はてなキーワード: 代々木体育館とは
私はずっと何かを「追いかける」人生だった。アイドルや俳優、常に心の中には大好きな存在がいる。
そんな憧れの人も時には入れ代わりがある。好きがなくなる瞬間がある。
私にとってそれは、どうやら遠く離れた存在になる事とイコールで結ばれるようだ。
小学生の頃から大好きだったジャニーズのアイドルグループは横浜アリーナなんかで会えなくなってしまった。その後好きになったジャニーズJr.も、デビューと共に私の中にあった何かがスッと冷めきってしまった。
彼らにお熱だった頃の友人に会うと、「あんなに好きだったのに!?」とよく言われる。自分でも不思議でならないが、辛うじてメンバーの名前は言えるけど、曲名も歌詞もメロディーも記憶から抜け落ちているし、今どんな活動をしているのかなんて興味はない。
遠く離れることは寂しい。元々近いわけではないが、横浜アリーナの、代々木体育館の空気とホーム感を味わってしまった。
あとこれは私のおかしな性癖だが、みんなが好きじゃないものを好きな自分が大好き。「えーかっこよくない」「そんな人たち知らない」と言われる中で自分だけが良さを知っているファンであることが、たまらなく気持ちいい。
もちろん彼らの顔も歌もトークもパフォーマンスも好きだった。でも人気がでて大きくなると、それらは私にとって価値のないものに変わってしまうのだ。
冷静に思い返すと、実にファンとは名乗れない人間だ。応援している人が売れていくことを拒むのだから。
そんな私に、代わりがないものができた。カテゴリーで言えば役者。それもテーマパークに勤務している方。
今まで好きだったアイドルとは違い、極端に人気が出ることはまずない。して、ずっと心の中に留まる。
一度退園されたときも「じゃあ次代わりに」とはならず、ただ増えることのない思い出を何度も何度も掘り返した。会いたいと強く思う毎日、夢には何回も出てきた。
結局その人はまたパークに戻ってきた。でも、いない間ですら留まった大きな気持ちが消えた瞬間があった。
ファンの用語で言うと「干された」。認知されている出演者から、故意に反応やファンサービスがなかったことを示す。
初めてだった。私を見つけた瞬間に反対を向く。私には目線も合わせない。ショックだった。
アイドルはもともと認知なんてないから大きくなることで離れていく気がしたが、テーマパークの出演者の場合は認知されてしまう分、今までよりも明確に私から離れていったから辛かった。
食事も取れなくなるほど落ち込んでどうしようもなかった。何日間も泣き続けた。
同じ趣味で知り合った友達は、「たまたま気分だよ」とか「私もいつもそうだよ」だなんて励ましてくれる。その気持ちは嬉しくとも、素直に受け止めることはできない。
もし気分なら、そんなのに巻き込まれたこと、巻き込んでもいいファンと思われたのが悲しいし悔しい。もしかしたら嫌われたのかもしれない。私もだよ、だなんて言われても私はずっとずっと待っていたんだから同じにしないでとさえ思った。励ましの言葉を贈ろうという気持ちだけをすくってありがたく頂戴した。
今でもその出演者が大好きだし、今までも本当に大好きだった。でも、それより不信感が強く出てしまったから、私はもうその出演者に会いにはいけない。私の中から好きがなくなる瞬間が訪れたから。
結局のところ、好きがなくなる瞬間は自分自身で決めているのだろう。向こうからしたらなんのタイミングでもないが、私の中で、ある日突然突っぱねてしまうようだ。ベルリンの壁か…。
こんな話を友人にしていると、「元カレかよ」と言われるけど「もはや離婚だよ」と返す。
好きになる瞬間も、好きがなくなる瞬間も、ある日突然訪れる。
2008年4月からのジャニヲタ人生も気が付いたら今年で10年目になる。当時中学生だった私も社会人になった。現在の担当でジャニヲタ人生を辞めたいので(希望)一度振り返っておこうと思う。
