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重要に関するsetofuumiのブックマーク (46)

  • 大澤真幸萌え(おまえ): 今日の擬似モデル化:俺は日本人全体の問題にするよ!

    setofuumi
    setofuumi 2006/05/24
    排除すること
  • 「真面目さ」と右派的言説 - opeblo

    前回の記事のコメント欄。id:sean97さんのコメント。 「ゴー宣」読むのがインテリ、というのは、このレベルの学生ではまさにそうで、「漫画すら読まない学生」がほとんどだったりします。 「韓流」は何をもたらしたか?: 川瀬のみやこ物語 episode2 あと、ちょっと気になる傾向として、けっこう「勉強熱心」な学生が、「歴史の真実」というようなあおり文句に惹かれて、『マンガ嫌韓流』のようなを読むのではないか、という指摘がありました(でも「勉強熱心」と言ったって、あのマンガとかを読んで「目が開いた」と言っているレベルですから「もうちょっとお勉強してきてね」としか言えないのですが)。 ゴー宣や嫌韓流を読んで、目が開かれたと思ったり、知的優越感を感じたりするのは、確かになんだかなあと思うんだけど、僕も彼達を笑えないんだよね。僕も高校時代に落合信彦にはまっていた過去を持っているから。「狼たちへの伝

    「真面目さ」と右派的言説 - opeblo
    setofuumi
    setofuumi 2006/05/24
    ヒヨコの刷り込み問題
  • http://anotherorphan.com/2006/05/post_275.html

  • 分裂君勘違い劇場さんについて(2) - 視基aB

    分裂君勘違い劇場さんははてなダイアリーの方を更新停止?された後も、分裂勘違い君劇場管理人fromdusktildawnのコメントとして何か色々書いておられる。で、こっちの"コメント"が彼の言う新しいエンターテイメントであり、みんなの楽しさを優先した読み物なのか、それともベタに書いたものなのかはさっぱりわからない。内容は矛盾だらけなのでネタの続きなのかな、と、は思うのだが、全くエンターテイメント性は感じられないので、そういう文章しか書けない人なのかもしれない。そして相変わらず不快だ。 そもそも彼は何をもってネタをそれ以外のものと区別しているのかが不明で、たとえばこれ。 言葉が足りなかったですけど、要は、説得力と影響力と魅力を武器に反撃してくれって言いたかったんですよね。たとえば、コミュニケーションをウリにするする人が醜悪な理由、というエントリに、反感を覚えたら、毛繕いコミュニケーションとかを

    分裂君勘違い劇場さんについて(2) - 視基aB
    setofuumi
    setofuumi 2006/05/22
    読めてよかったと思った。
  • 脳内資格制度の廃止と規制緩和について - Mellow My Mind

    何かをしない、できないというときの理由に「自分にはその資格がない」と思い込んでいるというケースがよくあります。「自分には愛される資格がない」「幸せになる資格がない」とかね。よく考えるとこれはひじょうに奇妙な言い訳だということに気づきます。 もっともポピュラーな運転免許という資格に置き換えて考えてみるとよくわかる。免許がなければいっさい車の運転はできません。それは逆にいえばいっさい車の運転をしなくていいということでもあります。たとえば、坂道発進や縦列駐車は苦手だけど、見通しのいいなだらかな直線ならなんとか運転できる、といったような、具体的な実力は関係ないのです。免許がないうちは車の運転に関する実力は何も問われない。つまり資格がないと考えることで、実際の自分の実力から目をそむけて判断を保留できちゃうんですね。あまつさえ「当はやればできるし、自分自身もやりたいんだけど、資格がないから仕方ないん

    setofuumi
    setofuumi 2006/05/11
    良い。オッケー出す出さない問題の先
  • 理解出来ぬ作り、理屈抜きで怒り(回文) - Tres tristes tigres...

    東京都知事、現代美術を腹にすえかね 石原都知事を全面擁護するわけではないの… J0hn D0e の日誌 - 石原都知事の発言を批判している人は1500円払って展覧会を見ているのだろうか? 上がリベラシオン紙の記事の邦訳、下二つがそれに対する批判。 石原氏やリベラシオンの政治的意図みたいなものは興味はあるが、それよりも興味深かったのは、ブクマの反応など含めて如何に「芸術は一目で理解されるべきだ」という怪し気な主張が多くの人に共有されているか、ということ。 説明無しには何もわからない。美しくも無く、これという感興も呼び起こさないものは「コミュニケート」を拒絶している、もしくは「分かる人だけ分かればよい」という態度では、無いのと同じじゃないかという彼の不満として、私は理解しました(まあすべてに賛成はできませんけど) 石原都知事を全面擁護するわけではないの…より引用。 (留保しているがどれに賛成で

    setofuumi
    setofuumi 2006/05/10
    わかるわからないの話
  • また君か。@d.hatena - ラジオクリルタイ収録見学(続き)

