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写真付きで日々の思考の記録をつれづれなるままに書き綴るブログを開始いたします。読む人がいてもいなくても、それなりに書くぞ

「日本の愛国心」をめぐって 9 勝者と敗者の記念するもの  ジャニー問題の反省

2023-09-28 22:02:50 | 日記
A.負けた戦争へのもやもや
 この8月の「戦争回顧の日々」でも、とくに原爆をめぐってその悲惨とともに「戦争はしてはいけない」という決まり文句が、何か空しく響いた。世界の趨勢は戦争に向かっているのかもしれないということと、それとは別に、ハワイの真珠湾にある国立記念公園の戦争記念施設と広島の平和記念公園とが、姉妹協定を結んだという報道があり、太平洋の戦争が開始された場所と終わった場所が「姉妹協定」を結ぶことへの疑問が被爆者の一部から出されたという。確かに素直に喜べる話とも思えない。パールハーバーの記念館の展示は、日本への非難に始まり最後の勝利をもたらした米軍を称えるものであり、それはアメリカ人には当然の輝かしい歴史になる。しかし、日本側の広島平和記念館の展示は、米軍を加害者として糾弾するという色彩は薄く、ただ被害者としての市民、死者・被爆者の苦しみを思い追悼する、という展示になっている。こういう形で戦争が終わったという事実を確認し、そのことに対してどう決着をつければよいか、日米の落差は大きい。
 戦後の日本国内での言論を、右翼対左翼と単純化するのはあまりにも大雑把だけれども、ある時期まで負けた戦争への態度は正反対だった。左翼は基本的に15年の戦争はアジアへの侵略戦争だったと捉え、まちがった選択を反省せよと言っていた。右翼は逆に負けはしたが西洋白人の植民地から解放させるという大義があったのだと言う。戦後生まれのぼくは公平に見て、右翼の正義の戦いだったという理屈は、いかにも嘘っぽく、左翼の侵略戦争論のほうに分があると思った。ただこれだと戦争で死んだ人々はみな不幸な犠牲者・被害者になってしまい、軍国主義者だけを悪人にして自分は良心的だなどといいかねない。たぶん日本人の多くは、はじめパール・ハーバーの勝利に拍手喝采し、本気で戦争に身を捧げようと思ったろうが、だんだん負けが込んで最期は空襲で家を焼かれ肉親を失うまでになった。これはたまらん、もうこりごりだと思うのは当たり前の感情だ。しかしそれだけだと、自然災害と変わらないように、責任も反省もあいまいになる。佐伯啓思氏もぼくと同い年で、戦後の生まれだから直接の体験も責任もないわけで、だからこそ戦争の意味について、社会科学的にちゃんと考える義務はあると思う。

「丸山(眞男)や清水(幾太郎)の世代、もっといえば、いわゆる戦後進歩的知識人として活躍する世代は、そのまわりに幾多の死者を見てきた世代である。仲間が死に、近親者が死に、友人が死ぬ。そうした中で、生き残るということ。このことが、ある種の「負い目」を残さないはずはない。生き残ったという事実こそが、彼らの「誇り」を傷つけている。
 むろん、そのことは特に自覚されることではないだろうし、実際には「誇り」を傷つけられるようなことでもない。にもかかわらず、あの戦争において、決して軍国主義者ではない多くの者が、時局の中で自ら志願し、また徴用されて戦地で死んでいったという事実のもつ意味はあまりに大きな心的外傷を与えずにはおかないであろう。同世代の者の多くが戦地に散っていったにもかかわらず自分は生き残ったという事実。「負い目」はここに発する。いかに「あの戦争は誤った戦争だった」といったとしても、誰も、この死者たちを「謝った戦争で犬死した」というわけにはいかないのである。その意味では、彼らもまた戦争をともに遂行した」ことは間違いない。そして死者たちを前にすれば、あの戦争に対して何らかの意義づけをせざるをえないにもかかわらず、戦後、あの戦争を侵略戦争とみなしてそのいっさいを断罪したとき、死者たちを見捨てることになる。そこに「負い目」が生じる。これが「誇りを傷つける」ものの正体なのではないのだろうか。
 私は、むろん、彼らに批判の言葉を投げつけ、糾弾しようとしているのではない。そのような資格は私にはないし、「あの戦争」が、戦後生まれの私などには想像もつかないような、とてつもない体験であったろうと推測するだけである。その時代に直面し、その体験をかいくぐってきた者の個人的な内面に踏み込むようなことはしたくないし、まして彼らの戦争責任云々などという気は全くない。
 私が、ここで述べているのは、「戦後」という時代精神の底によどんでいるある種の不透明感についてなのである。戦争そのものをすべきではなかった、という心情は十分に推察できる。それはそれでよい。それを「戦争は間違っていた」と表現するのもわからなくはない。だが、そのしごく当然の帰結であるかのように、戦後民主主義や平和主義へとなだれ込んでしまうという「戦後精神」にはあるやましさがつきまとうのではなかろうか。
 戦前ときれいさっぱり決別して整地された「戦後」というきれいな時空には、何か割り切れぬものがついてまわるのだ。戦後知識人がいくらきれいごとの「理想」を説いてもどうしても宙に浮いてしまい、嘘っぽく聞こえる。その陥穽を突くかのようにいわゆる右派が戦前の再評価を求める。そして、そうなればなるほど、さらに戦後知識人は民主主義や平和主義の「絶対的な正しさ」を唱え、「あの戦争」を誤った戦争と断じる。
 だがその態度のもつほとんど強迫的で神経症的な性急さの背後にあるものは何なのだろうか。ものごとを「断じる」ということは、そこで判断を打ち切るだけでなく、そのことを他者にも強要することである。そして、私が「戦後民主主義者」や「進歩的知識人」なるものに対する不信感を払拭できないのは、まさに、自らを「正義」と主張するこの原理主義的なやり方が、民主主義や平和主義の精神と本質的に相反するからなのである。
 この自己矛盾を平然と犯して、戦後思想の「正義」を唱えて恥じない性急さの裏には、何か屈折したものがあると考えざるをえない。それがこの種の「負い目」なのではなかろうか。この「負い目」を覆い隠すために、戦後思想は、戦争責任をことさら一部の軍事的指導者に押し付け、彼らにだまされていたという方便で、自らの潔白を証明しようとする。「国民」なるものはだまされていたためにその責任を免れた。責任を免れた「国民」は、戦後の「民主」と「平和」という正義の旗を掲げて恥じない。しかも便利なことに、りそうはいつまでたっても実現しない。したがって、永遠に「民主」と「平和」という「正義」を唱え続けておれば、この自己欺瞞の舞踏は永遠に続く。
 丸山眞男は、生き残った戦中世代の知識人をさして、戦後だいぶたってから「悔恨共同体」と呼んだ(「近代日本の知識人」)。「謝った戦争」を食い止めることができなかったという「悔恨」がこの世代の知識人を結びつけている、というのである。たとえば多くの知識人が戦後、共産党に入党したり、そのシンパになっていった。それは戦時中に戦争反対を表明できなかったという意味で、彼らが共産党に「負い目」を感じているからだという「悔恨」は「負い目」を背景にしている。しかし、これはいささか都合のよい「悔恨」であるように思われる。むろん、戦後のある時点から振り返ってそのようにいうことは可能かもしれないが、それによって隠匿されるものがある。少なくとも、この「共同体」は、丸山世代としても決して一般的なものではなかろう。
 人によっては「悔恨」は、戦争阻止に失敗した点にあるのではなく、、むしろ敗北した点にある、ということにもなる。先にもあげたが、決して「本来のインテリ」さえも、丸山のいう「悔恨共同体」に落ち着くはずはないのである。彼らの多くもまた、戦争に「勝つ」つもりで戦ったからである。そこに、もうひとつの「共同体」ができる。竹内洋はそれを「無念共同体」と呼んでいるが、確かに、戦争に敗北したことを無念と考える人々がいる。彼らは八・一五は、「終戦記念日」ではなく「敗戦の日」だと考える。「敗北」したために日本は、GHQに「骨抜き」にされ、戦後という長い混迷の中に突入していった、というのである。丸山の「悔恨」が隠蔽したものは、この「無念共同体」の存在であった。
こうして、「悔恨共同体」と「無念共同体」がちょうど張り合わせになった形で、戦争の精神的外傷は戦後へある種の不透明さをもたらした。この両者は、相容れないのだが、また、先ほどの左翼と保守のように、相互に相手に寄りかかりあっているともいえるであろう。
だが、実は、この背後にもうひとつの「共同体」があるように思われる。それは、けっして「謝った戦争を阻止できなかった」という悔恨の言葉をつぶやくのでもなく、また、「敗北したことが無念だ」と涙をかみしめるのでもない。戦争が仮に誤ったものだとしても、そして敗北することは必定だったとしても、むしろそうであればこそ突き刺さってくるある種の「負い目」あるいは「疚しさ」というべきものだ。
それこそが上に述べた「死者たちに申し訳ない」という心情から発するある種の「負い目」「疚しさ」ではないだろうか。これは、「悔恨共同体」でも「無念共同体」でもなく、しかもその両者の奥底に共通に流れている心情だと思われる。丸山は「悔恨共同体」は共産党に対する「負い目」をもたらしたという。確かにその面はあっただろう。だが、そのようにいうことによって、本質にある「負い目」は隠されてしまう。死者に対する負い目である「死者に対して申し訳ない」¥という心情は、その後の戦後が今日あるように、おそるべき勢いで繫栄(虚の繫栄)を続けていけばいくほど、そこに埋没することの「疚しさ」を感じることになるであろう。それを「疚しさ共同体」とでも呼んでおこう。戦後の時空を支配するある種の不透明感、割り切れぬ感覚、その基底にある「負い目」はこのようなものではなかろうか。
丸山がいくら「悔恨共同体」といっても悔恨から解脱することはできないように、いくら「疚しさ共同体」といっても、それから逃れることはできない。「負い目」を清算することはできないであろう。「民主」と「平和」というお題目だけが宙を待っている間にも現実は進行してゆく。冷戦体制のもとで、日本はアメリカの政治・軍事的圏域にすっぽりと収められ、価値観の上においてもアメリカに従属してゆく。「民主」などといっても、自主自立した民主的市民などどこにも存在せず、「平和」といっても、米軍によって保護された平和という変則的事実は覆い隠しようもない。
そうだとすれば、あの戦争において、あたかも「犬死」であるかのように扱われた死者たちへの鎮魂はどうなるのか、という問いが繰り返し脳裏をよぎるであろう。戦後というのっぺりとした時空の中で、表面的には民主主義がにぎやかで騒々しい大衆的政治を実現し、ありあまるほどの国民的資産を何に投資してよいのかわからずに呆然としている今日の「日本人」を見たとき、この平和と繁栄を、戦前の「過ち」を改めたからというだけで礼賛できるだろうか。それでわれわれは「死者」への責任を果たしたことになるのだろうか。そうはいえまい。こうしてわれわれは「死者」への責任を果たしたことになるのだろうか。そうはいえまい。こうして事態の顕在的側面で太平楽の戦後が進行するにつれて、意識の潜在的側面で「負い目」は増幅するだろう。
その「負い目」をみずから告白して意識の前面に押し出したのが三島由紀夫であった。彼は、死ぬべきはずが生き残ってしまった世代にある。その「負い目」が『英霊の声』を書かせる。三島は、いわば生き残った者の務めとして死者の声を代弁しようとする。
今から四十年ほども前に書かれたこの特異な小説は、あまりに三島独特の美学に覆われてはいるが、この小説の中で三島が述べていることは、その外観ほど異形なことではない。
三島は、この作品の中で、ある神帰の会で体験した、若い戦死者たちの語りを描いている。彼らは海軍特攻として海の藻屑と消えた英霊である。神がかりの歌は、まず、戦後日本の精神的な堕落を詠嘆する。「……外国の金銭は人らを走らせ、もはや戦いを欲せざる者は卑劣をも愛し……いつわりの人間主義をたつきの糧となし……偽善の団欒は世をおおい……なべて痴呆の笑いは浸潤し……ただ金よ金よと思いめぐらせば、人の値打ちは金よりも卑しくなりゆき……大ビルはたてども大義は崩壊し……」。
もはや説明を要さないであろう。少し背筋が寒くなる思いである。まさしく今日の日本の姿だからだ。作家の感性の鋭さといってもよいし、四十年たっても事態は少しも全く変わっていないといってもよい。だが、ひとつ大きく変わった点がある。それは次のような三島の言い方である。今日の日本のこの醜態をもたらしたものは、天皇という絶対的なもの、つまり神を失ったからだ、と三島は最後にいうのである。四十年前にはまだ三島のこの言い方は、いささか奇矯に響いたにしても、決して時代錯誤でもなければ、無意味な言説ではなかった。それこそが「戦後」を特徴づけるものだからであったからである。しかし今日、このような言い方はあまりに時代錯誤に響く。この四十年で何か変わったのだろうか。
敗戦によって、天皇の「神聖」は剥奪される。天皇が人間となったとき、戦後の堕落は決定づけられた。「実は朕は人間であった」と天皇自らが述べたとき、天皇の名において死した特攻の霊は決して救われることがなくなった。天皇はそのために死した至純の英霊を見捨てたわけである。「などてすめろぎは人となりたまいし……」と英霊は呪詛に満ちた声で繰り返す。
このいわば「天皇」を擁護するために手厳しい天皇批判をするという独特の思想的作品の要点は、しかし、決して特異なものでも、三島的美学によってむりやりに装飾されたものでもない。三島が述べていることは明解でわかりやすいことであった。
日本は、あの戦争において、天皇=神という絶対的なものを基軸にすえていた。この軸があって初めて、人はその死に意味を与えることができた。つまり、人間は、人間を超えた絶対的価値に対して全面的に奉仕することによって、その行動に意味を与えることができたわけである。ところが、天皇が神ではなくなり人間になったとき、人間以上の価値をもつ者はいなくなった。価値とは人間が奉仕するものではなく、自分自身にほかならない。
ここに、戦後の人間中心定な快楽主義、生命至上主義、平和の礼賛が繚乱のごとくたち現れる。自己を全面的に奉仕する絶対的価値を失ったとき、人は、自己を律する倫理の源泉を失い、ただ放縦と気紛れと、その場しのぎの快楽に生を委ねる。真の価値が失われ、その代理として金銭が価値の中心に座る。
こうしたことは決してわかりにくいことではない。三島は問いかける。戦争に敗れるのはよい、戦後の社会改良もよい、敗戦の負い目を追って生きるのもよい、しかしなぜ天皇は人間となってしまったのか、という。それではこの「戦後」の空間において、あの戦争において、天皇のために殉じた死者の魂が安らぐ場所はないではないか、という。」佐伯啓思『日本の愛国心 序説的考察』中公文庫、2015年。pp.209-217.