当時私は学校に行けない生活が続いており、そんな時にテレビで昭和×平成(スクール革命の前番組)が放送していた。それまでジャニーズにあまり興味を持ったことがなく、カウントダウンを見たことあるくらいだったが昭和×平成の前番組である平成ファミリーズはなんとなく見ていた。
テレビを見ているうちに、私は山田涼介くんが好きになった。記念すべき1人目の担当である。
不登校なのに親の協力もあり謎の行動力を発揮し、5月に横浜アリーナで行われたコンサートのチケットをプレイガイドで取った。
初めてのコンサート。席はアリーナの最後列で、うちわなど何も持っていなかったが、近くのお立ち台みたいな所になんと自担が来た。その時の感動は今でも覚えている。
そこから私のジャニヲタ人生は始まってしまった。涼ちゃんと結婚するんだと本気で思っていた。しかし残念ながら山田担は長くは続かなかった。
最初にかっこいいなと思ったのは雑誌の浴衣姿だった。そしてなんとかプレイガイドで追加公演(アンコール公演?)を取って参戦したSUMMARY。気が付いたら彼を目で追っていた。
公演後にご飯屋の店員さんに、誰が好きなの?と聞かれ、山田くんと答えた。でも、それは建前で本当は違う人を好きになっていた。この日私は初めての担降りをすると決め、約5ヶ月の山田担を終えた。
楽しかった。伊野尾くんが大学に合格したのを横浜アリーナで発表し、大きな歓声が起こったのが嬉しかった。
中学は結局あまり行けなかったけど、無事高校にも進学できた。ジャニヲタのおかげでアクティブになり外に出ることができていた。友達もできた。
高校生活、伊野尾担をやりながら俳優厨もやったし、二次元のアイドルにはまったり、現実で好きな人ができたりもした。でも結局は伊野尾くんが好きだった。伊野尾くんが好きって言っても誰それ?と言われることが多い中、明治大学の人だよね?って言われた時は嬉しかった。ゆるヲタだった時も長いし、ドラマやテレビを見るのが苦手だったので見ていない番組もある。コンサートは当たったら足を運んでいた。
伊野尾くんは大学を卒業し、私は大学に入学した。伊野尾くんは段々露出が増えて人気になっていった。2014年smartコン、着席ブロックでbox席に入った。特にこれが楽しかった!というわけではないのだけれど、やっぱり好きだなと思った。
そこからジャニヲタ人生第2部が始まる。テレビをちゃんと見るようになった。主演舞台が決まって嬉しくて、何回も足を運んだ。コンサートもまた複数入るようになった。Twitterで友達もたくさんできた。
ドラマ、バラエティー、雑誌、伊野尾くんはすっかり人気になっていった。人気になってアンチも増え、段々それが苦しくなった。ずっと好きだった薮くんに降りようと何回も思ったが、結局降りきれなかった。
そんな時、昔応援していた小学生のJr.が、今も頑張っていることを知った。ジャニーズJr.は全然分からなくなっていて、かろうじて昔からいる人と友達の担当を知っているくらいだった。
彼は中学3年生になっていた。現場に足を運ぶようになった。そして彼が高校生になった春、偶然入ったセクゾコンの代々木公演にだけバックについていた。
代々木体育館の外周をローラースケートで走り回る彼をスタンド後列から双眼鏡で追った。
担当の年齢は10歳下がったけど、相変わらず楽しかった。現場にたくさん足を運んだ。就活をしながらEXに通う忙しい夏だった。
長い公演期間の終盤、彼の立ち位置が下がったのは突然だった。突然の衣装格差。衣装が違っても他のメンバーと一緒に歌う彼の姿に一抹の不安を抱きながら夏が終わった。
秋。ユニットに所属していた自担が無所になりました。そんなことってある?って思ってた。でも変わらず応援するしかない。現場がなくて暇だった。
帝劇に通った冬。NHKホールで無所の0番を張る彼を見て、かっこいいと思った。
冬が終わり、やり切った、と思ってしまった。次に彼が出た舞台はどうしても仕事で行けなかった。冬の舞台で気になった人がいて、担降りしようと思っていた。その人はユニットに所属していた。
