元日の当直で、対応していたのは3人。 鳴り続ける電話は、助けを求めるものばかりなのに、助けにいくことができない。 「すぐには向かわせられません」 電話先では、泣いている人もいた。 こちらも涙を必死にこらえながら、時間の感覚がなくなるまで一件一件に対応した。 「すごく悔しい思いでした」 あの時、能登半島で何が起きていたのか。 遺族や救助の最前線にいた当事者たちの証言からたどった。 (NHKスペシャル 取材班)
元日の当直で、対応していたのは3人。 鳴り続ける電話は、助けを求めるものばかりなのに、助けにいくことができない。 「すぐには向かわせられません」 電話先では、泣いている人もいた。 こちらも涙を必死にこらえながら、時間の感覚がなくなるまで一件一件に対応した。 「すごく悔しい思いでした」 あの時、能登半島で何が起きていたのか。 遺族や救助の最前線にいた当事者たちの証言からたどった。 (NHKスペシャル 取材班)
この記事はIngress & Wayfarer Advent Calendar 2024のお話の一つとして執筆いたしました。 2024年2月5日~2月9日の間、輪島市東陽中学校にて炊き出しの調理補助ボランティアをしてきた際に気づいたことや体験した事をまとめてみました。 また、ボランティアしていた輪島市町野は震災の後、さらに豪雨でも大きな被害を受けたところでした。 参加のきっかけ私はAGになる前から地元のボランティア団体に属しており、福島や熊本の子どもたちの保養キャンプをお手伝いなどしてきました。今回は隣の県ということもあり、受け入れではなく、支援に出向く方向となった。そしてFaceBook経由で繋がった輪島市町野にて炊き出しを行っている富成さんの所に炊き出しの補助員として行くこととなりました。食品衛生責任者講習受講しておいてよかった。 はじめに最初に一点留意いただきたいのは、避難所は、支援
MASA(航空宇宙・軍事) @masa_0083 能登半島 ・主要道路が数本遮断されただけで物流が困難になる交通の悪さ ・古くはローカルの海運で村や町が結ばれていたので陸上交通が不便でも物流が機能していた ・地震と共に1000年に一度クラスの地殻変動が起き、港も使用不能になる ・陸路・海路とも同時に機能を喪失 という悪条件下でここまで徐々に復旧が進んでいる事に理解が及ばない人がまだいるようですね。 復旧作業的には東日本大震災よりはるかに難易度が高い。 2024-10-09 18:05:02 terada @terada50397416 これはマクドで女子高生が話してたことなのだが、復旧工事の業者は金沢市内にベースを置いて能登半島へ行くことになっていた。 しかし、現場まで4時間ほどかかる。そのため朝5時に出発して9時過ぎに工事を始め、夕方5時に終わってまた4時間かけて帰るという凄まじいスケジ
能登半島地震で大きな被害が出た石川県で、自力での住宅再建やコミュニティー維持の難しさを理由に、安全なエリアへの集団移転を模索する動きが出始めている。同県輪島市門前町浦上地区の住民らは8月、地区内での集団移転と、住まいとなる公営住宅の建設を市に要望。集団移転についての住民の意見を取りまとめる動きは他の自治体にも広がりつつある。地震は9月1日、発生から8カ月となった。 輪島市西部の山間部に位置する浦上地区。26の集落が点在し、地震前の人口は235世帯455人だった。地区の中心部にある浦上公民館長の喜田充さん(75)によると、実際に住んでいたのは430人ほど。大半は高齢者で単身世帯も多かった。過疎化と高齢化で住人がわずかとなり、もともと将来の存続が危ぶまれる集落もあったという。 地震では周辺の道路が寸断され、住民が一時孤立。多くの建物が全壊や半壊と判定された。住民が避難するなどして無人になった集
