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批評に関するkabutomutsuのブックマーク (71)

  • 在野に学問あり 第5回 工藤郁子さん

    記事執筆:山ぽてと ◇はじめに この連載は、在野で学問に関わる人びとを応援するものだ。 第5回の今回は、特別編である。 第1回にご登場いただいた荒木優太さんが編著『在野研究ビギナーズ』(明石書店)を刊行した。現役の在野研究者たちが、自身の研究のノウハウをつづったで、2020年の紀伊国屋じんぶん大賞で3位にランクインするなど話題を呼んだ。 この人気にぜひともあやかりたいと、『在野研究ビギナーズ』と連載「在野に学問あり」のコラボ企画としてYoutube動画「在野研究者に聞いてみた!」を作成した。ご登場いただいたのは、の中でも人気の高いエッセイ「趣味と研究」(第2章)を書いた工藤郁子さんだ。荒木優太さんと、私が聞き手になりお話をうかがった。 (動画の様子。荒木優太さんのYouTubeチャンネル「新書よりも論文を読め」にて。荒木さんは岩波新書から『有島武郎――地人論の最果てへ』を絶賛発売中

    在野に学問あり 第5回 工藤郁子さん
  • 今の閉塞感の原因ー2010年代を総括し、これからを展望する。思想家・酒井隆史さんインタビュー|人民新聞

    ガザ虐殺に抗議し、米国の大学に大規模キャンプが作られた。日の大学も同様だ(4面参照)。ただ規模、人数、学生・教員の共感や支援は米の方がかなり多い。度々表れる違いは、抵抗や直接行動への社会の理解の違いだ。だが直近の日でも、11年原発事故や15年戦争法案反対で国会前車道を占拠した経験がある。問題は、誰がどう言語化や総括するかだ。「リベラル知識人」や「統制的な主催者」が「穏健・中道・改良的」な方向へ回収し、その方がまともで賢い言動と思われたのではないか。それが今の閉塞感の原因ではないか。昨春出版した『賢人と奴隷とバカ』(亜紀書房)でそう包括的に指摘したのが、思想家の酒井隆史さんだ。酒井さんに2010年代〜現在の総括と変革への道を聞き、語り合った。(編集部:園、サパタ) 運動内議論や知的活性化が起きず を出し、2010年代を総括した動機は? 酒井…『人民新聞』で書をとりあげて頂くのは嬉しい

    今の閉塞感の原因ー2010年代を総括し、これからを展望する。思想家・酒井隆史さんインタビュー|人民新聞
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2024/09/02
    "弾圧そのものに抗議するのではなく、「オレたちはバカとはちがう」と叫んでいるんですよね。「自分たちはバカではないからやめてくれ…ああ王よ、オレたちを認めてくれ」と
  • 【意訳】バッド・アートを“グッド”にするものとは|山田 はじめ

    What Makes “Bad” Art Good?Source: https://www.artsy.net/article/artsy-editorial-bad-art-good ※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。 もし間違いを発見された場合は、お手数ですが 山田はじめ のTwitterアカウントへご指摘を頂けると助かります。 Anonymous, Charlie and Sheba. Courtesy of the Museum Of Bad Art. 時折、ひどい作品(バッド・アート)に注目が集まることがある。 とてつもなく壊滅的な修復を施されてしまったエリアス・ガルシア・マルティネスのエッケ・ホモ(この人を見よ、という意味。キリスト教絵画の定番モチーフのひとつ)は、“ビースト・ジーザス”へと変身してしまっ

    【意訳】バッド・アートを“グッド”にするものとは|山田 はじめ
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2024/06/11
    "バッド・ペインティングは伝統的な価値観に基づいた芸術的な“開拓行為”を、時代遅れなメディウムとスタイルを使う事で回避している"
  • (回顧2023)論壇 破局を前に、人間にできること:朝日新聞デジタル

    ペーパークリップの生産を最優先する超人工知能(AI)が、全地球をクリップの製造施設に作り替えてしまう。スウェーデン出身の哲学者ニック・ボストロムがSFのような思考実験を通してAIのリスクを論じたのは…