    昨日のイベント(http://d.hatena.ne.jp/matakimika/20060506#p2)の続き。収録が終わって二次会以降に出た話や思ったことや感想等。後日の感想妄想も含む。時系列バラバラ。二次会はい放題飲み放題のお店で、三次会はカラオケボックス(歌わず延々喋るだべる)、四次会はそのまま朝まで居座る組、というかんじ。 はてな ID 所持者率が極めて高いイベント。まあはてな内で告知しているのだしあまりよそに拡大するほどのパワーがあるかんじでもないしというかんじか。 特定インターネット界隈ではわりかし著名なひとたちがけっこう居たらしい。あんまよくわからん。ネットの匿名性の陽の部分の理想の話だけを信じるならそうでもないともいえるのだが、こういったオフラインの場ではやはり、名のあるひとと実のある話をするためには自分が何者かである必要があるのだなと思った。けどまあべつにそういうこと

    また君か。@d.hatena - ラジオクリルタイ収録見学(続き)
  • 猿虎日記 - この人要らないんじゃないか

    喫茶店で大学生ぐらいの男女が話をしていた。なんかいつも立ち聞きをしているようだが、ついまたその一部が耳に入ってきてしまった。女性の方が、どこかの公共施設にスタッフが多すぎるのではないか、と感じた話をしていた。「無駄な人が多すぎると思う」というようなことを言っていた。そのようなことを誰かに言ったところ、「地域の雇用創出という意味では、そういう考え方は間違っている」とその誰かに諫められた、というような話もしていた。しかし、彼女は納得がいっていないようだった。「いつもあそこにいくと、あ、この人要らないじゃん、とか思うんだよね」と。 もちろん彼女は、「その人」が、単に「そこのスタッフとして」要らない、と言っているだけであって、「その人」の生存そのものを否定する意味でその言葉を使っているわけではない、のだろう。だから、彼女の言葉に反応してしまう、というのは、クビキリという言葉を使う人を見て、「『首を

    猿虎日記 - この人要らないんじゃないか
    setofuumi
    setofuumi 2006/05/06
    このひといらないについて
  • 「理解」するのも「興味を持つ」のも「参加」するのもヒマ人の娯楽 - kmizusawaの日記

    若者とデモの問題とか「プチ文盲」の話とか、気になっている話題はあるんだが…市民運動的なことを推進する人が敬遠されるのは、サヨク的なことがかっこ悪いとか怖いとか運動の重要性や主張の中身に疑問があるとかいうのもあるだろうけど、その人たちの「語彙」にも原因があるんじゃないかなあと思うことがある。そういう運動やってる人には当たり前の概念や知識が他の人には必ずしも共有されてないのに、共有されて(て)当然という前提で語っちゃうから、そこの時点で意味不明というか、偉そうというか…「難しいことはわからない」という言い方がある。この言葉はしばしば(文脈にもよるけど)「わかりたいとも思わない」という意味を含んで、相手がそれ以上そのことについて語るのをやめるように促したり、それを語り続ける相手を暗に非難する言葉だったりもする。なぜ「わかりたいとも思わない」のか? それは彼らがそう思いたくなるくらい常に「わかる」

    setofuumi
    setofuumi 2006/04/28
    とてもよい
  • 「コミュニケーション」への絶望 - Cube Lilac

    ひとまずお休みだお( ^ω^) :「コミュニケーション能力」って企業の捏造じゃね? ひとまずお休みだお( ^ω^) :非コミュや非モテを有難くも啓蒙して下さる人たちって 今日はこの辺りの話題.関係ないですが,この手の話題って盛り上がるんですね. 「コミュニケーション(意思疎通)」という言葉に「フツーに要領よく生きる」という意味だけを与えてるのっておかしくないですか? 「フツー力」が有用なのはともかく、それが少ない人はそんなに駄目人間ですか? じゃあ非コミュはどうやって生きていけとおっしゃるの? http://d.hatena.ne.jp/utsutsu/20060423 ``日人同士で意思疎通を図る(コミュニケーションをとる)''ということを考えた場合,日の伝統(そんな大げさな話でもないですが)などを考えると,それができる能力とは``相手の顔色を伺いながら角が立たないように会話を進める

