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文学に関するyanozのブックマーク (73)

  • 露呈 | ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

    【露呈】 露呈によってさらされる対象とは個物ではないのではないか。宝箱のなかのふしぎな石のようなものをまずかんがえ、その列にたとえばポルノグラフィにおける性器などもくわえる経緯をおもえばいい。なんらかの偶然作用のもと、物理的に開陳されるそれらは、隠されていたものが顕わになったその瞬間に、「興味」や「欲望」の質として、退屈さの相貌をおびてしまうはずだ。 むしろ露呈されるものは、いつでも、うごいている現前ではないか。もっというと、うごいているから、とらえがたい変化の無限連鎖。つまり露呈を視る者が露呈によってつかまされるのは、対象把捉の不可能性というべきものなのだ。それは刻々脈動しながら、それじたいの同定性をべつのものに更新しかえる、深度すら測ることのできない表情ともよべる。「個物の存在」と「個物の表情」には決定的な離反があると銘記すべきだろう。 これらのことは、成瀬映画のヒロインの類型をおも

  • 作家別作品リスト:李 箱

    公開中の作品 AU MAGASIN DE NOUVEAUTES (新字旧仮名、作品ID:53717) BOITEUX ・ BOITEUSE (新字新仮名、作品ID:53691) LE URINE (新字旧仮名、作品ID:53692) ▽ノ遊戯―― △ハ俺ノ AMOUREUSE デアル(新字旧仮名、作品ID:53693) 朝 (新字旧仮名、作品ID:53782) 異常ナ可逆反応 (新字旧仮名、作品ID:53694) 運動 (新字旧仮名、作品ID:53695) 街衢ノ寒サ ――一九三三 二月十七日ノ室内ノコト――(新字旧仮名、作品ID:53783) 悔恨ノ章 (新字新仮名、作品ID:53794) 顔 (新字旧仮名、作品ID:53696) 狂女の告白 (新字旧仮名、作品ID:53698) 距離 (女去りし場合)(新字旧仮名、作品ID:53784) 空腹―― (新字旧仮名、作品ID:53700)

  • 如何にして私は性同一性障害のフリをして会社で働いたか - Kiishi Gaku

    ここに書く話が、果たして誰かに伝わるだろうか、とも思うのだけど、ふと数年前の出来事を思い出したのでここにしたためる。 ヴィンチェンゾ・ナタリの映画『Cube』では、立方体に閉じ込められた男女が罠を避けながら脱出を試みるが、一人が「これは国のしわざだ」といい、別のひとりが「国がこんなことをするわけないじゃないか」と笑う。

    如何にして私は性同一性障害のフリをして会社で働いたか - Kiishi Gaku
  • 天才は天才をどう見ていたのか? 『百年の孤独』の作者ガルシア=マルケスを安部公房が語る 「一世紀に一人、二人というレベルの作家」(Book Bang) - Yahoo!ニュース

    「文庫化されると世界が滅びる」と噂され、発売後も話題騒然の『百年の孤独』。作者は魔術的リアリズムの旗手として数々の作家に多大な影響を与えたガルシア=マルケスだ。 そのマルケスと『百年の孤独』について、日のみならず海外でも高く評価される作家・安部公房が語った貴重な談話がある。1982年、ノーベル文学賞を受賞したマルケスを、日文学史に輝く天才作家は、どうみていたのか? 安部公房生誕100年を記念して、新潮社から8月28日に刊行される『死に急ぐ鯨たち・もぐら日記』に収録されたその談話「地球儀に住むガルシア・マルケス」を全文公開する。 *** マルケスについて、すでにノーベル賞を受けてしまった今となっては、あらためて僕がなにか言う必要もないような気もするけど。これまでたまっていた言いたいことを一応棚ざらいするくらいのつもりで……。ところで、どういうふうに話をもっていったらいいのかな。皆さんがマ

    天才は天才をどう見ていたのか? 『百年の孤独』の作者ガルシア=マルケスを安部公房が語る 「一世紀に一人、二人というレベルの作家」(Book Bang) - Yahoo!ニュース
  • 水曜日 東アジア 日本  〈1号〉 - 株式会社 風響社

  • diatxt. 連載 #1

     美術というものの質について diatxt. 連載: アート・カウンターパンチ #1 diatxt. number 09 (京都デザインセンター, 2003/04) pp. 156-159 山形浩生 もう一年半もまえになるのか。仕事でオーストラリアにでかけたとき、ちょうど友人のパトリシア・ピッチニーニの個展オープニングがあったので、そっちにも顔を出してきたのだった。 その個展自体は、とってもおもしろいものだった。彼女が昔から作っている、カーナゲットのシリーズの展覧会だ。車を見て、こう、早そうだな、という感じがするものがあるでしょう。あの独特のクローム塗装とか。必要以上の流線型フォルムとか。ボンネットの筋とか。彼女はそういう形や特色を、こんなゴロッとした丸いフォルムに凝縮していた。チキンナゲットが、チキンのいわばべ物としての「質」だけをとってきて固めたように、カーナゲットは車の「速さ

