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原子力発電はもうなくそう 311が起こる前までは考えもしなかったこと。そもそも電気が何で作られているか確認することもなかった私。でも、電磁波のこととかを数年前から気にするようになっていて、電気よりは火がいいなあ、という生活スタイルになっていた。IHよりはガスコンロ、ファンヒーターよりは薪ストーブが理想だ。 電子レンジは数年前に手放したし冷蔵庫はかろうじてあるけど、割といつも空っぽに近い。夏の氷とアイスクリーム以外なくて困るものはあまりなくて、結構地味な生活をしているから、電気がなくてもあまり困らない私は危険な原発はいらないと思っている。 明らかにお金儲けのためな政策は無関心を装っている場合ではないと思う。 もっともっとみんなが声をあげなきゃいけない問題。 電気を引き換えに手に入る暮らしは便利さ。 昔ながらの電気をあまり使わない暮らしで手に入るのは、よく動く手と工夫したり、考える力だと思って
この頃から、村では「早く帰村して生活を取り戻そう」という人たちと「今のままの避難生活をなるべく長く続けたい」という人たちの対立がはっきりしてきた。 避難先の郡山市より、川内村の中心部はずっと線量が低い。特に役場周辺、小学校のあたりはほとんどなんでもないレベルで、都内とあまり変わらない。 村は広いので、かなり汚染されたエリアもあるが、浪江町や飯舘村のように村が壊滅的に汚染されたわけではない。 多くの人たちは避難先の郡山より川内村の自宅のほうが線量が低いことも知っていた。だから、「いつまでもこんなところにいることはない。早く帰ろう」と思うのは当然だ。 しかし、「避難を続けたい」派のほうが数は多かった。 理由は賠償金。避難している期間はひとり毎月10万円の「精神的賠償金」が支払われる。それは基礎年金みたいなもので、その他に就業補償やら農地の賠償やら避難に関わるもろもろの費用(交通費から避難生活の
オートバイに限らずだけど、ひとりでやる作業は、どんなものでも孤独です。でも特に、オートバイは原則として一人で乗るものだし、原則として人とお話しながら走ることはありません(タンデムという選択肢もあるし、最近のトライアル選手権では会話しながら競技をするし、あるいは無線とかもあるけど、そんなことを考えていると話が進まないので、知らなかったことにします)。しかしふと考えてみると、世の中、そんなふうな自己責任の世界は、どんどん少なくなっている気がします。 多くのひとにとってはもうすっかり過去のことになっているかもしれないけど、ぼくんちの25km先にある福島第一原発は、まだぶっこわれたまんまで、多くの危険をはらんだまま作業がおこなわれています(今やっている作業は廃炉作業でも復旧作業でもないと思います。ではなんなんだろう。もがき、じゃないかと思います)。作業は大なり小なり放射線量の高いところで行われて、
8月14日水曜日午後1時。盆野球の決勝が終わってすぐ、ベースボールフェスタin福島が開催されました。場所は盆野球と同じく総合グラウンド。野球三昧の川内村の夏。熱いです。 フェスタに来てくれたのは山本浩二監督(元広島東洋カープ)をはじめ、高木晃次投手(元千葉ロッテマリーンズ)、野口茂樹投手(元中日ドラゴンズ)、杉山直久投手(元阪神タイガース)、大久保勝信投手(元オリックスバッファローズ)、市川和正捕手(元横浜ベイスターズ)、大野隆治捕手(元福岡ソフトバンクホークス)、佐々木信行捕手(元東北楽天ゴールデンイーグルス)、苫篠賢治内野手(元ヤクルトスワローズ)、鈴木健内野手(元西武ライオンズ)、吉村禎章外野手(元読売ジャイアンツ)、亀山努外野手(元阪神タイガース)、鈴木尚典外野手(元横浜ベイスターズ)。さらに女子野球日本代表の志村亜貴子主将、西朝美選手、新井純子選手、吉井萌美選手の4名が加わるとい
