はてなキーワード: 袱紗とは
箸
なぜ箸なんだ?
「箸は日本が誇る文化、あらゆる食事に対応できる万能食器、箸を器用に扱える日本人は優等民族の証、ほらハンバーグだってお箸で食べれちゃう、箸を使いこなすことはマナーの基本です」
みたいな
バカなのか?
それ椀を手に取る事が前提ね。
「椀を持ち上げる」のとセットで日本の箸文化、マナーが成立します。
すると粘り気が奪われ米同士の結合性が失われる。
ようするにサラサラになるので箸でまとめて掴めない。
食いづらくてかなわん。
日本人がもちもと感のある低アミロースの米を好み、それをベースに食文化を成熟させたのは日本の社会条件、自然条件などで取捨選択された科学的な歴史と根拠があるのだ。
粘り気のある低アミロース米に適合した食事のマナーが出来上がった。
それは誇るべきもので守るべきだ。
で、矛盾も不合理も無視してどこでも箸を使いこなすのがマナー、器用に扱うのが日本人の誇り
こういう押しつけは必ず瓦解する。
あたしゃね、自慢だが知性と教養は高い。
茶懐石で、流石に主人は務められんが、客として恥をかかない程度の所作マナーで懐石から茶の湯までこなします。袱紗捌きくらいは少し復習すれば思い出せるでしょう。
だが、びっくりドンキーではスプーンを頼みます。箸なんぞ使いません。
どう考えても箸で食う料理ではない。
子供にもこんなところで箸なんぞ使わせません。
無理くりを通すのが作法ではない。
で、さらに愚かなのは、肉汁でお米サラサラ食いづらい問題を解決するために
それだと後半戦、米は肉汁に浸され食えない、箸では掴めない。
ならばスプーンかレンゲを標準提供するか、米は茶碗に盛れば良いのに「でっかい木の皿」はアイコンだから辞められない。
頑なに箸を使わせようとする。
アホか?w
創業者は岩手県出身のようだが、田舎ではこういう文化劣化が起きるのだなぁ。
あぁヤダヤダ
と心の中で突っ込みながら飯を食うのが面倒なのでびっくりドンキーにはあまり行かなくなった。
我ながら面倒くさい男だと思う
だいたいの現場で私たちは名前ではなく「レディさん」とか「スタッフさん」とか呼ばれる
ご遺体のお迎えから火葬後までずっと関わっていく葬儀社と違い、私たちがご遺族と一緒にいる時間は通夜告別あわせて8時間くらいだ
開式前に初めて故人と遺族に会い、どういう方だったか最後までわからない時もある
初めて派遣された葬儀会社の、初めて会う担当者から、初めて会う遺族のことを開口一番「めんどくさい人たちです」とだけ言われる時もある
もちろん勉強していたり資格を持っている人もいるけど、私たちは役所の手続きやお金、お墓についてのことをほとんど知らない
わかるのは葬儀中のことだけだ
私たちは説明書だったり自動ドアだったりコート掛けだったり案内看板だったりした
真夏日でも氷点下でもスーツ1枚で外に立ち、背筋を伸ばし指先を揃え、薄い笑顔で案内した
鞄にはなんでも入っていた
絆創膏、裁縫セット、やけどの薬、頭痛薬や生理用品、新しいストッキング、安全ピン
数珠や袱紗、数珠が散らばった時に使うジップロック、お客様の靴の底が剥がれた(よくある)時のための黒い折りたたみスリッパ
夏には塩分タブレットや凍ったペットボトルも入れていたし、冬の通勤時に巻くストールは、どうしても寒がるお客様の膝にかけられるよう真っ黒な大判のものだった
とにかく「大丈夫ですよ」というためにあらゆるものを鞄に入れていた
普通の人は滅多に葬儀には行かないけど、その全てが忘れられない大事な日だと思う
そういう日に余計なノイズを入れてほしくないと思って、年々荷物は増えてしまった
導線がわからないとか焼香のマナーが心配とか忘れ物をしたと悶々としている時間とか、
またはお茶を入れたり片付けをしたりタクシーを呼んだりする手間とか、
短い別れの時にそんなことを考えている時間は無駄だと思ったし、その時間を少しでも削るために働いていると思った
「毎朝仕事に行く主人を見送る時、私は今まで靴を履いている主人の背中をただ見つめてたんですが、最近になって主人の鞄がそこに置かれてることに気付いたんです。
ずっと同じ景色を見てきたのに、その時初めて鞄に意識がいって、自然に「あ、持たなきゃ」と思いました。
