経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

ここだけ違うのはなぜ

2012年10月21日 | 社会保障
 10/19の日経ビジネス・オンラインに載った飯田泰之先生のインタビュー記事を読ませてもらった。飯田先生の主張には、筆者も賛同できるものが多い。例えば、日本は2%程度の成長は可能であり、それによって財政再建は可能だという点や、相続税増税の必要性、資産所得課税の強化などである。

 ところが、飯田先生も、年金制度の積立方式への移行論者なんだね。なぜ、こうなってしまうのか…。まあ、鈴木亘先生や小黒一正先生の本ばかり読んでいるのでは、そうなるのも仕方がない。権丈善一先生の本でも読んで、年金学説史を知ってもらえれば、見方が変わると思うのだが。そんなわけで、今日も年金財政の「説得論集」です。

………
 少子化が進んで、親世代よりも、それを支える子世代が少なくなれば、賦課方式の制度に無理が生じるというのは、そのとおりである。どういう無理なのかと言うと、少子化を起こした人は、支える子供を持たないので、彼らの年金を誰が負担するのかという問題である。だから、もし、彼らが「自分の年金は自分で積み立てる」なら、問題は解決である。

 つまり、少子化が起こったからと言って、子供のある人まで含めて、「全員」を積立方式に移行させる必要性はまったくない。子供のない人「だけ」を積立方式にして、彼らに2倍の保険料を払わせ、積み立てさせれば、それで十分である。こうした理屈が知られて、年金の専門家で積立方式を唱える人はいなくなった。未だに高唱するのは、事情を知らない専門外のエコノミストなのである。

 現実の年金制度は、子供のない人に積み立ての負担をさせる代わりに、国民全体で負担をすることにしている。財源は、既存積立金の取り崩しと、国庫負担という税金である。すなわち、現実の年金制度は、子供のない人の分については、「二重の負担」を既に行っているとも言える。つまり、「部分的」な積立方式には、もう移行済なのである。

 したがって、支え手を持つ「子供のある人」まで含めた「全面的」な積立方式を主張する人は、必要のない人まで積立方式にしようという無意味な議論を展開していることになる。しかも、その論拠が、子供のない人のために、国民全体で負担していることで生じている「損」=「二重の負担」を許しがたいとしたりするのだから、始末に負えないのである。

………
 当たり前の話として、少子化が緩和されるなら、国庫負担は大きく軽減される。今のままでは、子供のない人の年金を税で支えることになるが、同じく税を使うなら、保育を充実させて少子化を緩和する方が良く、負担も少なくて済むというのが筆者の基本的主張である。日本は、目先の保育予算を惜しみ、行く末の「子供のない人」の年金という重い負担を覚悟する選択をしている。

 「少子化なんだから年金はもたない」、「年金は自分で貯める方がいいよね」という単純な発想から、日本が抜け出せるのはいつか。そこから更に「カネを貯めるより、少子化の緩和が有効」というところまで進まなければならない。道は遠いな。飯田先生のような若きオピニオン・リーダーには、是非とも分かってもらいたいんだがね。

(今日の日経)
 電力5社が値上げへ。日中対立別次元・丹羽大使。中国・雇用底堅く軟着陸も。地球回覧・米富裕地域で独立ドミノ。重複遺伝子多いほど色々な環境に住める。読書・通貨戦争。北京大学・中国経済講義。

※中国企業の自生能力とは、外需をつかめたというだけのことでは。設備投資が需要に従うと分かっていれば、新しい話ではない。


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