 戦後リベラル知識人の代表としての丸山眞男が、69年の東大闘争で全共闘の学生に、自分の研究室を破壊され「ナチスでもこんなことはしなかった」と嘆いたことで、結局自分は恵まれた安全地帯にいて、そこから政府批判の言説を垂れるインテリは、信用できないと学生たちは思い、それよりは単身全共闘との討論会にやってきて共感を示す三島由紀夫のほうがまだましだ、と思った人もいた。やがて三島が自衛隊で自決したとき、その主張は右翼的でおかしなものだったけれど、記憶には刻まれた。でも、丸山眞男をそう簡単に否定などできない。


B.雰囲気を読み忖度で動く日本
ジャニーズ性加害問題が、いかに人々には無関心だったか、を考えると改めて恐ろしい。もしこれが、AKBとか宝塚だったら、即座に許しがたいセクハラ事件としてマスメディアは大騒ぎし、加害者は処罰されたにちがいない。権力をタテに女性に性暴力を働くことは、もはや弁解の余地のない犯罪だとみんな思うから。しかし、同様のことが男の子に対して行われていたのに、それは大したことではない、と男も女も思っていたふしがある。それは大手マスメディアにほぼ共通していた。ジャニーズは人気者であり、ケンカすれば自分たちにも火の粉がかかる、と思ったのだろうか。

「ジャニーズに依存してきたマスメディア 横並び脱却と相互監視を  上里達博 
 故ジャニー喜多川氏による性被害問題は、日本社会を動揺させている。 (中略) BBCには複数のチャンネルがあり、「Two」は日本で言えばNHK・Eテレ(教育テレビ)にあたる。番組では、ジャーナリストのモビーン・アザー氏が東京を訪れて取材を重ね、ジャニー喜多川氏による性加害の実態と、それがあたかも存在しないかのように扱われてきたことの重層的な背景に、迫っていく。
 この番組は、まず3月7日に英国のプライムタイムで、さらに3月18日には「BBCワールドニュース」で日本でも、放送された、だがこの段階ではまだ、週刊文春など一部のメディアが反応するにとどまった。
 この問題が本格的に注目を集めたのは、元ジャニーズJr.であるカウアン・オカモト氏が4月12日、日本外国特派員協会でみずからの性的被害を直接訴えたことによる。その日のうちに朝日新聞デジタル版に記者会見の詳細が掲載され、また翌日にはNHKが地上波のニュースおよびウェブメディアでこのことを伝えた。
 決定的だったのが、5月17日のNHK「クローズアップ現代」、「誰も助けてくれなかった 告白・ジャニーズと性加害問題」の放送だろう。その3日前には、ジャニーズ事務所社長(当時)、藤島ジュリー景子氏が自社のウェブサイトを通じて、性加害問題についての見解などを発表している。民法を含む、多くのメディアが報じるようになったのは、この時期だ。「タブー」が解けたのだ。
 また同事務所は5月26日に、「外部専門家による再発防止チーム」を設置すると発表した。そして8月末、この特別チームによる報告書の公表と記者会見が行われた。
 この頃から一部の企業は広告における「ジャニーズ断ち」を模索し始める。確かに、取引先に対しても人権侵害がないことを確認する「人権デューデリジェンス(DD)」は、今や世界の常識だ。だが本来の人権DDでは、まずは関与を続けて相手企業を改善していくことが求められる。取引停止は最後の手段なのだ。
 ともかく、今は大手企業の今後の対応に注目が集まっているようだ。自社CMでの契約見直しの流れが続けば、スポンサーという「現実」に駆動される形で、民法各局も「縁切り」を始めるのだろううか。
 だが、そんな形でこの問題を終わらせて良いはずがない。そもそも、そのような態度は「ケガレ」を忌避しているに過ぎないのではないか。人権DDを隠れ蓑に、この社会の古層に残留する前近代的な慣習を再演しているようにも見えるのだ。
 この問題の第一義的な責任がジャニー喜多川氏と同事務所にあるのは明白だ。だが、ここで改めて問うべきは、なぜ私たちの社会が、この重大な人権侵害を約70年もの間、事実上、放置してきたのか、である。
 先述のように、「ジャニー喜多川氏の性加害問題」をアジェンダに設定したのは、日本のメディアではなく、英国のBBCだった。しかし、だからと言って、BBCが絶対的に優れていて、日本のメディアがそうでなかった、という整理もまた粗雑だろう。というのも、BBC自身が約10年前に、とても似たタイプの醜聞を経験しているからだ。それはBBCの人気司会者だったジミー・サビル氏による性的虐待事件である。
 すでにジャニーズ問題に触発される形で報じられているためご存じの方も多いだろう。この事件もサビル氏の死後に発覚した。また被害者は子どもを中心に数百人にのぼる可能性もあるという。しかも、当初BBCの幹部が彼の犯行を隠蔽しようとした疑いがある。最初に罪を暴いたのは、民放・ITVの特集だった。
 マスメディアの重要な役割の一つは、当然、権力の監視である。しかし、喜多川氏やサビル氏のように、メディア・システムの内部に一度、強すぎる立場ができてしまうと、それを排除することは相当に難しい。かといって政治権力のメディアへの干渉を許せば、民主主義の根幹が損なわれる。では、どうすべきか。
 私見だが、結局、マスメディアが相互監視を徹底させるよりないのではないか。餅屋は餅屋、マスメディアの「痛い所」を衝けるのは、やはりマスメディアなのだ。
 また、どのキー局も横並びでジャニーズのタレントに依存してきたことが、明らかに加害の発覚を遅らせた。仮に、社の方針で「うちではジャニーズは使わない」というところが一つでもあってなら、問題はもっと早く解決に向かっただろう。それは不可能だったと関係者は言うかもしれない。だが、視聴者・読者の多くはすでに、紋切り型・横並びのマスメディアに飽き飽きしている。多様化の加速は、喫緊の課題なのだ。
 これを機に、徹底的に自己変革を進めよう。さもなくば日本のマスメディアに、明るい未来は訪れない。」朝日新聞2023年9月27日朝刊13面オピニオン欄。月刊安心新聞+。
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「日本の愛国心」をめぐって 7 リパブリックの意味  二刀流?

2023-09-22 21:16:23 | 日記
A.共和主義による国家と人民
 アメリカの二大政党として民主党と共和党が並び立っていることはよく知られている。民主主義を標榜する民主党という政党名は日本でもたびたび登場した。保守政党としての自民党も、「自由党」と「民主党」が合同したいきさつもあり、自由民主党を長く名乗ってきた。しかし「日本共和党」は存在しない。先の参院選で泡沫政党の中に「共和党」を名乗る党があったが、これは顰蹙を買う。西洋の政治史を知っていれば、共和主義とは、君主や王政を打倒するものとして登場したわけで、共和国という政体には王や皇帝は存在しない。日本で共和主義を唱えるということは、天皇制を否定打倒する政党ということになってしまう。共産党と似たようなものと有権者が誤解してもしかたがない。共和党を名乗ろうとした人は、そんなことを考えたわけじゃなくて、ただアメリカにある保守系政党なら日本でもあっていいんじゃないかと思ったのかもしれない。無知は怖いけれど、ほんらいの共和主義とは、もっと古代ギリシャ、ローマに由来する思想の伝統なのだ、ということを佐伯啓思氏は、「愛国心」ともからめて丁寧に説明する。