そうしたら、自担の退所疑惑が出た。次の少年収には出なかった。雑誌からも名前が消えた。「春は出会いと別れの季節」彼と小学生の頃から一緒に活動していたJr.がブログに書いた。ジャニーズJr.の在籍はなんともはっきりしないので、現在もwebに彼のプロフィールは残っている。中高生界隈をみるとちょっとだけつらい。
私は気になっていた人に3回目の担降りをしました。社会人にもなりました。今は年下で未成年の担当にリアコ拗らせています。今の担当が私のタイプと真逆なこともあり、友達に言うと驚かれる。降りようかと思ってと相談したらスーパーの真ん中で「え?!そんなに?!」と叫ばれたのには笑った。今まで担当とリアコが別だったので(山田さんはカウントしないでおくと)、戸惑っていますがヲタク楽しいです。でもお金使いすぎなので今年度中でヲタクやめたい。多分無理だけど。
こうやってまとめてみると、色々あったなーと思う。人気になった人もいれば、退所疑惑もあり。書いていないことも、友達関係とか色々あった。
本当に担当って難しい。ずっとこの人が担当!と思っていても、あっさり変わってしまうこともある。JUMPは妹も好きなのでこれからもコンサート行くと思うけど、伊野尾くんのうちわは持たないかなと思う。伊野尾くんが人気になって本当に嬉しいんだけどね。
珍しく長い文章を書いていたらこんな時間になってしまった。今の担当も、前の担当も、楽しく1日を過ごせていたらいいなと、ただのジャニヲタは思いながら、今日もジャニーズのために働きます。
同年8月10日午後4時3人のメンバーが社長に解散要求をしたと報道されているが同じ時刻に社長はSMAPの後輩のコンサート会場で目撃されている。また、事務所によれば、8月12日SMAPの4人のメンバーが一緒に話したとあるが、1人は朝から仕事をしていて、1人はお昼から夜中まで仕事だった。
【8月10日の件】
「週刊新潮」2016年8月25日秋風月特大号((www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20160817/))に「SMAP解散の魑魅魍魎」という記事が掲載された。記事は「総力取材!特集」と銘打っている。しかしこの記事にはいくつかの疑問点がある。以下それらの疑問点について検証してみたい。
記事ではある「芸能関係者」が何月何日にこういう事があったと非常に詳細な時系列を述べており、それゆえこの記事は大変信憑性があるもののように見えるのだが、その中に次のような記述がある。
この「翌日」は2016年8月10日のことである。しかしこの日はジャニーズグループ、ABC-Zのコンサートが国立代々木競技場第一体育館で開催されており、ジャニー氏はこのコンサートを見に来ていた事が、当日コンサートに参加していた複数のファンによってその日のうちにTwitterで呟かれていた((www.cyzowoman.com/2016/08/post_21415.html))。ある呟きによると、ジャニー氏は開演3分ぐらい前に会場に入ってきたという。開演時間は17時であり、開演が若干遅れたという話もあるが、やはり17時ごろにはジャニー氏は代々木体育館にいたと見て問題ないだろう。とすると「16時から1時間半近く」メンバーと面談したというジャニー氏は一体誰だったのか?
この8月10日のジャニー氏との面談で4人が「解散」を申し入れたとの報道は新潮以外のメディアでも一貫している。どれも情報ソースが事務所である(SMAPから提供されたのでない限り、もう一方の当事者である事務所しかこの情報は提供できない)からであろうが、これまで「休業」でまとまっていたものを4人がいきなり「解散」を言い出したとされている。しかしもしそうであれば、ジャニー氏はじめ事務所側は驚き、説得にそれなりの時間を費やすのではないだろうか。「解散」ともなればジャニーズ事務所の経済的損失は計り知れない。もし16時からのジャニー氏との面談で「解散」が決まったのであれば、その面談は1時間以下であったことになる。そのような短時間で事務所にとってもこれほどの大事が決まるものだろうか?
