日本では新型コロナウイルスの感染拡大により顕在化した「生理の貧困」ですが、世界ではそれ以前から注目されていました。貧困と聞くと経済的な面のみを捉えがちですが、それだけではなく人としての尊厳や人権に大きく関わる問題です。一緒に理解していきましょう。
男女どちらにも使える代名詞 ze を初めて見たのは何かの記事だったが、お遊びの言葉と思ったのか、調べもせず記憶にも残らなかった。先日、この言葉をめぐるちょっとおもしろいニュースを読み、「そういえば前に目にしたことがある」と思い出したので、取り上げてみよう。 遊びや冗談ではないとしても、広く認知されたものではない”イロモノ”ということか、英語圏のオンライン辞書にも載っていなかったが、例外として Wiktionary に記述があった。 - Pronunciation /zi/ (neologism) they (singular). Gender-neutral third-person singular subject pronoun, coordinate with gendered pronouns he and she. quotations 1996 But I do know wh
アンティフォナの語源でもある、ギリシャ語の「αντιφωνα、antiphōna」から、ラテン語の「antefana」が派生し、その後、サクソン語の「antefn」に変化した[1]。 教会音楽、とくにイングランド国教会の礼拝(サーヴィス)におけるアンセムは、朝・夕両方の祈りで第3の特祷の後に行われることが、ルブリカ(Rubric)によって定められている。アンセムの中にはイギリスの戴冠式のものもある。歌詞は聖書や儀式文集から取られる。曲は一般に、賛美歌より凝っていて、変化に富んでいる。イングランド国教会のアンセムは、会衆のためでなく訓練を積んだ合唱隊のために作られカトリック教会およびルーテル教会のモテットと似ているが、基本的に歌詞は英語である。 アンセムは、聖母マリアなどの聖人への祈祷に付属して歌われるカトリックの「votive antiphon」の代用として発展した。エリザベス朝(1558
『檸檬』(れもん)は、梶井基次郎の短編小説。梶井の代表的作品である。得体の知れない憂鬱な心情や、ふと抱いたいたずらな感情を、色彩豊かな事物や心象と共に詩的に描いた作品。三高時代の梶井が京都に下宿していた時の鬱屈した心理を背景に、一個のレモンと出会ったときの感動や、それを洋書店の書棚の前に置き、鮮やかなレモンの爆弾を仕掛けたつもりで逃走するという空想が描かれている[1][2][3]。 1925年(大正14年)1月1日発行の、中谷孝雄、外村繁らとの同人誌『青空』1月創刊号の巻頭に掲載された[4][1]。単行本は、梶井の友人である三好達治らの奔走により、梶井の亡くなる1年ほど前の1931年(昭和6年)5月15日に武蔵野書院より刊行され(印刷日は5月10日)、これが梶井の生涯で唯一の出版本となった[5][6]。同書には他に17編の短編が収録されている[7][8]。 翻訳版は英語(英題:Lemon)
非科学的な神という存在をなぜ信じるのか。神がいるならなぜ悪があるのか。宗教は平和をもたらすのか。素朴な疑問をもとに宗教と人間の関係を解き明かす1冊『宗教を「信じる」とはどういうことか』より本文の一部を公開します。 キリスト教徒は、本当に聖書を「信じ」ているのか キリスト教信仰においては、まず聖書の権威を「信じ」て、そしてそこに書かれている内容も正しいと「信じ」ることが大前提となります。しかし、キリスト教徒は聖書に書かれていることを本当にすべて「信じ」ているのでしょうか。実際の信徒たちを見ていると、はっきり言って、そのようには見えません。 例えば、新約聖書の「コリントの信徒への手紙一」の一一章には、「男はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶるなら、自分の頭を侮辱することになります。女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります」
「男と女」 牧師 藤掛順一 ・ 旧約聖書; 創世記 第2章18-25節 ・ 新約聖書; コリントの信徒への手紙一 第11章2-16節 ・ 讃美歌; 6、165、514 礼拝に関する教え 礼拝においてコリントの信徒への手紙一を読み進めていますが、本日は11章2節以下を読みます。ここからは、これまでの所とは違う事柄が語られていきます。これまでの所には、偶像礼拝の問題、それと関連して、偶像に供えられた肉を食べることについての教えが語られていました。本日の所からは、今度は、教会における礼拝の問題、それをどのように守り、整えていったらよいか、ということについて語られていくのです。そういうことを語る部分が、14章の終わりまで続いていきます。これから読んでいく部分は、教会における礼拝の問題を語っているところだ、ということをまず頭に置いておきたいのです。 それは、このことをきちんと認識しておかないと、
『Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞』実施中止のお知らせ2018年以来過去5年間続いてきた『Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞』ですが、運営体制の変更により、残念ながら2023年度から実施を中止することとなりました。 これまで多くの優れたノンフィクション作品が『Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞』を通じて広く世に知られ、評価される機会を得たことを嬉しく思います。 本屋大賞実行委員会としては、改めて体制を整え『ノンフィクション本大賞』の実施再開を目指しております。 今後とも、ノンフィクション本への皆様の温かい支援と理解をお願い申し上げます。 2023年5月19日 NPO本屋大賞実行委員会 これまでのノンフィクション本大賞2022年ノンフィクション本大賞 (第5回:2022年5月〜11月実施) 第5回となる「Yahoo!ニュース|本屋
その日、わたしは街の裏通りにある小さなパブで、仕事帰りに人と会う約束をしていた。 そこは薄暗く古いパブで、流行のワインなどを飲ませる小奇麗なパブではない。窓際には年季の入ったスヌーカー・テーブルがあり、カウンター上方のフラット・スクリーンではない分厚いテレビはいつもフットボールの試合を映している。が、その日、パブに着いてみれば、なぜかテレビはBBCニュースを映していた。 「え。サッチャー、死んだの?」 と吃驚しているわたしの背後から入って来た、塗装業者らしいペンキで汚れたバギー・ジーンズのおっさんは、テレビに映し出された「Baroness Thatcher Died」のヘッドラインを読むなり、おもむろに両手でガッツ・ポーズを取った。 「YES!!」 PCの前に座って仕事をしている階級の人びとはもっと早く訃報を知ったのだろうが、ブルーカラーの労働者が彼女の死を知ったのは夕方だったのである。ん
【形】緑(色)の〔植物{しょくぶつ}が〕青々{あおあお}した〔青々{あおあお}とした植物{しょくぶつ}のように〕若々{わかわか}しい、元気{げんき}な〔果実{かじつ}が〕青い、未熟{みじゅく}の〔青い果実{かじつ}のように人が〕未熟{みじゅく}な、経験{けいけん}の浅い、世間知{せけんし}らずの〔人の顔色{かおいろ}が〕青ざめた、吐{は}きそう[体調{たいちょう}が悪そう]な様子{ようす}で ・You look green. Are you okay? : 顔色が悪いですよ。大丈夫{だいじょうぶ}ですか?環境保護{かんきょう ほご}の[に関する・派{は}の・のための]、環境{かんきょう}[地球{ちきゅう}]に優{やさ}しい、環境問題意識{かんきょう もんだい いしき}の高い、無公害{むこうがい}の【名】緑{みどり}(色{いろ})《ゴルフ》グリーン〈米俗〉ドル紙幣{しへい}◆【語源】紙幣{し
※この記事は2021年05月28日に配信した、メールマガジン「エディターズレター(Editors' Letter)」のバックナンバーです。最新のレターを受け取るにはこちらから。 昨年5月に黒人男性のジョージ・フロイドが白人警察に押さえつけられて窒息死した事件ですが、ついに警察官に有罪評決が出ましたね。最近はアジア人への差別の撤廃を訴えかける「#STOPASIANHATE」も話題ですが、これらの波はファッションやビューティ業界にも及んでいます。キャンペーンに起用するモデルの多様性はもちろん、昨年からビューティ企業の多くが「美白」にまつわる表現を使わなくなりました。 そして少し前から問題になっているのが、「オリエンタル」という言葉です。「東洋の〜、東洋的」を指す言葉ですが、香水業界ではスパイスなど、アジアの原料を用いた香りによく使われます。「ウッディ」「アクアティック」「グラマン」と並ぶ、一つ
安全基地(あんぜんきち、英: Secure Base)とは、アメリカ合衆国の心理学者であるメアリー・エインスワースが1982年に提唱した人間の愛着行動に関する概念である。子供は親との信頼関係によって育まれる『心の安全基地』の存在によって外の世界を探索でき、戻ってきたときには喜んで迎えられると確信することで帰還することができる。現代においては子供に限らず成人においてもこの概念は適用されると考えられている[1]。 安全基地とは、子供にとっての愛着対象が、幼い子供に提供する心地よい安定や保護が保証された環境を意味する。子供は母親などの養育者を安全基地のように感じられると、好奇心は外の世界に向けられ、外的世界を探検することができるようになる。危険信号を感じると愛着対象にしがみつき、危険が過ぎると再度探索を行う。必要に迫られた時に心のよりどころとなる『心の安全基地』を持つことによって、辛い境遇や危険
年末年始営業のご案内 12月31日(火):18:00終了 2025年1月1日(水):全館休業 ※各店舗の年末年始の営業についてはフロアガイドよりご覧下さい。 ブライトンは常にイングランド沿岸部のホットな中心地であり続けています。毎年、何万人もの語学留学生や観光客を受け入れていますし、イギリス屈指の人気を誇る英語の学校もあります。でも、何より素晴らしいのは、ここに来ることを選んだ人は、この街とイーストサセックス州のすてきな思い出を必ず持ち帰ることができることにあります。 かの有名なブライトン・ビーチは大粒な石ころの浜辺で、海の中も石ころが敷き詰められています。ビーチ沿いにはバー、レストラン、カフェが軒を連ねています。 晴れた日に、面白い本を持ち込み、友達やカモメに囲まれながらフィッシュ・アンド・チップスをつまんで、ビーチで横になるのは最高の幸せですし、暖かい日には世界中から訪れる人たちと一緒