「西欧近代を政治思想の観点から見れば、それは、古典ギリシャ、ローマの共和主義の復活であり、その継承にほかならないといえよう。そして「共和主義」とは、「愛国心」を枢要とする政治思想なのである。そこで次に、共和主義という思想がどのように受け継がれているかを概観しておこう(この点について詳しくは『共和主義のルネサンス』所収の諸論文をも参照されたい)。
 西欧社会は二つの大きな伝統に支えられている、としばしばいわれる。ユダヤ・キリスト教とギリシャ・ローマである。これはまた「聖書的伝統」と「古典・古代的伝統」ともいわれる。そのうち、ギリシャ・ローマの古典・古代的伝統のもたらしたひとつの無視しえない遺産が共和主義と呼ばれるものであった。
 むろん、ギリシャ・ローマは、哲学、科学、文学、彫刻、建築、演劇などきわめて多方面にわたって現代の西欧に大きな財産を贈与しているが、その最重要なもののひとつが政治思想上の「共和主義の伝統」にほかならない。
 共和主義、つまり“Republicanism”の原義は“res publica”すなわち「公共の事項」という意味である。これからもわかるように、共和主義とは、公共の事項を中心とする政治体制ということになる。公共の事項とは「皆のもの」という意味だから、共和国(republic)とは、「皆のものである国」ということだ。
 こうした意味をもつ「共和国」は、プラトンによって描き出され、アリストテレスの「政治学」によって継承された。ここにはいうまでもなく古代ギリシャのポリスという現実がいくぶん理想化されて投射されており、ポリスというモデルは、変形されながらもローマの「共和国」へと受け継がれることになる。
 ギリシャのポリスとローマの共和国は、ともに「市民」によって構成された都市国家であった。そして、たとえばポリスは、アリストテレスの考えでは、何か「善きもの」を実現するために存在するのである。
 国家とは、たとえばホッブズが述べたように、人々の生命、財産を保護するための契約によって生み出されたものとは全く違っていたわけである。ポリスに暮らす人々が、相互の友愛によって結びつき、共同で何か「善きもの」を実現するための強大な装置が国家であった。もっとも「国家」といっても今日の国家ではない。アテネでさえ人口30万程度の都市国家なのである。市民にある程度共通の「善きもの」の観念が共有されていたと推測しても不当ではあるまい。アリストテレスによると、「善きもの」とは、人々が卓越した技能や才能を身につけ、それを発揮することによってポリスの生を充実させることであり、時代をこえて残るようなすばらしい芸術や作品を生み出すことであり、また、それらの活動を通じた友愛に満ちた生活そのものであった。そこにまた、市民としての誇りや「徳」というものがでてくる。
 「市民」とは、今日、この言葉でわれわれが考えるものとは違って、ある種の特権的な階級であった。古代ギリシャにおいて「市民」は、奴隷や召使とは区別される特権的階級であり、ある資格を要求されるものであった。ローマにおいても「ローマ市民」は都市民としての特権と誇りをもち、そこには家柄や血筋も深く関わっていた。政治に関わることのできる者は、こうした特権的な市民なのである。
 「市民」はまた自由民である。ギリシャのアテネなどにおいても、「市民」より「奴隷」のほうがはるかに多い。したがって「自由民」であることはそれ自体ですでに特権的な身分である。同時に特権は義務をも帯びる。「自由」であることには責務や義務が伴う。市民は一方で政治に参加し、ポリスの運営に携わる。しかしこの特権を行使するには、市民はある種の美徳や卓越性を求められた。
 ポリスが「公共の事項」の政治によって成り立つものだとすれば、市民には、公共精神やそれを発揮するだけの知的能力や決断力などが必要とされたのである。かくて、ギリシャでは、思慮、勇気、節制、正義がもっとも基本的な「市民の美徳」とされたのであった。
 そして、市民という「自由」を保持する特権性の見返りの最大のものは、国防への積極的な参与である。兵役、国防の義務である。
 「自由」とは独立であり、自立である。「共和国」は自由な市民によって構成された国であるといってよい。つまり、ひとりひとりの市民が自立しているように、共和国とは自立した国家として初めて「自由な国」となりえた。「自由な国」とは外国によって支配されることなく、市民が自らの力によって自らの国を守る自立した国であった。かくて市民とは、自ら進んで国を守る存在となるほかなく、そこに市民の誇りも勇気もあった。
 ローマ最大の思想家キケロは、プラトン的理念をいくぶん変形しながらローマに持ち込んだ。ローマ人にとっては、「共和国」とは、「公的なもの(res publica)」であるとともに、「人民のもの」という意味をもち、それ自体がひとつの生命体のごときものであった。市民は、共和国によって教育される。それは、市民は共和国のために働くものだからである。「自由な市民」というものがあって、それが共和国をつくるのではなく、市民とは別に共和国という生命体があり、市民はその共和国に対して強い義務を負っている。個人の快楽や自由は、その義務を果たした残余なのである。

  祖国がわたしたちを生み、教育したのは、……私たちの勇気、才能、思慮の最大最善の部分を祖国自身が自己の利益のためにあて、自己に不要となるものだけを私たちの自由な使用のために返してくれるという条件によるのである。 (キケロ『国家について』)

 だから、アリストテレスと同様、キケロにとっても人間は本質的に政治的(ポリス的)動物であった。そしてその実践のためには「徳」が必要なのである。「徳はひとえにその活動にかかっている。そしてその最大の活用とは国の指導である」(キケロ)。これはプラトンのような哲人王ではない。徳はただ保有しているだけではだめで、それは「実践」されなければならない。そしてとりわけ政治的実践においては、「徳」はいくぶん「力」の様相を帯びてくるだろう。
 共和主義の継承
 近世にはいってこのような「共和主義」の伝統を受け継いだのは、十六世紀初頭のルネッサンス期フィレンツェの思想家マキャヴェリであった。マキャヴェリは『君主論』で知られている。「目的のためには手段を選ばず」という、権力を握るためにはいかなる悪行も辞さないという権謀術数の権力政治家たる「君主」を描き出したとされる。
 しかし、マキャヴェリはまた『リウィウス論』(「ディスコルシ」または『政略論』)の著者でもあり、これは一種の「共和国論」なのであった。マキャヴェリは、古代ローマ共和制の熱烈な賛美者であり、『リウィウス論』は、まさに古代ローマの歴史家リウィウスの研究から生まれたものであった。マキャヴェリは、当時のフィレンツェ共和国を、ローマの共和国をモデルとして再生しようとしたわけである。
 この中で、彼は、市民の美徳を強調し、また、国を守るための軍隊や民兵を強調する。たとえばローマのように、都市国家が武装され、市民が常に自分のもつ「力(ヴィルトゥ)」を発揮できれば、その都市の市民は常に変わらない精神力をもち、威厳を保持できるだろうという。それに反して、もし市民が武装されておらず、「力」を発揮しないで「運命(フォルトゥナ)」に身を任せたとき、市民も国家もその「運命(フォルトゥナ)」に翻弄される、とマキャヴェリはいう(『リウィウス論』31節)。というわけで実際、彼はフィレンツェで民兵を組織した。もっとも彼の組織した民兵は決して強くはなかったが。
 だが、重要なことは次のことである。『君主論』と『リウィウス論』は、一見したところ全く相容れないかに思われる。しかし決してそういうわけではない。そもそも『君主論』の「君主」は、世襲の王でも絶対君主でもないのであって、それは、いわば「市民の第一人者」であり、「市民」として類稀なほど秀でた者なのである。
 だがどうしても彼は、このような類稀な「第一人者」を必要としたのだろうか。それは新たに「共和国」を樹立するためである。「国」を創設するものは、類稀な力量の持ち主でなければならないからである。時には冷徹な残虐非道をものともしない残忍さも「第一人者」には要求される。「運命」を手なずけ、新たな道を切り開いてゆくためには、類稀な「力(ヴィルトゥ)」を要求されるのである。
 こうして「共和国」が創設される。そして、いったん共和国が作り出されれば、もはや残忍で冷酷な「君主」は必要とされない。この「共和国」を堕落から防ぎ永続させるには、一人の類稀な「第一人者」ではなく、「力(ヴィルトゥ)」をもった多数の「市民」の共同作業が要請される。しかも、市民を「力」あるものへと結集させるためには「法」の効力と「教育」が必要なのである。これが『リウィウス論』の主題であった。
 市民であれ、君主であれ、マキャヴェリが繰り返し述べていることは、「力(ヴィルトゥ)」によって「運命(フォルトゥナ)」を手なずける、ということである。国家の安定を妨げるものは、さまざまな形で襲いかかってくる「運命」であり、「運命」は外部から襲いかかることもあれば、内部から政治を腐敗させることもある。それに抗するものは、「法」と「力」しかなかった。
 しかしここでマキャヴェリは政治思想史上の大きな転換を行ったことに注意しなければならない。古代ギリシャの「市民の美徳(シヴィック・ヴァーチュー)」は「市民の力量(シヴィック・ヴィルトゥ)」へと読み替えられたのであった。マキャヴェリにあっては、「徳(ヴァ―チュー)」は、「力(ヴィルトゥ)」なのであり、「共和国を守る」とは、「市民の美徳」というより、「市民の力量」の問題とされたのである。
 ギリシャやローマと同様、共和国が「自由な国」であるためには、他国の支配を頑として排除しなければならない。そのためには、「市民」は愛国心をもたなければならないのは当然として、さらに武装して「力」をもたなければならない。ただ、「自分の国を大切に思う」というだけでは不十分なのであって、それなりの「力」をもたねばならない。したがって、「共和国(res publica)」の「公的な事項」のもっとも重要な課題のひとつは「国防の義務」であると同時に、政治体制の腐敗を防ぐということにもなる。「法律」もそのためにある。政治の腐敗は、当然ながら人々の「国防の義務」の精神を失わせるし、たちまち国力の低下を意味するだろうからだ。こうして、「力」と「徳」「腐敗」「防衛」、そして「法律」などが共和主義を論じるキーワードとなるであろう。
 古典的な共和主義の伝統と呼ばれるものにはいくつかのポイントがあった。第一に、それは「公共的な事項」へ参与、また奉仕する市民の「徳」の重視だ。第二に、それは、個人にせよ、国家にせよ、自立という意味での「自由」を決定的なものとみなす。第三に、それは、キケロにもみられるような「法」の重視である。支配の恣意性や権力の暴走を避けようとするのであり、したがってまた、政治体制については権力の分散を説く。
 共和主義の伝統がこれらのことがらを重視したのは、政治的な権力は、時間がたてば、つい腐敗、堕落し、堕落した政治権力に支配された国は衰退し崩壊すると考えられたからであった。
 また、概して共和主義者は、商業発展や経済の展開には警戒的であり、場合によってはかなり否定的であるが、それは、商業発展が人々の利己心をかきたて、「公共的なもの」へ向けられた「徳」を衰弱させるのではないか、と疑ったためである。
 要するに古典的共和主義の伝統は、何よりも国家の安定的な永続を求めたのであった。「市民の徳」にせよ、あるいは「自由=自立」の重要性にせよ、「法」の観念や権力の分散の思想にせよ、国家の安定的な永続性のための条件であったと見てよかろう。
 こうした古典的な共和主義の精神は、マキャヴェリや、さらには十七世紀イギリスのピューリタン革命期の思想家ハリントンらによって変形されつつ、十八世紀すなわち「近代」へと継承されてゆく。そして、「近代」の政治思想は、実は、多様な形で、この古典的共和主義から大きな影響を受けていることを忘れてはならない。」佐伯啓思『日本の愛国心 ;序説的考察』中公文庫、2015年。pp.171-179.  

