日記偉人の死んだ年齢を超えることを恐れていた頃があった。 ふと、そんな話を口にすると、「ああ、わたしも中原中也だったよ」という人に出会った。 「その節は大変苦労をしたんでしょう。お互いずいぶん長く生きましたね、」と喉まででかかったがやめた。 17歳のわたしは、中原中也の年齢を一つの軸のように考えていて、30歳以後の人生というものを一切想像しなかった。「山羊の歌」や「永訣の歌」をよく読んでいて、割れガラスを叩くみたいなかんじと、妙に静かな死の情景がおりまざったのに憧れていた。詩をまねして書けば、先生から「高村光太郎と中原中也だね」といわれて、「あいつは死ねばいい」と思ったりした。書いた詩を愛している女の子に見せて、感想を言ってもらうというのを生業とした。愛している女の子は「ハルちゃんは少し変だけれども、面白いね」といろいろ言ってくれるので、手紙をしょっちゅう書いていた。女の子への愛が沸き起こ