A.実存主義・幸福主義・精神分析
道徳を主題とした『実践理性批判』は、人間の他者とのかかわりを問う中に、自由と倫理、選択と責任という問題を超越論的に解き明かす試みだった。そこから結局は「個人主義」あるいは個人の決断が肝心、といったような主体主義・実存主義が出てきたとすれば、それはカントの勝手な誤読、あるいは主体と構造という従来の構図を読み直しただけのものである、と柄谷は言う。すべては因果のなかに収まっているという決定論を否定したくて決断する主体をもってきても、それはある理論を括弧に入れることなしには成立せず、しかもどこかで括弧を外すことをしなければ、倫理も構造も成立しない。カントはそう読むべきだと。
「カントの倫理性は、道徳論においてのみ見てはならない。理論的であることと同時に実践的であること、この超越論的な態度そのものが倫理的なのだ。われわれは、ここで、戦後のフランスで生じた実存主義、構造主義、ポスト構造主義という変遷を別の観点から見てみよう。たとえば、実存主義者(サルトル)は、人間が構造論的に限定されていることを認めながら、なお、自由があることを主張した。それはある意味で「実践的」観点である。一方、構造主義者が主体を疑いそれを構造の「効果」(結果)として見たとき、「理論的」な態度をとったのである。彼らがスピノザに遡行したのは無理もない。先に述べたように、カントの第三アンチノミーにおける正命題は、スピノザの考え――すべてが原因によって決定されており、人が自由だと思うのは、原因があまりに複雑であるからだ――に帰着する。そうした自然必然性を超える自由意志や人格神は想像物であり、それこそ自然的、社会的に規定されている。ただし、その原因はけっして単純ではない。そこではしばしば原因は結果によって遡及的に構成されている。アルチュセールがスピノザに関して「構造論的因果性」と呼んだものも、あるいは「重層的決定」(overdetermination)と呼んだものも、広い意味で決定論である。
だが、このような考えに驚くべきではない。それは一つの括弧入れによって生じる「理論的」立場に固有のものである。実存主義と構造主義、あるいは主体と構造というかたちで問われた問題は、すこしも新しくない。それはカントが第三アンチノミーとして語った事柄の変奏にすぎない。構造主義的な視点に対して、主体を強調すること、あるいはそこに主体を見いだそうとすることは無意味である。なぜなら、それを括弧に入れることによってのみ、構造論的決定論が見出されるのだから。逆に、構造論的な決定を括弧に入れた時点で、はじめて主体と責任の次元が出現する。ポスト構造主義者が道徳性を再導入しようとしたのは、当然である。しかし、それが何か新たな思想でもあるわけではない。実存主義、構造主義、ポスト構造主義という通時的過程に眼を奪われている者は、それが理論的な態度と実践的な態度の交替にすぎないことを見落とす。カントが明らかにしたのは、この二つの姿勢を同時にもたねばならないということである。わかりやすくいえば、われわれは括弧に入れると同時に、括弧を外すことを知っていなければならないのだ。
カントが『実践理性批判』で最も批判したのは、「幸福主義」(功利主義)である。彼が幸福主義を斥けるのは、幸福がフィジカルな原因に左右されるからだ。つまり、それは他律的だからだ。その意味で、自由はメタフィジカルであり、カントが目指す形而上学の再建とはそのこと以外にない。しかし、カントが他律的と見なしたのは、幸福主義だけではない。たとえば、ヘーゲルは、カントが当時支配的であった幸福主義を批判したことを先ず評価し、だが彼が個人主義にとどまったことを批判している(『小論理学』)。しかし、当時支配的だったのはむしろ、家族、共同体、教会などが強いる習慣的な道徳であり、イギリス由来の幸福主義(個人主義)はむしろそれを破壊するものとして攻撃されていたのである。ヘーゲルは、カントの幸福主義批判を認め、さらに客観的道徳(人倫)の優位を説くことによってカントを批判した。それは、家族、共同体、国家を回復することである。むしろ、その意味でなら、カントは経験論的な「幸福主義」をあえて支持するだろう。だが、幸福主義から普遍的な道徳法則を導くことはできない。
われわれは幸福の原理を、確かに格率たらしめることができる。しかし我々が普遍的幸福を我々の〔意志の〕対象とする場合でも、幸福の原理を意志の法則として使用に堪えるような格率たらしめることはできない。幸福の認識は、まったく経験的事実にもとづくものであり、また幸福に関する判断は各人の臆見に左右され、そのうえこの臆見なるものが、また極めて変わり易いものだからである。それだから幸福の原理は、なるほど一般的な規則を与えることはできるが、しかし普遍的規則を与えることはできない。(『実践理性批判』同前)