 マキャベリ(1469~1527)の『君主論』の君主とは、世襲の王や血筋の正統性による絶対君主ではなく、古代ローマのカエサルのような、市民から選ばれて執政官になる特別の才能と力がある者のことだという。そのカエサルは独裁権力を振るったことで、反対派に暗殺されてしまったわけだが、その結果ローマは共和制を終了して帝国になっていった。また、マキャベリが生きた16世紀はじめの時代のイタリアで、権謀術数の権力闘争を繰り広げたチェーザレ・ボルジアこそ、マキャベリが理想とした君主像であった。政治で優先される価値は「徳」とならんで「力」、つまり国を守り強くする軍事力が不可欠だとすれば、戦後日本が掲げる「平和主義」は軍備をもたない「徳」のみの国家であり、現実には米軍と自衛隊が存在するという矛盾を抱えている。これをどう考えるかは、「愛国心」の色合いを左右する。いずれにせよ、日本は共和国ではないし、共和主義など真面目に考えたこともない。
 余談ながら、サマセット・モームの歴史小説「昔も今も」(ちくま文庫)は、このマキャベリとチェーザレ・ボルジアが主人公のすごく面白い小説だった。塩野七生「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (新潮文庫)とあわせて読むと愉しい。


B.大谷翔平という奇蹟
 「二刀流」という言葉は、剣術で大小二本を抜いて戦う技で、昔は宮本武蔵という名と結びついて語られていた。それが本来の意味から離れて、スポーツやアートなどの領域で、ひとりで二つの仕事をやってしまえる人、まったく違う分野ではなく、ひとつの分野でちがう役割をこなす人を「二刀流遣い」と呼ぶようになった。野球では、いうまでもなく9人の選手がそれぞれ指定のポジションで戦い、投手、捕手、打者は専門分化していて兼任はしないのが普通だった。やむをえずポジションを変える場合もあるが、投手でエース級の活躍をし、同時に打者でもホームランを連発する選手など考えられなかった。だから大谷翔平は凄い!とみんな驚いたわけだが、こんな超人的な活躍は肉体的・精神的に過酷な状態を続けるだろうから、どこかで無理が来るのではなかろうか、と思っていたら、やっぱり休養治療が必要なようだ。それはともかく、「成長」と「持続可能性」の二刀流なんて、悪い冗談じゃないかというお話。

「二刀流  三木 義一 
「ご隠居、大谷選手の今期の活動が終了したそうですぜ」
「大車輪の活躍で負担が大きかったんだろうの~。凡人のコメントする域を超えているので、素晴らしかったとしか言いようがない」
「大谷選手が挑戦した二刀流ってのは、サッカーなら、ゴールキーパーとフォワードを兼ねるようなもので、普通じゃ無理ですぜ」
「新作も古典も上手な噺家、純文学も大衆小説も書ける作家、経営者でもある研究者などはいるだろうが、どちらでもトップになれる人はまずいない。この大谷二刀流を岸田首相は昨年9月22日のニューヨーク証券取引所での講演で次のように使っておる」
〈大谷翔平になぞらえて言えば、「新しい資本主義」の特徴は、two wayだということ。「バッター」と「ピッチャー」のtwo wayならぬ、「成長」と「持続可能性」のtwo wayだ(官邸HP)〉
「これが新しい?」
「どうかな。むしろ、歳入では、庶民の減税と富裕層の増税、歳出では庶民に必要な支出の確保と不要な歳出の大胆な削減という二つを実現した総理は近年いない」
「てえことは」
「資本主義による富の格差を税財政の応能化により是正するという古典的手法が、実は『新しい』資本主義かもしれんよ岸田さん、ということかのう~」 (青学大名誉教授)」東京新聞2023年9月21日朝刊21面、本音のコラム。
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「日本の愛国心」をめぐって 5 契約国家は中性国家 ネット世論の陥穽

2023-09-16 21:20:44 | 日記
A.ホッブズの国家論
 近代社会の特徴はいくつかあげられるが、政治的デモクラシーと宗教教団からの独立、そして資本主義的経済システムの成立ということは必要条件だろう。20世紀に登場したロシア革命後の社会主義国家というものも、基本的には近代西洋社会の発展の先にマルクスが構想した未来形態だった(それは結局失敗してしまったが)。逆にいえば、前近代社会とは宗教的理念と政治的支配権力が分離していない共同体からなり、流通と貨幣の発達が未熟な経済発展の遅れた社会だということにもなる。それは絶対主義的王権が神から授かった世俗権力で、人民大衆は政治の主体となりえない社会だった。それを、身分制を打破した市民が王の政府に対抗する権利を持つという思想が育まれ、自由を獲得しつつ「社会契約」による国家を作るという思想(それはあくまで思想だが)を、立憲主義という形で実現させたのが、17世紀のイギリス名誉革命だった、というのは世界史の定説だろう。
 さて、その「社会契約」という思想が、よりラディカルな革命となって現実化し、さまざまな社会的実験を経て、地球上の資源を食いつぶしながら、膨大な人口増加と経済成長を追求した結果、いまどういう事態になっているかは、さしせまる地球環境危機をみれば、皆ご存じの通りである。だが、ここではとりあえずホッブズに立ち返って、近代国家と宗教という問題を考えてみようという佐伯啓思氏の考察を見よう。

「思想史的にいえば、十七世紀後半のイギリスにおいて名誉革命の思想家とされるジョン・ロックが、この問題について、生命・財産を侵害される場合には、市民は政府に対する「抵抗権」をもつと論じ、さらに、十八世紀フランスの啓蒙思想期の思想家ルソーが、『社会契約論』において、契約による国家は民主的なものであることを論証した。こうして、ホッブズに始まる契約説による近代国家の論理は完成する。近代国家とは、民主的なものであり、市民の生命、財産、さらには自由などの基本的権利を保障するために存在する、という。これが、通常の近代政治学によって提示される国家観にほかならない。
 この国家観からすれば、たしかに近代国家は「中性的」でなければならないであろう。国家は、あくまで市民の基本的権利を保障するためにこそ存在するのであって、市民に対して価値などを説教するものでもないし、おせっかいにもある生き方を強制するものでもないであろう。国家の「公的領域」と市民社会の「私的領域」は厳然と区別されるべきだということになる。
 さらに、この延長上に近代的憲法の考え方も展開される。国家は市民の権利保護のために存在するものであるが、状況次第では国家はその強大な権力によって市民の権利を侵害する可能性をもつ。それを防ぐものが「近代憲法」であって、だからこそ近代憲法とは、何よりまず人権保障をもっとも重要な要件としているというわけである。立憲主義とは憲法によって国家権力の暴走を食い止めるものである。近代憲法は、煎じ詰めるところ、国家に対して、市民の基本的権利を求める究極の正当性根拠なのである。
 おおよそこれが、今日の政治学が理解する近代国家と市民社会の関係にほかならない。このロジックからすれば、「愛国心教育」は、近代国家のロジックにはなじまないようにみえる。しかし、本当にそうだろうか。
 憲法についてはまた機会を改めて論じたいが、ここで国家と市民社会の関係を知るために、本来のホッブズの論理に立ち戻ってみよう。

 ホッブズは、契約(「信約」)による主権国家の設立によって、人間は自然状態から抜けだして社会状態へ移行すると述べた。国家と市民社会はここにおいて同時に出現する。しかし両者は概念的に区別されなければならない。主権としての「国家」と、人々が(主権に従った限りで)自由に経済活動や私的な活動を行う「市民社会」は異なった原理をもっており、確かに次元を異にしている。
 だがまた両者はまったく分離して存在しているわけではない。ホッブズのロジックが示すところによれば、国家によって人々の生命、財産等の安全が保障され、社会秩序が維持されるからこそ、市民社会が可能となるのである。その意味では「国家」は論理的に「市民社会」に先立たねばならないのであり、あくまで「国家」が「市民社会」を支えているともいえよう。
 しかしまた同時に、そのことが可能となるためには、「市民」が国家に対して一定の範囲での忠誠義務を果たすことが必要となる。つまり、最初の契約の履行が常に要求されることになるのであって、さもなければ主権としての「国家」は成立しないし機能しない。その意味では、人々は、もはや自然状態へ退行する意思を放棄して「市民」であることを前提としなければ「国家」は成立しないともいえよう。
 すなわち、図のように、一方で、国家と市民社会の関係は。「権力」と「抵抗」という対立の関係であるが、その基本になるものは、同図のように、「契約の履行(忠誠)」と「秩序維持(保護)」という相補的関係なのである。「契約的関係」とでも呼ぶべき「保護」と「忠誠」の相補的関係がまずあり、その前提のもとで、いわば「政治的関係」とでも呼ぶべき「権力」と「抵抗」の対抗的関係が生起する。
 このように考えれば、「国家」と「市民社会」は別々に存在するのではなく、また対抗しあっているのでもなく、基本的には相補的な存在というべきであろう。相互にそれぞれの存在を前提にしあっているという意味では、ホッブズのロジックにおいて、「国家」と「市民社会」は本質的には一体のものでもある。
 こうして、この両者の関係は二重のものとなろう。一方では両者は対抗しあい、他方では補完的なのである。もっとえいば、これは同じ近代的な「国」の二つの側面というべきであって、「主権国家」と「市民社会」はコインの両面といったほうがよいであろう。コインの裏と表が「対抗」すると同時に「補完的」であるように、「国家」と市民社会」も二重の関係にたつ。そして、その上でいえば、コインの場合と同様、いっそう根底的な関係は「対抗」ではなく「補完」なのである。
 にもかかわらず、近代政治学はもっぱら前者の側面に偏して理解してきた。これは間違いではないが一面的である。近代国家が、契約のロジックからしても、「国家」と「市民社会」を同時的で、相補的なものとして捉えるというのは当然のことで、その当然のことが故意に無視されてきたわけである。
 繰り返すが、国家と市民社会の関係は二重である。近代社会において、両者は概念として分離する。そして事実上、異なった原理や価値をもつようになる。その結果、表面的には両者は対抗的となるのだが、そもそも対抗関係が成り立つためには、その前提としての「相補性」がなければならないわけである。この相補性において、「国家」は「市民社会」を支える。国家は市民の生命、財産などを保護し、社会秩序を維持する。他方で、市民は国家に対してたえず「契約」を履行する。つまり主権者である国家への義務を果たすことになる。
 ここで私は「主権者としての国家」という言い方をしたが、これは実は正確ではない。主権者は、王かもしくは民衆なのである。ホッブズは、主権者は一人の人間か、ある集団といったが、一人の王の場合には絶対王政であり、それが民衆という「集団」の場合には民主政になる。何らかの代表者の集団の場合には議会になる。両極をとれば、王が主権者として国家を動かすか、もしくは民衆が主権者として国家を動かすのであって、主権者はどちらでもかまわない。王政の場合には、国家への義務は、直接に王に対する「忠誠」となり、民主政の場合には、国家への義務を支えるものは「愛国心」となろう。なぜなら、王政の場合には、主権者と市民は人格的に全く分離するが、民主政においては、主権者と市民は人格的には一致するのであり、ここで市民に要請されるものは王への「忠誠」ではなく、主権的な力への参加と義務の履行だからである。民主政においてこそ、国家と市民社会は同一の人格から構成されるのである。
 実際、国家への義務は強制されるものではない。人々は、自覚的に国家を創出したのだから、国家への服従や義務は自発的なものでなければならない。しかも、民主政においては、自らが服従する国家はまた自らのものでもある。そこに「愛国心」という観念が出てくるのである。それは、自らがその主権者でもある国家への服従と義務、言い換えれば、自らのものに対して選んで奉仕をしようとする精神にほかならない。
 さて「愛国心」をこのように理解してみれば、愛国心は決して自然の感情ではない。「愛国心」はまさしくこの種の近代国家のロジックに基づくものというほかない。
 とすれば、愛国心はこの近代国家のロジックのもとで教育されねばならないことにもなろう。「市民社会」を支えるものが「国家」である限り(そしてそれは近代国家のロジックにほかならないのだが)、市民の国家への(一定の範囲内での)服従義務、さらには自発的な貢献という心理的基盤はあくまで、このような近代国家のロジックにしたがって教えられなければならない。国家への服従義務の心理的基盤とは、民主政においては、同時に自らが主権者として責任をもつ国家への自発的奉仕として可能となるほかないからである。
 もしその「自発的」な貢献が調達できなければ、むしろそれは法的に強制されるものとなるほかない。「愛国心」が法的に強制されるものでないとすれば、それは(一定の範囲において)教育によって「涵養」するほかなかろう。この自発的な貢献のひとつが、自らの「国」に対する「愛国心」であることは当然であろう。
 こうして「愛国心」は決して自然なものではなく、その結果、ある意味では「上から」教育されるべきものというほかない。「自然」に育つものではないのであって、もし愛国心を価値と呼ぶなら、近代国家といえども決して価値中立的ではありえない。すでに述べたように、左翼・進歩派も実は近代国家が価値中立的だなどと口先で述べても、彼ら自身そのことを一度も信じていないのであって、彼らは、自由・民主主義、ヒューマニズム、基本的権利、市民的平和、秩序愛好の精神など、「市民社会」を構成する市民的価値を国家は教育すべきだと想定しているのである。
 確かに、これらは近代市民社会の価値であり、だからこそ「上から」教育されるべきなのである。「市民」は自動的に出現するものではなく教育によって作られるものだからである。近年、ヨ-ロッパで「市民性教育(citizenship education)」などという課題がしばしば唱えられ、いまや世界中に広がりつつあるが、「市民であること」は、ひとつの価値であり、しかもそれは「教育」されるべきことがらなのだ。
 しかしそうだとするならば、「市民」のもつもう一つの側面である「国家」を支えるための自発的義務についてもまた「上から」教育されるほかなかろう。自由、平等、基本的権利などと同様に、自らの生命、財産の保護を「国家」に委託したとすれば、その国家への(一定の範囲での)自発的な服従義務もまた「市民性」の価値なのである。ここに「愛国心教育」の必要が出てくる。それもまた、市民的価値を構成するものなのである。一方に「自由」「平等」「基本的権利」があり、他方には「愛国心」や一定の範囲での「服従義務」が市民に課されるのは、ちょうど「国家」と「市民社会」の関係の二重性から帰結することだ。
だから、社会契約論の最も徹底した主張者であるルソーは、市民とは何よりまずは愛国心をもって国家に奉仕する義務を負うものだと述べたのであり、愛国心を含む国家(社会)と一体となる感情や義務は「市民宗教」と呼ばれるべき崇高なものだと見なした。当然、これらは教育によって植えつけられるものなのである。
こうして近代国家といえど、決して「中性国家」ではありえないことに注意しておかねばならない。むろん、国家が過剰に個人の生き方や信仰に介入することは排除すべきだし、そもそもそれは近代国家の論理からしても誤っている。近代国家は、個人の生き方や内面生活には確かに介入しないのである。しかし、また、もし仮に契約の論理を近代国家構成のロジックだとすれば、近代国家は、市民的価値と共に成立しているのである。したがって近代国家は「市民」を育て上げなければならない。それは「人」を「市民」へと仕立て上げることであり、市民的価値を付与することにほかならないのである。」佐伯啓思『日本の愛国心 -序説的考察』中公文庫、2015年。pp.148-155.

