はてなキーワード: のたれ死にとは
税金払う額より社会保障費などを受け取る額の方が多い人間は全て「他人の人生を犠牲」にしていると言えるけどその点はどう思う?
今寝たきりになっている人間が過去にたくさん納税や寄付を行っていた場合でも安楽死させるべきだと思う?
要介護認定の人間に多額の資産があって、高給で介護者を雇っている場合は?
他人に迷惑をかけさせないことが目的なら、単に援助を打ち切ってのたれ死にさせればいいのでは?安楽死させるにも薬や医者を用意する必要があって金がかかるよ?
私が安楽死急進派になったのは、あるテレビ番組がきっかけだった。
そこには、親の介護のために会社を辞めざるを得ず、チューブだらけの言葉も発することができない寝たきりの親の横で「これでは結婚もできません」と苦笑いで語る30代男性の姿が映し出されていた。
私にとってその番組は非常に衝撃的なものであり、これを機に、介護のために健常者の人生が奪われてはいけないと考えるようになった。
そうして、様々な安楽死の議論を見ていくうちに次のような要件を考えるようになった。
IF 受刑者である場合: IF 要支援1 以上である場合: # 近年、刑務所では受刑者の高齢化が問題となっており刑務官が介護をしなければいけない件数が増え続けている # 裁判における長期の懲役刑や、無期懲役刑の増加が原因であり、そのしわ寄せが受刑者の介護問題に繋がっている GOTO 安楽死 IF 生活保護受給者である場合: IF 要介護1 以上である場合: # 身寄りのない要介護者は老人ホームに入れなければ生活できず、公営住宅は腐乱死体が増加している # また、そういった人が老人ホームに優先されることで、老々介護や子供が会社を辞めて介護する問題が発生してしまっている GOTO 安楽死 IF 要介護認定: IF 事前の本人同意がある場合: # 尊厳死のケースがこれに当たる GOTO 安楽死 ELSE: # 事前の本人同意が無い場合は要介護であっても安楽死はできない # 資産家の親族が遺産を増やすために安楽死させることを防ぐため PASS IF 健常者である場合: IF 本人同意 AND 3親等以内の親族7割の同意: # 健常者の場合、本人がいくら死にたいと言っても親族が同意しなければ安楽死は不可 # しかし親族も同意すれば安楽死ができるものとする。事故や病気などで苦しみが続くケースがこれに当たる GOTO 安楽死 # IF 3親等以内の親族10割の同意: # 植物状態など本人の同意が取れないケース # GOTO 安楽死 IF 本人の意識が無く回復見込みも無い場合: IF 3親等以内の親族7割の同意: # 植物状態など本人の同意が取れないケース GOTO 安楽死
この要件は端的に言えば「他人の人生を犠牲にしない限り元気に生きろ」かな。
安楽死の話において「弱者・高齢者は死ねというのか」という指摘がよくあるが、この要件では、むしろ元気な高齢者は自由に生きて欲しいと考えています。
なぜなら、労働者にとって老後はある種の希望でもあるし、定年後すぐに死ねと言われれば働く意欲を奪うことに繋がると考えているからです。
そのため、元気なうちは自分ひとりの勝手で死ぬことはできないルールになっています。死にたくなったら親族に相談しなければなりません。
あくまで介護や世話で誰かの人生の大半を費やすことがあってはいけないという思想で条件を作っています。
条件をこのように変えた方が良い、このような問題があるなどの指摘があれば歓迎します。
IkaMaru そこまで金に固執するのに、なぜ「納税額以上の公的サービスを受ける者は全員安楽死」まで行かないの? 自分が入っちゃうから?
こういった拡張論は一部にありますが、私はやりすぎだと思います。
「納税額以上の公的サービスを受ける者は全員安楽死」など、ただの恐怖政治です。
レールを外れることくらい誰しもありえることだと思いますので、そこを範囲に入れるのは反対です。
基準が拡大していくことについての指摘・懸念なら私も同意します。過去の歴史や政府への信頼度の低さから同意せざるを得ません。
ただ、だからこそ、別増田が書いていた法律論や曖昧な文章ではなく、プログラムのような条件文にしています。
こういった話は曖昧な感情論などにしておいた方が同意が得られやすいのは理解していますが、過剰な拡大を防ぐためにも基準は明確にしておくべきだと考えます。
genhou このコードだと要介護認定を受けてないと、3親等以内の親族全員が同意したら(本人の意思に関係なく)殺されてしまうじゃないか。 バグ
確かにご指摘の通りです。10割(全員同意)としていましたが、親族が少ない場合は本人が嫌がっていても殺されてしまう問題がありますね。
植物人間状態を想定しているのですから、本人の意識が無い場合に限るべきです。書き直しました。
fugunokamatari 「GOTO 安楽死」がツボる。そもそも介護離職なんてする奴は親の殺処分に同意なんてしないだろうから、増田の問題意識と解決策が全く噛み合ってないだろ。
必ずしも同意する必要はありません。上記条件文では各家庭の自主判断です。
ROYGB 自分が育てられないから子供を殺すのが異常な程度には、親の介護が出来ないから殺そうとするのは異常。極論でいくなら親などほっておいて結婚でも何でもすればいい。
税金払う額より社会保障費などを受け取る額の方が多い人間は全て「他人の人生を犠牲」にしていると言えるけどその点はどう思う?
今寝たきりになっている人間が過去にたくさん納税や寄付を行っていた場合でも安楽死させるべきだと思う?
要介護認定の人間に多額の資産があって、高給で介護者を雇っている場合は?