この一般性と普遍性の違いに注目すべきである。カントは道徳法則を、現に存するさまざまな道徳から抽出したのではない。確かに彼は道徳を形式化したが、それは一般的なものを取り出すためではない。彼の考えでは、道徳的領域は「自由であれ」という命令(義務)において存する。道徳法則は、自由であれということ、同時に、他者をも自由として扱えということにつきる。先に述べたように、カントが義務に従うことに自由を見出したことは、多くの誤解を生んだ。それは、共同体や国家の課す義務に従うことと混同されてしまいがちである。しかし、くりかえすが、カントは道徳性を、善悪にではなく、「自由」において見ようとした。われわれが自然的・社会的因果性によって動かされている次元において、善悪はありえない。しかも、実際には、自由(自己原因)などない。あらゆる行為は原因に規定されている。しかし、自由は、自分がやったことをすべて自己が原因である「かのように」考える所に存する。たとえば、カントが世界を現象(自然)と物自体(自由)に分けたことを非難したニーチェは、つぎのようにいっている。
「然り」〔Ja〕への私の正しい道。――私がこれまで理解し生き抜いてきた哲学とは、生存の憎むべき厭うべき側面をみずからすすんで探求することである。(中略)「精神が、いかに多くの真理に耐えうるか、いかに多くの真理を敢行するか?」――これが「私には本来の価値尺度となった。〔中略〕この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲する――あるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、ディオニソス的に然りと断言することにまで――〔中略〕このことにあたえた私の定式が運命愛〔amor fati〕である。(『権力への意志』原佑訳、「全集」第12巻、理想社)
ニーチェは『道徳の系譜学』や『善悪の彼岸』において、道徳を弱者のルサンチマンとして批判した。しかし、この「弱者」という言葉を誤解してはならない。実際には、学者として失敗し梅毒で苦しんだニーチェこそ、端的に「弱者」そのものなのだから。彼がいう運命愛とは、そのような人生を、他人や所与の条件のせいにはせず、あたかも自己が創り出したかのように受け入れることを意味する。それが強者であり、超人である。が、それは別に特別な人間を意味しない。運命愛とは、カントでいえば、諸原因(自然)に規定された運命を、それが自由な(自己原因的な)ものであるかのように受け入れるということにほかならない。それは実践的な態度である。ニーチェがいうのは実践的に自由な主体たらんとすることにほかならず、それは現状肯定的(運命論的)態度とは無縁である。ニーチェの「力への意志」は、因果的決定を括弧に入れることにおいてある。しかし、彼が忘れているのは、時にその括弧を外して見なければならないということである。彼は弱者のルサンチマンを攻撃したが、それを必然的に生み出す現実的な諸関係が存することを見ようとしなかった。すなわち、「個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである」という観点を無視したのである。
さらにいうと、アドルノは、カントのいう義務を社会的な規範として理解し、フロイトにもとづいて批判しようとした。カントは道徳哲学から発生的契機を除去し、その埋め合わせとしてそれにヌーメナルな性格を与えたと、彼はいう。
カントは形式主義を助けにして、道徳の経験的相対性を排除した。この形式主義に意義を唱え、〔道徳の〕内容に依拠してそうした相対性を証明しようとしたカント解釈は、いずれも近視眼的である。法則は、その最も抽象的な形態においても、生成したものである。そうした抽象性がわれわれに与える苦痛とは、法則のうちに沈殿した内容、すなわち、同一性という標準形式に切り詰められた支配なのである。カントの時代の心理学がまだ知らなかったもの、それゆえカントがことさら気にかける必要がなかったもの、すなわちカントが分析せずに無時間的に英知的なものとして賞賛したものの経験的発生を、今日の心理学は遅ればせながら具体的に獲得することになった。フロイト学派は、その興隆期において、自我とは異質なもの、つまり真に他律的なものとしての超自我への容赦ない批判を要求した(この点では、もうひとりのカント、すなわち啓蒙主義のカントと軌を一にしている)。フロイト学派は超自我を、社会的強制の盲目的で無意識的な内面化として見抜いていたのである。(『否定弁証法』)木田元他訳、作品社)
だが、これは端的に誤解である。フロイト自身が「快感原則の彼岸」以後、超自我に対する見方を修正している。彼は、超自我が社会的規範に根ざすというこれまでの見解を原則的に否定しないが、同時に、超自我が、死の欲動あるいは外に向けられた攻撃欲動が内向してくることによって形成されると考えた。フロイトは、ここで、一種の「自立性」を見いだしている。それは、死の欲動に由来する超自我が死の欲動を制する、ということである。そして、死の欲動は、フロイト自身が認めざるを得ないように、メタフィジカルな概念である。しかし、同じ本の中で次のようにいうとき、アドルノはメタフィジカルではないのか。