靴を履き終わった主人に「がんばって」と手渡したら「ありがとう」と言われて、なんだかこの仕事を始めてよかったと思いました」
そんなこと、当たり前にできる人もたくさんいると思うけど、美しい気付きだと思った
誰の記憶の中にも私たちはいないけど、私たちの中にはそういう新しい気づきが生まれて、次の葬儀がよりよくなることは嬉しいことだと感じた
その少し後、私は家族の都合で地方に引っ越すことになり、派遣の仕事は辞めることになった
毎日早朝からとんでもなく重い荷物を持って2つの県を跨いで移動したりハードな仕事だったけど、葬儀の時間はいま思い返しても好きな時間だったと思う
俺は近所のスーパーにいてインスタント味噌汁売り場にいたが品出しをしている店員が邪魔で棚が見えなかった
いや、本当は棚を見ようとしていたのではなく店員が座っているせいで棚が見えないという主張をしたかっただけかもしれない
そんな自分の薄汚さに気付いた俺は野菜コーナーの向こうにあるカーテン売り場に向かった
カーテン売り場には緑色や臙脂色のビロードの高そうなカーテンがたくさん吊るされていてそこにいたのが百合子だった
百合子は自らを軽蔑しきった俺の顔を一目見て手に持っていた緑色のカーテンをおろし慈愛に満ちた笑みをたたえてくれた
俺はこの人のためにならば全てを抛ってもいいと思い百合子にポケットに持っていた小銭入れとパスポートとスマホを差し出した
百合子はそれを紫色の袱紗に入れあなたが落ち着くまで預かっておきますねと包みを胸に抱いた
俺はもう小池百合子無しで生きていけない
https://anond.hatelabo.jp/20200924204657
これを読んで、増田の訴えたいことはともかく、確かに懐メロ番組とかの影響で、
昔のアイドルはみんな歌がうまかったみたいに思い込んでいる人が多いよな~と思ったので
アイドルオタの間で特に言及されがちな人、個人的に下手だな~と思った人の中からめぼしい所をピックアップしてみる。
(中にはアイドルか?って思う人もいるだろうが、一応全員アイドル物のオムニバスCDに入ってたりしてるんですわ)
URL貼りまくると投稿できないんで、どうしてもこれはって奴だけURL付き。
下手だけどみんな味があって良いので、気になるアイドルがいたら色々聞いてみて欲しい。
ブコメで結構言及されていた浅田美代子と、わざわざ触れなくても名前が出そうな超メジャー所(松本伊代とか)は省く。
(追記:2)起きたら結構伸びててビックリ。他の名前を挙げてくれてる人、入れるか悩んだ人ばかりです。彼女らも味わいがあって良いよね。
「元増田は人気アイドルでの話だろ」ってのも絶対突っ込まれるだろうなと思いつつ、やりたかったんだ許して。(人気アイドルでも伊藤つかさ、菊池桃子とか結構言われてる子がいたよ)
2代目コメットさん。「私は音痴だから」と歌手活動を早々に切り上げて女優の道へ。
https://www.youtube.com/watch?v=xwb7rDmDNzE
第3回ホリプロタレントスカウトキャラバングランプリ。なんと作曲が浜田省吾。
現:柳ユーレイの嫁。歌番組では、いつもサビで声を裏返すのがお約束。
作詞松本隆、作曲財津和夫と、松田聖子の「白いパラソル」と同じメンツなので曲は良い。
今も女優として活躍中の彼女。ルックスが抜群で人気だったため、シングルは10枚も出すことに成功。
https://www.youtube.com/watch?v=i336PP8A7Jo
もはやレジェンド。北原佐和子らと「パンジー」というユニットを組んでいた。
https://www.youtube.com/watch?v=iUKjBfFD3EE
ルックスの良さで人気があったため、シングル10枚、アルバム5枚となかなか健闘した。
「第2回東大生が選ぶアイドルコンテスト'81」優勝からのデビュー。
https://www.youtube.com/watch?v=4d7Wjid672E
わりと有名なこの曲。映画効果のおかげで、実は20万枚も売れている。
https://www.youtube.com/watch?v=TlfmtegfCXI
映画「ゴジラ」(1984)挿入歌。「Follow me」が有名だけどあえて初期の曲を。
