邪馬台国の最有力候補地とされる纒向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)で、3世紀中ごろに掘られた穴「土坑(どこう)」からモモの種約2000個が見つかった。モモは古代祭祀(さいし)で供物に使われ、1カ所で出土した種の数では国内最多。卑弥呼(ひみこ)(248年ごろ没)の晩年から死後の時期に、モモを大量に使った国家祭祀が行われたことを示す成果と言える。 17日発表した市教委によると、発掘調査は09年11月に確認された大型建物跡(3世紀前半)の南側465平方メートルで実施。建物を囲む柵列がさらに28メートル東に長いことが確認され、土坑も見つかった。 土坑は南北4.3メートル、東西2.2メートル、深さ80センチの楕円(だえん)形。モモの種がまとまって見つかり一度に埋めたとみられる。一緒に祭祀用具とみられる土器や竹で編んだかごなども発見。果肉が残った種もあり、市教委は食べたものではなく、モモを竹かごに盛っ
邪馬台国があったのは畿内か九州か、天文学の立場から論争に決着をつけられないかと、国立天文台の2人の学者が挑んでいる。 邪馬台国は3世紀ごろ、あったとされ、クニの始まりは1世紀ごろという説がある。手がかりとして、国立天文台の谷川清隆特別客員研究員と相馬充助教が2年かけて調べたのは、その間の1〜3世紀に日本付近であった皆既日食の通り道だ。 皆既日食が見られる皆既帯の場所は限られる。邪馬台国で皆既日食が見えたのではないかという推論をもとにした。 推論の根拠は日本書紀だ。天照大神(あまてらすおおみかみ)が天の岩屋戸(いわやと)に隠れ、辺りが闇に包まれたという神話が描かれている。記述が具体的であることから、この描写は皆既日食を指しているという解釈がある。天照大神は卑弥呼だったのではないかとの説もあり、岩屋戸神話は邪馬台国など文明地で実際に見られた皆既日食に基づいているのではないか、と推論した。
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