【8月12日の件】
8月25日発売の「週刊文春」9月1日号((shukan.bunshun.jp/articles/-/6484))では、それとは少し違う時系列となっている。文春によれば、10日の面談ではジャニー氏が反対したため、12日に事務所顧問の小杉理宇造氏(文春の記事はこの小杉氏がソース元であると推測される部分が多い)がメンバー4人と面談し、その後役員会にて13日深夜(12日深夜で日付的には13日と思われる)に解散が正式決定した。ジャニー氏は最後まで反対であったという。筆頭株主であり社長のジャニー氏が反対なのに解散が決定できるのかという疑問はここではさておく。
12日にジャニーズ事務所から「SMAP解散」についてマスコミにレクチャーがあったことは、芸能レポーターがTV番組で話している((www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/187789))。また、8月25日発売「週刊新潮」9月1日号によれば、このレクチャーは「12日夜」であったという。週刊文春が13日早朝に自宅を出る中居を直撃し(注1)、解散発表が13日深夜(ネットメディアによる第一報は13日22時頃)であったことからも、事務所がマスコミにレクチャーしたのは12日の夜であり、この時には解散は決まっていたとみて間違いないだろう。
しかし、12日は中居はTBSでリオ五輪の生中継が朝9時から12時まであり、朝早くから少なくとも12時まではTBSにいた。一方香取はこの日「おじゃMAP!!」のロケを昼12時過ぎから深夜1時過ぎまで行っている。12日の深夜までこの二人が揃うことは物理的に不可能である。
12日に香取が収録したのは8月24日放送の佐々木健介とのロケと、8月31日放送の渡辺直美とのロケの2本である。佐々木健介は8月12日のブログ((ameblo.jp/sasaki-kensuke-blog/day-20160812.html))で「ノンストップが終わって、そのまま《おじゃMAP!!》の皆さんにお世話になりました」と書いている。この日11:48のエントリー((ameblo.jp/sasaki-kensuke-blog/day2-20160812.html))では「(ノンストップ)終わったすぐですが、これからロケに行って来ます」とあることから、昼の12時ごろにはロケはスタートしていると考えられる。また、12:30頃にはフジテレビにおいて佐々木、香取、及び番組レギュラーの山崎弘也の目撃談がTwitterに投稿されている(この日のロケはフジテレビ玄関からスタートであった)。また、同日18:30過ぎには表参道(この回のロケの最終目的地)で佐々木、香取、山崎の目撃談がTwitterに投稿されており、少なくともこの時間まではロケであったことがわかる。
その後、20時過ぎには代々木公園で渡辺直美、香取、山崎の目撃談がTwitterに投稿されている。その後渋谷でロケを行った後、亀戸に移動してのロケではロケの進行とともに「PM11:20」「PM11:50」「AM0:30」のテロップが画面に出た。さらに「おじゃMAP!!」では毎回ロケ後に山崎が番組を宣伝するための動画を撮影しているのだが、この回の動画((www.youtube.com/watch?v=qOb4tziidEo))では山崎は「今深夜1:12」と述べている。
注1:
8月17日発売「週刊文春」((shukan.bunshun.jp/articles/-/6453))によると、
というが、この日のTBSリオ五輪中継は朝7時からであり、自宅を出たのは5時前であると推測される。したがって、文春が解散について知ったのはそれより前である。
文春9月1日号に今までの報道と相違がある件を画像でまとめてみた((ch300flowers.moo.jp/newpage2.html))。
報道どおり「10日面談、11日の役員会で正式決定」であったとしよう。その場合、「なぜジャニーズ事務所はこれほど事を急いだのか?」という疑問をもたざるを得ない。以下この時系列が正しいと仮定して検証してみよう。
10日の16時からジャニー氏と面談したのであれば、面談時間は1時間以下である。「SMAP解散」は首相以下閣僚がコメントし、New York TIMES((www.nytimes.com/2016/08/20/world/asia/japan-smap-breakup.html))やBBC((www.bbc.com/news/world-asia-37075638))でも報道され、NHKすら五輪中継中に速報テロップを入れるほどの大事件である。ジャニーズ事務所にとっても大きな売上げ(注2)を失う事態となる。それほどのことをメンバーと1時間も話していないうちに「よしわかった」となるものだろうか。それまでメンバーから「解散」という言葉は出ていないことは各紙とも一致している。事務所にとっては寝耳に水の発言のはずである。そもそも「解散したい」「はいどうぞ」となるほどタレントの意志を尊重してくれる事務所なら、2016年1月18日のスマスマでの公開謝罪は行われなかったであろう。