  • し|しナ(シ也、シミ、ムし)|江永泉

    おオつてばみ記は解じぶんニキ手だからねソン割たをも意したドかった かのニ漬かっまモーくしたた呼んだッタかよ琴似いたかじょスシかりゆダンかカムかむ池ってじぶん野中割ってんウも霊レな 白て仮名てかかか手ちソかの玉ようめみ ひらて野中おさえつるく霊る 誰おかもいダしこ ダめかみおをさえつけいてって遅たっかるくしうもばらしくたらもかし なれいなったいしてろいかひオらいたて マいろさん叙ッツ園がいないけテ露いぷずか石いだらわり 野中ずむみシュスこ甥よーく霊ふちるドす路とてる負荷ておゆナウズまた 生キ男らて玉ろいだりまセイからたみ頭さがイよう白かがらいてア綿棒がねちッタあしボう漬かしひらて切ルいなも水そこないどズンるうおショ夏 池るゆやかずまうくろ ドいちさなひらいさんたウよいさくゆめらてい眼がねりぎチッとたふ れーミむなこそえみないいどしずんいでた野な 積もけそズなるヲおたんけキキおっちて意おいずン

    し|しナ(シ也、シミ、ムし)|江永泉
  • What the New York Times Missed: 71 More of the Best Books of the 21st Century

    Susanna Clarke, Jonathan Strange & Mr. Norrell (2004) I should not have been surprised that the NYT list skewed heavily away from genre fiction—but missing Susanna Clarke’s world-changing doorstopper of a debut is a particular head-scratcher. On paper, the book still seems daunting in an almost comical way: a Regency-era epic (with footnotes and extensive digressions on philosophy, magic, politics

    What the New York Times Missed: 71 More of the Best Books of the 21st Century
  • 表現について、【小説的思考塾vol.17+山本浩貴】の発言の補足や訂正…… - 保坂和志official web site

    このあいだの対談で、私は山浩貴が考えている「表現」について大きな捉えそこないをしていた。どうしてそういうことになったのか、、、「表現」について、捉えそこなったところでの考えもまた面白いから、空間を共有して、一定の時間を使って喋るのを聞いていると方向を見失うのだが(人が喋り、それを聞く時間が0秒でない、というのは、コンサートや演芸的に気持ちが誘導されるから、それを聞きつつ考えることの障害にもなる)、 山浩貴の「言葉による表現」が当に必要なのか否か、という問いは、言葉で人が戦場に駆られたり、SNSで傷ついて自殺したりするようは話ではない、それは時代(社会)の方向性に言葉が同調した結果の現象だから表現としての価値はない。言葉(表現)はそれに対峙するものでなければならないーーそこは「なければならない」と、私らしくもなく、強い気持ちで言わなければならない。 今も書いているうちにまたわからなくな

    表現について、【小説的思考塾vol.17+山本浩貴】の発言の補足や訂正…… - 保坂和志official web site
  • なぜ『文体の舵をとれ』は創作者にとって特別な指南書なのか?

    『闇の左手』『ゲド戦記』などの作品で知られる小説家、アーシュラ・K・ル=グウィンの創作指南書『文体の舵をとれ』は2021年の邦訳刊行直後から「文舵ぶんかじ」という愛称で呼ばれ、創作者の間で大きな話題となりました。書収録の練習問題に対する解答(作品)を「#文舵練習問題」というハッシュタグでSNS上に投稿するというムーブメントが発生し、創作者がオンライン上で集い合評会を行うという動きもありました。 今回は文芸サークル「サ!脳連接派」を主宰し、二度にわたり「文舵合評会」を運営した経験をもつ大戸又さんと、その合評会に参加し「竜と沈黙する銀河」で第14回創元SF短編賞を受賞しデビューした阿部登龍さんのお二人に、創作者目線で『文体の舵をとれ』について語っていただきます。 また、書の翻訳を担当した大久保ゆうさんには、作家アーシュラ・K・ル゠グウィンについて、そしてアメリカにおける創作教育歴史につい

    なぜ『文体の舵をとれ』は創作者にとって特別な指南書なのか?
    yanoz
    yanoz 2024/07/05
    “文体の舵をとれ”
  • 「百年の孤独」の後、逆張りしたい奴が読むべきラテンアメリカ文学6選