ご存知おニャン子クラブエースのソロデビュー曲。4週連続1位とバカ売れした。
後にアニメ「愛の若草物語」のOPに新曲が起用されるが、視聴者からクレームが殺到し後にOPが変更されたという噂。
おニャン子クラブ会員番号25番。スケバン刑事Ⅱで袱紗を投げてた人。(当初は主演の予定だった)
初めてオリコン1位になった曲なのだが、B面におニャン子クラブ全員で歌う「会員番号の唄」を収録していたため、オタはそのカラクリを知りつつ歌番組を見ていた。
https://www.youtube.com/watch?v=Ef-OKelZQ-Q
おニャン子クラブからの派生ユニット。歌い出しの音程が毎回違うと話題に。
後に2ndシングルが少年隊の新曲を抜いて1位になり、レコード会社が激怒したという話。
今でもタレントとして活動中。ウィスパーボイスのようなそうでないような独特の歌声。
ルックスの良さのおかげで人気も高く、日本レコード大賞新人賞も受賞。シングルも22枚、アルバム10枚以上と好成績。
ほんわかした見た目だが、ホームシックと摂食障害からの活動休止中に妊娠が発覚し、僅か10ヶ月での引退と壮絶なアイドル人生を送った。
ご存知国民的美少女。楽曲は作詞:来生えつこ、作曲:筒美京平と一流の布陣。
懐かしのセクシー女優だが、一応アイドルとしての活動歴もあるので。
色々お騒がせだった彼女もアイドル時代が。父親の喜多嶋修プロデュースでデビュー。
https://www.youtube.com/watch?v=DTbn99UQpGg
知ってる人は知っている「全てが間違っていて全てが正解」と評される衝撃の名曲カバー。
ひたすら利休さんの境地を目指して、右足から入るとか、袱紗の扱い方とか全てが決まっている。
でも茶道をしてると、人より上手くなりたい、個性的になりたい、いいかっこしたい、そんな気持ちから自由になれる。
これって大学とは全く真逆だからだ。大学は自由だ。でも自由は不自由である。
行動、服装、色んなものを決めるのに、大学生とはこうあるべき、個性、人との差異、など色んなものに縛られなければいけない。
大学に馴染むには、承認欲求に縛られるか、他人の眼や世間体を気にするか、そういう人しか馴染めない気がした。
でもアドラー心理学の承認欲求を捨て、共同体感覚を得るという感覚。
それはなにか決まりごとがあってこそ、辿り着けるものだと、茶道を始めて実感する。
のだが、参加に対して金がかかりすぎて頭を抱えている。
昔はご祝儀でうん万飛んでくなんてたいへんだなあなどとぼんやり想像していたのだが、これがとんでもなかった。
それだけじゃないのだ。
私は女だ。そして結婚式に参加するのは今回が初めてだ。
まず着る服、身につけるアクセサリー。パンプスだってドレス用に華やかで爪先が隠れるものを。加えてパーティー用バッグ、サブバッグ、袱紗、パーティバッグ用の小さな財布、もうこれだけでとんでもない出費。
当日だってヘアメイクを頼むか頼まないかで心底悩んでるし、お金かかりすぎるのが分かったからネイルはセルフで妥協した。
親友の結婚を祝いたい気持ちは十分にあるし出てね!って言われたし出るっていった手前出るけど、個人的な事情でしかないがこの4月から転職とそれに伴って転居したので、吐くほど金がない。正直現金使いたくないのでご祝儀すら捻出するのが惜しい。
以前、急に同級生が亡くなったことがあり、日頃の生活で不祝儀用に使えそうな物(靴カバンをはじめ袱紗など)が無かったので
葬儀に行く際に慌てて取り揃えた。
その時は実家の母に電話して必要な物品などアドバイスしてもらったのだが
「喪服もないからなー…この際一緒に買おうかな…」と言ったところ
「喪服つくるなんて、誰かが死ぬのを待ってるみたいじゃない!縁起でもない!!」
と反対され、就職活動時代に着たサイズのきつい冬物スーツで出席した。
「縁起悪い」とか言っても現に亡くなった人がいてこちらは慌ててたわけであり、
実際、葬儀の際は自前の喪服で来た友人もいた。
(彼女らは逆に「何もない時に買っといたほうが縁起が良いのだよ」と言っていた)
袱紗や数珠なんかは「買っとけ」と言ったくせになぜ喪服では反対するのか?と納得できなかったのだが