元広島投手の望月一(もちづき・はじめ)さんが6日午前9時18分、埼玉県川越市内の自宅で虚血性心疾患のため死去した。静岡県出身。52歳。葬儀・告別式は9日に家族葬で行う。 望月さんは1987年に静岡高からドラフト4位で広島に入団。92年から3年間は40試合以上に登板するなど主に中継ぎで活躍。97年にダイエーに移籍した後、その年に引退した。通算161試合に登板、21勝19敗7セーブ。引退後は理学療法士の資格をとり、広島やロッテでトレーナーを務めた。
野村克也さん 沙知代さんへ貫いた40年愛 解任されても騒動のたびに守った(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース 沙知代さんが亡くなった際、野村さんは最期の瞬間まで手を取り、みとったという。その後は、自宅には至る所に沙知代さんの写真を飾り「これからどう生きていけばいいのか。男の弱さを感じてます」とさみしさを隠さなかった野村さん。 いろいろと問題のある人ではありましたが、沙知代氏が夫にとってかけがえのない存在であったことは明らかで、野村克也氏の活躍を大きく支えていたのだなと、改めてしみじみと感じています。 記事にもあるように、沙知代氏のせいで、野村克也氏は随分と振り回され球界での活動にも良くない影響が出ていますが、それでも2人は一体となった存在であったということでしょう。 私自身、中学、高校と野球に打ち込んでいて、今でも最も好きなスポーツは野球で、物の考え方などに大きな影響を与えていま
アフガニスタンで医療や復興支援を進めてきたNGOペシャワール会の中村哲医師が亡くなりました。沖縄平和賞の1回目の受賞者です。 4年前、藤沢市での講演会に出席しました。当時は、安保法制をめぐる議論が注目されていました。 海外の紛争地で、活躍している中村医師から、安保法制に力強く反対する言葉を聞きたい、わたしを含めた会場の多くが待っていました。 ところが、中村医師は、現地での医療や貧困の実態を語り、清潔な水こそが必要であり、井戸の掘削や用水路の建設こそが求められているととつとつと訴えたのです。 中村医師ほど戦争を憎み、平和を願った人はいないはずです。同時に中村医師は、国際政治に翻弄されてきたアフガニスタンを見てきたのです。 中村医師は、ペシャワール会のサイトのあいさつでこう書いています。 「人々の暮らしが、たかだか10年やそこいらのプロジェクトで変わるものではない。われわれの歩みが、人々と共に
アフガニスタンで長年、農業用水路の建設など復興に携わってきた医師の中村哲さんが4日、東部ナンガルハル州を車で移動中に何者かに銃撃され、病院で手当てを受けていましたが、死亡しました。病院の担当者はNHKの取材に対し、「病院に運ばれてきた時、中村さんの容体は悪く、すぐに手術が必要な状態だった」と明らかにしました。 アフガニスタン東部ナンガルハル州の警察などによりますと、福岡市のNGO「ペシャワール会」の現地代表の医師、中村哲さん(73)が現地時間の4日午前、日本時間の4日午後、ナンガルハル州の州都ジャララバードを車で移動中に、何者かに銃撃されました。 中村さんはけがをして病院で手当てを受けていましたが、病院関係者や地元の当局者によりますと、その後、死亡が確認されたということです。 地元の当局者はNHKの取材に対し、中村さんは治療を受けるため、ナンガルハル州の病院から首都カブール近郊にあるアメリ
紅茶とスイーツを愛するほっこりブログこと、はてなが誇るゲスブログ「 Hagex-day info 」の古くからの読者であり、禿田さんとはネット上でのやりとりは多少あったものの、リアルで会うのは初めてということで満を持しての参加であった。 会場は 「Fukuoka Growth Next - 福岡の中心地にある官民共働型スタートアップ支援施設」、福岡市の商業の中心地・天神にある旧大名小学校をスタートアップ施設にリニューアルしたもので、昨年末には、はてなのイベントもここで開催されている、はてなーにはお馴染みの場所だ。 イベント中は、ほっこり仲間からゲスい副音声情報を貰いながら講師の話半分だったのであるが、終了後、せっかくなので声を掛けようと思い、また持参した著作「2ch、発言小町、はてな、ヤフトピ ネット釣り師が人々をとりこにする手口はこんなに凄い (アスキー新書)」にサインを貰うつもりで会場
『ブログを書くなんて、不幸な人がすること』『多くの人に見られるようになると、面倒なことも増える』『それでも書きたいんだったら、書き続けること』。そんな象徴的な言葉を思い出す。 福岡市中心部のスタートアップ施設内で、殺人事件が起きた。被害者は、ブログ「Hagex-day.info」の主催者Hagex氏。私は、事件が起きる30分ほど前まで、彼が主催するイベントに出席していた。今も信じられないのだが、自分が感じたことを、このエントリーとして刻みつけておく。それ以上の意味はない。 事件の舞台となったのは、元の大名小学校だった敷地と建物を活用した、「Fukuoka Growth Next」というインキュベーション施設。福岡市が創業特区になっていることもあり、スタートアップ企業が入居し、イベントなども開催されている。Hagex氏のように、著名な人たちが東京から来ることも多い。私も、彼のイベントを楽しみ
加古里子(かこさとし・本名 中島哲)儀は、2018年5月2日92歳で永眠いたしました。 ここに生前の御厚誼に感謝し謹んでご報告申し上げます。 故人の意向により親族のみで自宅にて葬儀を執り行いました。 お香典、お花等は固く辞退申し上げます。 偲ぶ会等につきましては、偕成社様・小峰書店様・福音館書店様の3社合同主催で開催予定です。詳細が決まりましたら、あらためてご案内致します。 この9年あまり持病の加療をしながらも、皆様のお陰で92歳まで生涯現役で創作活動を続けられましたことを感謝しております。 多くのお手紙、応援をいただき、『からすのパンやさん』の続編や『だるまちゃんシリーズ』新作、また92歳を記念しての『遊びの四季』『過去六年間を顧みて』を出版できましたことを加古は大変喜んでおりました。 いただいたお手紙にお返事が滞ってしまいましたことを気にかけ、亡くなる前日までファンレターの読み上げを聞
20年間にわたった長洲一二氏による革新県政の後、県の財政再建や環境政策に力を注ぎ、3月31日に死去した元知事の岡崎洋氏。「日々王道を歩み、真正面から物事に取り組むべき」という孔子の「行くに径(こみち)に由らず」をモットーに、平成7年から15年までの2期8年間、清廉でまっすぐな「岡崎県政」を展開した。 7年当時の県財政は逼迫(ひっぱく)。元大蔵官僚で元環境事務次官の岡崎氏に白羽の矢が立った。知事就任後は行財政改革に邁進(まいしん)し、知事給与や退職金の大幅カット、県職員数の抑制や県債発行の削減など大ナタを振るい、財政再建団体への転落の危機を回避。第三セクターの統廃合推進や水源環境保全の財源確保に向けた新税導入にも道筋をつけた。 さらに市民活動拠点の整備やNPOへの活動費助成など市民協働社会の構築にも奔走。知事業務の傍ら、「国と地方の税配分のゆがみを是正しない限り財政再建はできない」として、政
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