戦時中、中島飛行機が計画した幻の大型爆撃機「富嶽(ふがく)」。 同機製造を提唱した中島知久平は戦後を見越し、平和利用のための旅客機型も考えていた。敗戦と共に消えた、その旅客機を無線操縦模型で飛ばそうと、地元・群馬県の市民グループが模型製作に取り組んでいる。初飛行の目標は来年秋。一歩一歩完成に近付いていく機体に、メンバーは胸を高鳴らせている。 製作しているのは「富嶽を飛ばそう会」(正田雅造会長)の15人。同県太田市やその周辺に住む無線操縦模型の愛好者の集まりで、メンバーの大半が中島飛行機の血を引く富士重工業や、跡地に工場を建てた三洋電機のOBと現役技術者だ。平均年齢62〜63歳の“おじさん”たちが、「飛行機王」中島知久平の夢に挑戦している。 同会は11年前、地元のものづくりの礎を築いた知久平の功績をたたえようと、富嶽の模型(全長3メートル)を作り、飛行に成功している。今回は、戦後当時としては