「100年前と同じだ。」8月の終わりも近いある日、パリで隣人一家に招かれた席でのこと、隣人の医師がディナーの終わりにそうつぶやいた。「あなたもそう思いますか?」と私。「来年は2014年、ちょうど百年じゃないの」と医師の妻。私たちは顔を見合わせた。100年前とは第一次世界大戦の時代のヨーロッパのこと。だがこれと「同じ」なのは、今のヨーロッパではない。シリアと中東地域のことが話題に上ったのだ。ため息とともに、隣人夫妻は百年前に連れ戻されていた。中東地域にかつてのヨーロッパを重ね合わせてみることの多かった私は、同じ想像がヨーロッパ人をとらえていたことを知り、胸苦しくなった。 8月のフランスは、シリアの化学兵器に関する報道で持ち切りだった。国連調査団の受け入れをめぐって緊迫した情勢が連日のように報じられた後、ついに調査団がシリア入りを果たしたタイミングで、シリア政府によるものと疑われる大規模な毒ガ
「どんなにいい考えを持ったり、希望を持ったり、才能があったりしたって、戦争があったら全部なくなっちゃう」 戦争で犠牲になる子どもたちへの思いを強く語る黒柳徹子さん。テレビ女優第1号となった1953年から、第一線で活躍を続けています。アジア初のユニセフ親善大使としては、世界中の貧困に苦しむ子どもたちを見てきました。(取材・文:NHK「#あちこちのすずさん2022」取材班/写真:NHK) 「戦争って泣いてもいけないんだ」 太平洋戦争が開戦した1941年、黒柳徹子さんは8歳。現在の東京・大田区に、両親と弟と暮らしていました。「戦争」は子どもだった黒柳さんの生活のあらゆるところに影を落としました。 ――幼いながら、どういったところから戦争を感じたのでしょうか。 「まず食べ物がどんどんなくなっていくっていうことですね。ごはんでも何でも配給じゃないとものが売ってない。それから何を買うにもずっと並ぶんで
Those German pacifists who call for a ceasefire would’ve called for the cease fire in 1943 to let Auschwitz fulfill… https://t.co/LfV2ZoAX88
8月2日の閣議決定による韓国の「ホワイト国」除外措置を受け、激しい感情を戦わせている日韓政府。長年の市民活動からこの事態をどう見たのか、韓国一のアドボカシー(政策提言)NGO『参与連帯』の事務処長に話を聞いた。 ●「見慣れない日本の姿」に驚き8日、インタビューに応じてくれたのは『参与連帯』で事務処長を務める朴亭垠(パク・ジョンウン)さん。2000年から同団体で働き始めたベテランだ。過去、付属の研究所をはじめ国際局や政策企画など幅広い分野で第一線に立ち、18年2月から事務処長(実務のトップ)についた。 「これまでも過去事(過去史と同様の意味)の問題はあったが、近い国だとずっと思ってきた。それがこんな措置(ホワイト国除外)を受けて、日本がとても見慣れない国に覚えてきた。後ろから強く殴られた気分だ」。 連日の激務による疲労を隠せない朴さんは、この日のインタビューで日本政府に対するこのような「驚き
沖縄県糸満市で23日に開かれた沖縄全戦没者追悼式では、一部の参列者が安倍晋三首相のあいさつに対してやじを飛ばした。近年の追悼式では安倍首相のあいさつをやじで妨害するのが恒例となっており、慰霊とは関係ない政治的動きに遺族からは困惑の声が上がった。 「モリカケー(森友、加計)」「帰れ」-。追悼式が進み、安倍首相のあいさつが始まることがアナウンスされると、会場では待ってましたといわんばかりにやじが飛び交った。「沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」と話す首相を、「嘘つけ!」と決めつける参列者もいた。 会場周辺では、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設先である名護市辺野古の周辺で見られるような光景が広がった。「沖縄に米軍基地を押しつける安倍政権 『6・23 慰霊の日』に参加資格なし」と大書された横断幕や、「NO安倍政権」と書かれたプラカードを持った人たちが陣取った。 やじに理解を示す人もいる。兄ら3人を
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