はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
ランジ スクワット レッグ・エクステンション レッグ・カール スティッフレッグド・デッドリフト シシー・スクワット スパイン・ヒップ・リフト トランク・ツイスト クランチ 今日はわりと体調が良かったので、脚の種目を6種目立て続けにこなしました。 自分のことは自分で褒める なんであたしがこうも熱心に筋トレを続けているのかというと、自分を好きになるためです。もともと自己不全感が強く、摂食障害で2度ほど死にかけた身としては、自分を肯定できるかどうかというのは比喩ではなしに死活問題なんですね。そこで、自分で自分を好きになるために、アホほど筋トレして体を作っています。 「ああもうこんな自分ダメダメじゃん!!」と思ったときに、「でもおなか平らで腹筋割れてるしなー、これはダメじゃないよなー」と思えることはありがたいです。「先月挙がらなかった重量が、今月は挙がるぜ! すげーぜ!」と思えることもありがたいで
冷戦のさなかの1983年9月26日の真夜中、モスクワ近郊のミサイルサイトСелпукнов-15(セルプクノフ-15)で突然アメリカからの核攻撃を示す警報が鳴り響いた。ミサイルはまた一つまた一つと増えていき、最終的に5発の大陸間弾道ミサイル (ICBM) がソビエトに接近しつつある事を示していた。当時のソビエト連邦の地上レーダーシステムは地平線よりも向こうの対象を検知することができなかったため,それを早期警戒システムに利用することはできなかった。あてになるのは衛星から発せられるミサイルの発射警報だけだった。オペレーターは真っ青になって席を立ち本当に反撃すべきかどうかを問うべく、司令官を凝視した。 当時の司令官スタニスラフ・ペトロフ中佐は国家の命運そして全世界の命運を担う決断を迫られた。もし彼が目の前にある赤く明滅している「開始」のボタンを押したら間違いなく第三次世界大戦が始まり、双方の国土
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
ドイツ女子空手チャンピョンの初論文が通ったので飲み会。3時半まで。体力勝負な解析の連続。今週中にどうにかしたい。 プロパガンダは引用のソースを特定しないので要注意、と私は習った。逆はどうなのかな。引用のソースを特定しない言明はプロパガンダ、だろうか。といういいわけはともかく、誰が言っていたのかまたまた忘れてしまったのだが、こんな台詞がどこかにあった。 「二つ日記を書いて見なさい。一つの日記は誰かに読まれることを思って書く。もう一つの日記は、絶対に誰にも見せないで、ありのままを書く。しばらくしたら、自分がどれだけウソをつくことができるのか、よくわかります。」 そうかもなあ、なんて思ったのだが、誰かに読まれると思って何かを書く、という点において手紙に勝るものはない。延々と特定の人間に向けて手紙を書いていたことがある。一日もかかさずに便箋三枚にぎっちり一年書いていたのだが(ご苦労なことである)、
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
自分が辛かったことや悲しかったことは、一般的なことであるようで、でも、そうでない。誰にでも話せることばかりではなく、気持ち悪がられることも多いんじゃないか、と思う。でもその気持ちを伝えるには時間と能力、色々、たくさん必要みたいだなあ、と私は考えている。日常の生活では、ネットで書いているようなことは、余り言えない。理解してもらえるように筋道を立てて話すことが出来る自信が、最後まで冷静に話しきる自信が、無い。途中で少し遮られただけで、黙ってしまいそうで。私が感情的になりすぎたり、説明が途中でこんがらがったり、また相手の神経を逆撫でしそうな被害者ぶった言い方をしてしまっていたりするのかもしれないし、話したことを重要に思いすぎてしまいそうで、そのことに振り回されそうで。だから、いつもは言わない。それはそれでいい。仕方がない。本当は言いたいんだけど。多分。 でも、そういう、隠している所に触れようとし