永遠に続く苦悩は、拷問にあっている者が泣き叫ぶ権利を持っているのと同じ程度には、自己を表現する権利を持っている。その点では、「アウシュヴィッツのあとではもはや詩は書けない」というのは、誤りかもしれない。だが、この問題と比べて文化的度合いは低いかもしれないが、けっして誤った問題ではないのは、アウシュヴィッツのあとではまだ生きることができるのかという問題である。偶然に魔手を逃れはしたが、合法的に虐殺されていてもおかしくなかった者は、生きていてよいのかという問題である。彼が生きていくためには、冷酷さを必要とする。この冷酷さこそは市民的主観性の根本原理、それがなければアウシュヴィッツそのものも可能ではなかった市民的主観性の根本原理なのである。それは殺戮を免れた者につきまとう激烈な罪科である。その罪科の報いとして彼は悪夢に襲われる。自分はもはや生きているのではなく、1944年にガス室で殺されているのではないか、現在の生活全体はたんに想像のなかで営まれているにすぎないのではないか、つまり二十年前に虐殺された人間の狂った望みから流出した幻想ではないのかという悪夢である。(『否定弁証法』同前)
ヤスパースなら、このような責務感を道徳的責任と区別して、形而上学的責任と呼ぶだろう。つまり、道徳的責任は間接的であれ何らかの悪に関与したことによって生じ、形而上学的責任は特に何もしていないにかかわらず生じる。しかし、アドルノも、ヤスパースもそれぞれ違った意味においてであるが、このような例を出すことによって、カントの道徳論を超えたつもりでいるなら、間違っている。カントにとって、道徳性はつねに形而上学的(メタフィジカル)である。その意味では、共同体の道徳(善悪)はフィジカル(自然的)なのだ。アドルノが右のようにいうとき、実は、カントが道徳性を考えた地点に近づいているのである。
カントにおいて道徳的領域は、「自由であれ」という命令によって生じると私は述べた。この命令が共同体や国家や宗教から来るものではないことはいうまでもない。だが、それは「内に」あるのでもない。やはり、それは「外」から来るのだ。たとえば、デリダは、責任(respondability)という観点から考えた。責任は他者に対する応答としてあらわれる。むしろ他者への応答ということが、人を「自由」の次元に追い込むのだ。アドルノの場合、他者とはアウシュヴィッツで死んだ人たちである。彼には現実的に何の罪もない。彼自身も被害者なのだから。しかし、アドルノが死者たちに責任を感じるのは、死者を手段にして生き延びたと感じるからである。それは、カントでいえば、「君の人格ならびにすべての他者の人格における人間性を、けっしてたんに手段としてのみ用いることなく、つねに同時に目的として用いるように行為せよ」という命法に従うときにのみ、生じる責任である。
アドルノがアウシュヴィッツの死者たちに感じる責任は、「内から」来るようにみえる。しかし、それはやはり「外から」、つまり他者から来るのだ。他者というとき、それは必ずしも現存する他者である必要はない。他者――自分と規則を共有しない者――には、いまここに存在もしていない人々、未来の人間や死者がふくまれる。というよりも、むしろ彼らこそが他者の典型である。倫理学は一般的に、生きている他者、しかも、同じ共同体の他者しか考えていない。しかし、他者を物自体として見るカントの倫理学には、未来と過去にわたる他者が導入されているのである。
アングロサクソン系の哲学では、カントを否定し、功利主義的な立場に戻って倫理学を構築しようとしてきた。一方、ハーバーマスは、公共的合意あるいは間主観性によって、カント的な倫理学を超えられると考えてきた。しかし、彼らは他者を、いまここにいる者たち、しかも規則を共有している者たちに限定している。死者や未来の人達が考慮に入っていないのだ。たとえば、今日、カントを否定し功利主義の立場から考えてきた倫理学者が、環境問題に関して、或るアポリアに直面している。現在の人間は快適な文明生活を享受するために大量の廃棄物を出すが、それを将来の世代が引き受けることになる。現在生きている大人たちの「公共的合意」は成立するだろう、それがまだ西洋や先進国の間に限定されているとしても。しかし、未来の人間との対話や合意はありえない。また、過去の人間との対話や合意もありえない。彼らは何も語らない。では、われわれはなぜ責任を感じなければならないのか。実際、何の責任も感じない人たちがいる。国家や共同体に関して「道徳的」な人たちが特にそうである。」柄谷行人『トランスクリティーク カントとマルクス』岩波書店、2010.pp.176-185.
