戦後、再開された日本の航空産業の初期に、東京・立川市の会社が製造した軽飛行機が当時の姿のまま修復され、立川市で披露されました。 この軽飛行機は「R-HM」と呼ばれ、昭和29年、フランス人技師の設計の下、海外に輸出する目的で立川市の会社が1機だけ製造しました。 この機体は、立川市内の倉庫に長い間、保管され、会社では貴重な機体を後世に残そうと、当時の材料や塗料などをできるだけ使って、ことし1月から機体の修復に取り組み、完成した機体が9日、披露されました。 機体は、全長およそ6メートル、幅8メートルで、木製と鉄製の骨組みに布を貼り巡らし、特殊な塗料を塗っています。 修復された機体は飛ぶことはできませんが、製造当時、最高速度が時速150キロ、3000メートルの高さにまで上昇できたということです。 修復した会社の内田満夫部長は、「修復作業を通して戦後まもない時期に国産の飛行機を作った先輩たちの心意気
【東京】政府は12日の閣議で、1952年のサンフランシスコ講和条約発効が「主権回復の日」に当たるとして、61年を迎える4月28日に、政府主催の式典を都内の憲政記念館で開くことを決定した。 自民党が昨年の衆院選公約に掲げ、実現を目指していた。沖縄を日本から分離して条約が発効した4月28日は県内で「屈辱の日」と呼ばれており、県議会の野党・中立会派が中止を求める抗議決議提出に動くなど、反発の声が強まっている。 政府は式典の準備室を官邸に設置。沖縄を含む都道府県知事らにも出席を要請する方針だ。式典には天皇、皇后両陛下も出席する。お言葉については調整中。 安倍晋三首相は12日の衆院予算委員会で、県内からの反発に「沖縄の皆さんに説明を尽くしたい」と述べ、式典の意義などを県側に説明し、理解を得る意向を示した。 さらに「まず独立を回復しなければ(沖縄返還に向け)米国と交渉することもかなわなかった。苦渋の判
1952年に札幌市警の警備課長だった白鳥一雄警部(当時36歳)が射殺された「白鳥事件」の実行メンバーで、北京に亡命していた元北海道大生鶴田倫也容疑者が、今月中旬に死亡したとみられることが、関係者らへの取材で分かった。 82歳だった。心臓に持病を抱えており、病死とみられる。ほかのメンバーは既に裁判を終えるか死亡したとされ、事件は60年という節目に事実上終結を迎えた。 鶴田容疑者は実行グループの取りまとめ役で、白鳥警部が射殺される直前まで行動を確認していたとされる。 関係者によると、鶴田容疑者は事件後の55年頃、静岡・焼津港から漁船で北京に亡命。約2か月ほど前から体調不良だったという。 実行メンバーのうち、北京に亡命したのは鶴田容疑者を含む3人で、残る2人は88年に北京の病院で病死したとされている。
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