    (回顧2023)論壇 破局を前に、人間にできること:朝日新聞デジタル
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2023/12/29
    “山本昭宏によれば、大江は広島の原爆被害...(世界8月号)” "▲山本昭宏「変質する日本の平和主義 戦争への想像力をいかに補うか」(中央公論9月号)"
  • パーフェクトデイズ、作品としてはほんとうによい。けれど、これを楽しんで良いのか?という不安が募ってつらい。誰かを犠牲にしている気がするのは、映像の向こう側に行政や大企業の影が見えるからで、そいつらのナラティブやプロパガンダに回収されてしまう気がする。その理由を話してから寝ます。

  • 在日朝鮮人作家の徐京植さん死去…「ディアスポラ」の多難な生涯を終えた

    2019年8月、「ハンギョレ21」で開かれた対談に参加した徐京植さん=キム・ジンス記者//ハンギョレ新聞社 在日朝鮮人2世として故国の民主化運動にかかわっただけでなく、辺境人または離散者(ディアスポラ)として韓日両国に国家主義と植民主義を乗り越えることを求めてきた徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学名誉教授が死去した。享年72。 19日午後、徐京植さんの家族は、徐教授が前日夕方、日のある温泉で突然亡くなったと伝えた。徐京植さんの祖父は1928年に朝鮮から日に渡り、人は1951年に5人兄弟のうち4番目として生まれた。「在日朝鮮人としては比較的恵まれた」家庭で育ち、十分に教育を受けた徐京植さんは早稲田大学に進学してフランス文学を学んだ。 しかし、大学在学中の1971年、韓国に渡ってソウル大学に留学していた2人の兄、徐勝(ソ・スン)さんと徐俊植(ソ・ジュンシク)さんが、軍事政権がでっち上げ

    在日朝鮮人作家の徐京植さん死去…「ディアスポラ」の多難な生涯を終えた
  • 鵜飼哲著『いくつもの砂漠、いくつもの夜』から - Arisanのノート

    今年の5月に出版された鵜飼哲著『いくつもの砂漠、いくつもの夜』は、収められている全ての文章が素晴らしいのだが、ここでは個人的に特に印象深かった「家族のいくつもの終焉=目的」という文章について書いておきたい。 この文章は、2014年に(おそらくフランス国内での講演として)発表されたものを元にしているようだ。 ここでは次のようなことが書かれている。 かつて1970年代(いわゆる「68年の革命」の直後)には、家族批判、「家族的なもの」の解体が、体制に批判的な(欧米や日などの)若者たちの間で共通の目的とされていた。つまり、「家族批判」ということが大前提になっていた。 それが、2014年の時点になると、結婚や家族に一定の価値を認めるようなスローガンが(フランスにおいても)当たり前になった。例えば、「万人のための結婚」といったものである。 こういう傾向は、一般には新自由主義による社会的紐帯に直面した

    鵜飼哲著『いくつもの砂漠、いくつもの夜』から - Arisanのノート
  • 東浩紀『訂正可能性の哲学』|KIRA Takayuki

    つい昨日に発売された、東浩紀『訂正可能性の哲学』(ゲンロン、2023年8月)と『観光客の哲学 増補版』(ゲンロン、2023年6月)を読んだ。 私はこの著者のよい読者ではない。『訂正可能性の哲学』もよいだと思えなかった。ルソー、プラトン、ポパー、ウィトゲンシュタイン、アーレント……といった有名な哲学者の代表作をいきなり読んで(つまり近年の研究などはほとんど参照せず)、過度に単純化しながら連想ゲームで「ゆるいつながり」を作っていく。確かに読みやすいし、なるほどこういうふうに読ませるものかと感心させる部分はある。しかしそれは哲学的には意味のないレトリックを超えるものでない。もちろん一般向けの著作だから細かい解釈でどうこう言わずとも、何かオリジナルなアイデアが展開されていればそれでよいのだが、今回は「訂正可能性」という言葉でなんでもつなげている(たとえば第一部の鍵となる「家族」という言葉だが、こ

    東浩紀『訂正可能性の哲学』|KIRA Takayuki
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    kabutomutsu 2023/09/09
    "ポピュラー哲学"
  • 「怪物のような「かのように」」を読んで - Arisanのノート