能登半島地震被災地での支援活動が終了し、地元住民らの見送りを受け引き揚げる自衛隊員=2日午後、石川県珠洲市 能登半島地震被災地への延べ約114万人に上る自衛隊支援活動が8月末で終了したことを受け、石川県珠洲市では2日、見送りセレモニーが開かれた。地震災害の派遣としては過去最長の8カ月にわたる支援に対し、地元住民からは「ありがとう」の声が飛び交った。 自衛隊は発災直後から、孤立集落からの住民移送や道路の土砂撤去などに従事。約90人の隊員が参加したセレモニーでは、同市の泉谷満寿裕市長が「市民の大切な命を救っていただき守っていただき、市民を代表して感謝する」とあいさつした。 セレモニー終了後、珠洲市を離れる自衛隊車両に、沿道の住民は「自衛隊さんありがとう」と手を振って別れを惜しんだ。自宅が損壊し3カ月以上の避難所生活を強いられたという70代女性は「早い時期から炊き出しや給水支援をしてもらい、お世
元日に発生した能登半島地震から8カ月――。能登被災地の現状がメディアでとりあげられることも減り、自民党総裁選に名乗りを上げた政治家が記者を引き連れて顔売りに来たり、復興が進み始めたかのようなニュアンスで報じられる一方、現地では今なお被災直後と変わらない深刻な現実が横たわっている。公費解体や交通網の整備、仮設住宅の建設などが遅れているにもかかわらず、震災直後には当然のように注がれた国や行政からの支援が次々に打ち切られ、行き場を失う被災者たち。失われた暮らしや生業をいつとり戻せるのか、まったく先が見通せない絶望感が覆うなかで、歯を食いしばって互いに協力しながら困難と対峙する日々を強いられている。本紙は石川県能登半島に赴き、被災地の今を取材した。 石川県の県都金沢市から車で北上すること約2時間半。左手に広々とした日本海を臨みながら一直線に続く高規格道路「のと里山海道」は、能登半島に入るとその表情
先月末(3月30日/31日)に能登半島に行って感じた私の意見を書き残しておきます。私は東京から金沢に行き、そこでホテルを取り、2泊しました。場所は明かしませんが、フロントでのチェックインがたまたま同じだったのが有名な新聞記者でした。私は映画もドラマもドキュメンタリーも講演会も見ているので声だけでわかりました。 そのビジネスホテルは、非常に簡素なホテルでしたが、金沢駅周辺はその日もその次の日もどこのホテルも一杯で、ADR(平均宿泊単価)の3倍ほどの料金。OCC(客室稼働率)は9割越え。繁華街のある片町も同様でした。金沢の街に震災の雰囲気はいっさいなく、街には人が溢れていることに驚きました。訪日観光客だけでなく、若者や会社員が多い。とにかく若いと感じました。 能登半島は地形の通り、必ず金沢や富山を経由しなければ行けません。もっというと、能登半島の喉元であるこの金沢あたりをベースにしなければ、ボ
当会は、国内外において人々の生命や人権を脅かす諸状況(戦争と基地問題、震災等自然災害、原発事故、感染症等)を歴史学の問題として受け止めることを活動方針に掲げ、特集とは別に時事問題を批判的に論じる「時評」の会誌掲載にも力を入れてきました。2024年春刊行予定の会誌『新しい歴史学のために』第304号には、宮下祥子氏の時評「社会心理学領域における「災害ボランティアの専門家」の言説の検討―令和6年能登半島地震をめぐるマスメディア報道の問題性に関連して―」を掲載予定ですが、速報性の観点からウェブサイトへの先行公開を決定しました。ぜひご一読ください。 本時評の原稿データの改竄は固く禁止します。無断転載もご遠慮ください。また、引用・参照に際しては会誌掲載のものをご参照ください。批判等のご意見については、お問い合わせフォームよりお願いいたします。 時評(『新しい歴史学のために』第304号掲載予定) 宮下祥
能登半島地震で被災した石川県珠洲(すず)市の印刷会社「スズトウシャドウ印刷」が4月1日、営業を再開する。同人誌印刷では全国的に名の知られた会社だが、設備の損傷や断水のため納期が迫った受注物の制作が間に合わない事態に陥った。一時は廃業も考えたというが、SNS(ネット交流サービス)で窮状を訴えたところ、救いの手が差し伸べられた。 地震翌日の1月2日。社内では機械や棚が倒れ、紙や製本済みの受注物が散乱して出荷不能な状態だった。取締役の平野真由美さん(47)はX(ツイッター)で被災状況を報告し「入稿いただいたお客様、できる限りの事をいたしますが、状況によってはご相談の連絡をすることになるかもしれません」と投稿した。