例えばあるタネ(SEED)となる出来事や外部のエントリがあるとして、それをふくらませるのに「正しさ」を使う。「生物学的に正しい」だとか「科学的に正しい」、「論理的に正しい」を使いエントリを組み立てる。すると、誰がやっても同じ展開・結論になる《可能性が高い》。 おれはこれが怖い。恐怖。 正しさを武器にブログを書く恐怖。それは、誰かとオチがかぶる可能性が増すことに対する恐怖なのである。 オチがかぶったからって恐怖することはない。なぜならそれは正しいのだから、というご意見ご感想はひどくわかるのだけれど、いかんせんおれは記事がユニークであることを一番大切にしたいと思っちゃっているのである。誰かとかぶることは耐え難い恐怖。《正しさ》という思考ツールが《他者とのかぶり》を誘発しやすいのであれば、おれは《正しさ》を捨てるのである。 いやまて。 いやしくもダイアラー・ブロガーを名乗るならば。同じ材料から同
何かに突き詰めて取り組んだ時、一人になることを知った。 一人で夢中になってしまうから、周りとの意識の差が大きく出てしまう。 毎日毎日気合入れて、自分を洗脳して頑張っているからだ。 そして、その状態がマズイことに気付いた。 一人だと寂しい。人の情が無いと生きていけないのだ。 元の状態に戻ろうとは思わない。立ち止まったらそこで終わりだと思うから。 せっかく前を向いている俺を、歩いている俺を立ち止まらせるなんて、もったいない。 だから、その状態でも友人を作る方法を考えた。 前より、数は減ったが付き合いやすい人間や、向上心の高い人間が集まったので、 不満は無かった。 その繰り返しの中で俺は生きている。 いつか、自分よがりでなく、誰にでも優しくなれるようになることを目標としている。 (追記) 指摘があったので。 友人のために出来ること。それは楽しさを与えること。 趣味でも音楽でも、飲み会の場でも、「
自分の傾向として、言いたいことを抑えてしまうということがある。まぁ要は非コミュなわけですが。会話の最中、相手が何か引っかかることを言ったとしてもその場で反論するなり自分の見解を述べるということができない。その場で反論できないだけじゃない。単に言いたいことが言えなかっただけなら、後で言いに行くなりメールするなりすればいい。しかし自分の場合、言いたいことが言えなかったと感じた時点で、もはや何が言いたかったか分からなくなっている。 もう少し詳しく言う。まず相手と話していて引っ掛かりを感じても、その「引っ掛かりを感じた」という感覚に自信が持てない。自信が持てないから、相手の方が正しいような気がして自分で言いたいことを抑えてしまう*1。抑えてしまうといっても、別に意識して「自分の考えていることはおかしいな、今言うのはやめよう」と考えてるわけじゃない。無意識に抑えてしまっている。後になって「何か言いた
文化系トークラジオLifeがこの間「友達」をテーマにしたので(→http://www.tbsradio.jp/life/20070422/)、古谷実の『わにとかげぎす』について何かヒントをと思い、メールを送ってみました。 古谷実に特化した内容だったので読んでもらえるか心配でしたが、さすがはLife、読んでくれました!!以下に送信したメールの抜粋を。 僕は古谷実原理主義者と名乗りたくなるくらい、古谷作品に強く同調してしまうんですが、今回のテーマを聞いて、連載中の『わにとかげぎす』に触れないわけにはいかないと思いました。 古谷実は、『稲中』以来ずっと疎外感・孤独感との格闘を描き続けてきましたが、『ヒミズ』を経てついに『シガテラ』で「結局ひとりなんだ」ということを描いてしまったように思います。しかし『わにとかげぎす』は、またもう一度孤独から出発しています。これまでとは異なる孤独との付き合い方を模
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20070225/1172558970 これを読んで、月曜日にNHKのhttps://www.nhk.or.jp/radiodir/hot/hot.htmlでのハナシを思い出した。週間テーマが「どのくらい待てますか?」というもので、この日のゲストは精神科医の和田秀樹氏だった。 曰く、なぜ待てる人と待てない人がいるのか、それは自己愛の問題じゃないかという文脈の中でこんなハナシが出てきたのだ。 傷つけられて育ってきた人は、傷つくことに敏感ですし、そうじゃない人は、傷つくことに耐えられる。 子供から大人へと育っていく過程で、傷つくことが少なかった人は自己愛が満足しているわけですから、待たされたとしても自分をないがしろにされたような思いを抱かずにすむわけですね。 傷つけられて育った人は、傷つくことになれているだろうと思われがちですが
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