銀座線リニューアル情報サイトにつきましては、2020年5月末をもって閉鎖いたしました。 長い間ご利用いただきましてありがとうございました。 2020年5月29日 東京地下鉄株式会社
聖書に登場する王のなかでも、栄華を極めたことで知られるソロモン王。その富はどこからやってきたのかという長年の論争に、イスラエルのティムナ渓谷で発見された3000年前の動物の糞が新たな火種を加えようとしている。(参考記事:「古代イスラエル 消えた王国」) 乾燥した気候のおかげで現代まで状態良く残っていたその糞は、「奴隷の丘」と呼ばれる台地の上にある古代の鉱山跡で見つかった。ここには銅の採掘場や精錬場の跡が点在している。 イスラエルのティムナ渓谷にある「奴隷の丘」。この上の古代採掘場跡で、3000年前の糞が見つかった。(PHOTOGRAPH BY EREZ BEN-YOSEF AND CTV PROJECT)
人物紹介 ブラザー工業株式会社 新規事業推進部 技術推進1グループ グランド・マスター 工学博士 安友 雄一 当時のTAKERU&JOYSOUND開発リーダー。 ※安友さんのインタビュー映像はこちらでも見られます。 PCソフトの販売でわかった限界と問題点 ブラザーがアンテナショップとして「コムロード」(現アプライドグループ)を立ち上げたのが、1983年。PC用のソフトも扱っていたが、売れるソフトは一瞬で売れて品切れになるが、売れないものはいつまでも売れず不良在庫になってしまう、というのが課題だった。ちょうどこの時、電気通信事業の自由化を目前に控え、通信を使う「ニューメディア」が注目されており、これでソフト販売の在庫問題を解決できないかと考えたのが安友氏だ。 「当時ニューメディアだといって騒いでいましたが、速度は遅いし通信料は高い。これを使ったサービスというのは実現性が薄かったのですが、大変
鳥山明の名作漫画『Dr.スランプ』に、則巻千兵衛博士のライバルとしてアラレたちに立ちはだかるDr.マシリトなるキャラがいたのを皆さんは、覚えているだろうか。 このキャラのモデルになった人物こそが、今回インタビューする白泉社代表取締役社長・鳥嶋和彦氏にほかならない。 彼の編集者人生は数々の伝説に彩られている。新人賞にかすりもしなかった新人漫画家・鳥山明を一から育て上げ、何百枚にも及ぶボツ原稿を出したあげくに、『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』などの名作をタッグで世に送り出したこと。鳥山明のみならず多くの漫画家にネタにされてきた、その“悪魔のような”強烈なキャラクター。そして90年代後半、週刊少年マガジンにジャンプが追い越された「暗黒期」に編集長として呼び戻され辣腕をふるい、『ONE PIECE』や『NARUTO』、『テニスの王子様』などの作品を次々に世に送り出し、再びジャンプを王者の座に
コーヒー「BOSS」が「ポケモンカードゲーム」とコラボ。新商品「ボスex 進化の微糖」が2月4日発売。2度の進化を遂げる「ホゲータボスジャン ex」や、全9種の「ポケモンカード柄クッション」などが当たるキャンペーンを実施 今回から連載を始めるのは、ゲームライターの多根清史さん。『教養としてのゲーム史』『日本を変えた10大ゲーム機』などの硬派な著書から、『超クソゲー』などでのクソゲー紹介レビューまで手がけてきた、その広範な知識のもとにゲーム史を体系的に語りおろしていただきます。 まず最初の数回で扱うテーマは、RPG。その歴史をドラクエ以前から整理して、ドラクエの画期性がどこにあったかや、ゼルダなどのアクションRPGとの関わりなどを分析していきます。 初代『ドラゴンクエスト』(エニックス・1986)はどうやって生まれたのか。それに対する模範解答とされるのは乱暴にまとめればニつになる。 ドラゴン
ナショナルジオグラフィックによれば、この500年前の難破船は、ヨーロッパのいわゆる「大航海時代」の遺物として発見されたものの中で最古のものだという。大航海時代とは、ヨーロッパ各国が世界の海の交易ルートを発見しようとしていた15世紀から17世紀頃の時期のことだ。ガマは、アフリカ(南岸)を経て、インド洋を通過し、現在の南インド・ケーララ州まで航海した1498年に、インド交易ルートを発見した人物として知られている。