20世紀の思想家は、カントをいろいろと読み込んで批判しようとしたが、ニーチェ、フロイト、ヤスパース、サルトル、アルチュセール、そしてアドルノにハーバーマスとみなカントを超えた、あるいは超える地点に到達したと思ったけれど、カントが敵とみなしたアングロ・サクソンの功利主義哲学ほどにも、人間の本質を見通したとは言えないかもしれない。それは、幸福主義・功利主義がシンプルな倫理原則を立てているのに対し、さまよえる20世紀思想は、カントの「自由」を目指しては別の場所に行ってしまったのかもしれない。
B.戦争の民営化
戦争は武器を持った兵士が戦うもので、その兵士は国家の命令で戦場に送りこまれた若者で、その戦争を命じるのは国家だというのが、近代国民国家の作り出した常識だった。国家の栄誉として戦死者は讃えられ葬られてきた。でも、民間軍事会社というものが現に存在して、国家だろうが企業だろうが営利を目的に契約を結んで戦争をする組織が登場した。こんなことは従来、想定されていない。もしこれを認めると、国家とか戦争とか軍隊とかというものの概念が変わってしまうほどの、恐ろしい現実がすでにあるのだ。
「論壇時評 下がる開戦のハードル:民間軍事会社と戦争の民営化 中島 岳志
六月後半、ロシア情勢が緊迫した。プリゴジンの反乱により、、「ワグネル」というロシアの民間軍事会社に注目が集まった。彼らは、これまでシリア内戦やアフリカ諸国で軍事オペレーションに従事し、ウクライナ戦争では、プーチン政権と一体化して戦場で活動してきた。「ワグネル」とはいったい、いかなる存在なのか。
そもそも、ロシアでは傭兵の存在が禁じられている。ロシア憲法・刑法からみても、民間軍事会社は違法と言わざるを得ない。
袴田茂樹は「ロシア民間軍事会社の行方」(日本国際フォーラムHP、6月30日)の中で、プーチンの矛盾を指摘する。ワグネルは違法であるにもかかわらず、プーチン政権は資金を提供し、軍事活動の中に組み込んできた。「プーチンに、憲法秩序を語る資格があるのか。プーチンはプリゴジンの事件に懲りて、彼自身がこれまで利用してきた民間軍事会社を、事件後は本当になくそうとしているのか」
袴田の見解では、これまで民間軍事会社の存在を容認し、時に支援までしてきたプーチンが、突如として憲法や警報を順守する可能性は低い。1990年代、ソ連崩壊後のロシアでは、秩序の混乱の中、無法状態が放置され、財閥や政治家などは「クリーシャ」(屋根=庇護組織)を雇っていた。これはもともと武装した犯罪組織だったものが警備会社に衣替えしたもので、警備を請け負う企業として地位を確立した。警察やKGB組織は、これを取り締まるどころか、自らも「商売としてのクリーシャ稼業に励むという状況さえ生まれた」という。このような延長上で、現在のロシアでも、エネルギー企業ガスプロムなどは、自らの企業活動の警護と称して三つの民間武装組織を有しているといわれている。
プーチンにとって、ワグネルのようなこのような延長線上で、現在のロシアでも、エネルギー企業ガスプロムなどは、自らの企業活動の警護と称して三つの未完武装組織を有しているといわれている。
プーチンにとって、ワグネルのような民間軍事会社はリスクを伴う存在である。国会外の存在が軍事力うぉじすることを認めると、プリゴジンの反乱のような軍事クーデターの可能性が出てくる。民間軍事会社は、自らの政治的地位を脅かしかねない危険な存在なのだ。
にもかかわらず、プーチンはワグネルを都合よく利用してきた。それは、リスクを上回るメリットがあると見なされてきたからである。民間軍事会社の活動は非公式なものであるため、その部隊から戦死者が出ても、公式な「戦死者」にカウントされない。よろんのはんぱつなどで正規軍の兵士を戦地に送れない場合などは、その代替として利用できる。
小泉悠は「ワグネル プーチンの秘密軍隊」(東京堂出版、2023年)の「解説」の中で、「ワグネル」誕生の瞬間に迫る。
小泉が注目をするのは、2010年、サンクトペテルブルクで開催された経済フォーラムである。民間軍事会社「エグゼクティブ・アウトカム」(EO)の設立者イーベン・バーロウがスピーチしたが、この後「参謀本部の直轄下に民間軍事会社を設置し、対外的に明らかにできない秘密作戦に従事させてはどうか」と提案したとされる。
ロシア参謀本部にとって、「自らの関与を否定できる非公然介入部隊を設立することは好都合」だった。その結果、ワグネルの設立が進み、14年のウクライナ侵略に利用された。当時、ロシア政府はウクライナへの派兵を否定していたため、「ワグネル」の存在は「まさにおあつらえ向きだったのだろう」。
ここで考えなければならないのは、戦争の民営化という事態である。民間軍事会社を利用することで、捕虜の虐待をはじめとした戦争の責任を問われない。民間軍事会社の戦死者にも責任を負わなくてもよい。
