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2010年8月18日のブックマーク (14件)

  • 岩上安身がまた早とちりをして醜態を晒しているようで - やまもといちろうBLOG(ブログ)

    頭髪の薄い岩上安身が眉毛の薄い猪瀬直樹氏に挑む格好になっているのだが、この薄毛対決がまた趣深いのでメモ。 http://twitter.com/iwakamiyasumi [引用]続き。これからラジオなので、反論はそのあとゆっくりやります。ひとことだけ。いやしくも言論人が、批判されたからといって、ただちに名誉棄損を匂わして威圧するのは、問題外である。しかも、猪瀬さん、あなたは東京都副知事という公権力の座にある為政者・権力者である。その自覚はおありか? 反論も何も、猪瀬直樹氏の元発言があってだな、これを読むと岩上刺身がどうも早とちりをまたやらかしたとしか思えないのが興味深いわけです。 事の発端は岩上刺身がこんな話を。 http://twitter.com/iwakamiyasumi/status/21467240684 [引用]続き。猪瀬直樹氏が私宛にツィートし、当人不在のまま祭り状態に。知

    岩上安身がまた早とちりをして醜態を晒しているようで - やまもといちろうBLOG(ブログ)
    kamm
    kamm 2010/08/18
    おもしろい
  • 北朝鮮新型戦車の映像確認される - MSN産経ニュース

    韓国の聯合ニュースは17日、北朝鮮が旧ソ連製のT62戦車を改良してつくった新型戦車「爆風号」の映像が初めて確認されたと報じた。今年3月に朝鮮中央テレビで流されていたことが分析で分かった。韓国の情報当局関係者の話として伝えた。 同ニュースによると、爆風号は2002年から生産が始まり、125ミリまたは115ミリの新型主砲を備え、火力と機動性が旧来の戦車よりも向上。特に米韓両軍のヘリコプターによる攻撃に対応するため、14・5ミリの旧ソ連製対空機関砲を搭載している。 レーザー式距離測定機など機器の性能向上が図られ、旧来の戦車に比べ砲弾の命中率が上がったとみられるという。(共同)

  • pixivのインフラを支える技術

    7. pixivについて イラストコミュニケーションサービス 2007年09月10日 〜 サービス規模 125万ユーザ 8億5000万PV/月 3000万PV/日 関連サービス drawr http://drawr.net/ drawTwit http://drawtwit.com/ サーバ160台

    pixivのインフラを支える技術
  • 夏の甲子園:アルプスから消えた「ハイサイおじさん」 - 毎日jp(毎日新聞)

    【甲子園取材班】甲子園の応援歌として定番だった「ハイサイおじさん」が今年はアルプス席で流れず、観客から「聞きたい」という声が相次いでいる。チャンスにアルプス席を一層盛り上げる曲だったが、興南の春夏連覇を願って関係者が制作した新応援歌の登場で、姿を消しつつある。 興南の試合では「ヒヤミカチ節」を基に作った新応援歌が演奏され、野球部員らも「ヒヤ、ヒヤ、ヒヤヒヤヒヤ」と左右にメガホンを振って踊り、板についてきた様子。 2回戦で敗退した元沖尚の金城孝夫監督が率いる長崎日大の試合では、県出身の島袋翔輝選手らが活躍し、何度も演奏された。長崎日大の応援団の中には沖縄勢の応援さながらにカチャーシーを踊る観客もいた。 35年以上にわたり県勢の私設応援団長を務め「ハイサイおじさん」を応援歌に提案した糸数勝彦さん(65)=大阪市住吉区=は「ハイサイおじさんを聞くのを楽しみに球場に来る一般の人もいるので、ぜひ演奏

    kamm
    kamm 2010/08/18
  • 【甲子園・夏】あの名曲…応援歌「ハイサイおじさん」が教育的指導で消された - MSN産経ニュース

    甲子園球場(兵庫県西宮市)で開かれている第92回全国高校野球選手権大会で、準々決勝進出を果たした興南高校(沖縄)のアルプススタンド応援席から、沖縄代表の定番応援歌「ハイサイおじさん」が、ピタリと消えた。理由は、酔っぱらいおじさんを扱った歌詞が高校野球にふさわしくないという“教育的指導”。興南高校は18日の準々決勝第2試合に登場するが、おなじみのメロディー復活を求める声は根強い。  1通の投書きっかけ…全国のファン復活望む声 「ハイサイおじさん」は、約30年前に沖縄で生まれた歌謡曲。25年ほど前、沖縄出身で兵庫県尼崎市内の中学校で音楽教諭をしていた羽地靖隆さん(62)が、甲子園に出場した沖縄勢を応援するため、生徒たちと演奏したのが始まり。独特のリズムが人気となり、沖縄県勢共通の応援曲となった。 ところが今年7月、地元紙に、「遊郭を遊び歩く酒飲みおじさんをからかう原曲の歌詞が、高校野球にそぐわ

    kamm
    kamm 2010/08/18
  • デジカメアイテム丼:ポラロイド「Polaroid PoGo App」 〜さすが本家! 完成度が高いAndroid用カメラアプリ

    kamm
    kamm 2010/08/18
  • デジカメドレスアップ主義:シャンパンゴールドの蘇生術(ソニーNEX-5 + カールツァイス Gビオゴン T* 21mm F2.8)

    kamm
    kamm 2010/08/18
    描写はともかく、かっこいい・・・。
  • 岡崎市立中央図書館事件等 議論と検証のまとめ

    このサイトは, 岡崎市立中央図書館(通称:りぶら) の新着図書一覧ページをマッシュアップしようとした利用者が,偽計業務妨害の疑いで逮捕され,20日間の勾留を受けた事件(岡崎市立中央図書館事件),および,三菱電機インフォメーションシステムズが各地の図書館システムをカスタマイズする際に起こした様々な問題についての,各方面の論客による検証および議論,明らかになった事実関係のまとめサイトです。

