はてなキーワード: 寄付とは
マスコミの監視なんか、あちこちで普通にしてるじゃないか。民間監査団体を作ったり倫理規定を作ったり監査組織を作ったりどこの国も創意工夫を凝らしているよな。
日本以外の国で見るニュースはとても面白い。日本以外の国で見る政治放送には熱を感じる。日本以外の国で話す街の人との床屋談義には人類が哲学を大切に繰り返し語り継いできたことを感じる。学問としてではなく生きた思想として社会に語り継がれていることを感じる。外国人はみんな暇で仕事してないと言いたいのか?日本よりも平均年収は高いぞ?
必ず全てが上手くいくわけでもないが、挑戦なくして成功もない。あらゆる試み、民間共に努力をする姿勢に敬意を持っている。
お前はそれを後退と呼んでるかもしれんが。
様々な理由でデモやボイコットで世の中は変化してきたよな。根強い黒人差別を減らしたのは何だ?途上国とのアンフェアなトレードを減らしたのは何だ?新興国に工場を建て劣悪な搾取労働の常態化を減らしたのは何だ?
デモやボイコットを起こしてきた人々は仕事をしてない暇人なのか?
そんなわけないよな?金をもらってる人もいるが、寄付してる金持ちがいるだけだ。みんな仕事もしてるし子供もいるし学校もある普通の人だ。みんな忙しいよな。話を聞いたか?腰痛がひどい人も持病持ちの人も貧しい人も親が入院してる人も参加してるよな。辺野古だって毎日座り込みしてる人がいるんだろ?何故か?
社会に対する責任感だよな?隣人を助けるためだよな?社会正義に責任を感じてるからだよな?
外国人はみんな暇で仕事してないってか?タクシーやウェイトレスも参加してるよ?
タクシー運転手やウェイトレスは分業だからデモや政治活動には参加できない選挙も行けないってパリの真ん中で叫んでみろ?恥を知れと言われるぞ?
近代から現代にかけての世界的な労働や取引の倫理的改善はその多くの人たちの努力の結果だよな?
「最近の日本は厳しくなった」、「近代化した」「ハラスメントと騒がれるようになった」、全部彼らの作った成果にフリーライドしてるだけだよな。
基礎理論を作ったのは学者かもしれんが、社会が変わったのはそこの国民たちの力だよな?
日本人と話してると基本的な政治知識のなさに驚くよ。幼稚園児でも知ってるようなことを大の大人が知らない。「バカ」というのは哲学と政治に敬意を払わない奴のことを言うんだよ。よい大学に行けない奴や会社で他の奴らと馬の合わない奴のことじゃない。くだらない。人の悪口としょーもない承認欲求と中身の薄い社会規範の話ばかり。日本人の話は本当にくだらん。建設的じゃない。社会と市民という視点が全くない。こんな異質な異常な独特な世界観だけをサンプルにして民主主義を語られても説得力がない。
日本のバカどもは家の窓から旗を垂らすこともできないのか?日本人は京都にしか住んでないのか?祭りやイベントで曲を流すこともできないのか?南京大虐殺の日にパレードもスタンディングもしないのか?
技能実習生をいじめておいて、入管で殺人しておいて、足りぬ足りぬは工夫が足りぬはどこにいった?
やれ民主主義は無理だ、やれ近代化の放棄だ、バカじゃねえのか?