これは、明らかに戦争を始めやすい状態を生み出している。戦争の民営化は、戦場での戦闘行為を民間軍事会社に委ねることによって、戦争責任をアウトソーシングする。国家指導者は戦争を始める権限を持ちながら、戦場での責任を問われない。そうなれば当然、国家指導者にとって戦争を始めるハードルは下がる。
プリゴジンの反乱が収束したことでワグネルへの関心が収束しつつあるが、戦争の民営化という側面を問わなければ、問題の本質を見過ごすことになるだろう。 (なかじま・たけし=東京工業大教授)」東京新聞2023年7月25日夕刊、5面。
道徳を主題とした『実践理性批判』は、人間の他者とのかかわりを問う中に、自由と倫理、選択と責任という問題を超越論的に解き明かす試みだった。そこから結局は「個人主義」あるいは個人の決断が肝心、といったような主体主義・実存主義が出てきたとすれば、それはカントの勝手な誤読、あるいは主体と構造という従来の構図を読み直しただけのものである、と柄谷は言う。すべては因果のなかに収まっているという決定論を否定したくて決断する主体をもってきても、それはある理論を括弧に入れることなしには成立せず、しかもどこかで括弧を外すことをしなければ、倫理も構造も成立しない。カントはそう読むべきだと。
「カントの倫理性は、道徳論においてのみ見てはならない。理論的であることと同時に実践的であること、この超越論的な態度そのものが倫理的なのだ。われわれは、ここで、戦後のフランスで生じた実存主義、構造主義、ポスト構造主義という変遷を別の観点から見てみよう。たとえば、実存主義者(サルトル)は、人間が構造論的に限定されていることを認めながら、なお、自由があることを主張した。それはある意味で「実践的」観点である。一方、構造主義者が主体を疑いそれを構造の「効果」(結果)として見たとき、「理論的」な態度をとったのである。彼らがスピノザに遡行したのは無理もない。先に述べたように、カントの第三アンチノミーにおける正命題は、スピノザの考え――すべてが原因によって決定されており、人が自由だと思うのは、原因があまりに複雑であるからだ――に帰着する。そうした自然必然性を超える自由意志や人格神は想像物であり、それこそ自然的、社会的に規定されている。ただし、その原因はけっして単純ではない。そこではしばしば原因は結果によって遡及的に構成されている。アルチュセールがスピノザに関して「構造論的因果性」と呼んだものも、あるいは「重層的決定」(overdetermination)と呼んだものも、広い意味で決定論である。
だが、このような考えに驚くべきではない。それは一つの括弧入れによって生じる「理論的」立場に固有のものである。実存主義と構造主義、あるいは主体と構造というかたちで問われた問題は、すこしも新しくない。それはカントが第三アンチノミーとして語った事柄の変奏にすぎない。構造主義的な視点に対して、主体を強調すること、あるいはそこに主体を見いだそうとすることは無意味である。なぜなら、それを括弧に入れることによってのみ、構造論的決定論が見出されるのだから。逆に、構造論的な決定を括弧に入れた時点で、はじめて主体と責任の次元が出現する。ポスト構造主義者が道徳性を再導入しようとしたのは、当然である。しかし、それが何か新たな思想でもあるわけではない。実存主義、構造主義、ポスト構造主義という通時的過程に眼を奪われている者は、それが理論的な態度と実践的な態度の交替にすぎないことを見落とす。カントが明らかにしたのは、この二つの姿勢を同時にもたねばならないということである。わかりやすくいえば、われわれは括弧に入れると同時に、括弧を外すことを知っていなければならないのだ。
カントが『実践理性批判』で最も批判したのは、「幸福主義」(功利主義)である。彼が幸福主義を斥けるのは、幸福がフィジカルな原因に左右されるからだ。つまり、それは他律的だからだ。その意味で、自由はメタフィジカルであり、カントが目指す形而上学の再建とはそのこと以外にない。しかし、カントが他律的と見なしたのは、幸福主義だけではない。たとえば、ヘーゲルは、カントが当時支配的であった幸福主義を批判したことを先ず評価し、だが彼が個人主義にとどまったことを批判している(『小論理学』)。しかし、当時支配的だったのはむしろ、家族、共同体、教会などが強いる習慣的な道徳であり、イギリス由来の幸福主義(個人主義)はむしろそれを破壊するものとして攻撃されていたのである。ヘーゲルは、カントの幸福主義批判を認め、さらに客観的道徳(人倫)の優位を説くことによってカントを批判した。それは、家族、共同体、国家を回復することである。むしろ、その意味でなら、カントは経験論的な「幸福主義」をあえて支持するだろう。だが、幸福主義から普遍的な道徳法則を導くことはできない。
われわれは幸福の原理を、確かに格率たらしめることができる。しかし我々が普遍的幸福を我々の〔意志の〕対象とする場合でも、幸福の原理を意志の法則として使用に堪えるような格率たらしめることはできない。幸福の認識は、まったく経験的事実にもとづくものであり、また幸福に関する判断は各人の臆見に左右され、そのうえこの臆見なるものが、また極めて変わり易いものだからである。それだから幸福の原理は、なるほど一般的な規則を与えることはできるが、しかし普遍的規則を与えることはできない。(『実践理性批判』同前)