    ジャッキー・デリダの墓 作者:鵜飼 哲 みすず書房 Amazon 『ジャッキー・デリダの墓』(鵜飼哲著 2014年)に収められた論考、「怪物のような「かのように」」は、巻末の初出一覧を見ると2008年にパリのコロックにおいて発表されたものとなっているが、僕はこの文章を以前にも読んだことがあると思う。その時も内容を理解できず、今回も初めに読んだときは誤読した点があったことに、読み直してみて気がついた。 この論考では、前半の方で、生前のデリダが1995年のいわゆる「村山談話」をきわめて高く評価していたということが語られている。当時の国内政治の事情をしっている日人は(左翼であっても)、この談話の価値を低く見がちである。それは、この「談話」と引き換えに、旧社会党を初めとする日の左翼勢力が失ったものがあまりに大きかったと考えられているからだ。だがデリダは、西洋の外部において、日という「帝国的同

    「怪物のような「かのように」」を読んで - Arisanのノート
  • ゼレンスキーは「簡易軍服」を着ているか?|Sho Kasuga

    まずは、Military という修飾語が服を示す単語(Uniform, Fatigue, Attire 等々)につく時、それはどういう意味の領域で使われているか、ということが問題になる。 一般的には、この回答は二種類ありうる。つまり(1)法的な機能が問題になっているのか、(2)装いやデザイン面が言及されているか、ということである。 軍服(Military Uniform)であることには、国際法上極めて重要な意味がある。 「撃っていいのは、撃たれる覚悟のあるやつだけだ」という某アニメの名台詞があるが、これは実は戦時国際法の根幹になる原理である。 つまり、軍人として戦争に参加し、銃器で誰かを制圧したり殺したりするためには、明示的に軍人であるとわかる服を来ている必要がある。 民間人の服装で武器を携帯して奇襲をかけることは国際法違反だし、軍服を着ていない人を軍人が攻撃することは戦争犯罪として扱われ

    ゼレンスキーは「簡易軍服」を着ているか?|Sho Kasuga
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2023/05/31
    “「ゼレンスキーは(簡易)軍服を着ている」という命題にはどのような前提があるか、そういった命題を好むのはどのような政治的選好を持った人々であるか”
  • ヘイトではない代案、「弱者男性」たちの出口探し 批評家・杉田俊介インタビュー(下)

    趙:ここ数年の間に「弱者男性」に関するを3冊出されました。インタビューで一番焦点を当てたかった点はこの部分です。1990年代から日では男性学の流れが少しずつありましたね。途中でちょっと途切れたようですが。 杉田:そうですね。日では一九九〇年代に「男性学の時代」と呼ばれた時期がありました。グラムシ研究者の伊藤公雄さんらが初期の代表的な論客で、「男らしさの鎧を脱いで、自分らしく生きよう」と主張しました。その後、様々な自治体で男性学講座が開催されたりもしました。ただ、そうした動きは、基的には会社を引退したあとのサラリーマン層が中心だったように思います。そうした流れがある程度普及すると、男性学の役割はあたかも達成されたような雰囲気になって、いったんは収束してしまいました。 趙:「性的弱者」という言い方はありましたよね。1990年代後半に上野千鶴子と宮台真司の対談が話題になりました。「コミュ

    ヘイトではない代案、「弱者男性」たちの出口探し 批評家・杉田俊介インタビュー(下)
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    kabutomutsu 2023/05/06
    “『成熟と喪失』は、母親や妻のケアを引き受け、しかしケアに失敗し続ける男性たちに関する評論なんですね...もしかしたらそこには、家父長的ではない男性たちの実践がありえたのかもしれない”
  • 「シン・エヴァ」マリはなぜ昭和歌謡を歌い続けたのか - アキバ総研

