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エリートに関するorticaのブックマーク (3)

  • 進歩派ジャーナリストの罪 - 「当事者」の時代

    「当事者」の時代 (光文社新書) 著者:佐々木 俊尚 販売元:光文社 (2012-03-16) 販売元:Amazon.co.jp ★★★☆☆ 日社会が閉塞感におおわれている原因は政治家や官僚や経営者だけではなく、著者も指摘するようにメディアにもある。彼らはエリートのように見えるが、取材対象である政治家や官僚に比べると周縁の側にいるので、一般庶民=読者に対するエリート意識とともに国家権力に対するルサンチマンを抱えている。 この二律背反の中で、ジャーナリストは権力への反感をマイノリティの「運動」を取材することで代弁してもらう。こうした社会的弱者への自己同一化を著者は「マイノリティ憑依」と呼ぶが、これは55年体制の中で決して権力を取らないことを前提にしてきれいごとを言っていた社会党に象徴される無責任構造だった。 一方で権力に依存しながら、他方でそれを「市民の目線」から批判するご都合主義は、社会

    進歩派ジャーナリストの罪 - 「当事者」の時代
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    ortica 2012/03/18
    [h:keyword:アル・ジョンソン]
  • コペル君と豊田正子 - 1930年代の教養主義と格差 - ohnosakiko’s blog

    『君たちはどう生きるか』のエリーティズム 最近、4年前に書かれた『グロテスクな教養』(高田理惠子、ちくま新書)の書評のブログ記事をたまたま見かけた。私がこのを読んだのもやはり4年ほど前だったが、第一章の「教養、あるいは「男の子、いかに生くべきか」」の中で、戦前の教養主義の一典型として、吉野源三郎著の『君たちはどう生きるか』が何度か言及されていたことを、この書評を読むまですっかり忘れていた。 君たちはどう生きるか (岩波文庫) 作者:吉野 源三郎岩波書店Amazon1937年(昭和12年)に刊行された、小説仕立ての少年向け教養書、啓発書である。主人公のコペル君(ニックネーム)が、日常の出来事や中学校生活のさまざまな体験を通して、世界と自己との関わりについて目を開き、成長していく様が描かれている。 著者の吉野源三郎は戦後、総合雑誌『世界』の初代編集長になり、反戦平和主義者としての活動もした所

    コペル君と豊田正子 - 1930年代の教養主義と格差 - ohnosakiko’s blog
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    ortica 2012/01/10
    [h:keyword:asin:9784003320013][search:君たちは]
  • 現在の日本では、世代というのは事実上、戦中世代と団塊世代しかないんですよ - finalventの日記

    きっかけは。 これ⇒記憶のメモ帖 - 世代で語れない世代 世代論はオッサンの為の言葉 そもそもまとまってない私達の世代を第三世代と括るのは、結局「近頃の若いものは」っていう〜紀元前から続いてる迷文句を言いたいが為だと思うのですよ。 上の世代は世代としての同質性を保ってられるから、世代論は使いやすいと思うのですが、第三世代以降は少なくとも80年代生まれ以降は*1世代ではなく、『類型』で語られるべきだと思うのです。 世代論はオッサンのためというより、現在の日では、世代というのは事実上、戦中世代と団塊世代しかないんですよ。(どっちも強烈にWGIPプロトコル) 国民を制度的に拘束することによる国民経験というのは、基的に戦争しかない。ほいで、戦前世代が死に絶えたあと、戦中派という戦争=腹減った世代と団塊の世代=戦争を知らない世代の2つしかないんですよ。 そのあとは質的にグラジュアルなものです。

    現在の日本では、世代というのは事実上、戦中世代と団塊世代しかないんですよ - finalventの日記
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