津波に襲われた常磐山元自動車学校(左奥)。余震による津波に警戒しながら、消防隊員らが行方不明者を捜していた=宮城県山元町で2011年3月14日、丸山博撮影 宮城県山元町の常磐山元自動車学校は、送迎のワゴン車など7台のうち5台が津波にのまれ、10代の教習生25人が死亡した。防災無線が大津波警報を告げ、避難を呼びかけていたにもかかわらず、学校が送迎車を出発させたのは地震から40分余りたってから。しかも、車は通常の送迎ルートをたどった。遺族は「対応の遅れと不適切さが最悪の事態を招いた」と指摘、裁判で責任を追及する構えだ。【鈴木美穂】 ■騒 然 「先生、早く(車を)出して!」「やばい」。3月11日午後3時半すぎ、教官の運転で自動車学校を出たワゴン車が国道6号交差点に差し掛かった時、車内は騒然となった。3人の教習生と乗り合わせていた山元町の川越美幸さん(19)が振り返ると、黒い波が迫っていた。しかし