名曲「東京の空」を作った。名曲「White Song」を作った(おとぎ話)。おとぎ話は、1月20日に「White Song」が入った『FAIRYTALE』というアルバムを完成させた。は、ラストで「東京の空」が流れる『ライブテープ』という作品の中で、たった一人で歌い続けた。現在の日本の歌心溢れる音楽シーンの核となる2人である。心を揺らす歌を作ることの出来る才能を持った2人は、強烈な磁石のように惹かれ合い、前野健太 with おとぎ話まで結成している。今彼らを紐解くことは、TVからは見えてこない、現在の日本の歌ものロックを垣間みる事が出来るだろう。素晴らしいひき語り音源を聞きながら、じっくりお楽しみください。
進行&文 : JJ(Limited Express(has gone?))
前野健太 / 鴨川
作詩・作曲 : 前野健太
vocal, gut guitar : 前野健太
recorded, mixed and mastered by 高橋健太郎
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『鴨川』をご購入頂いた方には、前野健太手書きの歌詞画像をプレゼントいたします。
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有馬和樹 / シンデレラ
作詩・作曲 : 有馬和樹
vocal, acoustic guitar : 有馬和樹
recorded, mixed and mastered by 高橋健太郎
購入特典 : 有馬和樹手書きの歌詞画像
「シンデレラ」をご購入頂いた方には、有馬和樹手書きの歌詞画像をプレゼントいたします。
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ゴーキーズがキング・ブラザーズやってる
——お二人の出会いについて聞かせてください。
有馬和樹(おとぎ話 Vo,G 以下、A) : 4年くらい前かな。
前野健太(以下、M) : 僕は、「さむつらす」っていうバンドをやってて、それで出ていたんですよ。その時に初めて対バンしたんだけど。
A : 最初はね… 全然お互いの良さもわからず。なんか、険悪だったよね(笑)。
M : 有馬君がすげえ生意気でしたね(笑)。
A : おとぎ話は、CD-Rを一年間で1000枚売り切って、円盤とかでも話題になってて。
M : ライブでは変な感じでしたね。有馬君が中島みゆきを裸になって歌ってたり、牛尾君がわざとボロボロのTシャツを着てステージに上がってたり、かなり謎なバンドだったんですよ。ライヴ後に「あのコードが下りていく曲、あれいいねー」って有馬君が言ってきたのが、たしか最初の会話ですね。
A : それからしばらくして俺がUFOクラブで働いていた時、さむつらすのライヴを見たら、前見たときよりもまっすぐな歌声になってた。「あれ?」って思って、これは対バンしなきゃって思って話しかけて、連絡先を交換したんだよね。
M : 2007年1月14日の企画だよね。すごい覚えてるよ。
A : お客さん10人とか。UFOクラブでやらしてもらって。今思えばもったいないイベントだよね。
M : さむつらすは活動を休止してたので、その時は前野健太バンドっていう名義で出た。あのイベントをきっかけに、すっごい2人の距離が近づいたよね。おとぎ話は、ドラムが前越君になってすごい良くなってるって思った。
A : 出会ってから1年半くらいたってたかな。東京で歌モノをやっている人って極端に少なかったから、前野君の歌の良さにびっくりしたんですよ。一緒になにかできたらいいなって思った。俺等は、と対バンした後に、なかなかリリース出来ない暗黒の状態が続いて、「このままどうなるのかな?」って思っていた。一番盛り上がっている時に出せなくて、その盛り上がりが落ち着いた時にやっとリリース出来たから、なんか取り残されたみたいに思ってしまって、自分を失いそうになってた。そんな時に、単純に歌だけで勝負している人がそばに現れたから、救われた気がしたんです。ほんと、「救われた」っていう表現が一番しっくりくる。
M : そして、「ツアーに行かないか?」って誘ってくれたんだよね。2007年の3月。それが僕の初めての関西ライヴだった。
——有馬さんが前野さんに救われたのはどんなところに?