この一般性と普遍性の違いに注目すべきである。カントは道徳法則を、現に存するさまざまな道徳から抽出したのではない。確かに彼は道徳を形式化したが、それは一般的なものを取り出すためではない。彼の考えでは、道徳的領域は「自由であれ」という命令(義務)において存する。道徳法則は、自由であれということ、同時に、他者をも自由として扱えということにつきる。先に述べたように、カントが義務に従うことに自由を見出したことは、多くの誤解を生んだ。それは、共同体や国家の課す義務に従うことと混同されてしまいがちである。しかし、くりかえすが、カントは道徳性を、善悪にではなく、「自由」において見ようとした。われわれが自然的・社会的因果性によって動かされている次元において、善悪はありえない。しかも、実際には、自由(自己原因)などない。あらゆる行為は原因に規定されている。しかし、自由は、自分がやったことをすべて自己が原因である「かのように」考える所に存する。たとえば、カントが世界を現象(自然)と物自体(自由)に分けたことを非難したニーチェは、つぎのようにいっている。
「然り」〔Ja〕への私の正しい道。――私がこれまで理解し生き抜いてきた哲学とは、生存の憎むべき厭うべき側面をみずからすすんで探求することである。(中略)「精神が、いかに多くの真理に耐えうるか、いかに多くの真理を敢行するか?」――これが「私には本来の価値尺度となった。〔中略〕この哲学はむしろ逆のことにまで徹底しようと欲する――あるがままの世界に対して、差し引いたり、除外したり、選択したりすることなしに、ディオニソス的に然りと断言することにまで――〔中略〕このことにあたえた私の定式が運命愛〔amor fati〕である。(『権力への意志』原佑訳、「全集」第12巻、理想社)
ニーチェは『道徳の系譜学』や『善悪の彼岸』において、道徳を弱者のルサンチマンとして批判した。しかし、この「弱者」という言葉を誤解してはならない。実際には、学者として失敗し梅毒で苦しんだニーチェこそ、端的に「弱者」そのものなのだから。彼がいう運命愛とは、そのような人生を、他人や所与の条件のせいにはせず、あたかも自己が創り出したかのように受け入れることを意味する。それが強者であり、超人である。が、それは別に特別な人間を意味しない。運命愛とは、カントでいえば、諸原因(自然)に規定された運命を、それが自由な(自己原因的な)ものであるかのように受け入れるということにほかならない。それは実践的な態度である。ニーチェがいうのは実践的に自由な主体たらんとすることにほかならず、それは現状肯定的(運命論的)態度とは無縁である。ニーチェの「力への意志」は、因果的決定を括弧に入れることにおいてある。しかし、彼が忘れているのは、時にその括弧を外して見なければならないということである。彼は弱者のルサンチマンを攻撃したが、それを必然的に生み出す現実的な諸関係が存することを見ようとしなかった。すなわち、「個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである」という観点を無視したのである。
さらにいうと、アドルノは、カントのいう義務を社会的な規範として理解し、フロイトにもとづいて批判しようとした。カントは道徳哲学から発生的契機を除去し、その埋め合わせとしてそれにヌーメナルな性格を与えたと、彼はいう。
カントは形式主義を助けにして、道徳の経験的相対性を排除した。この形式主義に意義を唱え、〔道徳の〕内容に依拠してそうした相対性を証明しようとしたカント解釈は、いずれも近視眼的である。法則は、その最も抽象的な形態においても、生成したものである。そうした抽象性がわれわれに与える苦痛とは、法則のうちに沈殿した内容、すなわち、同一性という標準形式に切り詰められた支配なのである。カントの時代の心理学がまだ知らなかったもの、それゆえカントがことさら気にかける必要がなかったもの、すなわちカントが分析せずに無時間的に英知的なものとして賞賛したものの経験的発生を、今日の心理学は遅ればせながら具体的に獲得することになった。フロイト学派は、その興隆期において、自我とは異質なもの、つまり真に他律的なものとしての超自我への容赦ない批判を要求した(この点では、もうひとりのカント、すなわち啓蒙主義のカントと軌を一にしている)。フロイト学派は超自我を、社会的強制の盲目的で無意識的な内面化として見抜いていたのである。(『否定弁証法』)木田元他訳、作品社)