    コンテンツはアキバ総研が制作した独自コンテンツです。またコンテンツでは掲載するECサイト等から購入実績などに基づいて手数料をいただくことがあります。 今回のテーマは、2度にわたる公開延期を経て、2021年3月についに公開! 四半世紀にわたる歴史に幕を下ろした「シン・エヴァンゲリオン劇場:||」。 平成を代表する歴史的大ヒット作の完結編を、前後編の2回にわたり、評論家の中川大地が一刀両断する。 (ネタバレも多いので、あらかじめ了承のうえで読み進めていただきたい) 前編はこちらから! ⇒総括・「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」──長すぎた戦後アニメ思春期の終りによせて(前編)【平成後の世界のためのリ・アニメイト 第8回】 「刻の功名」としての大人たちの成熟 2016年の「シン・ゴジラ」を経由したことによる「災後ファンタジー」としての作のスタンスは、ポスト・エヴァ的イマジネーションの

    「シン・エヴァ」マリはなぜ昭和歌謡を歌い続けたのか - アキバ総研
    kabutomutsu
    kabutomutsu 2023/05/02
    "成熟と承認という1990年代的な問題の決着にあまりにも長くとらわれすぎたために、新劇場版は「エヴァ」のリビルドというプロジェクトがもっと先に行けたはずの可能性を、少なからず逸してきた" するどい
  • 話題の単語「コンヴァージェンス・カルチャー」の意味、答えられますか? 翻訳した阿部康人さんに聞きました

    当記事は「FUTURE IS NOW」の提供記事です。元記事はこちら。 未来の定番になると予想する言葉を取り上げて、その言葉に精通するプロの見解と合わせながら、新しい未来の考え方を紐解いていく連載。 今回は「コンヴァージェンス・カルチャー」をご紹介します。 コンヴァージェンス・カルチャー【参加型文化/Convergence Culture】 コンヴァージェンス・カルチャーとはメディア研究の第一人者で南カリフォルニア大学教授のヘンリー・ジェンキンズ氏が、2006年に出版した著書『コンヴァージェンス・カルチャー―ファンとメディアがつくる参加型文化』(邦訳)のなかで提唱した考え。技術テクノロジー(古いメディアと新しいメディア)、産業・ビジネス(草の根メディアと企業メディア)、そして文化および社会(メディアの製作者とメディアの消費者)の3つの分野で生じている変化について理解することを目的につく

    話題の単語「コンヴァージェンス・カルチャー」の意味、答えられますか? 翻訳した阿部康人さんに聞きました
  • TVアニメ『アキバ冥途戦争』におけるアキバブームの刻印:メイドに関する偽史的想像力をどのように考えるべきか|髙橋優

    Twitterでの指摘を受けて、稿の文末に追記を加えました。 博徒の子分は理非を辨へずに、ひたすらに親方の指揮に服從する。 (柳田國男「親方子方」『定 柳田國男集 第十五巻』筑摩書房、1963年、390頁) 2022年12月に放送が終了したTVアニメ『アキバ冥途戦争』は、加藤智大による無差別殺傷事件(2008年6月8日)を生むような秋葉原の都市構造の変容を前提とした、マッチポンプ的な作品だった。 作は「萌えと暴力について」というキャッチコピーを引っ提げて、秋葉原でメイドとして働く女たちがヤクザ映画さながらの殺し合いを演じる様子を余すところなく描き出す。1999年の秋葉原を舞台に繰り広げられるのは、メイドカフェグループ間の血で血を洗う抗争とメイドカフェグループ内部の内紛だ。作において、秋葉原はメイドカフェグループの双璧をなすケダモノランドグループとメイドリアングループによって牛耳ら

    TVアニメ『アキバ冥途戦争』におけるアキバブームの刻印:メイドに関する偽史的想像力をどのように考えるべきか|髙橋優
  • 山上徹也の全ツイートを言説分析し読み解けたものとは <五野井郁夫・注目の人直撃インタビュー>

    統一地方選の幕が上がり、岸田政権に中間評価を下す衆参5補選の同時実施が迫る中、上梓された「山上徹也と日の『失われた30年』」が話題だ。昨夏の参院選の最中に噴き出した自民党と統一教会(現・世界平和統一家庭連合)との癒着はいまだ解明されていない。憲政史上最長政権を率いた元首相はなぜ銃口を向けられたのか。山上徹也被告の全ツイートを言説分析し、事件の背景に迫ったのが著者のひとりである政治学者だ。被告と同世代、宗教2世の共通点を持つ。何が読み解けたのか、聞いた。 ◆独文学翻訳家の池田香代子氏との共著「山上徹也と日の『失われた30年』」(集英社インターナショナル)https://www.amazon.co.jp/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E5%BE%B9%E4%B9%9F%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%A4%B1%E