A : 言葉を言葉の在り方として届けてくれる、くさい事を歌う人が好きなんです。人が好きなんですよね。前野君に、その事に気付かされたんです。
M : 有馬君が僕の曲をすごい理解してくれたのは大きいですよね。「自分はバンドがしたいんじゃなくて、歌をつくりたいんだ」っていう事に気付いてしまって、バンドを維持させることには、う〜んと思ってしまった。だから、一度全部を辞めて、前野健太バンドっていうのを始動させて、そのライブのために一気に4曲くらい作ったんですね。「さむつらす」の曲はやっちゃいけないなと思ったので。その時に、有馬君が気に入ってくれたから、一気にアルバムを作ろうとまで思えた。
A : 最初に前野健太バンドを見たときは、本当に衝撃的だったね。アコギ、ベースと、二胡とドラム。今と同じ編成なんだけど、「ゴーキーズ・ザイゴティック・マンキだ!」と思ったもん。
M : 実は一番好きなバンドは、ゴーキーズっていうくらい好きだった。
A : うちのドラム(前越啓輔)も大好きだから、「ゴーキーズがキング・ブラザーズやってる」とか言ってて、「意味わかんねぇ」と思いながらライブを見てたらブルブル震えてきた(笑)。
M : 終わったあと前越君マジな顔で「キング・ブラザーズ級に良かった!」とか言って強い握手を求めてくれて。実は凄いびっくりした。「キング・ブラザーズ?!」 って。その時のベースとドラムスは、ゴーキーズとかペイヴメントが大好きだったからうれしかったですよ。
A : それで話しが合っちゃったんだよね。俺は、歌モノの曲をちゃんと日本語の言葉で伝えたいし、それを日本人がしているってことにすごいアイデンティティを持ってさえいるけれど、曲はすごいヘンテコでありたいんですよね。フォーク・フォーマットにとどまるのはすごく居心地が悪いんです。
——前野さんが、有馬さんに共感した部分はどんなところだったのでしょうか?
M : なによりも、ライヴが良かった。そしてKIDSのサンプルを貰って単純に良かったので、聴き込んだんです。身近なアーティストで何度も聴き込む人ってあんまりいなかったですからね。
——前野さんは、前野健太バンドと言うソロ・プロジェクトとして活動していますが、有馬さんはソロの時でも、おとぎ話の名前をつけて活動していますね。有馬さんは、ソロとして独立したいとは、思いませんか?
A : 俺は、バンドが好きなんですよね。バンドで自分の曲をやると変わるんですよ。おとぎ話は、俺の想像を超えてしまうんです。意味わかんないドラムがいて、音楽ができないベーシスト(風間洋隆)もいて(笑)。ギターの人(牛尾健太)は本当はすごい弾けるのにハートが弱くて… 。そんな皆でつくると、自分が思ったものとは違うものができるから、こんなに面白いことないと思う。クリエイティヴな面がすごいんです。もし有馬和樹のソロ・アルバムを作るんだったら、偽名でやると思いますよ。ジマーマンとか(笑)。
——前野さんの場合はソロ・アーティストという意識が強いのでしょうか?
M : 最近、全く違う名前でバンドをするのもいいかなって思ってはいます。けど、とにかく今はサード・アルバムが目の前にあるので、他のことは考えていません。だから、ソロ・アーティストって気持ちが強いです。もっと変な事をしたいっていう気持ちも少しはありますけどね… (笑)。
A : 十分変だけどね(笑)。
M : なんかね… 昔の人って色々なバンド組んでたじゃない? そういうのいいなって。
「そのままやりな」って止めないでいてくれるから
——1月20日に発売されたおとぎ話の『FAIRYTALE』についてお聞かせください。
A : 今までは自分たちだけで作ってきたけれど、今回は、プロデューサーとしてスピッツ等を手がけた竹内修さんが携わってくれたのが何よりも大きかった。超メジャーな人かと思ったら、俺よりもインディーズ・アメリカン・ロックに詳しくて。俺らって、セールス的には中途半端な位置にいる。だから、「これは合って無いんじゃないんかな」って思い込んでた。でも、「こんなに素晴らしい曲をやっているのに、そんな事を思っちゃダメ! 自由にやりなよ!」って言ってくれたのが、すごい嬉しかった。おかげで「自分たちがいままでやってきたことは、間違ってなかったんだな」って思えたんです。
——今回の一番の聴き所はどこですか?
A : いままでの中で一番言葉が活きていると思いますね。全曲それしかない言葉が並んでいる。受け手を考えて言葉を選んだのではなくて、なすがままなんです。一切迷いが無いんですよ。
——何かキッカケがあったのですか?
A : 色々な事を諦めて、等身大でいようと思ったのがキッカケかなぁ。や等、マーケットが違うバンドが対バンで誘ってくれたのは、俺等の表現が面白かったから誘ってくれたわけで。背伸びして彼らに合わせるのはやめた方がいいってことに気づいた。そうしたら、「これでいいんだ」って思えるようになったんです。
——前野さんが『FAIRYTALE』を聴いて思ったことは?
