バナジー/デュフロ『貧乏人の経済学』(みすず書房) を読みました。原題は Poor Economics: A Radical Rethinking of the Way to Fight Global Poverty ですから、この本のタイトルの「貧乏人」とは先進国内の低所得者ではなく、低開発国の国民であり、ジャンルは開発経済学の本です。先月6月9日に同じ出版社のポール・コリアー教授の『収奪の星』を取り上げましたが、開発経済学という点では同じです。本書の著者はインド人とフランス人で、いずれもマサチューセッツ工科大学 (MIT) の教授を務めるエコノミストです。ということで、まず、出版社の特設サイトから本の紹介を引用すると以下の通りです。 バナジー/デュフロ『貧乏人の経済学』食うにも困るモロッコの男性がテレビを持っているのはなぜ貧困地域の子供たちが学校に行けるのになかなか勉強できるようになら
速水健朗「ラーメンと愛国」を読んだ 確か2年ぐらい前に速水氏から次の本はラーメンという話をうかがって、それからずっと楽しみにしていた本。 ラーメンと愛国 速水 健朗 講談社現代新書 2011/10/18 なぜ「ラーメン職人」は作務衣を着るのか? いまや「国民食」となったラーメン。その始まりは戦後の食糧不足と米国の小麦戦略にあった。“工業製品”として普及したチキンラーメン、日本人のノスタルジーをくすぐるチャルメラ、「ご当地ラーメン」に隠されたウソなど、ラーメンの「進化」を戦後日本の変動と重ね合わせたスリリングな物語。(書籍紹介文より) ラーメンにまつわる作られた文化史を紐解くという、とても面白い本だった。実は「伝統」なんていうのは、10年や20年という割と短い時間の中で、いつの間にか出来上がって、その存在を誰も疑わなくなるものなんだということを改めて認識した。 そういえば似たような話としては
2008年10月27日05:00 カテゴリ書評/画評/品評Art 道に出る人、必読! - 書評 - となりの車線はなぜスイスイ進むのか? 早川書房東方様より献本御礼。 となりの車線はなぜスイスイ進むのか? Tom Vanderbilt / 酒井泰介訳 [原著:Traffic: Why We Drive the Way We Do 大変失礼ながら、「渋滞学」と同じ柳の下のどぜうかと思いきや、その柳が生えているのが実は小島で、その小島を取り囲む大海に潜む大魚だった。 間違いなく、この12ヶ月に読んだ中で最も面白く、かつ考えさせられた一冊だ。 本書「となりの車線はなぜスイスイ進むのか?」の原題は"Traffic: Why We Drive the Way We Do (and What it Says About Us)"。直訳すると「交通:なぜ我々はああいう運転をするのか。そしてそこから我々自
選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか? 作者: ウィリアムパウンドストーン,篠儀直子出版社/メーカー: 青土社発売日: 2008/06/25メディア: 単行本購入: 8人 クリック: 83回この商品を含むブログ (19件) を見る ウィリアム・パウンドストーンは「囚人のジレンマ」とか「パラドックス大全」とか「ライフゲームの宇宙」とか「天才数学者はこう賭ける」などの著者で,ちょっと面白い数学の問題と実社会がどうつながっているかをうまく裁いてくれるコラムニスト兼サイエンスライターだ. ただ本書はこれまでの本とちょっと雰囲気が違っている.原題は「Gaming the Vote」.投票者の投票を使ってゲームをする,手玉にとってもてあそぶという感じだろうか.出版は今年(2008年)の2月.大統領選挙の年にあわせてリリースされていて,いまの投票システムに関するかなり先鋭的な問題意識が背後にあるの
2011年09月05日09:00 カテゴリ書評/画評/品評Logos 書評に代えて - 日本人の9割に英語はいらない 出版社より献本御礼。 日本人の9割に英語はいらない 成毛眞 よくぞ言ってくださった9割。 残りの1割を、これから書く。 本書「日本人の9割に英語はいらない」の内容を一言でまとめると、「英語勉強している暇があったら、本を読め」、ということになる。このこと自体に異論はないし、私も同様の主張を何度も本blogで繰り返して来た。しかし、それをマイクロソフト株式会社元社長(1)が、成毛眞(2)として言ったことに意義がある。 (1)に意義があるのは、その方が遥かに多い人が耳を傾けるから。人というのは何を言ったかではなく、誰が言ったかを気にする生き物である。「英語勉強しろ!」と五月蝿い親や上司を黙らせるには、あなたが直接言うより「マイクロソフト株式会社元社長もそう言っていた」の方が遥かに
ヒューマンエラーは裁けるか─安全で公正な文化を築くには [著]シドニー・デッカー[掲載]2009年12月20日[評者]高村薫(作家)■日常業務が「過失」に変わる瞬間 大きな列車事故が起きる。多数の死傷者が出る。さあ、誰のせいだ? 事故はなぜ起きたのだ? 責任者は出てこい。説明責任を果たせ――。こうして社会も被害者遺族も「真相」を求め、事故を起こした当事者の刑事罰を求め、二度と同じ事故を起こさない安全対策を求めるのだが、司法の場でこれらが果たされるとするのは幻想かもしれない。本書は、そう考えるに足る証拠と論理を積み上げ、私たちの常識をくつがえしてゆく。 事故は、日常的に繰り返す業務をある日突然「過失」に変える。たとえば、調剤の際の勘違いで薬の濃度を誤り、患者を死亡させた看護師がいる。彼女はたしかに間違えたのだが、看護師による投薬は病院という複雑なシステムの一部にすぎない。実際、この事件では読
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