他人に迷惑をかけさせないことが目的なら、単に援助を打ち切ってのたれ死にさせればいいのでは?安楽死させるにも薬や医者を用意する必要があって金がかかるよ?
生まれてこのかた、たいしてやりたいこともなく、今は無職で適当にふらふら生きています。いきるのに困らない程度のお金を稼ぐあてはありますが、それ以外の時間は大体寝ているか、麻雀だとか将棋だとかを延々とやったり、インターネット小説を読むぐらいしかしていません。あと本借りるついでに図書館まで散歩。こんな生活をはじめて10年近くたちますが、衣食住に困ることもないせいで特に危機感なども抱けないままです。先日、今のままでいいと思っているのかと親に言われたのですが、現状不満なことがなにもないんすよね。世話になった親に孫の顔見せられないのは多少申し訳ないなとは感じますが。ときたまの連絡でさえめんどくさくて、もし親がもっといやなやつだったら電話番号も住所も変えて一人でそのうちのたれ死にできるのになとは思う。
おいしいものはおいしいし、面白いものは面白い、眠たいときに眠るとすごい気持ちいいのだけれど、それ以外のやりたいことが本当に思い浮かばない。欲望だったり目的だとかってやつが、もしあったならばそこに注力してぇよなって気持ちはあるけれど何もない。小さい頃の夢振り返ってみても、子供の頃から変に賢しらで、現実味のない夢だとか、実現が困難そうな夢を何一つ目標として持てなかったな。変に親の目伺って、親と同じ企業の会社員になりたいとか言ってた。高校卒業したぐらいから、親以外と業務関係以外の話をしたことがないな、そういえば。大学の頃にしてたバイトでもらったお金や、新卒で入ってすぐやめた会社でもらったお金は、思えば自分のために使った記憶がほとんどない。生活費を除けば親に何度かプレゼントしたときぐらいで、目減りしない。なんだかな。もっと食べるのも困る、住む場所もない、となればやってやろうという気持ちは生まれるのだけれど、そうでないならなるべく現状維持でいたい。住む場所も食べるものも、質さえ求めなければ安くつく。
ここまで書き連ねて、いったい何が聞きたかったんだろう。当初は知恵袋に投稿しようとしてた。夢だとか目標だとか、それがないにしても、自分の時間であったり金銭だったりを投じるほどに熱中している趣味がある人間、いいなって思う。なんでそう、即時に得られる以外のものであったり、自分じゃないものに情熱を注げるんだろう。人間、わからーん!そういう人間って少なくない数いると思うのだけれど、いろいろと、どう考えてんのかな。まあいっか。どうでも。
本エントリとはさほど関係ない部分ですが、金銭面について気になっている方がいるようなので。自分の生活費について以下に記載しておきます。
通信費3000強
食費20000弱
保険料(年額)15000弱
他にもこまごまとした費用はありますが、年額60超えないぐらいです。無職生活を長く続けるには、支出をどう減らすかが重要かと。人によっては生活保護の方がましな生活をしていると仰る方もいるかもしれない。収入をどう得ているかについては、健康体の成人であれば誰でもできるものではありますが、不安定な稼ぎ方ですし多少のリスクがあるものだということだけ記載しておきます。家賃の変更、物価の急激な上昇、体調悪化による医療費など不安なことを考えるとキリがない。ただ、大きな事故病気に見舞われなければ向こう10年以上は何もしなくても困らない程度の貯蓄はあるので、なにかあればその時また考えればいいかなと。遠い未来の事考えて、今嫌な気持ちになりたくない…考えても鬱々とするだけで幸せになれない。未来のことは未来の自分が何とかしてくれるの精神。
必要以上に他人を見下げず見上げずに生きてさえいれば、そこまで迷惑な人間じゃあないのではないかなと感じているのだけれど、どうなのだろうね。迷惑って、大あれ小あれ他人にかけ続けているわけなんですが、かけられた側にとっても許容できる迷惑の範囲があるんじゃなかろうか。金銭的なものや、恩義によるものなど、いろんなものが複合して、ここまでの迷惑なら、特に不快感を感じずに処理できるというラインがあるのだと思う。不快感を感じるけれども、これだけのインセンティブがあるのだから耐えられるというラインもまた存在してそう。自分にとってはいわゆるサラリーを得る安定した生活というのがこの不快感を許容してまで得たいものではなかっただけなんだろうな。お金使わないし。老後に自分の周りにいるであろう人ってせいぜいが行政関係の人だろうけれど、そういう人たちにかける迷惑が業務として特に不快感を感じずに処理できるようなものであれば「周囲に迷惑をかけない」になるのかな。老後まで生きているかわかりませんが。
進路がまだ決まっていない
就職するつもりで就活しているけれど、12月末現在いまだ内定なし
院に行く気も全くない
今は卒論を書いているが、1月前半に卒論を提出したら就活を再開する気でいる
周囲からは人生詰んでしまう前に休学した方がいいと勧められるが、生まれてこの方両親に進路への理解を示されて来なかったので、両親に相談する嫌さの方が先にきてしまう
休学して何かしたいことがあるわけでもない。就活もやりたい仕事があるわけではなく、親から離れたいという気持ちでやっている
だから今すべてにおいて身が入らない
人生詰んでる、と言われるくらい客観的に見ても大変な状況なのになぜか危機感がわかない
何とかなるとは全く思わない
むしろ何とかならないだろうと思うからこそ、このまま貧困→のたれ死にコースかな…と就活しながらぼんやり諦めかけている
人生を自ら細かくちぎってどぶに捨てているような虚無感
どうしようかな