「革命は自然成長しない」ーー市民の党・斎藤まさしさんに聞く、思想の源流としての文化大革命とマルコス政権打倒運動 ーー「市民の党」の代表で、菅直人・山本太郎らを国政に送り出した斎藤まさしさん。その経験から、ウクライナ戦争を契機に大きく揺れ動く国際政治と、混迷を極める日本政治についてインタビューを行いました。今号では、斎藤さんの思想の源流に位置する革命運動の体験を伺いました。(編集部・朴) 学生運動から文化大革命へ 1970年に上智大学外国語学部に入学したが、大学は楽しくなかった。学内のデモも遊びに見えた。文化大革命を見て「とんでもないことが起きている」と思い、中国へ向かった。 その頃、中国へ入るには香港から広東省・深圳(シンセン)へのルートしかなかった。当時の香港はイギリスの植民地で、物凄い大金持ちと貧乏人という、世界で最も二極化された社会だった。表通りは日本にもない世界のブランドショップが
野村旗守ブログ 日朝交渉、近隣特定アジア3国による対日有害活動、技術流出問題、残存左翼問題、「在日特権」、ヘイトスピーチ、原発問題……等々、最近のトピックに併せた論考、過去に発表した文章を織り交ぜながら綴ってゆきます。 以下は、2011年11月号の「正論」誌に寄稿した文章を一部改稿したものです。 非常に大きな反響を呼んだ記事です。 当時、民主党から巨額の政治献金を受けていた「市民の党」という謎の政治団体がありました。 その「党首」である斎藤まさし氏の来歴を探ってゆくと、数々の驚くべき事実が発覚しました。 詳しくは読んでいただきたいのですが、この人物、極左ものけぞるような筋金入りの革命戦士であったのです。 しかし、これを報じた大メディアは産経のみ。他媒体はまったくのスルー。 これが自民党相手なら、壮絶な報道合戦が繰り広げられたに違いありません。 この時ほど日本の言論界の偏向ぶりを痛切に感じた
山本太郎の件だが、衆院選に出馬する選挙区はやはり東京8区だった。政党前に元号を冠した某組と立憲民主党及び共産党との調整が十分にできていたとはおよそ考えられない。東京新聞を自らの宣伝媒体として利用した、悪い意味で「政治的な」動きだったと解する他はない。以下朝日新聞デジタル(会員記事)の無料部分より。 www.asahi.com 以下記事の無料部分を引用する。 山本太郎氏が衆院東京8区から立候補へ 一本化を調整中、野党は困惑 北見英城、神沢和敬 2021年10月8日 20時27分 れいわ新選組の山本太郎代表は8日、次期衆院選に東京8区から出馬すると発表した。同選挙区では立憲民主、共産両党で候補者を一本化する調整が進んでいた。山本氏の「サプライズ」参戦は、「野党共闘」に波紋を広げている。 「東京8区になります。石原家のご子息のおひざ元」。山本氏は同日夜、JR新宿駅前で、自民党の派閥領袖(りょうし
NetIB-Newsでは、政治経済学者の植草一秀氏のブログ記事から一部を抜粋して紹介する。今回は、2015年の静岡市長選において有償でビラ配りを依頼したとして公職選挙法の罪に問われている斎藤まさし被告の控訴審判決は不当であり「人物破壊工作」だと述べた、5月23日付の記事を紹介する。 5月18日、斎藤まさしさんが巻き込まれている公職選挙法違反冤罪事件の高裁判決があった。高裁は不当な控訴棄却の判断を示した。安倍政権は共謀罪の制定を推進しており、5月17日、18日に衆院法務委員会および衆議院本会議での採決強行が計画されていた。委員会採決は19日に変更になり、23日にも衆院本会議での採決強行が予想されている。安倍政権は高裁判決と国会での共謀罪制定とセットで、共謀罪によって広く市民を弾圧する体制を整えようとしているのだと考えられる。 もはやこれ以上、この暴政を放置してはならない段階に事態は進展してい
<日本政界の異端児・山本太郎との出会い、その評価、れいわ新選組の政策の出元、命を狙われる危険性、野党共闘の可能性......。山本の「ブレーン」と噂される男が饒舌に語った> 菅直人の衆議院議員初当選(1980年)の選挙を手伝い、以来40年間、数々の選挙に関わってきた市民運動家で選挙ボランティアの齋藤まさし。2009年の民主党による政権交代にも関わり、れいわ新選組代表の山本太郎の初当選をお膳立てしたのも彼だ(2015年の静岡市長選で公職選挙法違反で有罪となり、現在は公民権停止中の立場)。 ネット上では「極左の活動家」と言われ、山本太郎と彼との関係を不安視する声もあるが、6年間、山本を近くで見てきたのが斎藤であることは確かだ。山本本人は、「年に2~3回はお茶を飲んだり、意見交換する。でも選挙に関わる話を具体的に指示してもらうことはない」と言っている。 11月5日号の特集「山本太郎現象」では、山
参院選から3か月が経過し、党名に元号を冠した山本太郎の話題も下火になるとともに各種世論調査による同党の政党支持率も1%を切ることが多くなった。そんなタイミングに、以前から山本太郎のブレーンと目されていた斎藤まさしがインタビューに応じたが、私にはとんでもない「うしろ弾」にしか見えなかった。 www.newsweekjapan.jp インタビューは長い。以下抜粋して引用する。 ――山本太郎さんとの出会いについて。 2012年の10月下旬ぐらいかと思う。野田(佳彦)くんが衆議院を解散するという、ほぼ確実な情報が入ってきた。僕は菅(直人)さんが消費税10%を容認し、TPP(環太平洋経済連携協定)を持ってきた時点で民主党支持はやめていた。 民主党の中にも「民主党じゃダメだ」と言う人はいたし、国民も既存の政党を信用していないから、永田町の外から新党を作ろうという話が出てきた。そこで当時の滋賀県知事で現
北朝鮮から入国したよど号・拉致犯の長男を、三鷹市議選挙の公認候補として擁立した市民の党。 その母体となったMPD、派生した市民の会など、その活動の実態を追ってみる。 →市民の党 →MPD・平和と民主運動 →政権交代をめざす市民の会 →市民の党 所属議員リスト まずは活動の中心的な役割を果たしている『市民の党』から。 総務省|政治資金収支報告書及び政党交付金使途等報告書平成19年分 市民の党 政治資金収支報告書.PDF平成20年分 市民の党 政治資金収支報告書.PDF平成21年分 市民の党 政治資金収支報告書.PDF代表者 ;酒井 剛 (通称 斎藤まさし) 会計責任者:酒井 剛 事務担当者;天野外支子(2007年)→佐々木幸一(2008年)→天野外支子(2009年) 所在地 :東京都千代田区平河町1-3-6 龍伸ビル2F 2007年 収入の多くは個人からの献金で、総額は2408万円。
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