2007年02月19日01:30 カテゴリCode プロ^2グラマーは社交が8割 趣味でプログラムをするシュミグラマーや、本職は別にあって、たまにプログラムするタマグラマーはとにかく、プログラミングそのものを職にしているプロプログラマー(以下プロ^2グラマー)の業務の8割は、実はプログラムを書く事ではない。 実感としては、顧客(社内顧客含む)との折衝が4割、学習が4割といったところ。残った2割が実際にコードを書いている時間。計算上は、週5日のうちコードを書いているのは1日しかないことになる。そして本当はそのコードを書いている時間も、コードを書く時間よりコードを読み返したり他のコードを読んでいたり、実のところぼけぇっとしていたりという時間が8割。 このプロ^2グラマーは、さぼっているわけでも無能な訳でもない。むしろ有能だとされるプログラマーほど、「オフタイム」が長い。そしてそのオフタイムの間
■私塾創設、ネットで実現 最近いちばんうれしいことは、日本の飛び切り優秀な学生たちとウェブを通して知り合い、深い交流が始まったことである。志を持って目を輝かせている、やる気のある若者たちと付き合うことほど楽しい時間はない。 彼ら彼女らは皆、私の著作やブログを読み、直接、私にコンタクトを取ってくる。下は中学生から上は大学院生まで。私はメールアドレスを公開してはいないが、ウェブ上で積極的に活動している私に連絡を取ることくらい、若者たちにとっては朝飯前なのだ。 私は、学生たちの進路の悩みや相談ごとにメールで答え、皆のブログを読み、感想を述べ、勉強の仕方を教えたり、ときに励ましたり、必要ならば日本に住む友人を紹介したりもする。中には、私が住むシリコンバレーまで訪ねてくる者もいるし、私が東京に出張した週末に、朝食を一緒にとりながら込み入った話をすることもある。 そこでふと思いだすのは、中学時代の恩師
■「言語」から見る世界 日本の学生がシリコンバレーに私を訪ねてくることがある。そんなとき私は、近所のタイ料理屋に学生たちを連れていく。ベジタリアン・メニューが充実していることもあって、この店はいつも大繁盛している。話と食事に夢中になっている学生たちに、頃合(ころあ)いをみはからって私は、ちょっとまわりを見渡してごらんよ、と促す。 彼ら彼女らは、一様にはっとする。こんなに色々な人種の人たちが混ざっている中で、日本人ばかりで話をしていたのかと。アメリカは「人種のるつぼ」いや「人種のサラダボウル」だといった話は、知識さえあれば誰にでもできる。しかし、ありとあらゆるテーブルが、オリンピックの選手村のような様相を呈する迫力は「百聞は一見に如(し)かず」、体で感じるのがいちばんなのである。 スポーツのルールという形で普遍性が確立されて普及すれば、世界中の選手が自由に競争できる。日本の選手ばかりでなく、
なんか見てると、"ALL I REALLY NEED TO KNOW I LEARNED IN KINDERGARTEN" http://www.peace.ca/kindergarten.htm ってあんまりみんな知らないのね。昔日本でも流行ったんだけどな。 欧米の人達は結構これ好きみたいで、Kindergartenの部分を、一時期の吉野屋テンプレのノリみたいに my cat とか star wars とかに変えた亜種がいっぱい存在する。 ネットで見たけどあんまりいい翻訳ないのね。 だから百式の中のひとみたいに超訳してみました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー どうやって人生をおくるか・どう生きるかについて必要な事の全部を、幼稚園で学んだんだ。そういう知恵は、大学院っていう教育システムのてっぺんにあったんじゃなく、幼稚園の砂場の中に埋もれていたんだ。 僕が幼稚園で学んだのはこんな
初め増田。 くだらんね。 サラリーマン(組織で仕事をする人)が楽に仕事するコツというのが幾らか有るような気がする。 なんか下の方でいろいろ悩んでいる人がおられるようだが、そういうのを気にしつつ書いておく。 1.職場を「全人格の総合格闘技場」だなんて思わない。 試されているのは「その職場で求められている職能」だけでしかなく人間性だとか人格だとかそういうのは誰も見ていない。調整事や交渉事になると確かに人格とかその人の魅力とかが結構なキーファクターになってくるけど、それも所詮「職能」でしかない。職能レベルの話を合格点でクリアーすることがまず何より大事。職能レベルの話をきっちりこなせる人というのは特段頭がいいわけでも、要領がいいわけでもない。単に「何が合格点か」って事を具体的にイメージできている人ってだけ。合格点の構成要素を具体的にイメージするって行為は、どんな職場・職業でもそんなに難しいことじゃ