初詣と言えば一般的には古くから続く“伝統”のようにイメージされている。ところが、初詣は明治以降に鉄道と深く関わりながら成立した意外にも近代的な参詣行事である。 筆者はこれまで初詣の近代史を掘り起し、『鉄道が変えた社寺参詣』(交通新聞社新書、2012年)と『初詣の社会史』(東京大学出版会、2015年)の二著にまとめた。以下、拙著の内容紹介もかねて初詣の成立過程について述べてみたい。 小説家・俳人の高桑義生は「俳句に見る初詣と初午」と題したエッセイ(『朱』第8号、1969年)のなかで、次のような指摘をしている。 「意外なことに古句には初詣の作品がない」 高桑は次のように説明する。古句には、恵方詣はみられるのだが、「古歳時記をひもといても初詣の季語すら無い」。つまり、現代では当たり前のように用いられている「初詣」という季語が昔の俳句の世界にまったくみられないということに高桑は気づき、「意外なこと
ATARIの栄枯盛衰を内側から見ていた日本人がいた。日本版「ATARI GAME OVER」プロデューサー黒川氏による,木村ひろ氏へのインタビューを掲載 ライター:黒川文雄 「ATARIの墓場」から掘り出されたのは,「E.T.」だけではなかった。4Gamerで先日(2015年9月1日),日本版「ATARI GAME OVER」のプロデューサー 黒川文雄氏との対談インタビューを掲載したが,その中で,ATARIが最盛期を迎えていた当時,その社内に日本人のイラストレーターが在籍し,しかもあのATARI版「E.T.」のイラストを描いたことが明らかになったのだ。 ■黒川文雄氏が日本版「ATARI GAME OVER」を製作するに至ったキッカケとは。アタリショックと「E.T.」の都市伝説にも迫ったインタビューを掲載 そのイラストレーターというのは,現在ニューヨークでフリーのイラストレーターとして活躍す
旧日本海軍戦艦「武蔵」がフィリピンのシブヤン海で米マイクロソフト創業者のポール・アレン氏によって発見されたニュースは、日本の研究者にも大きな驚きとなって広がった。大和や武蔵については当時の資料がほとんど残っておらず、その知名度とは裏腹に各部形状や改修状況で不明な部分が多い。今回の発見で公表された映像は、そうした謎を解き明かす画期的な資料として注目されており、日本の専門家に聞いたところ「新事実」も次々と明らかになった。(岡田敏彦) 専門家の視点 3月13日には海底の武蔵の様子がインターネットで生中継された。日本の軍艦に詳しい広島県呉市の市海事博物館「大和ミュージアム」の統括担当、相原謙次さんは、新たに分かった最大の点として「艦が爆発して、かなり散在していること」を挙げる。 アレン氏の公表した映像によると、バラバラになった船体は少なくとも前後に分かれ、艦尾と艦首は約175メートル、艦尾と艦橋は
JR東京駅の北側の地下に、長さ50メートルの巨大な空洞が残されているのが確認されました。およそ50年前に計画された地下トンネルの一部とみられますが、これまで使われたことはなく、どこにあるのかが分からなくなっていました。 この付近の地下を管理している東京メトロによりますと、昭和40年ごろに、当時計画のあった地下自動車道路の一部として掘られたとみられますが、一度も使われたことはなく詳しい資料も残されていないということです。 空洞にはもともと出入り口が作られておらず、長い間、誰も実際に中を確認できませんでしたが、東京メトロによりますと、平成13年に穴を開けて安全性などを調査したという記録が残っているということです。しかし、その際にどこに穴を開けたかは記録されておらず、再び中に入れない状態となっていました。 東京の地下の開発に詳しい東京メトロの丸山茂さんは「ずっと入り口が分からなくなっていたので、
アオイ模型 @aoi_mokei 艦船模型クラスタに何が起きているのかと言うと、先程の生中継で、この辺のどこかに、見覚えの無い三連装機銃が写り込んでてパニックに陥っています pic.twitter.com/oKD6gvFl3Y 2015-03-13 12:32:55
