当初私は、この本(ちくま新書)を詳しく検討して、細部にわたる批評を書こうと思っていた。そのためメモをつけながら読み進めたものである。しかし、読み進むうちに、そのような内在的検討に値する価値が、この本にはまったくないことが明らかになったので、ここで記すことは、大雑把で外在的な批判にならざるを得ない。もっとも、そのような外在的批判の対象として見るならば、なかなかに興味深い症候的(症例的)な所がないわけではない。これも、この時代の批判的精神や自由精神の衰退を示すものではあるのだろう。しかも、大威張りのわがもの顔で恥ずかしげもなくステテコ姿をさらしている! 「ありそでなさそでやっぱりあるもの」を物理的世界観の中に埋め込むという一貫した意図を本書は持っている、と言われる。ここで「ありそでなさそでやっぱりあるもの」と言うのは、ヒッグス粒子とかダークマターのことではない。これらの存在についてなら、物理学
イアン・ハッキング[出口康夫・大西琢朗・渡辺一弘訳] (2012年12月26日刊行,岩波書店,東京,本体価格4,700円, ISBN:9784000238779 → 版元ページ) 『Historical Ontology』の訳.ついでに,統計学哲学の古典:Ian Hacking 1965『Logic of Statistical Inference』. Cambridge UP も(誰か)訳してねーねーねー.同じく確率論史の本:Ian Hacking 1975『 The Emergence of Probability』 Cambridge UP の邦訳はその後どうなっているんだろ? ワタクシ的には尤度論の重要著作:A. W. F. Edwards 1972『Likelihood』 Cambridge UP がいつか訳されることを固く信じて疑わない.この訳本さえあれば尤度の科学哲学的なトレ
数学者の哲学+哲学者の数学―歴史を通じ現代を生きる思索 [著]砂田利一、長岡亮介、野家啓一 数学者(砂田)、哲学者(野家)、そして元カリスマ予備校教師でもある数学史家(長岡)の3人が、数学と哲学との「あいだ」にある様々な問題を論じ合った。数学と哲学は、古来表裏一体の関係にありながら、現代では数学理論の高度化につれて溝が深まっている。二つの分野の専門家が時にはかみ合わないやりとりを重ね、時には新たな発見にひざを打つさまが楽しい。数学者と数学史家が、例えば「無限」をどう考えるかといった根本的な点で対立する場面にも引き込まれる。震災後に語られた終章「学問の責任について」では、リスク社会において哲学と数学の果たすべき役割について議論。「実りある不一致」の重要さを確認している。 ◇ 東京図書・2310円
ソーカル事件を超えて ジェームズ・ロバート・ブラウン 青木薫訳 「科学者にとって科学哲学の無益さときたら、鳥たちにとっての鳥類学と大差ない。(Philosophy of science is about as useful to scientists as ornithology is to birds.)」これはリチャード・ファインマンの警句とされている。だとすればもう何十年も前のセリフなのに、時を経て理系・文系の科学観の相互理解が進むどころか、科学者の側にはファインマンの言葉そのままの皮肉な見方が、科学論者の側にはそれに対する諦念が、隔絶したまま凍りついてしまっていないだろうか。『なぜ科学を語ってすれ違うのか』は、そんな問題意識から翻訳出版に至った本だ。 本書には一見あたりまえのようにも見える二つの指摘が込められている。ひとつめは、科学哲学・科学論の研究が、科学者とは違う立場から「科学
カジュアルの極北、で哲学を語ろう。いつも普段着だったルートウィッヒのように。「語の意味とはその使用だ。考えをめぐらすよりも、まず、見よ!」ゲームは常に日常のなかにあるのだ。 [目次]より 個体発生は、系統発生を繰りかえす 「哲学」って、いったい……? 「ちがい」から始まるんですよ、とりあえず 「魂」と「顔」との不思議な関係 「非対称」という、私たちののがれようのないあり方
★丹治信春『クワイン』(講談社) 『論座』1998年3月号,pp.272-273. *現代哲学のカリスマの明快な手引き 1998 いま刊行中の「現代思想の冒険者たち」シリーズの第19巻である。知的好奇心旺盛な社会人の中にも、「クワイン? 聞いたことないな……」という人が多いかもしれない。しかし、ことし90歳になるアメリカの哲学者ウィラード・ファン・オーマン・クワインこそは、今世紀後半の哲学界で最も過激なテーマセッティングを行ない、常に議論の中心となり、最も尊敬されてきた現代哲学のカリスマなのである。現存最大の哲学者を五指、三指と絞っていって、最後にひとり挙げろと言われたら、ほとんどの事情通はこのクワインに投票するに違いない。 それなのになぜ日本でクワインの名が広く知られていないかというと、一つには知の市場のネットワークがフランス思想中心にできあがっていて英語圏の哲学はまだまだ認知度が
2009年07月14日00:00 カテゴリ書評/画評/品評Value 2.0 哲学は哲学者より簡単 - 書評 - 中学生からの哲学「超」入門 筑摩書房松本様より定期便にて献本御礼。 中学生からの哲学「超」入門 竹田青嗣 こういうのもなんだけど、今まで読んだ哲学書の中で最も面白く、「使える」と感じた。哲学者のための哲学ではなく、Philosophy = 知を愛する人を愛する学が、ここにある。 それと同時に、強く感じたのは、いいかげん「哲学者」だけで哲学を「哲」することにはもう限界があるのではないかということ。「哲学」が「学」の中心となる時代は再び来るのだろうか.... 本書「中学生からの哲学「超」入門」は、哲学とはなにか、いや、なぜ哲学なのかを、中学生にもわかるように書いた一冊。哲学というとやたら難解、というより難解のための難解というイメージがあるが、それは単に哲学者が怠慢に由来することが本
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