罹災証明書を受けたり公費解体や生活再建補助金をもらうための第一のステップである被害認定作業のほとんとを県外都市部自治体からの応援職員が行っているよ。 スピード優先で「立っているか」、「立っていないか」ぐらいの判断で被害認定を行っているよ。 そのせいで倒壊は免れたものの、被災により柱がズタズタな古民家や屋根がブルーシートで覆われているような古民家に対して「被害なし」の認定を連発しているよ。 住民は避難所や2次避難中で不安でしかないなのに生活再建ができないと絶望しているよ。 一部の元気な人たちや義憤にかられた漁師たちが、市役所に2次調査申込で怒鳴り込みに来て怒号の能登弁をまくしたてたことろ、応援職員が号泣するという地獄の光景がひろがっているよ。(七尾市は漁師町です)。 このまま被害なしとすると公的解体も補助金も支援が受けられないので、住民が七尾市から逃げ出す算段を始めているよ。 特に東京や大阪
1月1日に発生した能登半島地震は特殊な地勢に加え、道路が破損し土砂崩れで寸断が生じるなど救援活動は難航した。発生から約2カ月経った今も自衛隊は活動を行っている。災害派遣された自衛隊に対し、ネット上では「なぜもっと大量に投入しないのか」「逐次投入だ」といった批判の声も見られたが、どのような方針で救助態勢を敷き、どのような活動をしたのか。東日本大震災や熊本地震との状況の違いは。自衛隊の災害対応を担当する防衛省参事官に話を聞いた。(文・写真:ジャーナリスト・小川匡則/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 「過去の大災害のときと比べても、能登半島地震はものすごく素早い対処ができたと感じています」 こう語るのは、防衛省統合幕僚監部の田中登参事官だ。能登半島地震を受けて、自衛隊派遣のために奔走した一人である。対外調整がメインの仕事で、統合幕僚長に状況を報告し、それに対する指示をもらい、現場に
能登半島地震の被災地では、休業が続く事業所が多く、働く人たちのなりわい再建が見通せない状況が続いている。 石川県輪島市の伝統工芸・輪島塗の職人、丸井聡さん(44)は漆器につやを出す工程「呂色(ろいろ)」が専門だ。地震で自宅兼工房が損壊し、新たな仕事の受注もない。「昨年末までの仕事分の支払いは2月までに受け取ったが、この先は収入が途絶えてしまう」とため息をつく。 県によると、今回の地震で「輪島漆器商工業協同組合」の103社の大半で、工房や事務所が損傷したり焼失したりしたという。輪島塗は「塗師屋(ぬしや)」と呼ばれる製造・販売元を頂点に、100以上ともされる工程を専門の職人が分業で支える。職人は個人経営など、直接の雇用関係がない人も多い。丸井さんもその一人で、失業給付などは受けられない。雇用統計では把握されにくい「失業者」だ。
能登半島地震で自宅に被害を受けた人たちが過ごす避難所のうち、自主避難所への物資の配送を石川県輪島市が2月末で打ち切る方針を決めた。3月からは市内26カ所の拠点まで物資を受け取りに行く必要がある。自主避難所を運営する人からは「納得いかない」との声が上がる。 23日の定例会見で市の広報担当者が明らかにした。現在は市内36カ所で380人ほどが過ごす自主避難所には、市職員や応援の自治体職員、自衛隊員らが食料や飲料、灯油などを配送している。今後、応援人員が少なくなると予想され、担当者は「復興に向かう取り組みを強化していく段階に来ている。自主避難所への配送に人員を充てられないことを理解してもらいたい」と話した。
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