はてなキーワード: 落水荘とは
大先輩の建築家から久しぶりに会わないかと誘われ、汐留で待ち合わせフランク・ロイド・ライト展を観ることになった。内容に新鮮さはなかった。起承は不十分だった。ライトのモチーフは日本建築だけではない。従来の様式が限界を迎え世界中の都市設計者と建築家は世界中の異界、僻地、あるいは植民地の様式を漁り模倣と剽窃を繰り返していた。どう考えてもライトの代表作である落水荘の説明がほとんどなかったところにキュレーションの意図をすこし感じた。今回の展示はライトが最終的に、もしくは究極的に目指したものを探索するような文脈が感じられたので、その文脈の中では落水荘はライトの果てない探求の過程のひとつという解釈もあるのかもしれない。ただはじめてライトの建築に触れる者にとって不親切ではあるだろう。この手の展覧会はみんな似たようなペースで観覧するため自分の周辺はいつのまにか顔見知りが多くなる。そのなかにひときわ目立つふたりのわかい女性がいた。服も化粧も髪もすべて完璧に着飾って花の香りがした。まるで何かの披露宴かファッションコーディネーターの発表会のような姿だった。ライト展を観にきたのか自分たちを観せにきたのかわからななかった。
展示を観終えショップで帝国ホテル謹製のお菓子と集文社フランク・ロイド・ライト・シリーズのユーソニアンハウスを買った。大先輩は同じシリーズの暖炉を買った。いま設計中の住宅用に取り付ける暖炉の参考にするという。その住宅のキッチンを、もしかしたら私が担当するかもしれない。そのときはユーソニアンハウスを参考にするかもしれない。
宇津野宮への到着は夜になった。大先輩の工芸家とかんたんな夕餉をとった。
こういうのって、ノリで書かないと厳しいからなあ。
ドリームハウスの新三大○○である「無茶な立地」と「無茶なドリーム」とは、典型例を示した。
残る典型例なんだが……これが微妙で。実は無茶な建築家は2パターンある。
これ、実は「無茶な建築家」のうちの、「コレクションとしての芸術品」の典型例に当たる。
「山下保博さんの芸術品を所有したい!」というドリームの結果。
施主が十分に富豪の場合は、周辺の人が微妙な気持ちになる以外は、実は大成功の部類になる。
だって、有名建築家に自分の家を設計して建てて貰うのは、ある意味お大尽遊びの究極。(もう一つは、注文ヨットね)
建築家の実験台にされたとかなんとか言われてるけど、其処まで含めて最高なわけだ。
問題があるとすれば、これどうみてもメインの自宅用途にするつもりで建ててんだよね。
例えば、「滝の上でくつろいでみたいなー」というカウフマンさんのドリームは、落水荘として結実し、当時相当に揉めたらしい。
とはいえ、あれは別荘としてみると最高だな、というわけで20世紀の傑作建築と呼ばれることになったわけだ。
土の家の奥さんは建築家のファンだったみたいなんだけど、旦那はそれで納得してたんかな。
まあ、世の中には旦那の趣味の車に嫌々乗せられてる女房が多いこと考えたら、たまにはそういう事例があっても良いかも知れない。
まあ、あれだ。2ch実況では「牛舎」で通じるあれ。酷い言い方だが、見た目はまんま。
机上の空論を実際に実現してみたときに、どんなことになるか経験値が足りていない。
ただ、これに関してはプロでも環境が違えば経験不足にはなりうるので、一概に腕がないからとも言い切れないところが難しい。
例えば、豪雪地帯の公共建築物のコンペで雪下ろしを甘く見てしまう、とかね。
近所の人からすると、倉庫が建ったぐらいで考えれば打撃は少なくて済んでる気もする。
実況スレで盛り上がるモノのうち、致命的なのは周辺環境との調和なんだよね。
子供部屋は、スペースさえありゃ間仕切り壁(耐力壁以外の、床から天井まである普通の壁)で実は50万くらいで出来る。
でも、土の家はあの形であの場所で使用用途を考えなきゃならん。
伝説の「借景の家」は、隣にマンション建ったらデバガメの家になっちまう。
無茶なドリームは、言ってみれば先鋭化した妄想の極北とも言えるので、共感する人が少なく、そして売れない。
綾並の等身大フィギュアを集めてたヤツがある日エヴァ熱から冷めてもヤフオクで譲渡できるだろうけど、家は中々そうはいかない。
ドリームハウスで夢のない話だが「ある日夢から覚めたとき後悔しても遅いよ?」と忠告するヤツが周りにいないと、まだまだ増えるんじゃないかな。