M : まず音が良かった。自分たちのアンプ機材を買ったのも大きかったと思う。なかでも「White Song」がすごく気に入って、そればっかり聴いていましたね。だけど、他の曲もぜんぶいいです。これまでと違うところは、「バンドが歌っている」感じがするところですかね。今までのは、有馬くんの歌のためにほかの楽器が添えている感じがしたんですけど、今回のはバンドごと歌っている感じがしました。全部の楽器が歌っている。だから歌が前に出てきたと言うよりも、全部がまとまって歌を放出している感じですね。そこにバンド愛を感じるし、それを音源で確認できるってなかなか出来ないんですよね。そういうことを強く感じるようになったのはこのサード・アルバムからですね。遂にバンドになったなって気がしています。ライヴなんか見るとすっごく良くわかる。ライヴで聴いて、また音源で聴きたくなって、音源聴いてまたライブで見たくなって。そのサイクルがいいですよね。今おとぎ話、イイッスよ(笑)。
——有馬さん自身は、何かが変わった感じがしました?
A : 竹内さんが来てくれるまでは、主導権が俺だったから、「俺が何とかしなきゃ」と背負い過ぎてて、ずっとキャパを超えてしまっていたんですよね。だけど、竹内さんが「ここをやればいいんだよ」って言ってくれた。さらにドラムの前越くんに新たな自覚が芽生えてきて、他のメンバーを叱ってくれたりするんです。「有馬がこんなに頑張っているのに!」って。すると、他の人たちの演奏もよくなってきた。俺は演奏はヘタでもいいんです。ヘタでも、アメリカのバンドみたいにバンド愛からグルーヴは生まれるから。今までだったらガチガチに決め込んで録音していたけど、今は練習してる時に面白い演奏になってきたら、竹内さんが「そのままやりな」って止めないでいてくれるから、自由にやって音源にしたりしてます。それが楽しいし、そこで迷いが無くなった。竹内さんのお陰で人間として崩壊しなくて済んだ感じですね。
——「White Song」は、どうやって出来たんですか?
A : 憶えてないなぁ。確か、めっちゃいい曲にしてレーベルの人とかをギャフンって言わせたろうと思って作ったのかな(笑)。
M : Disk Unionのインストア・ライヴで初めて聴いて「コレ、ヤバイんじゃない!?」って言ったよね。
A : 前野君は褒めてくれたけど、「みんな気づいてくれねーんだよ。曲の良さだけで盛り上がる時代になってほしいよ」なんて文句を言ってたよね。最終的には竹内さんと元カーネーションの棚谷祐一さんが仕上げてくれたんです。お二人とも「添えるだけしかできないよ」って言ってたけど、結果全然良くなりましたね。
——アルバムの中でも、初期にあった曲なんですか?
A : そうですね。僕はさくっと曲を作るので、常に同時進行でいろいろあるんです。まだ40曲くらいストックがありますからね。
——多作ですね。前野さんは、どうですか?
M : 僕は歌詞にこだわるので、けっこう作り込むほうだと思います。でも、アルバム二枚分くらいはストックがありますよ。
A : 前にアルバム・コンピレーションで一緒にミックスした時に、前野君の作り方がすごいなって思って。「を」か「へ」かでも、ちゃんとこだわるんです。
M : 「豆腐」っていう歌ですね。「それが、幸せってやつなのかい」か「これが、幸せってやつなのかい」ってところだよね。
A : めちゃくちゃ言葉に対してこだわってて、尊敬しています。
なにかが動いた気がしたよ、すごく
——映画『ライブテープ』について教えていただけますか?
M : 2008年12月に松江哲明監督からお話をいただいて、2009年の元旦に撮影しました。電話がきてから1ヶ月、知りあってから半年くらいのスピードでした。監督と出会ったのは、僕がミニ・ライヴ、監督がトーク・ショウで映画のイベントに出演してた時。ちょうど監督が「デトロイト・メタル・シティ」のメイキングを作っている頃だったんですが、僕の「天気予報」を聴いて、「使わせて欲しい」って言ってくれたんですよね。カジヒデキさんとかいる中で、その曲をメインで使ってくれた。それからしばらくして、電話が来たんですね。「元旦に映画撮りませんか」っていきなり。「ワンシーン・ワン・カットの長回しでいきたいんです」って。カットしないってことは失敗も素の部分も全部写ってしまうと思ってキツイなあって思ったんですけど、やるかやらないかだったら… 答えは出ていましたね。撮影時間は、80分テープ1本分と聞いたんですが、ライヴではもっと長い時間やってるし大丈夫かなって思いました。ただ、元日の街中だったんでまあいろいろ大変でした(笑)。あれを作品に出来たのは、監督やスタッフの力ですよ。僕は歌っただけってのが正直なところなんで、賞をもらって誉められても、「凄いのは監督なんだ」って思っています。
——有馬さんは、映画『ライブテープ』を観てどう思いましたか?