「弱者は見捨てろ、誰かが苦しんでても俺のせいじゃないから関係ない」のどこが近代なんだよ。中世の間違いだろ。
その「模索してる国と国民」を私が一度でも否定したか?模索してないだろ、日本人は。またフリーライドするつもりで保守保守言って屁理屈捏ねて正義がないだけなのを正当化するのはやめろ。
「俺は答えを知っていて、他の奴は知らないからアホ」なんてどこで言ってんだよ。「御託だけ並べて何もできない理由だけはすぐ見つけて正当化するだけの人類のクズだな世界の船にお前らは要らねえ船降りろ早く沈めよ」しか言ってねえよ。
血で民主主義を獲得した人たちに比べてバカで能天気だよ。「もっと完璧な理想の民主主義があるはず〜」とか寝言言ってるバカなのは事実だろ。
政治学部卒のお前ですらそうなんだしな。一般人はもっとそう。紛れもない事実だろ。
日本に対する世界の軽蔑を甘く見るな。日本人個人にわざわざ言ってこないだけだ。お前らと同じ地球人だと思われることが恥ずかしいわ。
払戻金額 30万8580円
収支 +6680円
回収率 102%
的中率 27%
収支 -8780円
回収率 96%
的中率 25%
宝塚記念 ブローザホーン 三連複160.2倍100円
あと平場でようわからん三連単万馬券が1度当たったので、万馬券は年間5本的中
それと、毎回はでっかくはないけどフォーエバーヤングに計8千円くらいはプラスもらったと思う
改めてみると、こんだけ当てて何で儲かってないんだ?ってなる
アンモシエラ勝ったのに買ってないじゃん
今のところ4レース計1000円買って1000円の払い戻し
回収率100%
この調子で今年も頑張りたい
威張れるほど儲かってはないのだけど、平均的には多くの人が75%くらいの回収率ということを思えば優秀ではある
もう知ってる人には常識だけど、みんながWikipediaのサーバー代のために寄付したお金は、サーバー代金の倍近く、リベラルの活動に使われてます。
なのでWikipediaに寄付したかったら直接左翼団体に寄付した方が良いよ。
中抜きもないし。
著者はたぶん、人文的素養が不足しているのかもしれんね。
欧米でボランティアとか寄付みたいな明文的な扶助行為が発達しているのは、一神教的な価値観があるのが原因で、多神教アニミズムを基礎とする日本教ではもうちょっと相互監視かつ暗喩的な相互扶助が行われている……みたいな
全ての立場から、あらゆる問題を解決するソリューションがあれば、それをするのが絶対善ではあるのだろうけど
そんな事は殆ど無くて、誰かに何かを押しつけるってのが実際的には事実である。
例えば国民民主党が言ってる減税、あれは今給付を貰ってる人から実際稼いでる人に金を回すって方策
それは、稼いでる人から、稼いでない人への所得分配とも言えるけど
だとして、現在、全国民が有るべき政策を受けた上(生業に就いた上での生活保護受給、及び、適正な補助受給(既にマイナンバーは始まってるので、自動的な給付))なのか?
そうでないなら、生活保護受給レベル以下の世帯から税を徴収してるんじゃないのか?
そもそも地域によって家賃の差とか(東京都千代田区大手町に生活保護の人は住めるべきなのか?そもそも東京に生活保護者って居るべきなのか?居れるとして期限なしで良いのか?)あるわけで
だとすると、必要なのは小、中、高の学校の教員の選別、及び大学の無償奨学金の拡充、及び、無能な大学への奨学金の廃止になるので
大学は自由に奨学金を設定出来る、というそれのみで、育英会の廃止もしくは縮小が最適解だろう
なぜなら、結果的、最終的に、感謝される教育をした結果、寄付されるわけで、寄付される教育機関が、その寄付をする学生を育成するのは正しい。
で、それを許す税制は正しいと思う
全ての立場から、あらゆる問題を解決するソリューションがあれば、それをするのが絶対善ではあるのだろうけど
そんな事は殆ど無くて、誰かに何かを押しつけるってのが実際的には事実である。
例えば国民民主党が言ってる減税、あれは今給付を貰ってる人から実際稼いでる人に金を回すって方策
それは、稼いでる人から、稼いでない人への所得分配とも言えるけど
だとして、現在、全国民が有るべき政策を受けた上(生業に就いた上での生活保護受給、及び、適正な補助受給(既にマイナンバーは始まってるので、自動的な給付))なのか?
そうでないなら、生活保護受給レベル以下の世帯から税を徴収してるんじゃないのか?