しかし事務所は翌11日には役員会を開いて解散を正式決定してしまう。まるで「解散」という言葉がメンバーから出る事を待ち構えていたかのようだ。この時、木村拓哉はハワイで家族と休暇中のため不在である((www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/08/22/kiji/K20160822013218160.html))。木村自身にとっても大きな影響を与える決定を、本人不在のうちに行えるものだろうか。木村が帰国するまで待つ、あるいは「こういう事態になったから今すぐ帰って来い」と言えなかったのだろうか。
そして12日にマスコミを集めてレクチャー、13日深夜には発表と、ジャニーズ事務所は迅速すぎるほど迅速に動いている。まるであらかじめスケジュールが決まっていて用意されていたかのようである。これほど急いで五輪開催中に(事務所所属の中居と櫻井はTBSと日テレで五輪キャスターを務めている)「解散」を発表しなければならなかったのはなぜだろうか。
どのように発表するか、CMスポンサーやTV局にはどう説明するか、解散までのタイムスケジュールはどうするか、ファンクラブの取り扱いはどうするか。「解散」が決まったあとで事務所が決めなくてはいけないことは山ほどある。しかも、実質的な経営者であるメリー喜多川副社長と、その娘であり次期社長であるジュリー藤島氏は13日からハワイで休暇である((www.asagei.com/excerpt/64244))。重要なことはその前に全て決めてしまわなくてはいけないのだが、それに充分な時間があったのだろうか。疑問は尽きない。
注2:
「文藝春秋」2016年3月号((gekkan.bunshun.jp/articles/-/1792))によると、ジャニーズ事務所は
連結で年間七百億~一千億円の売り上げが推測される。そのうちSMAPの売上げは二百五十億円と言われています。[経済専門誌記者](p.195)
建築のことなんて、全然くわしくなくて、せいぜい丹下健三が残した建物(都庁とかお台場テレビとか、代々木体育館とか)を見て
「ああ、これ設計した人は凄いんだろうな」と思う程度なんだけど、
例のザハというアクの強そうなおばさんがデザインした、生ガキみたいな競技場のニュースを見ているうちに
ふと気になって、安藤忠雄と、それから、早い時期からあの競技場の建設に反対して代替案だしたりしてた、槇文彦って人のことをWikiで調べてみた。
安藤忠雄の代表作って長屋とか教会とか、そんなに大きくない建物が中心だよね。
一方の槇文彦は、慶応SFCキャンパスとか幕張メッセとか、かなりの規模の建物とか、あと、都市計画案とかいっぱい作っている人らしい。
こりゃ、巨大スタジアムを作るんだったら、槇さんに頼んだほうがいいなあと、素人ながら思った。
そういえば、安藤忠雄、記者会見で「こんなに大きなもん作ったことない」とかなんとか言ってたけど。
実際のところ、安藤忠雄ってどうなの?
国立競技場の件がようやくマシな方向に動き出したようだけど、こういう公共建築物を巡る話でいつも
「お金をかけないで作って欲しい」「無駄は省いて欲しい」という話が出てくるのが気になっている。
俺は、公共建築こそ多少のコストがかかってもいいからきちんと考えられた素晴らしい物を作って欲しいと思う。
省エネでエコらしいが、なんのこだわりもないただの箱みたいな建物になった。
建て替えられる前の図書館には愛着が持てたけど、このプレハブみたいな新しい図書館には愛着を持てる自信がない。
一方、武蔵境に出来た武蔵野プレイスという図書館に行ってみたらこれが素晴らしかった。
多分あの建物は地域住民に多大な影響を与え、愛されながら成長していくだろう。
でも、この武蔵野プレイスは明らかにうちの地元の図書館よりコストがかかっている。
省エネ性能が優れていてコストも安いけどただの箱みたいな図書館と、
建築家や自治体の創意工夫が詰まっているけどコストがかかっている図書館。
今の日本なら、前者のほうが「正義」とされることも多い気がするけど、
本当に低コストで環境負荷が低いことだけが「正義」なのだろうか。
建築家がしっかりと知恵を使い、使う人や社会の事を考えた設計をしたものならば、
多くの人が利用する公共建築物は、かけたコスト以上に社会を豊かにできる可能性を持っていると思う。
今の日本では、建築家に頼む=使い勝手が悪い、無駄にコストがかかる、建築家の自己満足
としか思われていないが、上で挙げた武蔵野プレイスのように、俺は建築家だからこそできる社会への提案もたくさんあると思っている。
(と同時に、社会にネガティブなイメージを持たれるに至った経緯を建築家はきちんと反省して欲しいとも思う。)
代々木体育館だって当時はべらぼうなお金がかかったと思うんだけど、丹下健三はそれに応えて
2015年の今なお輝きを放ち続ける素晴らしい建物を作ったし、あの建物は当時の日本人の誇りであり希望であったはず。
価格.comのように最安値の案だけが正義になる社会は寂しい。
今回の国立競技場の件をきっかけにして、「コスト削減」ではなく「うまいお金の使い方」の話ができる社会に
変わっていってほしいなと思う。