    「百年の孤独」読んだ後にこれを読むべきってネット記事が書かれ始めていて面白い。こういうの好きで、色々なジャンルでこの類の記事を読んで探求してる。だけど時々「いや確かに自分は素人なんすけど、もっと段階踏んだ後に読むべき、玄人向けのやつも読んで背伸びしたいんすよ!」と思う時がある。多分、そういうやつここにもいるだろ?そういう同類に捧ぐ。 エドゥムンド・パス・ソルダン/ 服部綾乃&石川隆介「チューリングの妄想」(ボリビア) 今、ボリビア、クーデター未遂があったとかで混乱してるらしいけど、そんな国を描いたテクノスリラー小説がこれ。“チューリング”ってある通り暗号やらインターネットやらサイバー犯罪やら色々先端技術出てきて、いわゆる魔術的リアリズムとかそういうの全然ない。つーか作者自身、ラテンアメリカ文学といえば魔術的リアリズムとかざけんなや!とか思ってこれ書いたとか書いてないとか。クソ分厚いけどオモ

    「百年の孤独」の後、逆張りしたい奴が読むべきラテンアメリカ文学6選
  • チヌア・アチェベ - Wikipedia

    チヌア・アチェベ(Chinua Achebe、アルバート・チヌアルモグ・アチェベ、Albert Chinụalụmọgụ Achebe、1930年11月16日 - 2013年3月21日)は、ナイジェリア出身のイボ人の小説家、詩人、批評家。アフリカに多い口承文学を題材にした小説を描く。 アチェベは1976年以降のアナンブラ州にあたる地域の町オギディで生まれた。そして当時ロンドン大学のカレッジであった現在のイバダン大学で、英語と、歴史、神学を学んだ。BBCで放送について学んだ後、1961年にナイジェリア放送の最初の海外放送部ディレクターになる。ビアフラ戦争時にはビアフラ共和国の大使を務めた。この時の経験から「難民の母と子」と題した詩を書いた。 アチェベは英語でのアフリカ文学の父と考えられている作家であり、世界的に賞賛される作家の一人でもある。1958年に発表した『崩れゆく絆(英語版)』は世界で

    チヌア・アチェベ - Wikipedia
    yanoz
    yanoz 2024/07/03
  • https://www.jstage.jst.go.jp/article/dokubun1947/72/0/72_0_11/_pdf/-char/ja

  • 第48回すばる文学賞・受賞者インタビュー 樋口六華 | 集英社の月刊文芸誌「すばる」

    「もう死んでやるとか、小学生のときはマジで思ってました。いろいろな意味で生きていくのが苦しくて、とにかく家族の圧をすごく感じて。中学受験にも失敗しました。だからいつも怒りのような感情が心にありました。中学生のころからそれを吐き出すための言葉をときどき携帯のメモ機能に入れていたんですが、ある日その〝怒り100%のメモ〟を見返したら、すごく短絡的で稚拙に思えて、こんな感情をもっとうまく表現できないかな、と考えて辿り着いたのが小説で表現することでした」 樋口さんは二〇〇七年生れの現在十七歳、『泡の子』は初めて書いた小説です。 「怒りのメモ以外に、何かを思いつくたびに携帯のメモ機能に〝表現の断片〟として残してきました。それがたくさんたまって──三〇〇以上かな──テーマもトー横に絞られてきたので、断片と断片をくっつけて、不必要なところは省いて、いろいろな結末に向かっていたものをまとめていったら、最終

    第48回すばる文学賞・受賞者インタビュー 樋口六華 | 集英社の月刊文芸誌「すばる」
    yanoz
    yanoz 2024/05/24
    “第47回すばる文学賞・受賞者インタビュー 大田ステファニー歓人”
  • アフリカ文学 - Wikipedia

    アフリカ文学(アフリカぶんがく)は、文学におけるカテゴリーの一つで、アフリカ発祥の文学を指す。アフリカには56の国・地域[注釈 1][1][2]と2000以上ともいわれる言語があり、各地の民族語に加えてアラビア語、英語、フランス語、ポルトガル語などで作品が発表されている。口伝による口承文芸から、出版物として世界的に読まれる作品まで存在する。 歴史的には、古代エジプトからの文学作品があり、イスラームの伝播にともないアラビア語の文学が書かれるようになった。19世紀にはヨーロッパ諸国による植民地化が進み、宗主国からヨーロッパ諸語が流入した。20世紀初頭から国を超えて黒人が協力する運動が始まり、1930年代のネグリチュード運動を経て、1950年代には植民地主義への対抗や伝統的文化の価値が描かれた[3]。独立が相次いだ1960年代には独立以降の問題が書かれ、1970年代には社会批判とともに詩や演劇の

  • 2023年8月25日、国際ドストエフスキー協会新会長ステファノ・アローエによる総会開会の辞(於・名古屋外国語大学)

