少しだけ更新を開けてしまい申し訳ありません。 何せ通信講座の課題で「400問近くある問題集を3日で解いて送ってこい」なんてもんがきましたからね・・・。 しんどかったわいこれ・・・。 さて、本題のほうに入りましょう。 撮影日:2010/8/7 ロシア人俘虜(捕虜)を葬っているロシア人墓地です。 日露戦争が始まった1904(明治37)年、松山市に全国で初めてとなる捕虜収容所(主に市公会堂や寺院等を利用)が設けられ、6000人ものロシア人・ポーランド人の俘虜が収容されたといわれています。 捕虜への扱いといえば、やはりかなり厳しいものを皆様はご想像されるでしょう。 ところが、実際のところは違っていたようで、かなり俘虜は優遇され、自由な生活が認められていたようです。 外出も自由にでき、観劇や温泉、海水浴も許され、松山市民との交流も盛んだったとの事。 1905(明治38)年には、道後公園において日露対