せい‐すい【聖水】 カトリック教会で、司祭によって祝別された水。祝福・献堂・ミサ聖祭など、あらゆる祝別に用いられる。 [補説]書名別項。→聖水
アフリカを訪問中の教皇はこの日、南スーダンで記者団に対し、こうした法律は宗教・道徳上の罪で、「不正義」だと述べた。
時代を越えて多くの人を救い、その一方で激しい対立を生んできたもの――。「宗教と聞いて何をイメージする?」と世に問えば、摂取した情報の多寡も手伝って、あらゆるフィルターがかかった答えが返ってくるだろう。では、「宗教2世は」と問われたら? 本作には、著者を含め7人の異なる宗教信者の2世が登場。親が信仰する教えを疑わなかった幼少期を経て、少しずつ社会に触れてギャップに戸惑い、憧れや楽しみを押し込め、絶望し、もがきながらも前を向く様子が描かれる。抑制を利かせた演出ながら、未成年の彼らを縛る鎖の重さに胸が締め付けられた。 巻末に付記された著者の言葉によると、本作は某宗教団体からの抗議を経て連載中断。その後、別の版元から刊行された経緯を持つ。教義の解釈ではなく、個人にフォーカスをあてた作品でさえ発信することが難しいという事実が、彼らの生きづらさを物語っている。 先日、日本脱カルト協会が宗教2世の支援を
安倍晋三元総理大臣の銃撃事件を機に、「世界平和統一家庭連合」=旧統一教会と政治家との関係が表面化し、問題視されている。 「上からの指示は絶対」と教えられ、選挙の支援や、特定の候補者の投票を求められた信者の子供たち。 教団の関連イベントに関わったり、選挙運動を手伝ってもらったりした政治家たち。 専門家は、政治家側も旧統一教会側もメリットがあったとし、政治家は社会問題となっている宗教団体との関係を絶たなければならないと指摘する。 【リンク】旧統一教会と政治家に関するニュースはこちら 旧統一教会と政治家の関係続々と 安倍元総理大臣が死亡した銃撃事件を起こした山上容疑者は、「旧統一教会=『世界平和統一家庭連合』の信者である母親が多額の寄付をし、家庭生活がめちゃくちゃになった」と供述している。 この事件を機に、政治家と教団との関係が続々と明らかになっている。 安倍元総理大臣の実の弟の岸防衛大臣は、旧
◆飯山陽(あかり)著 (扶桑社新書・968円) 著者は憤っている。イスラム研究者は「イスラムは平和の宗教」「異教徒に寛容」のウソを広めている。現実や国際常識と乖離(かいり)した主張だ。著者がそう発言をすると《「イスラム教へのヘイトを煽(あお)っている」「差別主義者だ」》と中傷された。大御所のI教授も、K教授もN教授もS教授も、軒並み実名で批判される。評者の私の名前もあがっている。 日本のイスラム研究者は少人数で結束が固い。イスラム文明間対話に何度か参加したからよくわかる。知識不足の日本にイスラムを正しく伝えよう。使命感に溢(あふ)れている。でもそれはギョーカイの同調圧力に転じやすい。学問に必須の多様性が失われる。それでは元も子もない。
100%興味本位で読んでしまった 『ブータンの瘋狂聖 ドゥクパ・クンレー伝』は、中世のチベット・ブータンの仏教僧であったドゥクパ・クンレーの伝記である。 ドゥクパ・クンレー(一四五五−一五二九)は、チベット、ブータンを中心に活躍した型破りの遊行僧である。……住まいを1ヶ所に定めず諸国を歩き回り、人の眉をひそめさせるような常軌を逸した行いを憚らず、「瘋狂」(smyon pa)と称された。瘋狂(ふうきょう)というのは、一般的な風狂、すなわち「風雅に徹する、精神的な平衡を失っている」といった意味ではなく、チベット・ブータン教においては、普通の宗教者のレベルを超えた、凡人の常識では計り知れない境地に達した聖人を指す。彼らは、戒律に囚われることなく、あえて社会規範に反した行いをし、それによって形骸化した既成教団を弾劾し、仏教の本質を思い起こさせようとする者である。(本書解説、p.223) 本書冒頭の
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く