通路のほうが怖いんですよね。 おばけそのものはじつは怖くない。 でも、いつ出てくるのか、 どんなのが出てくるのかって思いながら 薄暗い通路を歩くときがいちばん怖いわけで、 最近の世相も、そのおばけ屋敷の通路に はまり込んじゃったなって気がしますね。 たとえば北朝鮮が核実験をやったと。 それはいったいどの程度の威力があって、 どの程度、ぼくたちにとってリスクがあるのか。 たしかにハザードは大きいですよ。核ですから。 でもそれを言えば、インドやイスラエル、 アメリカやロシア、中国のハザードだって 同列に論じられなければならない。 そのへんを冷静に論じるんじゃなくて、 実験をやったという段階で、 もう、通路の怖さがどんどん増してしまう。 危機管理意識ですね。 そこで正義や大義が乗っかってくると、 実体のない盛り上がりになってしまう。
写真の魅力は、「一瞬を切り取ること」とよく言われるけれど、私はこのことに対して、最近、疑問を感じている。 自分本位に対象を切り取るという横暴に対して、もう少し慎重に考えなければならないのではないかと思っている。パパラッチは例外なのではなく、写真の強みである「一瞬を切り取ること」の上に胡座をかいた行為の延長にすぎないだろう。 写真は、もっとも簡単に対象を切り取りやすい表現行為だから、対象にしっかりと向き合う努力を放棄して、対象を、自分のエゴ、自己陶酔、自己主張のために安易に利用しがちであり、現実にそうなっていることが多い。 今日の多くの人々が、人生を大きく左右する運命的な出会いを待望するようなところがあるのは、「スクープ」など「決定的瞬間!!」だけで全てを評価していく傾向にある今日のメディアの影響だろうか。 写真の好き嫌いは、人それぞれである。自己陶酔的な傾向が強い人は、自己陶酔的な傾向の強
普段、なかなか、このメッセージ欄も更新されないので、たまに何か書くときには、せめて明るい、希望に満ちた話をしたいが、今日の話題は、私がこの6年間、一度も語ってこなかった極めて不愉快なとある出来事についてである。内容が内容だけに、冷静に書くことは難しいが、それでも私は、今という時は、これについて語る時だと考えている。 きっかけは、wikipediaだった。私は普段、何かについてネットで調べようという時、恐らくは多くの人と同じように、直接wikipediaに飛ぶということはなく、大体、検索してみて、ついでに引っかかったwikipediaも見てみるというくらいである。内容は、今はまだ玉石混淆で、非常に洗練されたレヴェルに達している項目もあれば、あまり有益な情報が掲載されていない項目もある。当然のことながら、私は自分の名前を検索することはないから、wikipediaの自分の項目がどうなっているのか
2006年09月29日12:30 カテゴリ書評/画評/品評 ネット時代にも先生は「えらい」ままでいられるか? 梅田さんのこのentryを読んで思い起こしたのが本書だった。 先生はえらい 内田樹 My Life Between Silicon Valley and Japan - UCバークレイの授業が無料でGoogle Videoに!!!でも高等教育のオープンアクセスという大きな流れに変化はなく、未来はきっと、世界中の誰でもが、勉強したいと思えば世界最高の教育に無償でアクセスできるようになる時代が来る。世界中の図書館の本をスキャンし、有史以来の知へのアクセスを世界中の人に開こうとするグーグル・ブックサーチのプロジェクトも含め、これからが本当に楽しみだ。本書「先生はえらい」は、内田樹が「先生」、というより「師匠」とはなにかを、中学生でもわかる言葉で書いた本である。現時点では数ある内田本の中で
