訓民正音学会と共同で、ハングルで表記されたチアチア語の教科書を作成した人は、バウバウ市の高校教師アビディンさん(32)。アビディンさんは昨年12月、同学会の招待を受けソウル大言語教育院で6カ月間、韓国語の教育を受け、言語学科のイ・ホヨン教授、博士課程のファン・ヒョソンさん(26)との共同作業に臨んだ。アビディンさんは「ハングルは非常に科学的だという印象を受け、帰国後にインドネシア政府にハングルの採用を提案した」と語った。 現在、バウバウ市では15の言語が使われている。このうち唯一「ウォリオ」という言語には表記法があるが、複雑なアラビア文字が使われているため、使用する人はほとんどいない。現地の住民は「ハングルのほうがウォリオより簡単で学びやすい」と話している、とアビディンさんは語った。消滅していく種族言語を見守りつつ、歴史と伝統を失うのではないかと心配していた村の元老も、ハングル教材の発行
「ハングルを海外に普及させるのは、すべての国語(韓国語)学者や言語学者の夢です。今ようやく緒に就いたところです」 「ハングルの海外普及」への第一歩を踏み出したソウル大言語学科教授で訓民正音学会長を務めるイ・ホヨン教授は、興奮した表情を見せていた。2007年7月に70人余りの国語学者や言語学者によって作られた同学会はこれまで、中国、ネパール、タイなどでハングルを普及しようとして失敗した原因を徹底的に分析してきた。その結果、言語学的な分析をしないまま、他言語をそのままハングルで表記しようとしたこと、現地の人々とのコミュニケーションを行わず、文字だけを普及しようとしたことが原因との結論に達した。 こうした失敗を繰り返さないために、普及対象の選定から慎重を期した。7月にハングルで書かれた教材「バハサ・チアチア1」を出版したソウル大言語学科のイ・ホヨン教授(46)は、「ハングルの普及対象を初めか
これまで、言葉はあるが文字を持たない少数民族にハングルを表記手段として普及する運動は、民間レベルで行われてきた。 ソウル大のイ・ヒョンボク名誉教授(73)は、「ハングル海外普及伝播」の開拓者だ。イ教授は1994から2003年にかけて毎年2-3回、タイ北部の少数民族「ラフ族」を訪れ、ハングルを伝える活動を行ってきた。最初の5年は、ラフ語の音韻を分析する作業を行い、どの文字が必要なのかを研究し、その後、山村の人々にラフ語をハングルで表記する方法を教えた。韓国語にはないのどの音や鼻音などを表記するため、ハングルの子音と母音を24個から80個に増やした「国際ハングル音声文字(IKPA)」も開発した。 イ教授がハングルの海外伝播に関心を持ち始めたのは、英ロンドン大に留学していた60年代にさかのぼる。イ教授は「ローマ字をベースにする国際音声記号(IPA)よりハングルのほうがはるかに優れた音声体系だ
韓国・ソウル(Seoul)中心部にある光化門(Gwanghwa Gate)で、木造の看板に書かれたハングル(2005年1月27日撮影。資料写真)。(c)AFP/JUNG YEON-JE 【8月6日 AFP】(一部訂正)独自の言語をもつが、表記文字を持たないインドネシアの少数民族が、韓国のハングル文字を採用することを決定した。このプロジェクトに参加する研究者が6日、語った。 ソウル大学(Seoul National University)のイ・ホヨン(Lee Ho-Young)教授によると、ハングルが他民族の社会で使用されることになるのは初めてだという。 ハングルを採用するのは、インドネシア・スラウェシ(Sulawesi)島の南西にあるブトン(Buton)島のバウバウ(Bau-Bau)に暮らす、人口約6万人のチアチア(Cia-Cia)人。 イ教授によると、バウバウでは7月21日からハングルを