 佐伯氏のここでの説明は、オーソドックスで無理がない。ただ、価値中立性が近代の論理から出てくることはわかるが、完全な価値からの自由は、M・ヴェーバーがいったようにきわめて難しい課題だ。現代もさまざまな宗教、さまざまな価値観が独善的な主張を行って、対立や抗争は後を絶たない。「中性国家」などは現実にはないといってもいい。ただ、民主政と信仰の自由を保持するなら、権力の拠って立つ支配的な価値、偏狭な世界観を相対化する条件、つまり国家の正義に対抗する価値を主張する回路をもたない国家は、いずれ崩壊する運命を抱える、とはいえそうだ。
 

B.世論の「科学的」把握は可能か?
 ぼくも社会調査という科目を長い間、大学で講義してきた人間なので、科学的な調査統計がどういうものか、そしてそれが技術的に高度化しつつ、結局は完全なものとはなりえないことも、知っている。21世紀になって登場した新たな問題は、世論調査の従来の方法とは異なる、世論形成の把握としてインターネットを利用する方法が主流になってきたことだ。ただこれも、ぼくには大きなバイアスを生み、旧式の社会調査よりも正確な情報獲得の手段になるとは思えない。なにより、それは極端な主張が積極的に増幅され、そうした情報に疎いマジョリティの意見を取り落とす危険が多いとみられるからだ。山口真一氏の以下の論考もそこを危惧しているのは、まっとうな見解だと思う。

「一部の声が多数派に リスク認識を 「ネット世論」の歪み  山口真一のメディア私評 
 インターネットの普及は、社会における情報のアクセス方法やコミュニケーションの方法を劇的に変化させた。人々はSNSなどのプラットフォームで意見や情報を自由に共有し、瞬時に大勢の人々に情報を届けることができるようになり、人類総メディア時代が到来した。
 それに伴い、「ネット世論」という言葉をよく耳にするようになった。インターネット上では多様な人が様々な意見を言っており、政治的運動もしばしば起こっている。マスメディアもそのようなインターネットを人々の意見の場として取り上げ、報道することが少なくない。
 しかし、実はインターネット上の意見分布が大きく歪んでいることが、筆者の実証研究で明らかになっている。それを世論としてマスメディアが報じたり、政府・政治家・企業・個人もそう捉えたりすることで、大きな問題が引き起こされていることを筆者は危惧している。
 なぜインターネット上の意見分布は歪むのか。それは、インターネット上の意見には能動的な情報発信しかないためである。つまり、言いたいことのある人だけが言い続ける言論空間だ。その結果、極端な意見や強い信念を持った人々が大量発信することが容易になっている。これは、通常行われるような世論調査が、聞かれたから答えるという受動的な発信であるのと逆である。
*    * 
 筆者は2018年に、20~30歳の男女3095人を対象としたアンケートを実施し、意見の強さとSNS投稿行動の関係を分析した。具体的には、ある一つの話題―ここでは憲法改正―に対する「意見」と、その話題についてSNSに書きこんだ回数」を調査し、分析した。分析では、「非常に賛成である」~「絶対に反対である」の7段階の選択肢を用意し、回答者の意見分布とSNSでの投稿回数を分析した結果、まず、回答者の意見分布は「どちらかといえば賛成(反対)」「どちらともいえない」といった中庸的な意見の多い山型となった。しかし、SNSの投稿回数分布は、最も多いのが「非常に賛成である」人の意見(29%)で、次に多いのが「絶対に反対である」人の意見(17%)という、谷型の意見分布になったのである。この強い意見を持っている人たちは、回答者には7%ずつしか存在していなかったにもかかわらず、SNS上では合計46%の意見を占めていたのだ。
 インターネット上の意見分布が歪んでる証左は他にもある。東京大学の鳥海不二夫教授の研究によると、20年の東京都知事選挙において、ツイッター(現X)上の言説を分析したところ、二つのクラスターが観察された。大きいクラスターには現職の小池百合子都知事への批判ツイートが多数含まれていた。もう一つのクラスターには、諸派の候補を支持する内容などが含まれていた。このように、ツイッター上には小池都知事を支持するような言説はあまり見られなかったが、選挙結果は小池氏が366万票を集めてトップであり、2位の宇都宮健児氏は84万票と、小池氏の圧勝といってもよいものであった。
*    * 
 昨今、マスメディアは情報の取得源としてインターネットを頼りにしている。しかし残念なことに、その際にこのバイアスを見落とすことが多い。特に、SNS上でのトレンドやバズといった情報は、多くの人々の意見を反映しているように見えるが、実際には一部のノイジーマイノリティーの意見が目立っていることも少なくない。その結果、サイレントマジョリティー、すなわち静かに意見を持っているがそれを公然と表現しない大多数の声が、マスメディアに拾われない。
 この現象がもたらす社会的な影響は大きい。ノイジーマイノリティーの声が過度に強調されることで、社会の中での意見や価値観の多様性が失われる恐れがある。また、一部の声ばかりがマスメディアを通じて大きく取り上げられてお墨付きを得ることで、不要な対立や誤解を生む可能性もある。さらに、一部の声が多数派として伝わり、公共の議論や意思決定の参考とされてしまう。
 この問題を解決するためには、マスメディアがインターネット上の情報を取り扱う際のアプローチを見直す必要がある。まず、インターネット上の情報を取得する際には、その情報が本当に多くの人々の意見を反映しているのかを入念に確認したうえで、多様な情報源を横断的に調査し、様々な意見をバランスよく収集することが大切だ。また、重要なテーマについては必ず意見調査やアンケートを行い、人々の受動的な発信による意見分布を把握しておく必要がある。さらに、扱うテーマに関する専門家の意見や分析をより多く参考にし、インターネット上の声に振り回されない質の高い報道を行っていくことも重要だろう。
 加えて、社会全体として、情報を受け取る側のメディア情報リテラシーを高めることも必要である。人々が、情報の発信元やその背景、バイアスなどを疑問視する姿勢を持つことで、一部の意見が過度に強調されることの影響を軽減することができる。
 筆者はよく「ネット世論はない」と指摘している。そこには確かに人々の生の声があるが、それをストレートに社会全体の意見として捉えるのにはあまりにも大きなリスクがある。社会の声のバランスを取り戻すためには、マスメディアと情報を受け取る側の双方が、その課題に向き合い、適切な対応を取る必要がある。」朝日新聞2023年9月15日朝刊11面オピニオン欄。
 山口真一氏は、1986年生まれ。国際大学GLOCOM准教授(計量経済学)。東京大学客員連携研究員や、複数の政府有識者会議構成員も務める。近著に「ソーシャルメディア解体全書」

 ネット・メディアや論壇でとりあげられる現在の注目すべき世論なるものと、選挙という古式ゆかしい方法で表明される有権者の意志、というものが、あまりにも乖離しているのは、ネット・メディアには出てこないサイレント・マジョリティという「大衆の声」は、選挙には反映されているという事実だろう。それは明確な主張や気分を反映する「積極的なもの」ではなくて、ただなんとなく時代の雰囲気に流される「受動的な選択」なのだが、確かにこの国の未来を左右してしまう「変え難い岩盤」なのである。
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「日本の愛国心」をめぐって 4 戦後レジームの廃棄? 自己肯定感の低下?