    岡崎市立中央図書館事件等 議論と検証のまとめ
    kamm
    kamm 2010/08/18
  • シドニー・オペラハウス - Wikipedia

    シドニー・オペラハウス(Sydney Opera House)は、オーストラリア・シドニーにある20世紀を代表する近代建築物であり、世界的に有名な歌劇場・コンサートホール・劇場でもある。オペラ・オーストラリア、シドニー・シアター・カンパニー、シドニー交響楽団の拠地になっている。 設計者は計画決定当時は無名であった建築家のヨーン・ウツソンであるが、独創的な形状と構造設計の困難さなどにより工事は大幅に遅れ、1959年に着工したものの竣工は1973年となった。世界で最も建造年代が新しい世界遺産であり、完成後はシドニーのみならずオーストラリアのシンボルとしても親しまれている。シドニー港に突き出した岬であるベネロング・ポイントに位置し、貝殻やヨットの帆を思わせる外観は、シドニー・ハーバーブリッジとともに、シドニーを訪れる観光客の定番の撮影スポットでもある。 オペラハウスとハーバーブリッジ、シドニー

    シドニー・オペラハウス - Wikipedia
    kamm
    kamm 2010/08/18
  • まるで悪夢を見ているような気分になる、世界の錯視的建造物 : カラパイア

    kamm
    kamm 2010/08/18
    16いいなあ
  • スローなブギにしてくれ - Wikipedia

    1981年3月7日公開。東映と角川春樹事務所による製作で、東映洋画が配給した。浅野温子の初主演作で、その小悪魔的な演技が話題となった。 脚は「スローなブギにしてくれ」をベースに、「ひどい雨が降ってきた」「俺を起こして、さよならと言った」の2作品(いずれも片岡の小説)を織り交ぜ、さらにオリジナルエピソードや後日譚を付け加えたものとなっている。主なロケ地は神奈川県大和市と東京都福生市周辺。原作とは異なり、主人公の男性はアルバイトで生計を立てる年上の社会人として設定されている。 『映画情報』1981年8月号には「松竹が『上海バンスキング』を1981年初めに松坂慶子主演・藤田敏八監督でやろうとしたが、製作が難航している間に、企画としては先に挙がっていた『スローなブギにしてくれ』に藤田監督を取られた」と書かれている[2]。 映画の撮影に先立ち「映画出演仔オーディション」が行われた。1980年10

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    kamm 2010/08/18
  • 米軍住宅 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "米軍住宅" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2011年7月) 米軍住宅(べいぐんじゅうたく)とは、在日米軍の軍人軍属およびその家族が居住する目的で建築された住宅。駐留軍の敷地内に建てられたものと、基地の敷地外に民間の手によって建てられたもの双方を指す。 「米軍ハウス」、「外人住宅」などとも呼ぶが、その場合は日に返還され一般人の用に供されているケースが多い。 アメリカ軍では"Dependent house"すなわち「扶養家族住宅」と呼ぶ。 1945年(昭和20年)に日が第二次世界大戦で敗戦し、アメリカ軍やイギリス軍を中

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    kamm 2010/08/18
  • サン・ファン・バウティスタ号 - Wikipedia

    サン・ファン・バウティスタ号(西: San Juan Bautista[注釈 1])は、江戸時代初期に仙台藩で建造されたガレオン船である。 仙台からスペイン(イスパニア)やローマへ赴いたルイス・ソテロ、支倉常長ら慶長遣欧使節の渡航の中で、太平洋の横断に使用された。 船名は「洗礼者・聖ヨハネ」の意で[1]、スペイン側の史料に出てくるものである[2]。仙台藩の史料においては単に黒船と記述があり、固有の和名があったかどうかは不明である[2]。 サン・ファン・バウティスタ号は1617年、ローマの支倉常長と共に描かれている;Claude Deruet画 ガレオン船の帆の先端に、支倉の旗(オレンジ色の旗に赤い鉤十字)が見える 仙台藩の藩祖である伊達政宗は、江戸時代の慶長年間に、スペインの宣教師ルイス・ソテロや家臣の支倉常長を使節としてスペインおよびローマへ派遣した。これが慶長遣欧使節である。使節は、外

    サン・ファン・バウティスタ号 - Wikipedia
    kamm
    kamm 2010/08/18
    伊達政宗が作ったガレオン船
  • 国立国会図書館サーチ

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    kamm
    kamm 2010/08/18
    librahack?