そもそも地域によって家賃の差とか(東京都千代田区大手町に生活保護の人は住めるべきなのか?そもそも東京に生活保護者って居るべきなのか?居れるとして期限なしで良いのか?)あるわけで
だとすると、必要なのは小、中、高の学校の教員の選別、及び大学の無償奨学金の拡充、及び、無能な大学への奨学金の廃止になるので
大学は自由に奨学金を設定出来る、というそれのみで、育英会の廃止もしくは縮小が最適解だろう
なぜなら、結果的、最終的に、感謝される教育をした結果、寄付されるわけで、寄付される教育機関が、その寄付をする学生を育成するのは正しい。
で、それを許す税制は正しいと思う
寄付することは出来るでしょう
私がその「多頭崩壊」に関わるきっかけとなったのは、ある動物保護団体のSNSで見かけた一枚の写真でした。そこには、暗い部屋の中で多数の猫たちが身を寄せ合いながら、不安げにこちらを見つめている姿が写っていました。一言に「多頭崩壊」といっても、当事者の事情はさまざまです。飼い主自身も苦しみながら、増えすぎてしまった猫の世話を継続できず、助けを求める余裕すらないケースもあれば、元は保護のつもりが徐々に増えてしまい、最終的に身動きが取れなくなったパターンなど、理由は人それぞれです。けれども共通するのは、生活環境が極端に悪化し、猫たちも健康を損ないやすい状況に追い込まれてしまうということ。どうしても胸が痛んでしまい、当初は「何か手伝えればいいな」という軽い気持ちでその投稿を読み進めました。
ところが、具体的な保護の様子や猫たちの状態に関する記述を読むうちに、私は居ても立ってもいられなくなりました。そこには、劣悪な環境で感染症に苦しむ猫たちの存在が綴られていたのです。何匹もの猫がいる狭い部屋には空気の流れも悪く、清掃が追いついておらず、糞尿の臭いが充満しているとのことでした。猫たちの中には極端にやせ細っている子もいれば、ストレスからか脱毛している子、目やにで両目がふさがってしまっている子もいる。そんな中で、ボランティアスタッフは根気強くケアを続けているが、引き取り先が決まらないと満足な治療ができないケースも多い。とにかく人手と物資、それから新しい受け入れ先が必要だ――こうした言葉を目にした瞬間、私の胸中では「何かしなくちゃ」という思いが大きく膨らんでいきました。
私はすぐに保護団体に連絡を取り、状況を尋ねました。すると、現場には数十匹単位の猫がひしめいているらしく、飼い主である高齢の女性が限界を迎えているとのことでした。近隣からの苦情も多く、行政の介入も検討されているが、猫たちを全て一気に保護するのは物理的にも資金的にも厳しい状況。しかし一方で、いち早くケアしないと命にかかわる病気を患っている猫も少なくないという話でした。私はまだ猫を飼った経験は浅かったのですが、どうにか力になれないかと思い、「私にも里親としてできることはありますか」と尋ねました。保護団体の担当者は少し驚いたようでしたが、心強く思ってくださったようで、「健康状態に不安のある猫も多いですが、可能な範囲で預かっていただけるなら本当に助かります」とおっしゃいました。
こうして私は、最終的に三匹の猫を預かることになりました。いずれも生後1~2年ほどと見られる若い猫たちで、内訳は白黒のブチ猫、三毛猫、そして茶トラ猫。それぞれオスかメスかまだはっきりわからない状態でしたが、病院に連れて行って健康状態をチェックし、去勢・避妊がまだであれば実施する必要があるとのことでした。保護団体のスタッフからは、「栄養失調や目の感染症、皮膚病の疑いがあります。特にブチ猫は呼吸器系が弱そうなので、なるべく早く病院に行ってあげてください」とアドバイスをもらいました。預かるにあたっての注意事項や飼育方法をたくさん聞き、不安がないといえば嘘になりますが、それ以上に命を繋いであげたいという気持ちが勝っていました。
