■会話が成り立つ不思議 我々にとって“会話”は、あまりにも自然であるため、日常生活の中でその不思議さに驚くことはほとんどないように思われる。ほとんどの人が毎日誰かしらと普通に会話しているだろうし、たとえ自室から一歩も出ない人でも、会話する能力は持ち合わせているはずだ。 だが、会話を極めて特異な現象と見ることもできる。お笑いコンビ・アンジャッシュが得意とする「勘違いコント」のように、ある言葉が私の意図したように相手に伝わる保障はどこにもないからである。 食べると甘酸っぱい丸くて赤い果物を意味して、私が「リンゴ」と発言したとしても、相手はどういうわけだかビートルズのドラマーだった「リンゴ・スター」や、日本人シンガーの「椎名林檎」を思い浮かべるかもしれない。これほど大胆な勘違いならば、文脈で認識の違いに気付くことは容易と思われるが、たとえば「痛み」や「痒み」といった感覚を意味する言葉の場合、事は
読者の周りにもいないだろうか? なにげに曲を聴いていたかと思うと、いきなり「ウワ、鳥肌が立った!」と騒ぎ立てる輩は――。 ■音楽を聴くと鳥肌が立つ人は脳の神経線維が密集している レディオヘッドの『Creep』だろうが、スーザン・ボイルの『I Dreamed A Dream』だろうが、レミオロメン『粉雪』だろうが、とにかく、うっとうしいことこの上ない。ありったけのキメ顔で、手のひらを肩までさすり上げながら言い放つ! 「今、ブァーーーっ」と。 そして、いっさい鳥肌と無縁で、平然と曲に耳を傾けている人々を憐れむような目で見る。「この曲の良さがワカンナイ、かわいそうなやつら」と。 だが、どうして同じ曲を聴いても、鳥肌が立つ人VS.立たない人に分かれるのだろうか。腹立たしいことだが、鳥肌男、鳥肌女たちのほうが、一枚上手であることを認めなければならないような研究結果が発表された。 マシュー・サックス氏
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