにマッチョだとはいえ、「メンヘラ」という言葉が広まるはるか前にもかかわらず、メンタルの病気で苦しむ人の描写の解像度が、身近にたくさんいたんじゃないかってくらい極めて高い。彼の最大の美点だ。もっとも、今では精神を病んだ当事者の文学が出てきたので、「じゃあ当事者が書いた作品を超えるにはどうしたらいい?」ってのが次の文学の課題だ。ガーダ・アル=サンマーン「猫の首を刎ねる」は、フランスに移住したアラブ系の青年が、男にとって都合のいい女がどれほど魅力的かを語ってくる叔母の幻影に悩まされる話で(たとえば恋する女性がもう処女じゃないことに苦しむと、脳内の叔母が「かわいくて素直で恥じらいのある処女を紹介するよ」と延々と語る)、あまりに男の欲望むき出し、即物的で笑っちゃうところもあるんだけれど、その都合のいい幻を切って捨てることもできないあたりがリアルで生々しい。男性向け・女性向けのポルノをのぞき見ると、みんな都合のいいことばっかり望んでるよね(だがそれがいい)。
余談だが、自分は恋人の嫉妬深いので恋愛経験はあまり多くない方が好みだが、フォークナーを勧めてくれた友人は、むしろ経験が豊富なほうが面倒くさくなくていいと熱く語っていた。このあたりは好みの問題だ。
閑話休題、しかしこの叔母が独身だってのがミソで、「女の幸せは結婚だ」という社会の独身女性は、こうやって世話焼きおばちゃん的な立場でサバイブしてきたのだ、という指摘をどこかで読んだ。
目取真俊「面影と連れて」は一番面白かった。自分の中では生涯読んだ短編の中の上位十位に入っている。ウチナーグチの語りなのだけれど、ひたすらいじめられ続けて、抵抗もできずにいる女性が、皇太子暗殺事件の犯人と関係して不幸になって、そのまま死んでいくという虚無の話なのだけれど、心が深く動かされる。世間ではタフになれとか戦って抗えとか言うけれど、抵抗するすべを知らず、その体力も能力もなく抵抗できずにそのままの人だってたくさんいる。弱い人間が弱いまま幸せに生きて死んで行けるようになってほしい。
前項は南北アメリカ・アジア・アフリカが中心だったが、こちらはヨーロッパの作品が中心。こちらの巻はやや印象が薄い。
記憶に残っているのはサルマン・ラシュディ(ルシュディ)「無料のラジオ」で、人口対策で断種されてラジオをもらった男の話。どうもラシュディはこの政策に反対だったらしく、「真夜中の子供たち」でも断種・不妊手術を極めて否定的な舞台装置として扱っているし、実行したインディラ・ガンディーを始め、権力を持った女性に対してうっすらとした嫌悪を持っている気がする。「真夜中の子供たち」でもアパートの管理人の意地悪な姉妹とか出てきたし。
あとはミシェル・ウエルベック「ランサローテ」だけれど、ウエルベックはどの作品も人権意識の高まりをはじめとした社会の変化について行けない中年男性の悲哀と愚痴が基本にあって、どれを読んでも感想が大体一緒になる。前にも書いたが要約すると「俺は非モテだから思春期の頃には思いっきりセックスできなかったし、処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ!」「こうなったのもぜーんぶヨーロッパ文明の進歩に見せかけた自滅のせいだ! みんなカルトに狂って不幸になっちまえ!」「人類は所詮性本能には抗えないサル並みの動物なので、あらゆる不幸はポストヒューマンに進化しないと解決しないんだよ! アヒヒヒヒ!」。これはひどい。もっとも、こういう反動的に見える作品にも賞をあげちゃうフランス文壇の度量の広さはすごいけどね。もしかしたら「セロトニン」はそこから一歩進んだかもしれないが読むのがめんどくさいし、これまた自分にとって輝きを(こんなものを読んでわざわざ憂鬱になりたいという暗黒の吸引力を?)失った作家だ。ウェルベックは悪くない。変わってしまったのは僕だ。
ところで、最後まで読んでみて見て思うのだけれど、このシリーズって表紙に毎回鳥が銀色で印刷されているんだけれど、これってすべてポーズが違うんだろうか。重複したりしていない?