    「コミュニケーション」への絶望 - Cube Lilac
    setofuumi
    setofuumi 2006/04/25
    必要な視点+kiyaさんの格差の話。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    2024/12/27 ベイスターズのドキュメンタリー映画「勝ち切る覚悟」を見た! シーズン終盤~日シリーズ優勝までの舞台裏を抑えたドキュメンタリーで、ベンチ裏での映像がメインとなっている。ナレーションは無く、説明がほとんど無いので「いつ何があったか」があらかじめわかって…

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    setofuumi
    setofuumi 2006/04/22
    その言葉は何なのかという視点。大事。
  • Something Orange - 本田透「萌える男」にかんする記事を読んでいろいろと考える

    「物語三昧」の田透「萌える男」にかんする記事を読んでいろいろと考える。 田透にかんしてはいつかまとまった量の記事を書こうと思っているんだけれど、こういう理路整然とした記事を読むと、なおさらその必要性を感じます。ぼくは田さんの論理展開にまったく賛同しないけれども、しかしかれの思想には無視できないものを感じているのです。 田さんの論理展開は、はっきりいって、でたらめです。宮沢賢治は「妹萌え」で詩を書いたとか、オタク恋愛ニートだとか、荒唐無稽としかいいようがない。 だから、その気になれば、かれの理論の間違いを箇条書きにして何十行もならべたてることもできるでしょう。しかし、いくらそうして 当の意味で田透を論破したことにはならないと思うんですね。 なぜなら、田さんの思想の質は、そのような枝葉末葉の部分(というにはあまりにも重要だけれど)にあるのではないから。 田さんの思想の根底に

    Something Orange - 本田透「萌える男」にかんする記事を読んでいろいろと考える
  • 非コミュ法 - 猿虎日記

    私は、「最初からだめだとあきらめちゃだめだ」「やってみないと、言ってみないとわからないじゃないか」「逃げちゃだめだ」「めんどくさがってちゃだめだ」というような類の説教をこれまで散々受けてきた、非コミュ非モテである。ところで、話し合いを犯罪にし、まさにコミュニケーションを否定する非コミュ法ともいえる、共謀罪。この共謀罪に反対するデモに、「デモなんて…」と言っている若者や、「最近の若者はデモもしない」と嘆いている老人たちの、ごくごく一部が、実際にデモに参加すれば、東京だけでも軽く万単位のデモが組織され、状況は変わるだろう。 まったく、デモなんかやっても意味ない、と、やる前から最初からあきらめている、とんだ非コミュ国民どもだ。めんどくさい、と言いながら、巨人戦の視聴率が落ちているこの野球斜陽時代でも、野球場にわざわざ足を運ぶ人々は毎晩何万人といるというのに(岸信介じゃないけど)。 こんなときこそ

    非コミュ法 - 猿虎日記
  • ドメインパーキング

    blogzine.jp

  • ぶつ切りになった社会 - 諸悪莫作

    教育法の改正について、様々な批判がなされている。それらの批判の多くは、やや乱暴に言ってしまえば、「愛国心や伝統といった恣意的な価値観を教育の主眼とすることは、民主制度の社会が多様な価値観によって担保されている事実から考えるならば、首肯することはできない」という、ごくごく当り前の前提に立っている。 ところで現在、成立が間近、もしくは今後審議入りする可能性があり、且つ、社会に対して重大な影響を与える可能性の高い法案は、教育法の改正だけにとどまらない。そして、それらの法案は、たとえば障害者自立支援法に代表されるように、それらを不正であると感じる人々が声の限りに抗議をおこなったとしても、そのような抗議は無いかのように(今国会では成立しなかったとしても、いずれは)成立する、現況はそのような流れにあると言ってもおそらく間違いではない*1。そしてそのような状況にある以上、なぜ、そういった抗議が(

    ぶつ切りになった社会 - 諸悪莫作
  • 不十分さについて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    昨日に続いてid:inumashさんの別記事へのコメント。 http://fragments.g.hatena.ne.jp/inumash/20060331#1143813245 より。 僕は単に「正義」や「倫理」をそれほど信用していないだけです。僕は精錬潔白な人間ではないし、悪意や負の感情を抱えている。で、それによって物事を見ること、表現する事の快楽も知っている。 それをクリアさせるのに、「倫理」や「正義」を語るだけでは不十分なのではないか、というのが僕の意見です。「悪意による快楽」に代わるインセンティブを、「倫理」や「正義」によって十分に担保することができるのでしょうか。残念ながら、僕はそうは思えないのですが。 僕はここでinumashさんが前提にしていることに反対しない。僕は正義や倫理を「それほど」信用していないし、それを語るだけで「不十分」だと思うし、悪意による快楽に代わるインセン