    山上徹也の全ツイートを言説分析し読み解けたものとは <五野井郁夫・注目の人直撃インタビュー>
  • 閲覧注意!三浦瑠麗と夫をどん底に叩き落とした教育学者の恐怖の洗脳ハラスメント教育。その源流はどこにあるのか?ガチの真実シリーズ。安冨歩東大教授。一月万冊

  • アニメと反戦(5)『カウボーイ・ビバップ』 - 猿虎日記

    アニメと反戦(1) - 猿虎日記 アニメと反戦(2) - 猿虎日記 アニメと反戦(3) - 猿虎日記 アニメと反戦(4) - 猿虎日記 「はいはい(笑)」 最近、アニメをよく見ている。しかも過去の「名作」を。ここ何十年かは、TVでたまたま観はじめた場合以外「これを見よう」と思ってわざわざ見るアニメはあまりなかったのだが、この連作の第一回で書いたようにガンダムを含む過去の観逃した有名作をアマゾン・プライムで見るようになり、この連作を書きはじめたこともきっかけだが、ついにアニメのためにサブスクにも入ってしまった。『超時空要塞マクロス』は、「アニメタイムズ」というサービスで観たが、「dアニメストア」のほうが観たいものが多そうだったのでそちらに乗り換え、さらに最近は「U-NEXT」だ。 そんなことはどうでもいいのだが、少し前、「dアニメストア」で、これもまた観逃していた『カウボーイビバップ』(19

    アニメと反戦(5)『カウボーイ・ビバップ』 - 猿虎日記
  • 映画『飯舘村 べこやの母ちゃん』 - Arisanのノート

    十三のシアターセブンで、古居みずえ監督の『飯舘村 べこやの母ちゃんーそれぞれの選択』を見た。また、上映終了後に監督の舞台挨拶があり、こちらもとても良かった。 映画は、飯舘村に暮らしてきた三人の「母ちゃんたち」の原発事故以後の姿に寄り添って撮られたもの。古居さんと被写体になった人たちとの距離感がよく伝わってくる、すぐれた内容だった。 挨拶でも言っておられたが、古居さんが飯舘村の人たちの置かれた状況に、パレスチナの人たちの境遇を重ねていることは、映画の冒頭のシーンからはっきり伝わってくる気がした。花々が咲き乱れる飯舘の谷間の春の景色と、その土地が敗戦直後、満蒙開拓から帰国した人々によって切り拓かれた農地だったという歴史の解説。原発事故の被害と、その後の国の切り捨て的な政策は、またしてもこの土地の人たちを襲ったのである。 古居さんの映画の特徴は、日常に持続するものとしての「時間」を丁寧に撮ってい

    映画『飯舘村 べこやの母ちゃん』 - Arisanのノート
  • https://twitter.com/hokusyu82/status/1635853435080937472

    https://twitter.com/hokusyu82/status/1635853435080937472
  • [寄稿]ロシアの植民地主義、イスラエルの植民地主義

    7日(現地時間)イスラエル軍がヨルダン川西岸地区のパレスチナの都市ジェニン地域の難民キャンプを攻撃するなか、イスラエル軍のヘリコプターが照明弾を発射して通り過ぎている=ジェニン/新華・聯合ニュース ロシアウクライナ侵攻1年を迎え、祝うべき唯一のことは、ウクライナがみせた抵抗だ。これは、同盟国だけでなくウクライナ人自身も驚いたことだった。ウクライナの勇敢な抵抗は、さらに別の肯定的な変化につながった。あるウクライナのジャーナリストはこのように評する。「ウクライナ人は戦争の状況でも自国の正義に対する熱望を失わずにいる。ウクライナ人の大半が命をかけてロシアの大量虐殺の脅威に対抗していることを考えると、ウクライナの正義に向かう熱望は以前よりさらに強まったといえる。ウクライナ人は、自分たちの国がどのような方向に進まなければならないのか、戦争が終わった後にはウクライナがどのような姿にならなければならな

    [寄稿]ロシアの植民地主義、イスラエルの植民地主義