以上。
あとは同じように読んだ人のブログ探して読んでみようっと。
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池澤夏樹の世界文学全集は、何が読まれているのか? - ボヘミアの海岸線
余談だけど日本文学全集は第10巻「能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵」だけ読んだ。長いがめっちゃ面白い。
岡田利規「能・狂言」の訳がかなり砕けていて、特に狂言だとカタカナも多用している。「荷六駄」の「おーい太郎いる?/はーい。/あ、いたのね」には笑ってしまったが(たぶん「太郎冠者、あるか」「御前に」あたりが原文だと思う)、当時の日本人にはこう聞こえていたのだろう。現代語訳したのが演劇の人なので、声に出してそのまま演じられそうなのがいい。カタカナ言葉が今の日本語の生きた要素として使われていることがよくわかる。
同時に収録されている狂言には視覚障害者をおちょくるとんでもないネタもあるのだが、盲目であることが当時どのように受け止められていたかがわかる。江戸時代なんかだと視覚障害者は団体も作っていたみたいだし、ただの弱者ではない。だから、近江絵みたいに風刺の対象ともなっているんだろうか。
おしまい。
この意見は、現代日本の経済状況に対する不満や疑問を表現していますが、いくつかの主張に妥当性がある一方で、問題点や矛盾も見られます。それを指摘しながら妥当性を評価します。
1. 「コストプッシュインフレで賃上げ!」という主張への批判
妥当性
• コストプッシュインフレ(原材料やエネルギーコスト上昇に伴う物価上昇)は、企業のコストが増加するため、賃上げが困難になる可能性があります。この点を指摘しているのは妥当です。
• 現実に、多くの中小企業が「賃金を引き上げたいが、コスト増加で余力がない」と訴えており、意見は実態に沿っています。
• 賃上げが全く不可能かどうかは議論の余地があります。例えば、大企業や一部の好調な業界では、インフレ対応として賃金を引き上げている事例もあります(2023年の春闘では、過去30年で最大の賃上げが実現)。
• 企業が賃上げを実行しない理由を「コスト増だけ」に帰結させるのは単純化しすぎています。経営戦略や内部留保の活用など、他の要因も考慮するべきです。
妥当性
• 円安は輸出を促進し、グローバル企業やインバウンド関連業界には利益をもたらしますが、輸入コストの上昇が家計や中小企業に負担を与える点は正しい指摘です。
• また、「円安で外貨ベースの売上が膨らむことで決算が映える」という点も、輸出型企業の利益構造を考えると現実的な分析です。
• 円安の恩恵を受けるのが「グローバル企業だけ」というのは一面的です。例えば、農業・水産業など一部の輸出型中小企業にも恩恵があります。
• 円安と国内経済の関連性を一部の業界に限定して論じることで、円安が持つ多面的な影響(プラスとマイナスの両面)を十分に評価していません。
妥当性
• インバウンド業界がコロナ禍で大打撃を受けた事実や、回復基調にあるものの、持続可能性には疑問が残るという点は妥当です。
• 短期的な利益回復に対する懐疑的な見方は正当化される部分があります。
• インバウンド業界が「腰掛けで稼ぐだけ」という主張は、全体像を捉えきれていない可能性があります。観光業に本腰を入れて復興を図る地方自治体や企業も多く存在しており、これらの努力を過小評価しています。
妥当性
• 目標とされた「マイルドインフレ(2%程度の物価上昇)」が、現実にはエネルギー価格や食品価格の急騰によって、生活者に大きな負担を強いているという批判は的を射ています。
• インフレの影響がすべて政策の失敗に帰結するわけではありません。例えば、ロシア・ウクライナ戦争によるエネルギー価格の高騰や、世界的な供給制約が影響しており、国内政策だけで完全に制御できるものではありません。
• 「人間に制御できるわけがない」と断言するのは議論の余地を残さず、一方的な批判になりがちです。
• この意見は、賃上げ、円安、インフレ、インバウンドなど幅広いテーマを扱っていますが、それぞれの論点が相互にどのように関連するかを明確に示していません。
• 例えば、「円安がグローバル企業を潤す」という指摘と、「円安が賃金支払いを食い潰す」という主張が接続されていません。企業の内部留保や利益の再配分に関する議論が欠けており、原因と結果が十分に整理されていません。
• コストプッシュインフレが賃上げを困難にする現実的な制約を指摘している。
• マイルドインフレが現実には制御困難であることを指摘している。
• 一部の指摘(インバウンドや円安の影響)が過度に限定的で、データや論拠が不足している。