結局は、より多彩な作品を取り込んだ陣営が勝つのか。カギを握るのはハリウッドの映画会社か。いやいや、いずれ両方のディスクを使える機器が誕生するともいう。ここは我慢して勝負を見守りますか。エンドマークまでに10年ほどかかったベータ・VHS戦争のように、あんまり長編になるのは困るけれど。 「いずれ両方のディスクを使える機器が誕生する」でとりあえず終わり、あとはマーケットの問題だけだと思うが。 国民の多くは岐阜県だけの問題なのかと疑っている。他の自治体も組織のたがが緩んでいないか再点検してほしい。自信があるなら知事や市町村長が「うちには裏金などない」と堂々と表明すればいい。 こういう発想が根本的に違うのだが。 裏金は市民グループが情報公開制度で暴き出したわけで、暴露はそのグループとノウハウに依存している。 また言っているわけだがまたしても組合の帰属とかに触れてない。なぜなんでしょ。 強制徴収を徹底
不肖わたくし、本を書きました。 マーケティング2.0 著者:磯島大、廣中龍蔵、関信浩、神原弥奈子、岩田真一、棚橋弘季、清田一郎、北村勝利、飯塚正治、いしたにまさき、中島聡、柿原正郎 監修者:渡辺聡 [Amazonで詳細を見る] 全身全霊を込めて、 書かせていただきました。 どういう本かと申しますと…… --------------------------- この本は、ITやネットにあまり詳しくない、 企業のマーケティング担当者や、 マーケティングに興味のある人に向けて、 書かれています。 「Web2.0」については本を読んでなんとなく把握したけど、 実際のマーケティングで、どう活用したらいいのか判らない。 でも、「ネットを有効に使ってなんかやれ」と言われている。 あるいはマス広告を打つ予算なんかないから、 ネットを有効に使いたい。 そんな人に向けて、可能な限り実践的に書かれています。 この
吉例 病める者に平安あれ。 小泉首相が高い支持率を維持してきた背景に、巧みなテレビ利用があったと思われる。官邸での午後の定例会見にテレビカメラが参入し、首相の肉声が直接、茶の間に届くようになった。 私の印象だが、テレビがずいぶん小泉の印象を編集したけど(特に発言の全容だが)、官邸のサイトでその全文が再録されて、そういうことだったのかということが多かった。 もっともそれが大衆の位置ではないにせよ(大衆はネットでの確認作業をしないし)。 こうした制度の前提として、自治体の財政状況をもっと透明化する必要がある。自治体の財布は公社や第三セクター、特別会計などが入り組んでいて、実態がきわめて分かりにくい。それらをすべて連結して公開すべきだ。 その時点で全て終了になるのではないか、というのが冗談であってほしい。 最も切迫性が高く、首都機能への影響が大きいとされるのが東京湾北部を震源とする地震だ。阪神大
電網山賊:2ちゃんねる的空間における議論可能性について 面白かった! これについて、ごく小さな異論を加えつつその続きを考えてみたいと思いますが、この文章は実にわかりやすくてスリリングな議論なので、是非、全文を読んでいただきたいと思います。 ここで、id:pavlushaさんは、「匿名で発言者の追跡が困難」→「細切れレスの蓄積を参加者が平等に評価した上で議論が進展」→「発言内容とそれが示す外部ソースのみによる評価」という2ちゃんねるの特性に着目し、これを抽象化した「2的空間」における議論の特性を分析されています。 2ちゃんねるで真面目な議論が行われる時に必ず出現するレスのひとつが、「ソースは?」「ソースきぼん」というものです。私の見る限り、ある発言者のレスに含まれる情報を、他の外部の情報源(多くはその場で他の参加者も見られるネット上の記事)によって確認しようとする傾向はかなり強く存在します。
第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を 第1回全日本剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日本剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を超える 観衆が集まった。 本大会は、戦前の剣道界の慣習であった専門家、非専門家の区別を廃し、選手の資格は年齢、段位、称号などに一切の制限を設けず、 各府県の予選を経て代表者を出し、剣道日本一を決するという画期的な構想によるものだった。 優勝の榊原正は大正9年愛知県蒲郡市生まれの33歳、名古屋矯正管区法務教官(剣道師範)、のちに剣道範士八段。戦前は名門東邦 商業で活躍した剣士。準優勝の阿部三郎は大正8年福島県相馬生まれの34歳、警視庁の剣道選手でのちの
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