マイクロソフトの共同創業者であるポール・アレン氏が発見した旧帝国海軍の戦艦「武蔵」が、戦中・戦後世代はもとより、往年の軍艦ファン、ミリオタまで多くの人を興奮のるつぼに巻き込んでいる。 ⇒【3月6日に公開された動画】http://www.youtube.com/watch?v=9qQDLfQpqdQ なにせ、武蔵はあの「大和」の姉妹艦にして、旧帝国海軍が建造した最後の戦艦だ。両艦に搭載された46cm砲は世界最大を誇り、40km先の標的を攻撃できたというから、世界最強の艦に偽りなし。武蔵は竣工から2年足らずのレイテ沖海戦であえなく撃沈されてしまったが、「魚雷20本、爆弾17発、さらに無数の至近弾という、他に類を見ない集中攻撃を受けても10時間近く沈まなかった」(SPA!きってのミリオタ)と、その逸話は今でも語り草となっているのだ。 3/10発売の週刊SPA!では、『宇宙戦艦ヤマト』で知ら
2014年12月21日08:00 シュメール人すごすぎワロポタミアwwwwwwwwwwwwwwwwwwww Tweet 1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2014/12/20(土) 21:35:56.39 ID:YbqwtHiS0.net 紀元前3800年頃、どこからかシュメール人と呼ばれる民族がやって来ると、信じられない大変化が起こった。 文明の一大ブレークとも言うべき現象が起きたのである。 メソポタミアの地は、わずかの間に、前例のない大繁栄を記録した。 そして、空前とも言える政治権力が打ち立てられたのである。 それは、美術、建築、宗教は言うに及ばず、社会機構、日常の細かな慣習から楔形文字の発明に至るまで、 それらは、すべて、彼らシュメール人の成せる画期的偉業であった。 世界最初と言われる船や車輪つき戦車なども、この頃、シュメール人によってつくられたのである。 何者だよw
この連載では、ドラゴンクエスト開発者の中村光一さんや、ポケットモンスター開発者の増田順一さんに、かつて彼らがどんな風にゲームを作ってきたかを「自作ゲーム」という観点からうかがってきた。 今回は、いわばその「番外編」である。初めてパソコンに感動した世代の学生が、現在の自作ゲームと変わらぬ開発人数だったファミコンの時代を経て、ゲームが世界規模の巨大ジャンルに発展していくまでを目にする――そんな当時の共通体験を、開発者に最も近いところにいた"最強のウォッチャー"の視点から語ってもらったのが、このインタビューである。 また今回は、ファミ通編集部のご厚意で当時の誌面を見せていただきながら、往年の名物企画たちの裏側も聞かせていただいた。しばしば言われるように、日本の雑誌カルチャーは、単に情報を伝える媒体ではなく、目利きとしての編集者の企画力と職人技で、カルチャーそのものを育ててきた存在でもあった。それ
太平洋戦争終戦直前まで劣勢を挽回しようと旧海軍が島田市内で開発していた秘密兵器「強力電波兵器」。市内の牛尾山に唯一残る実験所跡が大井川の河川改修で削られることになり、初の発掘調査が行われる見通しになった。ただ、記録だけの保存にとどまる可能性が高く、地元からは実物の保存を求める声も上がっている。 実験所は「第二海軍技術廠牛尾実験所」。現在の特種東海製紙敷地内にあった「島田実験所」の疎開先として終戦間際に建設が進んだ。当時の島田市には第一線級の科学者が出入りし、大きなパラボラアンテナで強力な電波を照射して、敵飛行機を故障させる実験をしたり、動物への影響を調べたりしていた。 島田実験所跡が失われてしまった一方、牛尾実験所跡には施設の基礎や建設途中だったパラボラの土台のコンクリートが生々しく残る。牛尾山は国土交通省が昨年9月に着工した大井川の流れを円滑にする「平成の大改修」で削られる運命にある
1983年に発売されてから今年で30周年を迎えたファミリーコンピュータ=ファミコン。そこで、ファミコンの設計者であり開発責任者であった任天堂の上村雅之氏に、直撃インタビューを行なった。 ■ファミコンの色は社長のマフラーの色? 上村さんがファミコン開発に着手したのが1981年とのことですが、どういった経緯で開発を? 「私はアーケードゲームの開発部にいたんですが、当時の社長(山内溥[ひろし]氏)から『家のテレビでアーケードゲームを遊べるものを作れ』とお達しがあったんです。うちはアーケード版の『ドンキーコング』などが当たっていましたからね」 相当な勝算があったんですね~。 「いいえ、勝算なんてありませんよ。あの頃は『ゲーム&ウオッチ』が売れに売れていたので、うちの会社はゲーム&ウオッチでやってくんちゃうの?って思いましたからね。持ち歩けてどこでもできるというゲーム&ウオッチの長所は、やはり素晴ら
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