• 政策批判が感情的であり、代替案や改善策が提示されていない。
結論として、現状に対する疑問や批判として一定の妥当性があるものの、論理構成や具体的な裏付けが弱く、説得力を高めるためにはさらなるデータや分析が必要です。
まず、現在の日本における公的医療保険制度をざっくり振り返ろう。
国民皆保険制度という「世界に誇る」仕組みは、確かに戦後復興期から高度成長期にかけて国民の健康と安心を支え、平均寿命の延伸や医療水準の向上に寄与してきた。
しかし、その一方で少子高齢化が顕著になり、医療費は年々増加。結果、国や自治体の財政には深刻な圧迫要因となっているではないか。
誰しも無制限に医療サービスを受けられるなら嬉しいだろうが、それを永遠に続ければ誰かが支払いのツケを負わねばならない。
ここ数十年、その「支払い担当」は次世代に回され、国家財政全体はむくむくと膨れ上がっている。
公的医療保険も、基本的に「定額制食べ放題」のような構造を孕んでおり、国民が必要とする以上の医療を必要以上に消費する誘因にもなっている。
そこで私が考えるのは、思い切って公的医療保険制度を原則廃止し、窓口負担を10割にするというものだ。
もちろん、これが本当に実現されたらショックを受ける方も多いだろう。「病院に行ったら全額自費?そんなの暴論だ!」と。
それは理解できる。しかし、今まで「一律低負担」で医療を享受してきたツケが、今まさに財政を食い尽くそうとしている現状を直視すべきだ。
代わりに、民間保険会社や医療関連ビジネスが各々の健康サービスを提供する。
健全な市場競争があれば、医療サービスの質や価格はある程度合理的な水準に収束するだろう。
もちろん「民間に任せたら、詐欺まがいのぼったくり保険や、ありえないほど高額な医療費が横行するんじゃないか」と不安に思うだろう。
その点は、国や監査機関が厳格なルールや罰則を設けることで、徹底的に対策できるはずだ。
民間への委託は、あくまで国が無法地帯を放置するわけではない。
むしろ現行よりもしっかりした規約を課し、悪質な業者は即刻市場から退場させるような統治を目指す。
たとえば、これから社会を支える子どもたち、経済的余裕のない家庭など、真に手を差し伸べるべき領域には公費負担を限定的に残すべきだ。
これは「未来への投資」であり、子どもたちが健やかに成長すれば、将来の労働力やいのべーしょんの源泉となる。
広く薄くばらまくのではなく、超重点的に「ここぞ」という点に絞る。
肥満対策に悩む人がライザップを使うように、「本当に必要なところ」に公的資源を集中投下すれば、効果的かつ財政効率的だ。
財政面でのメリットは明確だ。まず、国民皆保険的な一律負担軽減が薄れることで、公的支出は大幅に縮減できる。
国や自治体が負担していた莫大な医療費が下がれば、赤字国債を積み増し続ける現状にもブレーキがかかる。
財政改善は国の信用力向上にもつながり、長期的には金利コストの低減や資本市場の安定にも寄与するだろう。
加えて、民間保険や医療産業が自律的な市場として成長すれば、関連ビジネスからの税収増も期待できる。
要するに「国が全部面倒を見る」状態から、「国は最低限、民間が活躍できる健全な土台を整える」にシフトすることで、財政はより健全性を回復していく。
もうひとつのメリットは、国民が自分の健康状態により高い意識を払うようになる点だ。全額自己負担、あるいは自己責任の下で医療サービスを利用することになれば、人は自然と日常の生活習慣に気を配るようになる。
医療が安ければ気軽に病院に行くが、高くなれば「そもそも病気にならないように気をつけよう」となる。
健康な生活が、結果的に自身の経済的負担を減らす構造を作れば、人々は自然と健康的な行動にシフトするだろう。これは長期的に見れば疾病予防、ひいては社会全体の医療負担軽減につながる。
むろん、「病気は運が悪かっただけ」というケースもある。
しかし、一定割合で生活習慣起因の疾患は存在し、それに対して個人が責任を持つ仕組みは、医療費をゼロサムで考えるよりも健全だと言えるかもしれない。
究極的には、医療が「必要な時に使う最終手段」ではなく、「健康維持・増進のための投資」として再評価されるかもしれない。
要するに、公的医療保険制度をほぼ廃止し、10割負担を基本としたうえで、民間主導の医療サービス市場を整え、必要に応じて超限定的な公費支援を行うモデルは、財政の健全化と国民の健康意識向上を同時に狙える。
さらに分かりやすく言うと、「健康管理はあなた自身の手に」「国はサポート役、でもおせっかいな給仕はやめます」といった感じだ。
もちろん、これは政治的ハードルが高いアイデアであり、一挙に導入することは残念ながら現実的でない。
しかし、増え続ける医療費の前で「国民皆保険は不滅」と唱え続けるだけでは、いずれ破綻が訪れる。皆でもう少し制度について考えていこうではないか。