2023-09-13 09:17:03 | 日記
A.愛国心教育の必要性
 第1次安倍政権が掲げた「戦後レジーム」の見直し、というスローガンは、その後紆余曲折して第2次安倍政権が長期化した結果、なんだかわけのわからないことになっていったが、結局憲法改正(改悪)という最後の目標だけが残って、菅、岸田政権もやるやると言いつつ、安倍氏が亡くなって支持率は低下し、「改憲」なんてほんとにできるのか?あやしげな状況ともみえる。そもそも「戦後レジーム」という言葉は、フランス革命時の「アンシャン・レジュウム」という、ブルボン王制を打倒すべき旧体制と呼んだところからくる。それを日本の戦後をひとくくりにして、倒すべき旧体制だと呼ぶことによって第1次安倍政権は、どこへもっていこうとしたのか。王制を倒したフランス革命は、共和制を血みどろの闘争を繰り広げ共和制、そしてナポレオン帝政にもっていった。
 安倍晋三氏の考えた「戦後レジーム」とは、要するに護憲を掲げる左翼リベラルが力をもつ体制であり、「先の戦争」をアジアに対する日本の悪事・侵略戦争として捉えて、謝罪と自虐を繰り返す勢力を指す。こいつらを叩き潰して、「美しい国ニッポン」を取り戻す、とアピールしていたわけだけれど、その構図には最大の矛盾があった。つまり、戦後日本で左翼政党が政権を握ったことはほとんどなく、政治的だけでなく社会的文化的にも、アンシャンレジウムと呼べるような支配体制になどなったことはなかったし、そして対米従属という基本構造は、なにより自民党保守派の拠り所であったことは、安倍政権だって変える気などなかったことだ。
 最初の教育基本法改訂にはじまる教育改革も、左翼日教組潰しができればいいので、愛国心教育など実質的にはど~でもよかったのかもしれない。戦前の国家意識を子どもに植えつける皇国教育など、いくら教科書をいじくったって、社会が変わってしまった以上、不可能な試みだろう。

「2006年に小泉政権を引き継いで安倍政権が誕生したが、安倍政権が最初に着手した課題は教育改革であった。「戦後レジーム」の見直しを掲げる安倍政権にとっては、日本の戦後体制の基本的な柱は、アメリカの占領政策の中で設定された憲法と教育基本法にあり、この両者を変革することが政権の使命であった。そこで、安倍首相のもとで、2006年12月に教育基本法の改正がなされた。戦後教育の基本的な方針の見直しであるが、この改正においては、とりわけ「愛国心」教育が賛否両論を呼び起こした。もっとも、改正では「愛国心」という文言が使われているわけではない。第二条、「教育の目標」のひとつに「伝統と文化を尊重し、それらを育んできたわが国と郷土を愛するとともに……」となっている。「国と郷土を愛する」という穏やかな表現である。
 このような穏やかな表現に対しても、かなりの批判はなされた。図式的にいえば、例によって、保守派が、「愛国心教育」に賛同するのに対して、左翼・進歩派はこれを批判するということになる。批判の主眼は、そもそも「心」を教育することはできないし、すべきではない、という点にあった。さらには、「心」のあり方を成績のように評価することなど不可能だという。
 だがこれらの批判はあまり意味がない。言うまでもなく、改正基本法が唱えているのは、「心」を教育するということではない。「国や郷土を思う心をもつことの大切さ」を教えるということである。要するに、「国と郷土」へ関心を向けるよう配慮せよ、ということであって、その具体的なやり方は現場の教師に任されるほかない。「心」を直接に教育することなど当然ながら不可能であり、まして、「心」を成績で評価することなど論外である。しかし、「ある心のもちようの大切さ」を教育することはできる。
 現に戦後教育もそうしてきたのである。もっといえば、教育とは、原則に立ち戻ってみればすべて「・・・は大切だと思う心」を教えるものではなかろうか。「心」は教えられないなどと言っている左翼・進歩派も、「自由や民主主義の精神」を教えることこそ教育の役割だといってきたのではなかったろうか。これなど、まさに「自由と民主主義を大切に思う心」を教育せよ、ということである。同じ「心」でも、「自由と民主主義を大切に思う心」を教えるのはよいが、「国と郷土を大切に思う心」を教えるのは間違っている、というのならともかく、「心」は教育できないというのでは筋が通らないであろう。
 しかし、ここではもう少し先に議論を進めよう。
 そもそも、基本法の改正のひとつの焦点となった「愛国心教育」――繰り返すが、実際には「国と郷土を愛する…」であるが、ここでは簡単化してあえて「愛国心教育」といっておく――であるが、いわゆる保守派は、「愛国心は自然の感情なのだから、これを教えることは自然である」という。一方、左翼の反対派は、「心は教育できない」という批判のほかに、「愛国心を上から押し付けるのは間違っている」と主張したのであった。
 実際、今日、いかに左翼・進歩派といえども「愛国心」まで無条件に否定することはできず(逆に、心の問題だとすれば、愛国心をもつな、という教育もできないのである)、批判の大半は、「愛国心をもつことは自然のことではあるが、それを上から押し付けるのは間違いだ」という、その意味では、大半の左翼も保守も「愛国心」が自然の感情だという点では一致しているのである。
 あまり右だの左だのという色分けした議論はしたくはないのだが、議論の便宜上、保守と左翼という対立構図に即していえば、ここでは、保守も左翼もともに説得力はない。
 なぜなら、たちどころに次のような疑問が浮かぶからである。
「愛国心は自然な感情だから、それを教えるのは自然である」と保守派はいう。だが、「自然な感情」などといえば、たとえばアダム・スミスが述べたように、利己心もまた自然な感情であり、利己心教育も必要などということになってしまう。それに、そもそも「愛国心」が自然の感情ならわざわざ教育するまでもなかろう。教育とは、たとえ「自然」に反してでも、ある社会の価値や技術・知識を人為的に子供に身につけさせる行為なのである。自然に任せておけば適切には発現してこないからこそ教育が必要になるわけだ。
 一方、では「愛国心教育は上からの押し付けだから間違いだ」という左翼の言い分はもっともであろうか。彼らは、「心の問題」を上から押し付けるのは間違っている、という。それは「心の問題」は「価値」に関わるからである。「価値」は、その良し悪しを個人が判断すべきであって、国家が押し付けるべきではないという。それが近代国家の原則だというのである。
 しかし、この議論に対しては、いましがた述べたように、たちまち疑問が生じる。左翼・進歩派は、戦後憲法の民主主義や平和主義、人権主義などを理想的な「価値」と賞賛してきたのであるが、しかし、彼らはこれらの「価値」が憲法によって「上から押し付けられた」などとはいっさいいわない。実際には、そもそもの古憲法そのものがGHQ,端的にいえばアメリカによって「押し付けられた」ものであったにもかかわらず、である。
 自由・民主主義や平和主義は、左翼・進歩派にとっては、普遍的な「価値」なのであり、また戦後の教育基本法においても、これらの「価値」を実現することが教育の重要な目的とされたのであった。戦後の教育においてもすでに「価値」は上から押し付けられていたのである。
 だから、実際には、左翼・進歩派は、「価値の押し付けはよくない」と考えているわけではなく、「自由・民主主義、平和主義といった普遍的価値の押し付け」は正しいが、「愛国心という価値の押し付け」は間違っている、ということなのであった。しかし、そのことを「論証」するのはそれほど容易ではないのだ。
 こうして、保守の賛成論も左翼の反対論もあまり説得力はなかった。結果として、教育基本法は、いくぶん穏やかな表現に落ち着いて愛国心に共鳴する方向で改正された。だがここで、両者とも何か肝心な論点を落としてしまっているように思われる。それは何かというと、「国」という論点である。国をどのように理解するか、という点なのである。
 愛国心が「国」と不可分であることはいうまでもない。しかし、では「国」と「愛国心」はどのような関係にあるのだろうか。答えはそれほど自明ではない。それは「国」というものの理解の仕方にかかっているからである。「愛国心教育」そのものについてはすでに一応の決着はついており、教育基本法の改正後は、特に強い異議や批判もなされていない。この程度の「愛国心教育」は現在の日本にあってはむしろ必要なのであって、特に危険なものではない、というある程度の了解が成立しているように見える。しかしそれとは別に、ここには思想的にもう少し考えておかなければならない問題がある。そのことを次に論じてみよう。
  ホッブズの議論 
先にも述べたが、愛国心教育に反対する者は。それが「心」の問題、すなわち「価値」を国家が押し付けるからよくないという。教育はある価値を次世代に伝達するものだから、厳密には公教育は基本的に、国家が価値を付与するもの以外の何ものでもないのだが、確かにこの批判にも一定の言い分があって、それは近代国家は「価値」を独占してはならない、という政治学の命題が通念となっているからである。
 第一章でも述べたように、丸山眞男は、「あの誤った戦争」に日本が突入したのは、日本が近代的国家として未成熟だったからだという。なぜなら、日本の天皇制は、ただ天皇を西欧的な意味での君主とみなすのみならず、日本の道徳・文化という「価値」の体現者であり、「価値」の源泉ともみなしたからである。天皇は政治的な主権者であるばかりでなく、文化的「価値」の主宰者でもあった。ここに「日本型ファシズム」が生み出される特異な性格があった。これが丸山の説である。
 この特異さは、日本が近代国家の原則を確立できなかったということである。近代国家とは、価値に対して中立的であるような(シュミットの言葉を借りて)「中性国家」であって、日本は近代国家の体をなしていなかった、という。戦前の日本は、天皇への忠義を基軸に「価値」の体系が組み立てられたいわば「忠誠国家」ではあっても、西欧近代の「中性国家」ではなかったのである。
 この丸山のいう近代国家の理解は、別に丸山独自のものではない。戦後の政治学の基本的な理解といってよい。近代国家の価値中立性がまずあってはじめて、信教の自由が政治上の民主主義と両立する。政教分離も、この近代国家の原則にのっとったものである、とされる所以である。
 だがこの戦後政治学の通念は本当に大切なのだろうか。
 丸山は、西欧近代国家の理論を作り出したのはホッブズであると述べているし、また、政治思想史の基本理解もそのようなものだ。そこでボッブズの議論を改めて見ておこう。
 イギリスの思想家トーマスホッブズは、1651年に『リヴァイアサン』を書き、ここに近代国家の最初の体系的理論が構築されたといわれる。ホッブズの生きた時代は、イギリス史の中でももっとも凄惨で殺伐とした時代だったとされるが、いうまでもなくその主因は国教会、カトリック、そしてピューリタンと呼ばれるプロテスタント諸派の間の宗教的抗争と政治的党派の闘争にあった。宗教戦争と、王党派と革命派の政治的争いが結びつき、かつてない無秩序な状況が出現したわけである。ホッブズの『リヴァイアサン』が書かれたのはそのような背景のもとにおいてであった。この混沌の中からホッブズは「近代国家の論理」を導き出したわけである。
 この場合、近代国家の論理とは、いうまでもなく、社会契約もしくは国家契約という考え方である。国家は自由な個人の契約によって構成されたというのが近代政治学の起点となっている。
 よく知られたところではあるが、念のためにホッブズの論理を要約しておこう。
「自然状態」において、人々は全く何の束縛も受けず、最大限の自由を保持している。人々の関心は何よりまず生命の維持にあり、いわば「生存への権利」をもっているのだが、自然状態では、その結果が相互に殺し合うという「万人の万人に対する戦い」をもたらす。そこで人々はこの相互殺戮を終わらせるために、全権力を一人の人間もしくは一つの団体に譲り渡し、他のすべての者は一切の武装解除を行なうという一種の契約(ホッブズのいう「信約(covenant)」に同意するであろう。ここに、すべての権力を保持した主権者が出現し、それが「国家」を構成する。と同時に、一切、武力を行使しない平和的な人々の群れ、すなわち「市民」が登場する。かくて「自然状態」とは区別された「社会状態」が出現するわけである。
 こうして近代国家とは、人々の自由な契約(「信約」)によって成立する。この場合、国家の役割は、諸個人の生命の保護にあり、それ以上のことは国家には要求されないのである。また国家によって生命(および財産)が保護されたとき、ここに市民社会ができることとなる。ホッブズの論理では、「国家」の成立と「市民社会」の成立は等しい。
 しかし、ここに重要な疑問が生じる。というのも、諸個人はすべての力を主権者である国家に譲り渡し、その後は国家に対してただ随順せざるをえない。したがって、もしも国家が市民の私的生活を脅かしたとき、一体市民はどうすればよいのか。つまり、「国家」と「市民社会」の関係においてあまりに力の配分が非対称的であり、「国家」は絶対的な力を市民に向けて行使できるのではないか、という疑問が生じる。そこに国家権力から「市民社会」をいかに守るかという近代政治学の主要テーマが登場する。」佐伯 啓思『日本の愛国心 序説的考察』2015年、中央公論社、pp.140-148.

