0322 KAGAKU Mar. 2014 Vol.84 No.3 福島原発事故にともなう陸域での最大の放射能 汚染,つまり福島第一原発の敷地から北西に向か って浪江町―飯舘村―福島市と細長く延びる汚染 が形成されたのは,2011 年 3 月 15 日の夕方か ら翌朝にかけてであった。3 月 15 日の午前 11 時 に当時の菅首相と枝野官房長官が記者会見し, 「早朝に 2 号機の格納容器が破壊されたもよう」 と発表した。冷却機能を失ってメルトダウンを起 こしている原子炉の格納容器が破壊されたとは, チェルノブイリ事故のように,遮るものがなく大 量の放射能が環境中に放出される事態に至ったと いうことであった。 15 日の午前中,2 号機からの放射能プルームは, 南向きの風に乗っていわき市から東京方面に向か った。東京都内では午前 10 時から 11 時にかけ て 0.4 nSv/h の放射
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