実際に三匹を迎えに行った日、私はその現場の一部始終を目にすることとなりました。かつては猫たちが自由に走り回っていたであろう部屋は、すでに掃除も追いつかず、床にはいくつものトイレ砂やゴミが散らばり、アンモニア臭が立ちこめています。窓は締め切られ、空気は淀んでいました。保護団体のスタッフが部屋に入ると、驚いた猫たちがさっと散り散りに逃げていき、段ボールの陰や押入れの奥に身を隠します。あるスタッフが、「今度里親さんが決まった子たちはいる?」と声をかけると、「こっちにいます」とほかのスタッフが三匹をキャリーに移して連れてきました。その子たちは恐る恐るケージから顔を出し、心なしかホッとしたようにも見えましたが、環境の激変に戸惑っているのか震えていました。
私が引き取る三匹は、一見すると命に直結する深刻な症状はなさそうですが、やせ細っていることが見て取れました。最初のブチ猫は痩せこけて体力が落ちており、くしゃみを繰り返していて呼吸も苦しそうです。続いて受け取った三毛猫は、被毛がパサパサしていて腰のあたりに脱毛箇所があります。皮膚病の疑いがあるので、早めに獣医師の診察を受ける必要がありました。そして最後にやってきた茶トラ猫は、目ヤニで片目がほとんど開かない状態でした。恐怖心からなのか、キャリーに入るときも必死に抵抗していて、スタッフの腕に爪を立てていました。そんな様子を見ていると、「連れて帰ってちゃんとお世話してあげなきゃ」という気持ちがさらに強くなりました。
初めて我が家に三匹を連れて帰った夜は、私にとっても、そしてきっと猫たちにとっても長い夜でした。三匹は緊張で固まっており、最初はキャリーから出てこようとしません。せめて安心して過ごせるよう、私は静かな一部屋を丸ごと「猫部屋」に整えておき、必要最低限の家具を配置していました。そこにキャリーを置き、ふかふかのタオルや、先住猫が使っていたクッションなどを用意しました。先住猫の匂いが混ざっていると不安が和らぐこともあると聞いていたからです。部屋の隅に食事と水、それから猫砂のトイレを置き、なるべく落ち着いた環境を整えたものの、彼らはそろって隅のほうでじっと様子をうかがっていました。私は部屋の中にしばらく座り込んで「大丈夫だよ」「怖くないよ」と声をかけましたが、三匹が自ら近寄ってくることはありませんでした。
翌日、まずは一番症状が重そうだったブチ猫を動物病院へ連れて行きました。診断の結果は、呼吸器の感染症の疑いが強く、体力が落ちているため免疫力が低下しているらしいとのことでした。抗生剤と免疫力を高めるサプリメントを処方してもらい、しばらくは安静に、十分な栄養補給をするようにと指示を受けました。病院から帰ってきてキャリーを開けると、ブチ猫は疲れたような表情を見せつつも、どこかほっとした様子。やはり医療の力は大きく、診察台で獣医師に静かに撫でられたのが安心できたのでしょうか。その日はゆっくり休ませ、私もできる範囲で声をかけ、必要なら毛布を替えてあげるなど細かい世話をしていました。
三毛猫と茶トラ猫についても、翌日以降に順番に診察を受けさせました。三毛猫の脱毛はやはり皮膚病の一種で、ストレスや栄養不足も原因になっているそうです。抗真菌薬の塗り薬や、被毛を補修するフードなどを獣医師から勧められました。茶トラ猫は結膜炎が進んでおり、片目が塞がりかけていたのは膿が溜まっていたからだとわかりました。洗浄と点眼薬の使用で回復の見込みがあるとのことで、そこまで深刻ではないようでしたが、嫌がる茶トラ猫に目薬を差す作業はなかなか大変です。毎回「シャーッ」と威嚇されながらも、根気強くケアを続けるしかありません。「お世話するのは大変だけれど、ここで諦めたらこの子は一生目が開かないかもしれない」と思うと、不思議な責任感が湧いてきました。