文化審議会国語分科会の漢字小委員会が現行の常用漢字(1945字)の表外字で、新常用漢字表(仮称)に盛り込まれる可能性のある候補字種の第1次素案を公表した。新漢字表に盛り込む可能性の高い方からS、A、B、Cに分類し、それぞれ42字、150字、27字、1字の計220字に絞り込んでいる。 ほぼ加える方向のSを除けばここからさらに絞り込まれることになるわけだから、220字がそのまま増えるわけではない。現行常用漢字のうち、銑・錘など6字を外す方向で考えるとしており、新漢字表に衣替えしても字種の思い切った増大はないとみていい。 平成17年3月に、当時の中山成彬文科相が諮問したのは、情報化の進展で常用漢字が漢字使用の目安として機能しているか、検討する時期に来ているというものだった。そこを勘案すれば、今回見えてきた字種増加に消極的な審議の方向性は諮問の趣旨に沿わないのではないか。 漢字小委は、情報機器で表
少し間が開いてしまったが、さる3月末、文化庁の「平成19年度国語施策懇談会」に参加したので、その報告を兼ねて考えるところを述べてみたい。 常用漢字表は昭和56年に当用漢字表に代わって告示された。以来、四半世紀以上を経て一度も見直されることがなかった。その間、情報機器が普及し、表外漢字も簡単に打ち出せるなど書記環境が大きく変化した。実際の文字生活と常用漢字表とが乖離(かいり)してしまったのだ。 そこで、平成17年3月、当時の中山成彬文部科学大臣が文化審議会に敬語の指針とともに情報化時代に対応する漢字政策の在り方について諮問した。 敬語は報告済みだが、漢字については目下、審議続行中で、今回の国語施策懇ではその審議経過について前田富祺(とみよし)国語分科会漢字小委員会主査が報告、説明をした。 筆者は国民の言語生活を貧しくすることにしか役に立たない漢字政策などない方がよいと考える。戦後の国語政策が
日本における漢字(にほんにおけるかんじ)は中国起源の文字で、古代に日本列島に伝来した。日本において漢字は、表音文字である仮名(平仮名、片仮名)と並んで日本語を表記するための主要な文字となっている。現在、日本語の表記は文部科学省の漢字制限(常用漢字、教育漢字)を受けている。漢字の字体も、古典の刊行や書道、一部の人名や企業名といった特定の分野以外では、常用漢字表に基づいたいわゆる新字体を使うことが多い。 また、英語圏やフランス語圏で「Kanji」と言う場合は、日本の漢字、狭義では新字体を指す。 現代における日本語の一般的な表記法は漢字仮名交じり文であり、漢字と平仮名(昔の法令などでは片仮名)を交えて表記する。漢字は実質的な意味を表す語に使われ、平仮名は主に活用語尾[注 1]や助詞に使われる。朝鮮語などでは漢字が主として字音語にしか使われないのに対し、日本語では和語にも使われ、外来語を除いてほと
伝承によると、中国における文字の発祥は、黄帝の代に倉頡が砂浜を歩いた鳥の足跡を見て、足跡から鳥の種類が分かるように概念も同じようにして表現できることに気づいて作った文字とされる。また『易経』には聖人が漢字を作ったと記されている。 考古学的に最古の漢字は、二里頭遺跡から発見された出土土器に文字を刻んだ陶文である、形象化され記録保持に使用された明確な文字で漢字の誕生と言える。 殷後期の遺跡からは、国事行為や宗教祭儀である卜(ぼく)の結果を記録した甲骨文字(亀甲獣骨文)が大量に発見されている。 漢字としての完成度が高いことが研究により明らかにされている。 当時の卜は亀の甲羅や牛の肩胛骨などの裏側に小さな窪みを穿ち、火に炙って熱した金属棒(青銅製と言われる)を差し込む。しばらく差し込んだままにすると熱せられた表側に亀裂が生じる。この亀裂の形で吉凶を見るのであるが、その卜をした甲骨に、卜の内容・結果
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