A : 試写会に行ったんですけど、一番に「スクリーンにでっかく、色々知ってる前野君が写っている!」って(笑)。でも、俺の知っている前野君もいるんだけど、監督やスタッフの作った作品だから、知らない前野君も映っているんですよね。人生のたった1時間くらいのページを切り取って、そんな前野君を映し出したってのは凄いと思う。あれを観てから前野君の歌をよく考えた。そこにあるべき生活を歌っている友達が、生活の一部に溶け込む映画になって出ている。それってすごいし、おもしろいなぁって。
——有馬さんにとっての印象的なシーンは?
A : 最初ですね。Gのコードをジャーン!!! って弾いたところで、決意が感じ取れた。
M : あそこで泣くお客さん、実は多いんですよ。
A : 最初の参拝の女の人の時は、「なんか作りものくさいかな」って思ったんだけど、その後の前野君が出てきたシーンがものすごい対比だったんだよね。本物の歌が出てきたって感じで感動したんだよ。聴き慣れた曲なのに、バケモノじみてたね。
——セット・リストは決めていたんですか?
M : お互いにやりたい曲とやってほしい曲は違ったので、歩み寄ったんですよ。
——途中ありましたもんね。「そこで『サッド・ソング』!」みたいな
M : あれはビックリしましたけど、俺もスグ反応して弾くんですよね(笑)。あとは鴨川とか歌いたかったけど、歌えなかったり。近くでデモが起きたり色々起こってて実は大変だったんですよ。基本ゲリラなんで。
——最後の「東京の空」が、印象的です。あの曲は、いつ頃出来たんですか?
M : あれは2002年の2月だったか2003年だったかな。「ほのかな香りがして」って歌詞はたぶん梅なんじゃないかなってこの前思いました。この時期の夕暮れ時ってビルが夕焼けでピンクに染まることがあるんですよね。空気が澄んでいるからか分からないですけど。チャリに乗りながら、樹が裸で、ビルがピンクだなんて思ってて、アパートに帰ってすぐ作ったんです。あの映画の中での「東京の空」のシーンは映画でしかできない表現だったと思います。僕ひとりじゃできない表現だった。
A : あれが前野君のドキュメンタリーだったら「東京の空」で前野君を映すべきなんだけど、そこであえて映さないことで映画になったよね。
——ゆーきゃんが、今あの曲をカヴァーしていますよ。京都に帰る前の最後のイベントのアンコールで歌っていました。
M : いやぁ、カヴァーとかありがたいですねぇ。
A : あの曲は、ほんっとにいいわ。
M : バンド・アレンジがうまくいかなくて、ボツにしようと思っていた時に、おとぎ話が救ってくれましたね。
A : 俺は前野君の曲を全部知っているから、おとぎ話と一緒にやる時に「東京の空」やらしてって言ったんです。
——前野健太 with おとぎ話は、今後もマイ・ペースにやっていくんですか?
A : マイ・ペースと言うよりは、ドカーンとやりたいし、ツアーも組みたいんですよね。去年のボロフェスタでに誘ってもらって。「よければとおとぎ話で一緒に」って。それで「そっちの方が最高!」って答えました。俺達が融合すると倍以上の力になるような気がするんですよ。前野君とやる時は、おとぎ話でやる時より開放的。ほんっと、前野君とライヴするのは楽しいです。
M : 有馬君はいつも肩の力が抜けて開放的になっていますね。
A : ほんっとに楽しいです! ボロフェスタはすごいよかった。歓迎ムードもあったし!
M : だからね、一応今年もボロフェスタのスケジュールは空けています (笑)。
——前野さんは、おとぎ話をバック・バンドに演奏する時はどのように感じていますか?
M : 勢いのある乗り物に、ひょいっと乗る感じですね。そして、乗りやすい。アルバムもちゃんとwith名義で作りたいと思ってて。
A : 多分すごいいい作品になるなって思ってます。
——ありがとうございました。最後に、何か伝えたいことはありますか?