    不十分さについて - モジモジ君のブログ。みたいな。
    setofuumi
    setofuumi 2006/04/03
    俺はwebやってて良かったと思った。
  • Life is beautiful: 「なぜブログを書くの?」、「もちろん、あなたのためです」

    以前、私のブログのファンだと言う女性から、「中島さんはどうしてブログを書くのですか?」と真面目な顔で聞かれて困ったことがある。今考えてみれば、「もちろん、あなたのためです」とでも受け流しておけばが良かったのだろうが、そんな気の利いた答えをすぐに思いつくキムタクやサンマのような頭は持ち合わせていないので、「え?た、楽しいからかな…」などとだらしない返事をしてしまったのが今でも悔やまれる。 それ以来、「私がどうしてブログを書くのか」を簡潔に説明してくれる表現を探していたのだが、やっと良いものを見つけた。梅田卓夫氏の「文章表現400字からのレッスン」というの「よい文章」の定義である。 よい文章とは、 ①自分にしか書けないことを ②だれにでもわかるように書く ということを実現している文章。(中略)私たちは、日々人間として生きていますが、生きていることの喜びの根底にあるのは自分がこの世にかけがいの

    setofuumi
    setofuumi 2006/04/02
    ちょっと違うかもしれない。後で。
  • サヨナナ: その瞬間、同意を得たかっただけ

    その瞬間、同意を得たかっただけ 昔「その冒涜がいったいナンボのものなのか」ってエントリを書いて、「好きなものを汚されたとかいう冒涜程度でクリエイターを傷つけなくたっていいじゃん」みたいなことを書いて、追記で「良くなかった作品に対する評価の方法は黙殺でいいじゃないか」みたいなことを書いたことがあるのね。その時は当にそう思ってたし、今もそう思ってます。心無い酷評で純粋なクリエイターが傷ついて、世に出るはずだった作品が出てこなくなっちゃうのは勿体無いことだなぁ、と思います。 それとは別に、先日「俺は岡村靖幸の不在に喪失感をおぼえない」ってエントリで「世界には天文学クラスの物量の音楽があって、代えはいくらでもきく」とも書いたんですけど。相反してるようで俺の中にはちゃんとおさまってる理屈なんですけど。それを前提に。 ある日の深夜テレビ観てたら特撮モノの映画がやってて。ほとんどエンディングだったんだ

  • 「同調の穴」によって「批評すること」そのものが消え去るのかもしれない - シナトラ千代子

    こちらなどから。 ○音楽配信メモ クリエイターは「批評されること」そのものを問題にしているのではない (http://xtc.bz/index.php?ID=272) 一般的なクリエイター、というものは存在しない クリエイター(以下、作り手)は千差万別。 そんなの当たり前? そう。 ではなぜそれが問題に? 彼らは基的に個人でものを作るのであり、その心理的な過程にはさまざまな要素が組み合わさっています。そういった彼らに共通するキーワードを探す試み=一般化、という作業をほどこすのはムダ(無意味な手間)が多く、またその結果得られる作り手像もまたあいまいなものになりがちです。そういったあいまいなイメージをあえて作り、それを前提にすることがこの話(批評)の進展に貢献するとも思えません。 作り手という一般化した対象を想定する場合は、実際の作り手を想定するのではなく、「消費者(以下、受け手)にとっての

    「同調の穴」によって「批評すること」そのものが消え去るのかもしれない - シナトラ千代子
    setofuumi
    setofuumi 2006/03/30
    素敵だ。
  • 絶叫機械+絶望中止 - パチスロを純粋ギャンブル装置にしたらあの子どんな顔するだろう。

    町を歩いていると、パチスロの派手な看板が目に入り、派手な音楽と効果音、そして射幸心を煽るアナウンスが聞こえてくることがありますね。 あれが不愉快で仕方ない。 口を開けてボリボリせんべいかじる音や、ズルズルとトコロテンをすするような音、ストローから口を離すときのチュポンという音や、ジュースを飲んだあとの「プハーッ」というため息などと同じくらい、聞かせてほしくない音だと感じます。 なぜなら、私がその渦中にいたとしたら、あれほど心地良い音はないと知っているからです。人にとって心地良い音ほど、その快楽を共有していない他人にとって不愉快なものはないんですよ。 ところがね、じっさいにパチスロにはまっている知人に聞くと、あんな光や音は好きではないのだと言うわけです。パチスロというものは、当たる台を見つけて的確なタイミングでボタンを押すのが楽しいのだそうで。 ええ、その通り、ギャンブルは楽しい、煙草一

    絶叫機械+絶望中止 - パチスロを純粋ギャンブル装置にしたらあの子どんな顔するだろう。
    setofuumi
    setofuumi 2006/03/24
    思考実験的