    2023年8月25日、国際ドストエフスキー協会新会長ステファノ・アローエによる総会開会の辞(於・名古屋外国語大学) イタリアのヴェローナ大学のドストエフスキー研究者であるステファノ・アローエ氏は、2023年8月25日に名古屋で行われた国際ドストエフスキー協会シンポジウムの総会で、会長に就任した。前会長のキャロル・アポローニオ氏から引き継いで就任した際のスピーチが、国際ドストエフスキー協会の雑誌であるDostoevsky studiesに掲載されている。ロシア語原文はこちら。 https://dostoevsky-studies.dlls.univr.it/article/view/1486?fbclid=IwAR31xZnU6Cc9pUgXyRjobjonHLC-UD-tOlGRrzTOvX9tdK6PY5fKkYuxQGo アローエ氏のスピーチ動画はこちら(撮影:私)。 Yuri Cor

  • ニーズのゆくえ : 田辺聖子「ジョゼと虎と魚たち」をめぐるケアの倫理/読みの倫理

    田辺聖子の短篇「ジョゼと虎と魚たち」(一九八四)を取り上げ、主人公の女性障害者ジョゼのニーズのあり方について、障害学とジェンダー研究の観点から改めて分析を行った。それにより、結末で死と等価物として映し出されるジョゼの「幸福」にディスアビリティとジェンダーによって拘束された彼女のニーズの閉塞状況を読み解き、それが一九八〇年代の女性障害者の多くに課せられた閉塞状況そのものであることを指摘した。その上で、さらにそのように読み取ることそれ自体に、現代リベラリズムに抗する読者によるケアの倫理/読みの倫理の契機を見出し、文学テクストの表象分析とケアの倫理との接続を試みた。

  • あいまいなチェコの小説家──ミラン・クンデラのコンテクスト|須藤輝彦

    チェコ・中欧文学の研究者で、現在プラハに滞在中の須藤輝彦さんによる特別寄稿をお届けします。文校了後の昨年12月21日、プラハにあるカレル大学が銃撃され、14人の方が亡くなるという痛ましい事件がありました。記事の末尾には、事件に関してご執筆いただいた追記も掲載しております。どうぞあわせてお読みください。(編集部) 現代チェコを代表する小説家。 自分が専門とする作家をひとことで説明するとき、僕はたいていそう言っている。これまでもそうだったし、これからも多分そうだろう。現代という言葉が20世紀後半を含んでいるかぎり。 その作家とは、昨年の7月11日に94歳で亡くなり話題となったミラン・クンデラだ。代表作は『存在の耐えられない軽さ』。ある意味でキャッチー、ある意味で中二病的、いずれにせよ多くの意味で読み手を選ぶこのタイトルを聞いたことがある方も多いのではないだろうか。 冷戦期に起きた民主化運動

    あいまいなチェコの小説家──ミラン・クンデラのコンテクスト|須藤輝彦
    yanoz
    yanoz 2024/02/03
  • 東京に住んでいない俺がどこで文化を享受しているか

    これはいま、おれの中にひとつわりと明確な答えがあって、それは "スーパーセンタートライアルに向かう途中の田んぼ道"です おれの住んでる田舎は、市の人口5万人とかなんで、かなりザコいんだけど、24時間営業のスーパーセンタートライアルを抱えている そんで俺はそっからチャリで5分程度のとこに住んでいる そうすっと、夜10時からでも、思い立ったらチャリに乗って、でけえスーパーで買い物ができるわけですよ まずこれはひとつの文化と言って良い スーパー って博物館だからさあ! そんで、そこまで行く途中の道、これもまたいいわけ 中規模の川が近くにあるから、いまの季節、サワガニが地面を這い回っているんですよ まず、玄関からチャリまで歩く過程で、スマホのライトに照らされて、聞き取れるくらいデカい足音を立ててカニが逃げる、おれはウオっと思ってちょっとのけぞる、こういう体験が、よくわかんねえけど、ひとつの原体

    東京に住んでいない俺がどこで文化を享受しているか
  • 魚藍 | daily-sumus2

    吉岡実『魚藍』(深夜叢書社、一九七三年八月二八日、装幀=橋真理、限定八百部)を頂戴した。深謝です。吉岡による「後書」にいわく 《神田の珈琲ハウスで、私は斎藤慎爾と会った。二、三回目であったが、独りで深夜叢書社をやっているこの青年(彼のみでなくそのような人たち)に、私はいつも畏敬の念を持っている。長い雑談のあと、《魚藍》を出版したいといわれ、私は当惑した。 いまさら一冊のにするようなものではないと思ったからだ。しかし彼は執心し、そして同席していた橋真理が装幀・造を引受け、二人で美しいをつくるからと云った。「すきなようにしてくれ」ーー私はすこしもタッチしないことにした。だから、これは二人がつくってくれたものである。》

    魚藍 | daily-sumus2