前回 その後、帰国して、構造主義なるものがそういう名前を持ち始めると、ちょっとだけ時の人となったようで、新聞や雑誌にその紹介記事やエッセー的なものを書いていた時期もあったようだ。でも、小学校、中学校、そして高校時代ごろまで、私から見ると父はいつも寝ていた人であった。活動時間帯が夜中から明け方にかけてだったこともあり、とにかく「いつも寝ているなぁ」という感じだった。 ただし、いま私自身が研究者になって思うのは、「あとに残る仕事」を選んで、そうでないだろう仕事を回避し、ひょっとすると軽蔑していたことが、「いつも寝ている」ことを可能にしたのだろうということだ。元同僚で友人でもある中条忍さんが弔辞でも触れてくださったように、父はGrande Idee と Petite Idee を峻別し、後者には与しないことはもちろん、それを軽蔑し、関わらないようにしていた。これは私も子どもながらに感じていて、父
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