はてなキーワード: さがみとは
経営者として東京都の行政のすべての分野に目配りができていること。
候補者の主張にオールラウンドさがみえなければ消し。ここはひとまず共通テスト的に知事の資質として、常識としてクリアしていないといけない。
ニュースによると、小池優勢、蓮舫が追い上げ、石丸が無党派層を取り込んであがってきている、とのこと。
彼女の悪い癖で外苑問題などワンイシューポリティックスに走ってしまっているが、そもそも議員としてやるべき仕事と行政トップとしてやるべき仕事をはき違えているからそうなってしまうのだ。
10年間、何も成長していなさそうなところが空恐ろしい。
暇空氏も公金チューチューとか、行政の監視とチェックは、それは議員の仕事なので、次は議員を目指したらいいんじゃないかと思う。
どちらかというと、石丸に関心がある。
前回同様、爆サイのハッテン場掲示板における書き込み頻度を尺度とする。https://bakusai.com/thr_tl/acode=3/ctgid=149/bid=2716/
結果、3店が突出していた。
城南地区トップ。何の王様だろう。1時間に1人以上の募集頻度を誇る。絹の湯(白濁湯)がよく使われるようだが、募集頻度の割にプレー場所や内容の書き込みは少ない。むしろ近くのビルやホテルでハッテンするための待ち合わせ+品定め場所として使われている。
神奈川県の湯快爽快に匹敵する頻度。サウナと黒湯が定番。ただ混雑するので浴場では待ち合わせにとどめ、別の場所で欲情するゲイも多いようだ。またスーパー銭湯扱いするには狭い銭湯であるためか、スリムな男が好まれるようだ。
ゆ〜シティに比べてデブの男が募集している傾向が強い。170cm台・100kg以上の案件が毎週のように出てきている。黒湯と休憩スペースがよく使われる。
書き込み頻度の割に浴場内でハッテンすることが少なく、待ち合わせ場所として使われている印象を受けた。混雑しがちなためと思われる。それでも朝イチと閉店間際(深夜帯)は狙われやすいようだ。
発達障害的には、これはたとえばの話だが、「頭が割れるような痛み」って言葉使っててちゃんと意思疎通できてるのかと思う。
脳か頭蓋骨の膨張によって骨か頭皮を内側から押し上げて圧迫するような感覚の痛みなのか、頭頂を斧でおもいっきり叩かれたらこんな痛みだろうなって想像したのと等しい痛みなのか。
特に後者は単に激痛というのと変わらない気もするが、その一方で、わざわざ激痛と言わず割れるような痛みというからには、何か具体的な質感を伴ってるはずと思うんだよな。
しかしどっちにしろ明らかなのはどういう意味でこの言葉が使われているのが判然としないということ。
痛みがあるときに痛みがあると告げられた相手に期待される行動は限られているから、この痛みの中身がブラックボックスでも、つまり発話者側が前者の意味で言っていたのを受け取り側が後者の意味で捉えた場合、あるいはそのその逆の場合があったとしても問題が起こっていないというだけではないか。やり取りのすれ違いは起こっていないが、意味のすれ違いはそこかしこで起こっている。
それ以前に安易に「割れるような痛み」を使っている人が多すぎないか。なんとなく陳腐な比喩表現を使いたがってるさがみたいなものはないか。同じ陳腐ならだったら「激痛」で済ませた方が簡潔で合理的だと思う。
発達障害の文章で「コックピットに乗っている俺が俺自身の身体を操縦しているような感覚」とか「ビデオを同時再生している感覚」とか書かれていることがあるがこれが気になる。
あまりにも軽々しくないか。表現がおおげさではないか。それはちゃんと自分の意図する実体通りのものを読者に想像させる表現なのか。
なかにはまさしくそういう状態の人もいるのかもしれないが、多くは筆が乗って大げさに書いているというのが実態だと思う。
これはかえって認識の齟齬を生み、本当にコックピットに乗ってるようなと比喩するに等しい感覚なんだねと思った支援者もそう書かないときよりもうまい支援を難しくしていると思う。
文章上から立ち上がって来る実体は安易な比喩であふれている。そういう比喩に「規格化」されている。本当は痛みについても現実にはもっときめ細かに言語上の差別化が可能な多種多様な痛みがあるのに、それらが「頭の割れるような痛み」に文章上では規格化され、かくして読者が想像する痛みが実際に存在し得る痛みよりはるかに限られている。
小説なんか規格化という現象のさいたる対象だ。世の中いろいろな形の鏡が考えられるが、小説に登場する多くは、丸型か、縦長の長方形か、あるいはハート形か、変わり種で星型といったところか。
無修飾、あるいは「不定形の鏡」とでも表現すればその形は読者次第となりかなりありとあらゆる形の鏡が誰かしららの読者の頭の中で形成されうるが、それこそありうる各形鏡に割り振られた想像され得る割合というのは先述の丸型とか長方形に比べれば無限小に等しいだろう。
元素成分分析のグラフで何か所(広義に有限な数だけということ)かだけ極端な高さでピークを持っていて、それ以外の領域では全てほぼ0みたいになっているという感じだ。
まあこの比喩自体規格化されてるかもしれない。ただまあこれは確率分布を元素分析にあてはめてるという点でグラフという次元では同等なのでそこまで齟齬はないと思う・
擦りガラスとはちょっと違うかもしれない隔てた先があまり透けて見えないガラスも全部すりガラス(もちろんマジックミラーならそう書くだろうけど)。
dorawiiより