 近代国家の成立のはじまりに、ホッブズやルソーの言う「社会契約」が実際にあったかどうかはともかく、西欧で国家とはどういうものかを問えば、このような考え方は政治学の常識、そして精神的・宗教的権威はキリスト教(教会)が担い、世俗権力の長たる王様貴族は人民から委託された現世の権力だということも当然だった。しかし、日本の明治憲法は、主権が天皇にあるだけでなく、宗教的権威つまり天皇を神にした。ここが決定的に違うので、佐伯氏がいうごとく、西洋では国家と市民社会は同時に成立したけれど、日本では国家は成立したが市民社会はできていない。そのことが、いまだに日本を「特殊な国」にしているとすると、安倍晋三氏はそれをポジティブな価値と考えるという逆転の発想を政治に持ち込もうとして失敗したのではないか。


B.自己肯定できない「感覚」
 国際比較の意識調査というものがいろいろ行われて、日本は世界の中でこんな位置にあるのだ、という論評が出る。子どもの自己肯定感について、日米中韓4カ国の比較調査というものが出て、日本は一番それが低い、という結果だという。どうしてそうなったのか?いちおう社会調査の専門家だったぼくにも、4カ国の数字を見ただけで、そう簡単な説明は難しい。そもそも自己肯定感を測定するのに2,3の意識調査の質問を比べたところで、なぜそうなるのかは、同じ調査の中で属性や他の意識を聞いていなければ、相関も因果関係も確かめられない。だから、非常に外面的印象に頼った説明になってしまう。しかし、この柳沢氏は教育現場の技術論を専門とする人のようなので、いちおう耳を傾けてみよう。

「そこが聞きたい→子どもの自己肯定感  東大名誉教授 柳沢 幸雄 氏
 日本の子どもの自己肯定感が低いと指摘されて久しい。SNS(ネット交流サービス)や生成AI[(人口知能)が身近になる中、一人一人の生きる力が一層重要になっている。子どもたちが自信と希望を持てるようになるため、大人はどう接すればいいのか。長年、教育現場に携わる柳沢幸雄・東大名誉教授に尋ねた。【聞き手・大貫智子、撮影・内藤絵美】
 責任感が育てば高まる
―日本の子どもは、なぜ自己肯定感が低いのか?
 一つは「皆に合わせましょう、皆と仲良くしましょう」と周囲との協調を強いられるためだ。全員と仲良くすることは大人でもできず、十人十色であるはずなのに、親や先生に言われるので身動きがとれなくなっている。もう一つは、褒められて育っていないことだ。日本語と比べると英語は誉め言葉が多い。自分の立ち位置や価値観が定まっていない子どもにとって、褒められた経験がないと自分はダメだと思ってしまう。

―以前より褒める教育は重視されている印象もあるが。
基本的には変わっていない。学校側は、子どもの良いところを見てあげようというより、、保護者からクレームが来ないように丸く収めようと逃げ腰になっている。

―「失われた30年」の中で親世代が育った影響もあるのではないか。
 それは非常に大きい。日本は敗戦後、ゼロからのスタートで高度成長を果たした。成功した世代が上にいるので、バブル崩壊後も前例踏襲主義で30年過ごしてしまった。その結果、経済成長は停滞した。前例を大事にするだけなら、生成AIでいい。
 失われた30年を象徴する言葉が「させていただきます」という使役表現だ。わたしは1984年に渡米し、10年後に帰国した時、日本でこの言葉遣いが広がっていると強く感じた。いまは丁寧な表現として違和感を持たない人が大半だが、この表現の構造は周囲に同意を求める形をとりながら、返事を待たず、同意を押し付けている。「皆さんも同意してくれたので、共同責任を負ってもらいますね」と自分の責任を回避して、周囲に自分の行為の責任を委ねている言葉遣いだ。

―大人は子どもにどう語りかければよいか。
 まず大人が「させていただきます」ではなく、「私がします」と言い切るべきだ。こうした言葉を使えるようになれば、子どもの責任感も育つ。責任を持つ主体として自己肯定感も高まる。将来に希望が持てなくなると、若者は外に出て行ってしまう。自分はこれがやりたいと子どもが言えるようになった時、日本は必ず復活する。

―SNS上では若者が積極的に自己アピールをしているように見える。
 バーチャルの空間であれば顔が見えないので自分を表現できるということだ。それだけ現実の世界が不自由で、圧迫感に満ちているからだ。SNS上で誹謗中傷が激しくなるのは、不満が鬱積していることの裏返しだ。

―教育現場ではどのように子供に接しているか。
 受験競争に勝った経験がない生徒の場合、「自分なんてダメだ」と思って入学してくるが、だれもが高い潜在力を持っている。それを感じさせることができると飛び上がるように伸びる。伸ばすためには生徒に話をさせることだ。例えば高校1年生への論文指導で、葛飾北斎の浮世絵を見せて、目の見えない人に説明する文章を書けと課題を出す。書くにあたって3人でグループを作り、「文殊の知恵」を出すようにする。友人との会話を通じて、他人から評価を得るために守りに入るのではなく、自分自身を評価できるようになる。アクティブラーニング(能動教育)というのは脳みそを動かす「脳動」教育だ。こうした経験をすると人前で話すことにためらいがなくなる。
 *子どもの自己肯定感に関する調査:2023年6月に国立青少年教育振興機構が発表した日米中韓4カ国の高校生の意識調査で、「自分はダメな人間だと思うことがある」との回答は、日本は最多の78.8%に上った。一方、「いまの自分が好きだ」「相手が誰であっても自分の意見を言える」はいずれも4カ国中最も低かった。」毎日新聞2023年9月12日朝刊9面 オピニオン欄。

「~させていただきます」は、巧妙に責任逃れの命令形だという指摘は、「~します」と比べると、これは「喪失の30年」になって頻用されるようになったことがわかる。なるほど。
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「日本の愛国心」をめぐって 3 ナショナリズムとは? 「処理水」放出

2023-09-10 09:50:21 | 日記
A.公益・共同利害関心・共通感覚 
 ある土地、ある時代をともに生きている人々の共通感覚から出てくるナショナリズムというものは、精神的・感情的性格をもつから、それがぶつかりあうことは、一国内でも、また多国間でも、始末の悪いやっかいな問題になりやすい。西洋の社会理論を参照すると、このナショナリズムについてどんな捉え方をしてきたのか、佐伯啓思氏は、そこのところは専門家として、目配りは確かだ。

