千年先だって愛してる――。瀬戸内寂聴さんがペンネーム「ぱーぷる」で書いたケータイ小説「あしたの虹」。両親の離婚に心を痛める女子高生ユーリが出合った運命の恋をみずみずしく描く。毎日新聞社から単行本として刊行されたのを記念して、ケータイ小説に詳しい写真家の藤原新也さんを迎え、なぜ「あしたの虹」を書いたのかを明かし、ケータイ小説に寄せる思いなどを語り合った。 ◇「知らなきゃ始まらない」瀬戸内さん ◇「若者の“棚”に飛び込んだ」藤原さん 瀬戸内 ケータイ小説については日本語をだめにする、文学ではないなど、悪口ばかりを聞きました。でも非常に売れている。知らなきゃ何も言えないと思い、読みました。これなら売れるなと小説家として思いました。さらに「これなら書ける」と思ったのが書き始めたきっかけです。何でも私は自分の手で触らないと信じないんです。書く前に藤原さんが今の若い子をよく知ってるからおうかがいをたて
080514up あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。「週刊金曜日」「BIG ISSUE」「群像」にてコラム連載。雨宮処凛公式サイトhttp://w
下に表示されている文字を入力してください 申し訳ありませんが、お客様がロボットでないことを確認させていただく必要があります。最良のかたちでアクセスしていただくために、お使いのブラウザがクッキーを受け入れていることをご確認ください。
やまねこ翻訳クラブ 資料室 作家 ・画家別作品リスト 最終更新日 2018/11/04 イザベル・アルスノー作品リストを新規公開
『黄泉の犬』は、客観的に分析したり批評できる本ではない。なぜなら、この本に書かれていることについて考えることは、自分自身のことを直接的に考えることだからだ。 だから、この本について意見を述べることは、この本を読むことで自分の心身の何が直接的に感応したか、ということを言葉に置きかえる行為となる。 その行為は、この本を解説することではなく、「われわれとは何か?」ということを改めて自分に問い直す作業である。 自分たちが知らず知らず纏っている衣を脱ぎ捨てて、「われわれとは何か?」という問いの旅に再び旅立つこと。35年前に藤原さんがインドに旅立った時のように、この書物のなかで旅立つこと。 藤原新也さんは、この書物で、私たち一人一人が全身を侵されている「われらの時代」を描ききろうとしている。 「われらの時代」を描くというのは、現象としての社会状況を客観的に紹介することではない。現代を生きる私たち一人一
2000年6月長編小説「コンセント」を出版。その後「アンテナ」「モザイク」(共に幻冬舎)を発表。「富士山」「ドリームタイム」(文藝春秋)「ひかりのメリーゴーラウンド」(理論社)原爆をテーマにした短編集「被爆のマリア」(文藝春秋) 「キュア」(朝日新聞出版) ノンフィクションでは「忘れないよヴェトナム」「ひかりのあめふる島屋久島」「もう消費すら快楽ではない彼女へ」(いずれも幻冬舎) 「ハーモニーの幸せ」 「水の巡礼」(共に角川文庫) 「オカルト」「神様はいますか?」「根をもつこと翼をもつこと」(いずれも新潮文庫)「寄る辺なき時代の希望」(春秋社)な生きる意味を教えてください」(バジリコ) 詳しくはホームページをご参照ください。 http://www.randy.jp/
アッコに夢中だった。 「地上げの帝王を銀座の凄腕ママから奪った」。「風吹ジュンや荻野目慶子と男を獲り合った」。 週刊誌でそう書きたてられる、モデルの仕事を少しかじった程度の、シロウトの女の子。それがアッコだった。最初の記事が出た88年当時に全盛を誇っていた中森明菜の、デビュー時のキャッチフレーズ「ちょっとエッチなミルキーっ娘(こ)」を模すれば、「かなりバブルな魔性っ娘」といったところか。 記事をせっせとスクラップし、「伝記を書きたい」と口走るほど、私はアッコに夢中になった。やたらと話題にするので、対談相手のナンシー関に辟易されたのだが、そんな対談でのやりとりも読んでくれていたのだろうか、かねてからアッコに興味をもっていたという林真理子が、アッコをモデルに小説『アッコちゃんの時代』を書きあげ、その書評依頼がこうして私に来た。うれしいやら、くやしいやらである。 地上げの帝王と異名をとっ
普段、なかなか、このメッセージ欄も更新されないので、たまに何か書くときには、せめて明るい、希望に満ちた話をしたいが、今日の話題は、私がこの6年間、一度も語ってこなかった極めて不愉快なとある出来事についてである。内容が内容だけに、冷静に書くことは難しいが、それでも私は、今という時は、これについて語る時だと考えている。 きっかけは、wikipediaだった。私は普段、何かについてネットで調べようという時、恐らくは多くの人と同じように、直接wikipediaに飛ぶということはなく、大体、検索してみて、ついでに引っかかったwikipediaも見てみるというくらいである。内容は、今はまだ玉石混淆で、非常に洗練されたレヴェルに達している項目もあれば、あまり有益な情報が掲載されていない項目もある。当然のことながら、私は自分の名前を検索することはないから、wikipediaの自分の項目がどうなっているのか
偉大なる坂東眞砂子さんに親近感。 みんなが「なんでこんなことをわざわざここで?」って 首を傾げるようなことを 場を与えられると思わず言っちゃう「黙ってられない体質」。 私の人生、何度コレで「しまった!」をやっちまったことか。 たぶん一生治らないと思うよ。 作家のサガとかいうのとも、別物だと思う。 坂東さんも、わざわざ自分から新聞に投書してまで あの発言をしたかったわけじゃない気がする。 たまたま、書く場所を与えられたら やっぱ書きたい誘惑に逆らえなくなっちゃったんだよ、きっと。 勝手な憶測だけど、私なら、そうなる。 だけどね。 同じ物議を醸すお騒がせっぽくても 切羽詰って、よく知りもしないコトに上から言及して叩かれた オーマイニュースな人とは、全然次元が違うから。 鳥越さんは、見えてないクセに語っちゃった人。 坂東さんは、見えるコトに黙ってられなかった人。 どっちも大人気ないと言われれば、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く