A : シーンで孤立している気がしてて、僕等しかいないって現状を打破したい。東京でやっていると、そこらへんがちょっとおもしろくないんです。多分俺らが変すぎて、周りから声がかからないのかな? こないだツアーで、ゲラーズとおとぎ話と前野君で埼玉と千葉でやったんですけど、ほんと良かったんですよね。燃えたね。
M : 見に来てくれた人の心には、何かが残ってると願っています。なにかが動いた気がしたよ、すごく。
A : それだったら俺も思ったから、確かだな。こんな感じを持続させたいんですよね。
M : 小沢健二さんやサニーデイ・サービスの復活などに対するリスナーの歓迎ムードがすごいじゃないですか。それを懐かしんで楽しんでいるのではなく、リアル・タイムで皆が欲しがっているのがすごい悔しい。
A : うん、悔しい。
M : 悔しいですよ、やっぱり。多くの人が求めてるって事は、僕等はここ10年なにをやってきたんだろうって。だから、10年代ですか? ちょっと頑張らないとなって思ってる。
A : がんばろうよ!(笑)。なんか東京の地域性を出したいな。JJさんがやっている、下北のベイスメントの企画とか、僕等は、ずっと東京いるけど、ああいう事はいままで無かったんですよ。そういうのを見ているとすごい楽しくなってきた。それを見て、俺らなりの集客をして、また面白いことをしたいな。やっぱりそれが一番おもしろいですよ。ちょっと変わりそうなんですよね。ほんの微かだけど、シーンが動き始めてる。もっと俺らの世代がおもしろくなれば、これからまたいいバンドは出てくるはずだから、サヴァイヴしたいんですよね。
前野健太さんから「鴨川」についてのコメントを頂きました!
2007年12月、おとぎ話の有馬君に誘ってもらってSOLECAFEでライブをすることになった。前日深夜バスに乗り込んで東京から京都へと向かった。京都には早朝着いた。雨が少しぱらついていた。鴨川の近くの喫茶店をいくつか回り、銀閣寺に行き、苔に惹かれ、そしてまた歩き、鴨川へと戻りぼーっとしていた。雨は少し強くなっていた。しばらく鴨川を眺めた。橋の下にはホームレスの人たちがいた。楽しそうな女学生たちも歩いていた。そこには歌があった。歌があったので拾った。もう一度喫茶店に身を投げ込んで歌を書いた。歌詞はすぐに出来た。それからその日のライブ会場であるSOLECAFEへと向かった。駅からバスに乗ったが逆周りのバスに乗ってしまったらしく到着がずいぶんと遅れてしまった。雨はさらに強くなっていた。店に入ると眼鏡が真っ白に曇った。店の中は暖かく、硬くなっていた心と身体をやわらげてくれた。時間がないのでギターを取り出してリハーサルをした。そこでさっき書いたばかりの歌になんとなくメロディをつけて唄ってみた。
「鴨川」はこうして、京都で生まれた。
PROFILE
前野健太
1979年、埼玉県生まれ。ミュージシャン。2000年頃より作詞・作曲を始め、東京都内を中心にライブ活動、自宅での録音を精力的に行う。2007年9 月、アルバム『ロマンスカー』にてデビュー。同作収録の曲「天気予報」が映画『デトロイト・メタル・シティ』のメイキング映像の挿入歌として使用される。 2009年1月、セカンドアルバム『さみしいだけ』発表。日常の機微を丁寧にすくいあげる歌詞とポップなメロディー、さらにはライブでのアグレッシヴな演奏で注目を集める、新時代のシンガー・ソング・ライターである。主演映画『ライブテープ』現在好評上映中。
- officeal website : http://www.maenokenta.com/
おとぎ話
有馬和樹((Vo.& Gr.) 81年生まれ。横浜市出身)
風間洋隆((B.) 81年生まれ。新潟県三条市出身)
牛尾健太((Gr.&Chorus) 83年広島市南区出身)
前越啓輔((Dr.&Chorus) 81年石川県白山市(旧松任市)出身)
00年春、全ての作詞作曲を手がける有馬(vo、天然パーマ、横浜出身)が明治学院大学で出会った風間君(b、新潟出身)と「おとぎ話」を結成。その後、牛尾君(g、広島出身)、 前越君(dr、石川出身)が加入。東京のオルタナの総本山的な東高円寺UFO CLUBを中心にライブ活動をしていたが、勇気を出して銀杏BOYZの峯田さんに渡したデモ・テープがきっかけとなり、2005年7月、銀杏BOYZの世界ツアーいわきclub SONICで夢の共演。
- officeal website : http://otgbanashi.com/