今年のお盆休みは9連休になる人もいるという。「お盆」の意味や習俗を理解して過ごす人は少なくなったが、花火大会やお祭りなど、イベントが盛りだくさんな時季だ。夏フェスなど各地各種のライブも多く、どこのライブに行くか迷うのも楽しい。 私は幼い頃からクラシックを聴いていたが、高校生になってジャズを知り、夢中になった。ジャズが流れるスーパーマーケットからは、買い物が終わってもなかなか出られないほど。大学に入り、部活動は迷わず軽音楽部のジャズバンドにした。バンド練習漬けの毎日、授業の合間にもジャズ喫茶やライブに通う日々だった。 私が入ったバンドには、脳性麻痺の男子がいた。手足や言葉(口腔)に麻痺があったが、サックス希望だった。簡単なスタンダードナンバー「Tea for Two」を合奏しても、彼だけが違うテンポで進行し、曲の最初と最後だけを何とかみんなと合わせる、といったことも起きた。 私のような女子も
左派新聞ガーディアンが、まだ千々に乱れている。 12日社説の「ナショナリズムは社会の不平等性を正す答えにはならない」の宣言をもって、スコットランド独立反対のスタンスで落ち着いたと思っていたら、投票2日前になって、それに真向からカウンターをかけるような文章をばーんと出して来た。 ちょうど今、ビリー・ブラッグという人のことを調べて書いている最中なのだが、その記事を書いたのが他ならぬ彼なのだからこの妙なシンクロ具合は気になってしかたない。 以下、抄訳。 僕がフラストレーションをためている最大の理由は、イングランドの左派が、ナショナリズムというものは一種類ではないということに気付いていないということだ。様々な種類の社会主義についてデモやカンファレンスで簡潔に説明できる人々が、ナショナリストの違いということになるとどうもわかっていない。 最近、SNP(スコットランド国民党)とBNP(英国国民党)には
イングランドがPK戦の呪縛から解放された。コロンビアと1-1で迎えたPK戦を4-3で制した。PK戦はこれまでW杯で3回全敗など鬼門。サウスゲート監督も、96年欧州選手権で最後のキッカーとして失敗し「戦犯」となった。その歴史もあって今回は十分に準備、研究して迎えていた。66年大会以来2度目の優勝を目指すサッカーの母国が、弾みのつく形で06年大会以来の8強入りを決めた。 サウスゲート監督が自らの足でつくったジンクスを破った。その手腕でPK戦の「黒歴史」に終止符を打った。5人目のダイアーのキックは相手GKの手に触れながらも、力強くゴール左下隅に入り、勝利が決まった。「すべての選手とスタッフの努力があったからこそ、こんな形で勝つことができた」。同監督はスタッフと抱き合った。 悪夢を振り払った。96年欧州選手権準決勝ドイツ戦で、6人目のキッカーとして登場したが、キックは弱々しくGKに止められた。チー
黄禍論とフレッドC.ルーンズベリーによる中国人男性に関する人種差別的なポストカード(1907) チンク チンク (英: chink) は、中国人を表す英語の侮蔑語である。当初は主にアメリカ合衆国の白人が、19世紀末に急増した中国系移民を呼ぶのに使用した言葉。しばしばアメリカ人はアジア人移民の出身国を区別できないので、チンクも他のアジア人を含んだ侮蔑語としても使用される。 語源にはいくつかの説がある。 中国のお礼の言葉 “ching‐ching”[1] “China”[2]もしくは “Chinese”[3] 王朝名の清 “Qing”(チン)[4] “chink” が元来、「狭い割れ目」を意味したことから、中国人の細い目 (“chinke‐eyed”) を現した[5] チンクの最初の用例は1874年に見られる[6](印刷物では1878年[7])。 アメリカ合衆国ではオーナーが自身の容貌が中国人
ビジネスシーンをはじめとして、大人にふさわしい配慮の行き届いた会話やメールなどの文面に欠かせない、頻度の高い言い回し。それらを改めて確認する「その使い方、本当に正しい?大人の語彙力強化塾」連載です。第407回は、「シンパシー」を取り上げます。 【「シンパシー」を正しく理解するための「基礎知識」】 ■意味 「シンパシー」は、「同情」や「共感」を意味するカタカナ語です。自分と同じような考え方をする相手に「シンパシーを感じた」のように使われます。 ■「英語」で書くと? 語源となる英語は[sympathy]。「共感」や「共鳴」、「気が合うこと」のほか、「同情」や「思いやり」などの意味で使われます。カタカナ語「シンパシー」との違いは、人の悲しみや苦しみなどに対する「哀れみの情」や「憐憫(れんびん)の情」といった意味を含んでいること。「憐憫」とは「可哀想に思うこと。哀れむこと」です。お悔やみを伝える場
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