2006年02月04日01:55 カテゴリLogosPsychoengineering 遠くの創造性より近くの表現力 「何をすべきか」に関しては禿同。 内田樹の研究室: まず日本語を 日本の知的未来に投資するなら、まず日本語を。 英語はそのあとだ。 しかし「なぜすべきか」という点において、私は「母国語優先論」とは意を異にする。 私が母国語を他に優先して教えるべきだと考えている理由は、「創造性を高めるから」というのとは違う。 母国語を話していながら、「次の単語」が出てこない人間、階層構造をもった複文が作れない人間はどのような知的創造ともついに無縁である他ない。 ということを、すでに発達した言語を獲得した現代社会の我々は当然のごとくうなずいてしまうが、言語がまだ発達していない時代においても、人類は創造活動をしてきているのである。 黒曜石の鏃、洞窟の絵、縄文土器....これらが創造的でないという