「ここで改めてナショナリズムについての概念整理を行っておこう。
 国家の起源については諸説があるが、その起源がいかなるものであれ、ひとつの国は、人々の「共通の関心(コモン・インタレスト)」をもっている。この「共通の関心」をいっそう具体的な政治的意思へと顕在化し、その政治的意思を実現するとき、そこに「公共の利益」(パブリック・インタレスト)が定義される。
 また、一方、考えてみれば「共通の関心」を持ちうるためには、人々の間に、それなりの「共通の感覚(コモン・センティメント)」がなければならないであろう。たとえば、他者との間に「共通の関心」をもちうるためには、同じ歴史的経験を踏み、同じ運命にさらされているという感覚がなければなるまい。少なくとも他者との間に、ある基本的な事柄について共通の了解が成り立っているという感覚が必要であろう。
 人々の共同社会はこの三つのレベルをもっている。「公共の利益」「共通の関心」「共同の感覚」の三つのレベルである。もっとも顕在的な形で明確に定義されるものは政治的な意志の表明である。意思の表明である「公共の利益」であり、その背後には、もう少し漠然とした一つの集団の関心がある。そして、さらにその背後には、いっそう潜在的なレベルで、共通の歴史的意識、言語的コミュニケーション、宗教的感覚、文化などによって与えられる「共同の感覚」がある。
 この三つのレベルを、すでに述べた概念にあてはめれば、それぞれおおよそ、「国家(ステイト)」「国民(ネーション)」「民族性(エスニシテイ)」に対応するといってよかろう。
 そこで次のように考えてみよう。「共通の関心」は、一方で、いっそう顕在的で政治的な「公共の利益」として表現されると同時に、他方では、いっそう潜在的で、しかし根強く集団の歴史を貫き、文化の基層を支えている「共同の感覚」によって拘束されている。
 つまり「共通の関心」は、つねに、政治的で顕在的な「公共の利益」と、歴史的・文化的で潜在的な「共通の感覚」にはさまれ、いわばその両者に引き裂かれつつ両義性を帯びているとしてみよう。
 このことは、「ネーション」や「ナショナリズム」についてもあてはめることができよう。「国民(ネーション)」は、一方で、「国家(ステイト)」によって強く規制され、法的主体として法に服し、統治への関心をもつという意味で「政治的主体」としてたち現れる。民主政治の主権者は国民であるなどというときの「国民」は、統治主体としての「国家」へと引き付けられて定義されているのである。
と同時に他方では、歴史的経験を共有し、文化的語法を共有した広い意味での「民族的集団」という意識を払拭することはできない。「国民(ネーション)」もこの両者に引き裂かれ、また両義性を帯びてくる。「国民」を主として前者の政治的主体として捉えれば、それは通常「公民」や「市民」と呼ばれるものとなろう。一方、それを主として後者に引きつけて理解すれば、それは広義の「民族」へと接近することになる。
そこでこの議論を「ナショナリズム」にあてはめてみよう。すると、「ナショナリズム」は、一方で「国民(ネーション)」の関心を政治的な意思として主体的に実現してゆく「市民的ナショナリズム」へと接近し、他方では、「国民(ネーション)」の意義をその紐帯の歴史的核心につなぎとめようとする「民族的ナショナリズム」へと接近する。「ナショナリズム」は、こうして、「市民的ナショナリズム」と「民族的ナショナリズム」の両者の側面を抱え込んだ両義的な運動なのである。重要なことは、この両者は一応区別されるべきだが、切り離されるべきではない、ということだ。それを一方から他方へと切り離してしまうことはできない。
ナショナリズム研究の分野では、従来からナショナリズムの二つの類型が区別されてきた。ひとつは「シヴィック・ナショナリズム」であり、他は「エスニック・ナショナリズム」である。これはハンス・コーンによって区別されたもので、しばしば「コーン・ダイゴトミー(コーンの二分法)」と呼ばれるが、この二つのナショナリズムが、ここでの「市民的ナショナリズム」と「民族的ナショナリズム」に対応していることはいうまでもなかろう。
ただ、コーンのダイゴトミーは、二つのナショナリズムを区別して別個のものとして扱おうとする。コーン自身は、この二分法を、西欧諸国のナショナリズムと東欧諸国のそれを区別するために持ち出したのであった。ここには、すでに民主主義的政治体制や法の支配が進展した政治的先進国である西欧のナショナリズムと、民主主義が未だに十分展開せず、さまざまな民族が混在した東欧のナショナリズムを区別するという意図があった。いうまでもなく、コーンは西欧型の「市民的ナショナリズム」の優位を唱えようとしたわけである。まさに清水幾太郎が述べたように、西欧では「ナショナリズムは民主化されていた」ということだ。もっといえば、「民族的ナショナリズム」は危険であり、それを「市民的ナショナリズム」へ「民主化」する必要がある、というのである(黒宮前掲書参照)。
従来のナショナリズム論においては、この両者は区別され、「民族的ナショナリズム」の危険性が唱えられるとともに、「市民的ナショナリズム」が一定の範囲で擁護されてきた。近年も、タミールやミラーら、いわゆるリベラル・ナショナリストと呼ばれる研究者たちが、リベラリズムの立場を保持しつつ「市民的ナショナリズム」を擁護しようとしている。
 たしかに、西欧社会と東欧社会のナショナリズムをめぐる混乱や相違は、ある程度この区別によって整理はつくであろう。しかし、本質的には、近代のナショナリズムはどこにおいても多かれ少なかれ、この二重性を帯びているのであって、決して一方を捨て去って他方だけで定義できる、というものではない。ナショナリズムはそれほど都合のよいものではないのである。近代のナショナリズムが「市民的ナショナリズム」を公定のものとして打ち出したとき、「民族的ナショナリズム」はその背後でそれを支える。「市民的ナショナリズム」はいくぶん抑圧されながら潜在化するだけであろう。
 だから、本書では、このような二分法は取らない。両者を区別はするが、切り離さない。「民族性」をいっさい払拭しようとした「市民的ナショナリズム」も、また「市民性」を排除しようとした「民族的ナショナリズム」も、ともにきわめて不安定なものだと考えるのである。そして、一切の民族的要素を排除した「市民的ナショナリズム」が実際には存在しないように、いっさいの市民的要素を排除した「民族的ナショナリズム」も「国民運動」としては存在しえない。
 したがって、何としてもナショナリズムから「民族的側面」を切り離して「市民的側面」のみでそれを定義しようとする左翼リベラル的なナショナリズム論も、逆に「市民的側面」をほとんど無視してその「民族的側面」によってナショナリズムを再構成しようとする民族的右翼も、ともに共通の間違いを犯している。両者ともに、「市民的ナショアンリズム」と「民族的ナショナリズム」を切り離してしまい、それぞれを独立させてナショナリズムを定義しようとしているからである。
 とすれば、ナショナリズムの問題とは、この両者のバランスをいかに図るかということになる。両者を調和させ、調停させてゆくことがナショナリズムの課題となる。この二つの側面を強引に切り離すことはできないのであり、どちらかに極端化すればナショナリズムはきわめて不安定化せざるをえない。ナショナリズムとは、常に、この両者の側面を併せ持った両義的な概念なのである。
 これまで、私は、ナショナリズムの中にある「民族性」を無視しえない、と述べてきた。しかしまた、近代国家のナショナリズムは、身属性によって定義できる運動ではない、と述べてきた。「ネーション」と「エスニー」は区別されるべき、だとも述べてきた。このことはいくぶん読者に混乱を与えるかもしれない。もっと事態を明確にすることはできないのだろうか。
 実は、「民族性」という概念を私はあまり好まない。しかも今日の日本などを考える場合、もはや自明なものとしての「民族性」という意識をわれわれがもっているわけではないだろう。上の文脈で、私は、「民族性」という概念を、共通の感覚を与える歴史的経験や言語や文化的な共同性の意識、というぐらいの意味で使ってきた。もしかしたらそれは「民族性」というより「歴史的文化性」とでも呼んだ方が適切であったかもしれない。
 そもそも、今日、われわれの「共同の感覚」の基層にあるものは「民族性」なのだろうか。たとえば、清水幾太郎が、外地から引き揚げてきたときに、長崎の山を見て思ったどうしようもないなつかしさ、とは「民族性」というようなものだったのだろうか。
 われわれはそれを普通「民族性」とはいわない。それはむしろ「故郷」という言葉で表現するほうが適切なような何かではなかろうか。外国の地にあって、われわれがしばしば思いをはせ、なつかしむものも日本民族なのではなく、自分の故郷なのではないか。「共同の感覚」の基底にあるものも、民族意識というよりも、共通の故郷をもっている、という意識ではなかろうか。そこで問題となるのが「パトリオティズム」なのである。そこで、第三に、「パトリオティズム」と「ナショナリズム」の関係について論じておこう。
 故郷喪失者たちの「愛国心」
 英語の「パトリ(patri)」とは、「父の」といった意味で、もともとはラテン語の「父の土地」という意味からきている。「パトリアル(partial)」とは「祖国の」の意であり、「パトリアーク(patriarch)」は「家長」「族長」である。また「パトリモニー(patrimony)」は「世襲財産」「伝承」である。こうした一連の語は、多少のニュアンスの違いをもちながらもあることがらを示している。
 それは、「父」の代、すなわち祖先から受け継がれ、伝承・相続された土地(世襲財産)として「祖国」をイメージするというものであろう。こうした一連の言葉の延長上に「パトリオット(愛国者)」や「パトリオティズム(愛国心)」という言葉もある。
 これからもわかるように、「パトリオティズム(愛国心)」は、もともと、先祖から継承された世襲財産という意味合いが強く、そうだとすれば、それはまずは土地であり、そこに住むことによって愛着をもつことができ、祖先からの伝承と記憶を確保できるような場所であった。そして「パトリオティズム」とは、そのような場所として「国」を捉えようとするのである。確かにこのような「国」の捉え方は「国民」の一体性を説こうとする「ナショナリズム」とは異なっている。
 同時にまた、それは「民族性」とも異なっている。先祖からの継承という意味では「民族性」というニュアンスも含まれるが、しかし、この場合の先祖は、血の同質性によって定義されるものではなく、ある場所(土地、財産)の継承によって、その地への心理的な情緒を伴ったコミットメントの意識といったほうがよい。それをとりあえずは「故郷(ふるさと)」への愛着といってよいであろう。
 ミヘルスのいわゆる「鐘楼のパトリオティズム」がそれにあたる。彼にとって「祖国」とは,子供のころ、夕暮れまで遊びほうけた路地であり、石油ランプに照らされた食卓であり、郊外から野原へのびる小道であり、わらべ歌であり、そして鐘楼の鐘の音であった。「祖国」とは「国家」ではなく、こうした少年時代の記憶なのである。
 確かに、イギリス人にとって「祖国」とは、午後の紅茶であり、教会の鐘であり、ラジオから聞こえるエルガーの音楽であろう。多くの日本人にとっては、夕暮れの路地や家々のほのぐらい明かり、寺の境内の湿った地面、瓦屋根の向こうに見える山々、といったものであろうか。
こうした感覚は、誰もがもっている。つまり「自然の感情」なのであり、この自然の感情こそが「パトリオティズム」の基礎になっている、と一応はいえよう。」佐伯 啓思『日本の愛国心 序説的考察』2015年、中央公論社、pp.112-124. 

以上の部分は、ナショナリズムとパトリオティズムにかんするきわめて納得できる定義であり、定説だといえよう。そして、戦後日本に生きたぼくたちにとって、問題は「あの戦争」の時代に、その国家主義、民族主義、帝国主義とその精神的背景をなした愛国心が、きわめて極端な形で政治的に利用されたという事実である。それは佐伯氏がここでは触れていない天皇制ともかかわる。そこを忘れずに考えてみることは重要だ。


B.処理水?汚染水?
 福島第一原発から日々発生する放射性排水を、希釈して海に流す措置が東電と政府によって実施される。そのことの安全性への危惧は当然人々を不安にする。そんなことをしなくても他に方法はないのか?と思うが、政府・東電は地上での保管は限度に来ており、やむをえずこうするしかないのだ、安全性も問題はないと主張している。あとは風評被害などで損害が予想される漁業者への補償だという。メディアの多くも、結局この線で我慢するしかないという「処理」を認めている。中国などの反発は無視できるし、日本の世論は中国がまた勝手に騒いでいる、と踏んでいる。でも、もっと安全な方法はないのか?

「すぐ中止 とるべき策ある 福島の原発処理水放出 :今中 哲二
岸田文雄首相は、東京電力福島第一原発にたまり続ける放射性排水、いわゆる「多核種除去設備(ALPS)処理水」を海に放出することを決め、東電は8月24日、実際の作業を始めた。そのままでは法令に基づく放出基準濃度を越えているので海水で希釈して放出した。
 「廃炉と復興を進めるため」だそうだが、薄めても放射性物質がなくなるわけではない。漁業者をはじめとする多くの団体や地元議会の反対は無視された。
 2015年、度重なる汚染水漏れを心配して提出された福島県漁業協同組合連合会の要望書に対して政府・東電は、関係者の理解なしにはいかなる処分も行わないと文書で回答している。
 しかし、岸田首相は「漁業者との信頼関係は深まっている」と言う。「風評被害対策をしっかりやります」と言われると、かつて「最後は金目でしょ」とうそぶいた大臣を思い出す。
 海洋放出の話が出た当初から私は「第1原発からこれ以上余計な放射性物質を環境に放出すべきではない。放射性排水は大きなタンクで貯留するか固化するかして、東電の責任で長期保管すべきだ」と言ってきた。
 これ以上タンクを設置する場所がないというのであれば、約10㌔離れた場所に廃炉が決まった福島第2原発がある。ALPSで除去できないトリチウムの半減期は12年なので、その10倍の120年経てば放射能の強さは千分の1に減衰し、もう120年たてば100万分の1になって自然界レベルと同じになる。
 第1原発は東電が最初に建設した原発で、1号機の設計・施工は米国のゼネラル・エレクトリックが受注、1971年に運転を開始した。高さ30~40㍍の崖を削って原子炉や建屋を設置したが、阿武隈山地からの地下水が流れてくる砂層があり、建設当時から水に悩まされた。
 福島原発で1~3号機の三つの原子炉がメルトダウンを起こし、溶融燃料で原子炉容器の底が抜け、燃料デブリが格納容器の底に堆積した。原発事故が厄介のは、デブリが発熱を続けていることだ。この熱を冷却するため、今でも各原子炉で大量の注水が続けられている。
 デブリに触れて汚染された水は、壊れた格納容器から建屋の地下に流れ込み、外から入ってきた地下水と合流して汚染水となる。汚染水はポンプでくみ上げて地上タンクに保管されてきた。
 原発の汚染水漏れについて「アンダーコントロールだ」と、当時の安倍晋三首相が五輪招致の会議で演説した13年ごろ、汚染水の総量は約30万立方㍍で、毎日400立方㍍増えていた。「氷の壁で地下水をシャットダウン」という触れ込みの凍土壁が完成したのは18年だったが、汚染水の増加が半分になった程度で、いまでは氷のスダレと皮肉られている。
 第1原発で保管する放射性排水量は現在約134万立方㍍で、タンクの残りの容量は3万立方㍍だそうだ。だが、第1原発敷地内でもタンクの増設はまだまだ可能だ。
 政府・東電がやるべきは、まずは海洋放出を中止して関係者の意見を聞き、同時に地下水の流入を防ぐ頑丈な遮水壁を、壊れた原子炉の周りに設置して根本的な流入防止対策を進めることだ。」東京新聞2023年9月7日夕刊3面。
 著者の今中哲二氏は京都大複合原子力科学研究所研究員。1950年、広島県生まれ。原子力工学が専門。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の被害調査や福島原発事故の実態調査などに取り組む。
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