だが、これは端的に誤解である。フロイト自身が「快感原則の彼岸」以後、超自我に対する見方を修正している。彼は、超自我が社会的規範に根ざすというこれまでの見解を原則的に否定しないが、同時に、超自我が、死の欲動あるいは外に向けられた攻撃欲動が内向してくることによって形成されると考えた。フロイトは、ここで、一種の「自立性」を見いだしている。それは、死の欲動に由来する超自我が死の欲動を制する、ということである。そして、死の欲動は、フロイト自身が認めざるを得ないように、メタフィジカルな概念である。しかし、同じ本の中で次のようにいうとき、アドルノはメタフィジカルではないのか。
永遠に続く苦悩は、拷問にあっている者が泣き叫ぶ権利を持っているのと同じ程度には、自己を表現する権利を持っている。その点では、「アウシュヴィッツのあとではもはや詩は書けない」というのは、誤りかもしれない。だが、この問題と比べて文化的度合いは低いかもしれないが、けっして誤った問題ではないのは、アウシュヴィッツのあとではまだ生きることができるのかという問題である。偶然に魔手を逃れはしたが、合法的に虐殺されていてもおかしくなかった者は、生きていてよいのかという問題である。彼が生きていくためには、冷酷さを必要とする。この冷酷さこそは市民的主観性の根本原理、それがなければアウシュヴィッツそのものも可能ではなかった市民的主観性の根本原理なのである。それは殺戮を免れた者につきまとう激烈な罪科である。その罪科の報いとして彼は悪夢に襲われる。自分はもはや生きているのではなく、1944年にガス室で殺されているのではないか、現在の生活全体はたんに想像のなかで営まれているにすぎないのではないか、つまり二十年前に虐殺された人間の狂った望みから流出した幻想ではないのかという悪夢である。(『否定弁証法』同前)
ヤスパースなら、このような責務感を道徳的責任と区別して、形而上学的責任と呼ぶだろう。つまり、道徳的責任は間接的であれ何らかの悪に関与したことによって生じ、形而上学的責任は特に何もしていないにかかわらず生じる。しかし、アドルノも、ヤスパースもそれぞれ違った意味においてであるが、このような例を出すことによって、カントの道徳論を超えたつもりでいるなら、間違っている。カントにとって、道徳性はつねに形而上学的(メタフィジカル)である。その意味では、共同体の道徳(善悪)はフィジカル(自然的)なのだ。アドルノが右のようにいうとき、実は、カントが道徳性を考えた地点に近づいているのである。
カントにおいて道徳的領域は、「自由であれ」という命令によって生じると私は述べた。この命令が共同体や国家や宗教から来るものではないことはいうまでもない。だが、それは「内に」あるのでもない。やはり、それは「外」から来るのだ。たとえば、デリダは、責任(respondability)という観点から考えた。責任は他者に対する応答としてあらわれる。むしろ他者への応答ということが、人を「自由」の次元に追い込むのだ。アドルノの場合、他者とはアウシュヴィッツで死んだ人たちである。彼には現実的に何の罪もない。彼自身も被害者なのだから。しかし、アドルノが死者たちに責任を感じるのは、死者を手段にして生き延びたと感じるからである。それは、カントでいえば、「君の人格ならびにすべての他者の人格における人間性を、けっしてたんに手段としてのみ用いることなく、つねに同時に目的として用いるように行為せよ」という命法に従うときにのみ、生じる責任である。
アドルノがアウシュヴィッツの死者たちに感じる責任は、「内から」来るようにみえる。しかし、それはやはり「外から」、つまり他者から来るのだ。他者というとき、それは必ずしも現存する他者である必要はない。他者――自分と規則を共有しない者――には、いまここに存在もしていない人々、未来の人間や死者がふくまれる。というよりも、むしろ彼らこそが他者の典型である。倫理学は一般的に、生きている他者、しかも、同じ共同体の他者しか考えていない。しかし、他者を物自体として見るカントの倫理学には、未来と過去にわたる他者が導入されているのである。
アングロサクソン系の哲学では、カントを否定し、功利主義的な立場に戻って倫理学を構築しようとしてきた。一方、ハーバーマスは、公共的合意あるいは間主観性によって、カント的な倫理学を超えられると考えてきた。しかし、彼らは他者を、いまここにいる者たち、しかも規則を共有している者たちに限定している。死者や未来の人達が考慮に入っていないのだ。たとえば、今日、カントを否定し功利主義の立場から考えてきた倫理学者が、環境問題に関して、或るアポリアに直面している。現在の人間は快適な文明生活を享受するために大量の廃棄物を出すが、それを将来の世代が引き受けることになる。現在生きている大人たちの「公共的合意」は成立するだろう、それがまだ西洋や先進国の間に限定されているとしても。しかし、未来の人間との対話や合意はありえない。また、過去の人間との対話や合意もありえない。彼らは何も語らない。では、われわれはなぜ責任を感じなければならないのか。実際、何の責任も感じない人たちがいる。国家や共同体に関して「道徳的」な人たちが特にそうである。」柄谷行人『トランスクリティーク カントとマルクス』岩波書店、2010.pp.176-185.