それから数週間、私は三匹を中心とした生活を送りました。正直、先住猫も含めて家の中は猫でいっぱいなので、お互いの存在に慣れるまで気を使う場面も多かったです。先住猫は多少ストレスを感じたのか、最初は「フーッ」と威嚇していましたが、時間をかけて一緒に遊べるようになると、少しずつ打ち解けてきました。新入りの三匹は最初は警戒心が強かったものの、栄養状態が改善し、薬の効果で調子が上向くにつれ、目に見えて表情が変わっていったのです。最初はご飯を出しても目が合うと固まっていたのに、徐々に「ご飯はまだかな」と言わんばかりに足元にすり寄ってくるようになりました。被毛も少しずつツヤを取り戻し、ブチ猫のくしゃみも一日に何度か程度になり、茶トラ猫の目ヤニもだいぶ落ち着いてきました。
医療的なケアが一段落すると、次は社会性の回復が課題になりました。多頭崩壊の現場で暮らしていた猫たちは、人との関わり方を知らずに成長する場合が多いので、社会化が十分にできていないことがあります。特に三匹とも体調不良で怯えていた期間が長かったため、人を怖がりやすい面が見られました。そこで私は、一緒に遊ぶ時間を積極的に作るようにしました。いきなり手を伸ばすと驚かせてしまうので、最初はじゃらしやトンネル型のおもちゃなどを使い、猫たちが楽しめる距離感を保ちつつ触れ合いを試みるのです。最初は逃げ腰だった三毛猫が、じゃらしの先につられて少しずつ近づいてきたときの喜びはひとしおでした。近づいてきた瞬間を見逃さずに、「えらいね」「かわいいね」と優しく声をかけると、その声に安心してくれたのか、遊び終わった後も少しだけ私の側にいてくれるようになったのです。
そして保護からおよそ二か月が経った頃、三匹はすっかり我が家に慣れ、ずいぶんリラックスして過ごせるようになりました。ブチ猫はもう呼吸が苦しそうな様子はなく、今ではおもちゃのネズミを追いかけて部屋の中を走り回っています。三毛猫の脱毛部分は完全に毛が生え揃い、ときどき自分のしっぽを追いかけてはくるくる回って遊んでいます。茶トラ猫は最初のうちは人をひっかくこともありましたが、目の治療で痛みがなくなったのか、今では私が部屋に入ると先に鳴いて寄ってきてくれるようになりました。自分から頭をすり寄せてくれるときなど、あの警戒心の塊だった頃を思い出し、ついじんわりと胸が温かくなります。
今振り返ってみると、三匹を引き取ることに決めた当初は、それこそ手さぐり状態でした。医療費も含めて負担は決して小さくなく、何度も「これでよかったのだろうか」と悩む夜もありました。しかし、彼らが見せてくれる少しずつの変化や成長は私にとってかけがえのない喜びをもたらしてくれました。そして何より、一度は過酷な環境の中で押しつぶされそうになった命が、こうして元気に暮らしている。その事実を見守れる幸せは、言葉で言い尽くせないほど大きいと感じています。多頭崩壊の問題は決して他人事ではなく、動物を飼うということは終生責任を伴うのだと、改めて強く考えさせられました。
もちろん、三匹を迎えたからといって多頭崩壊の問題が根本的に解決するわけではありません。一匹でも多くの猫が適正な環境で生活できるようにするには、飼い主の意識改革や行政の支援、地域での協力体制など、取り組むべき課題は山積みです。それでも、私にできる範囲で猫たちを救うことはできました。今は三匹との日々に癒やされながらも、あの現場にはまだ引き取り先を待っている猫たちがいるのだという事実を時々思い出し、「もう少し何かできないだろうか」と考えています。動物保護団体への寄付やボランティアなど、私一人の力は小さいかもしれませんが、一歩ずつ行動を積み重ねていけば、いつか大きな力になれるかもしれない。そんな希望を抱きながら、今日も三匹に声をかけるのです。「おはよう、今日も元気そうだね」――私に向かって返してくれるか細い声が、いつも以上に愛おしく響きます。