かっこよすぎてズルいやん…と言う苗字集めたやで
・春夏冬(あきなし)
・暁烏(あけがらす)
・暁星(あけぼし)
・鴉鷙鳩鷺(あしくじ)
・阿世比丸(あせびまる)
・天ヶ瀬(あまがせ)
・伊大知(いだち)
・射手園(いてぞの)
・稲童丸(いなどうまる)
・戌亥(いぬい)
・威能(いのう)
・猪野頭(いのがしら)
・今久留主(いまくるす)
・忌鉄師(いみかぬて)
・魚返(うおがえり)
・鵜久森(うぐもり)
・内音坊(うちおんぼう)
・雲丹亀(うにがめ)
・大赤見(おおあかみ)
・大儀見(おおぎみ)
・戌法師(おおぼし)
・巨椋(おぐら)
・月下部(かすかべ)
・京(かなぐり)
・一七夜月(かのう)
・鹿伏兎(かぶと)
・甲楽城(かぶらき)
・貴伝名(きでな)
・九頭見(くずみ)
・九朗明川(くろめがわ)
・袈裟丸(けさまる)
・光真坊(こうしんぼう)
・黄金井(こがねい)
・神太麻(こだま)
「絶対に自分が嫌な思いをして自分を変えたりはしたくない」というお話。異世界モノって。
まあ端的に言えば「一切努力をせずに力が手にはいる」あるいは「元々才能があったが見いだされていなかっただけ」という発想。
人は基本的に、何かしらやりたいことや、目指したいことのために「できない自分」が存在する過程がある。
もちろん、RPGで勇者になるにも、レベル1からはじめて、クソ強い敵にボコボコにされる過程があって、初めて強くなる。
モテたくてめちゃくちゃファッション頑張るも「ダセー」と言われてフラれるとか、大学いきたくて勉強しまくったが落ちる、仕事がうまくいかずやめる………
それぞれ、挫折があって人は成長する。
ただし端的な挫折では行けない。「本当にやりたいことのためにマジで自分を削れるか」ということ。
「イヤなことキツイことやれとか昭和だな~」とかいうアホがいるが、別に軍隊に入れとかそういう話ではない。プロゲーマーで暮らしたいならプロゲーマーになるための努力するんならいいんじゃね?って話だ。
自己愛性の人間にとって、「本当にやりたいこと」とは「好き10 イヤ0」の比率で、すべてのことが好きで嫌なこととか存在しないと勘違いしているが、そうではなくて、イヤなこと2くらいは超えないと行けない。
だって、頑張る過程で絶対に「下手な自分」「うまくできてない自分」が出てくるからである。
一般の人間はそれを「まあそうだろうな」位に思っているが、自己愛性の場合そうではない。
「頑張る過程」で出てくる「雑魚な自分」、その存在を絶対に認めたくない。
だから早々に努力を辞める。プロゲーマーになる過程で、ゲームやってて8割楽しくても、2割の「イヤ」のために辞める。
なので、基本的に「一切努力せずに最強の力が手に入り、女も手に入り、「雑魚な自分」は一切出てこない」というストーリーが最高に好きなのではなかろうか。
異世界もののキモは、「異世界において、無能な自分は出てこない」ということである。つまりリセットされるのだ。
人間関係のリセットくせがある人間は、なんとなくこの意味がわかるんじゃなかろうか。
一切相手に、自分の悪い部分を露呈したくない、喧嘩したくない、喧嘩したらリセット、さようなら。無能さがみえて指摘されたらさようなら。
異世界モノなら、「異世界にいる人間は、有能な自分しか知らない」、つまり、完全に完璧な状態として認識されることができる。
そこが、異世界ものって、自己愛性パーソナリティ障害の妄想だよね、とハッキリ思うところである。
だからまあ、異世界もんにハマるやつは、気を付けておいた方がいい。
あ、ちなみに、自己愛性だからわりぃ、ということはない。別に開き直って一人で暮らしているが、持ち前の自己愛性でまわりにうまく好かれて、うまくやってるやつもいる。
ただ、「人一人と深く関わることが絶対にできない」、いわば、「最後は一人になる」ということだけ、自覚して生きるのならよいと思う。
「こんな『女子』」って書いたやで? 「こんな」にもカッコがついとるで?
もう少し丁寧に言えば
「元の書き手が<語り手>として想定してるような、恋愛脳で、いい年して噂話と女子会好きで話題貧困で低能、論理よりも感情優先見栄え優先で、そこそこ外見よくても腹黒さがみえかくれする、多分教室でいじめがあったらプークスクスして端っこの方でいじめ側に加担してるような、今は適当な腰掛仕事をこなしつつ、婚活と称して寄生相手を探すのが当面の人生の目的であるような、Twitterとインスタを四つか五つぐらい使い分けてる『女子』」
という意味やが。
こんな奴が「増田」みたいなサッパリして見栄えのしないいかにも理系ギーク好みの、そんで自分になんの見返りもない日記サイトに常駐してるとは思えないんやが?
「仕事にて」
多少関わりがある他部署の上司がとった行動について自分は部外者だからタイミング悪かったなと思うことにしたが、他の人だったら違ってただろう。
まあ、傍観していたらその上司も部署の皆に不平等にならないようにと必死さがみえた。嫌われたら大変だ。
「習い事にて」
3人レッスン本格始動
新しく入ったBさん、本を沢山読む人なのだろう。語彙力や話し方、知的さを感じた。偏差値高く先生と気が合いそう。
またレベルアップするだろう。
今までとは雰囲気もがらりと変わった。
Bさんはあまりにも低レベルな言動が可笑しかったのかこちらが発言したら笑っていた。
「買い物中にて」
置いてけぼりだと痛切に感じた。
事もないだろうが、自分には何もない。
今まで思いたくも
受け入れたくもなかったが
勿体無い時間を過ごしてきたんだな