20世紀の思想家は、カントをいろいろと読み込んで批判しようとしたが、ニーチェ、フロイト、ヤスパース、サルトル、アルチュセール、そしてアドルノにハーバーマスとみなカントを超えた、あるいは超える地点に到達したと思ったけれど、カントが敵とみなしたアングロ・サクソンの功利主義哲学ほどにも、人間の本質を見通したとは言えないかもしれない。それは、幸福主義・功利主義がシンプルな倫理原則を立てているのに対し、さまよえる20世紀思想は、カントの「自由」を目指しては別の場所に行ってしまったのかもしれない。
B.戦争の民営化
戦争は武器を持った兵士が戦うもので、その兵士は国家の命令で戦場に送りこまれた若者で、その戦争を命じるのは国家だというのが、近代国民国家の作り出した常識だった。国家の栄誉として戦死者は讃えられ葬られてきた。でも、民間軍事会社というものが現に存在して、国家だろうが企業だろうが営利を目的に契約を結んで戦争をする組織が登場した。こんなことは従来、想定されていない。もしこれを認めると、国家とか戦争とか軍隊とかというものの概念が変わってしまうほどの、恐ろしい現実がすでにあるのだ。
「論壇時評 下がる開戦のハードル:民間軍事会社と戦争の民営化 中島 岳志
六月後半、ロシア情勢が緊迫した。プリゴジンの反乱により、、「ワグネル」というロシアの民間軍事会社に注目が集まった。彼らは、これまでシリア内戦やアフリカ諸国で軍事オペレーションに従事し、ウクライナ戦争では、プーチン政権と一体化して戦場で活動してきた。「ワグネル」とはいったい、いかなる存在なのか。
そもそも、ロシアでは傭兵の存在が禁じられている。ロシア憲法・刑法からみても、民間軍事会社は違法と言わざるを得ない。
袴田茂樹は「ロシア民間軍事会社の行方」(日本国際フォーラムHP、6月30日)の中で、プーチンの矛盾を指摘する。ワグネルは違法であるにもかかわらず、プーチン政権は資金を提供し、軍事活動の中に組み込んできた。「プーチンに、憲法秩序を語る資格があるのか。プーチンはプリゴジンの事件に懲りて、彼自身がこれまで利用してきた民間軍事会社を、事件後は本当になくそうとしているのか」
袴田の見解では、これまで民間軍事会社の存在を容認し、時に支援までしてきたプーチンが、突如として憲法や警報を順守する可能性は低い。1990年代、ソ連崩壊後のロシアでは、秩序の混乱の中、無法状態が放置され、財閥や政治家などは「クリーシャ」(屋根=庇護組織)を雇っていた。これはもともと武装した犯罪組織だったものが警備会社に衣替えしたもので、警備を請け負う企業として地位を確立した。警察やKGB組織は、これを取り締まるどころか、自らも「商売としてのクリーシャ稼業に励むという状況さえ生まれた」という。このような延長上で、現在のロシアでも、エネルギー企業ガスプロムなどは、自らの企業活動の警護と称して三つの民間武装組織を有しているといわれている。
プーチンにとって、ワグネルのようなこのような延長線上で、現在のロシアでも、エネルギー企業ガスプロムなどは、自らの企業活動の警護と称して三つの未完武装組織を有しているといわれている。
プーチンにとって、ワグネルのような民間軍事会社はリスクを伴う存在である。国会外の存在が軍事力うぉじすることを認めると、プリゴジンの反乱のような軍事クーデターの可能性が出てくる。民間軍事会社は、自らの政治的地位を脅かしかねない危険な存在なのだ。
にもかかわらず、プーチンはワグネルを都合よく利用してきた。それは、リスクを上回るメリットがあると見なされてきたからである。民間軍事会社の活動は非公式なものであるため、その部隊から戦死者が出ても、公式な「戦死者」にカウントされない。よろんのはんぱつなどで正規軍の兵士を戦地に送れない場合などは、その代替として利用できる。
小泉悠は「ワグネル プーチンの秘密軍隊」(東京堂出版、2023年)の「解説」の中で、「ワグネル」誕生の瞬間に迫る。
小泉が注目をするのは、2010年、サンクトペテルブルクで開催された経済フォーラムである。民間軍事会社「エグゼクティブ・アウトカム」(EO)の設立者イーベン・バーロウがスピーチしたが、この後「参謀本部の直轄下に民間軍事会社を設置し、対外的に明らかにできない秘密作戦に従事させてはどうか」と提案したとされる。
ロシア参謀本部にとって、「自らの関与を否定できる非公然介入部隊を設立することは好都合」だった。その結果、ワグネルの設立が進み、14年のウクライナ侵略に利用された。当時、ロシア政府はウクライナへの派兵を否定していたため、「ワグネル」の存在は「まさにおあつらえ向きだったのだろう」。
ここで考えなければならないのは、戦争の民営化という事態である。民間軍事会社を利用することで、捕虜の虐待をはじめとした戦争の責任を問われない。民間軍事会社の戦死者にも責任を負わなくてもよい。
これは、明らかに戦争を始めやすい状態を生み出している。戦争の民営化は、戦場での戦闘行為を民間軍事会社に委ねることによって、戦争責任をアウトソーシングする。国家指導者は戦争を始める権限を持ちながら、戦場での責任を問われない。そうなれば当然、国家指導者にとって戦争を始めるハードルは下がる。
プリゴジンの反乱が収束したことでワグネルへの関心が収束しつつあるが、戦争の民営化という側面を問わなければ、問題の本質を見過ごすことになるだろう。 (なかじま・たけし=東京工業大教授)」東京新聞2023年7月25日夕刊、5面。