2013年3月10日の福島第一原発。西方13km地点より。こちらで大きな画像も見られます。5号機6号機も見えてます。 東日本大震災の時から2年が経ちました。 去年の3月11日は、全日本選手権開幕戦で茨城県の真壁にいました。 今年はそれがなくて、村にいました。去年、311のメモリアルデーに村にいられないのはつまんないな、と思っていたのだけど、いざその日に村にいると、村はあまりにもいつもと変わらない、なんでもない1日がすぎていくのでした。 考えてみると、ぼくらにとって311は、ちょっと大きな地震が来た日で、それ以上でもそれ以下でもありません。よその地域のことを思うと軽はずみなことは言えないけど、ぼくらの村では誰一人亡くなった人はいなかった。浜の町に仕事へ行ってる人は多かったけど、そういうみんなも無事だった。崩れた本棚をいつなおそうか、今日は余震が激しいから、しばらく放置しておくかと考えなが
「避難先が便利」 川内村の住民、帰村足踏み 福島県川内村の避難者が暮らす郡山市の仮設住宅。周辺には店や娯楽施設、病院が充実し、都市生活の利便性に富んでいる 福島第1原発事故で全村避難した福島県川内村の住民の帰村が足踏みしている。一部を除いて避難区域指定が解けて帰宅可能になったが、帰村率は8日現在12.6%にとどまり、多くの村民は郡山市など都市機能の充実する自治体で避難生活を続ける。「スーパーや病院が近くて便利。元の生活に戻れない」。都市生活の利便性に慣れた村民心理が帰村の進まない一因になっている。 主婦遠藤和泉さん(27)は夫(27)、長男(6)、長女(1)と川内村から避難し、郡山市の仮設住宅で暮らす。「郡山市は店が多くあり、買い物に不自由しない。娯楽施設もあって楽しめる」と話す。 ◎ 郡山で進学 村にはスーパーや大型店がなく、原発事故前は車で20~30分かけて隣の富岡町に買い物に出掛
「原発事故学ぶ拠点に」福島・川内の西巻さん、資料館を開設 開設した「知ろう館」で展示品の本を読む西巻さん 福島第1原発事故で避難区域だった福島県川内村の雑誌編集者西巻裕さん(55)が原発事故資料館を村内の旧小学校に開いた。館名は「感がえる知ろう館」で、目に見えない放射能を実感して事故を考えてもらいたい気持ちを込めた。地域の協力と来館者の支援金で運営し、原発事故を学ぶ拠点にする。 知ろう館は2004年に閉校した同村高田島地区の川内三小の音楽室を利用した。館名は村がモリアオガエルの生息地として知られることにもちなんでいる。 約50平方メートルの部屋に事故後の村と避難所の写真、関連書籍、事故処理作業員の防護服やマスク、線量計を展示している。作業員が事故直後に原発構内で支給されたレトルト食品もある。 展示品は西巻さんが集めたほか、村内外の友人が提供してくれた。徐々に増やす考えで、遠藤雄幸村長
手づくりの丸太小屋に住み、エコでエコな山暮らしやログスクール、セルフビルド支援、災害ボランティアなどのノウハウや情報を発信しています。 福島県川内村に来ています。有名な帰村宣言をしたところです。 ここでボクのログスクールの生徒さんが、ログハウスをセルフビルドされていたのですが、原発事故で1年半ほど放置することになってしまいました。 立入制限(緊急時避難区域)も解除されたので、引き続き完成させたいという相談があり、仲間を募って、半分ボランティアで支援することになりました。 この状態まで積んでありました。 2段半です。塗料も薄れていて、表面は細かいヒビが入ってます。 まずは、周辺の片付けと、女装です。いや除草です。 基礎のレベル(最下段ログの長手方向)を確認しましたが、ほとんど狂っていませんでしたね。 ただ、ハーフログの底面はネジレや膨らみがあり、高さ計測用のトンボベースを水平に取り付けること
東京電力福島第1原発から約20キロ離れた福島県川内村に生息するミミズから、1キロあたり約2万ベクレルの放射性セシウムが検出されたことが、森林総合研究所(茨城県)の長谷川元洋主任研究員(土壌動物学)らの調査で分かった。ミミズは多くの野生動物が餌にしている。食物連鎖で他の生物の体内に次々と蓄積していく現象が起きている可能性も懸念される。3月17日から大津市で開かれる日本生態学会で発表する。 昨年8月下旬~9月下旬、一部が警戒区域に指定された川内村、同県大玉村(同原発から60キロ)と只見町(同150キロ)の3町村の国有林で、40~100匹のミミズを採取した。 その結果、川内村のミミズから1キロあたり約2万ベクレルの放射性セシウムが検出された。大玉村では同約1000ベクレル、只見町で同約290ベクレルだった。調査時の川内村の空間線量は毎時3.11マイクロシーベルト、大玉村で同0.33マイクロシーベ
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