造成工事で周辺に砂ぼこりが舞う防災対策庁舎。高さ12メートルの屋上では避難した職員らが津波に流されまいとアンテナを中心に円陣を組んだが、ほとんどが犠牲になった。庁舎周辺は震災復興記念公園として整備される予定だ 東日本大震災の津波により職員ら43人が犠牲になったとされる宮城県南三陸町の防災対策庁舎を巡り、佐藤仁町長が2031年までの県有化受け入れを表明してから6月30日で3年を迎えた。保存か解体かの結論を先送りした形だが、復興に向けて激変する同町の旧市街地で取り残されたようにたたずむ庁舎の姿に、遺族たちは今もさまざまな思いを抱きながら過ごしている。 同県気仙沼市の市街地に打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」や、多くの犠牲者を出した岩手県釜石市の鵜住居(うのすまい)地区防災センターなど、津波の脅威を伝える「震災遺構」は震災から7年を経て、その多くが遺族感情や維持費などを理由に解体された。庁舎
原子力規制委員会は4日の定例会で、日本原子力発電東海第2原発(茨城県東海村、110万キロワット)について、再稼働に向けた安全対策の基本方針を定めた新規制基準に適合しているとする審査書案を了承した。審査書案は安全審査の事実上の「合格証」で、2011年の東日本大震災で地震や津波の被害を受けた原発としては初の合格となる。国民からの意見公募などを経て正式合格する。 原電は安全対策工事を21年3月までに終える予定で、実際の再稼働はそれ以降になる。また原電は必要な地元同意について、立地自治体以外の周辺5市にも「実質的な事前了解権」を認める全国初の安全協定を結んでいる。東海第2は首都圏唯一の原発で、30キロ圏内に全国の原発で最多の96万人が暮らしており、地元同意は難航も予想される。
大槌町役場旧庁舎を現地調査する県沿岸広域振興局土木部職員ら=岩手県大槌町で2018年6月21日、中尾卓英撮影 東日本大震災の津波で当時の町長と多くの職員が犠牲になった岩手県大槌町の旧役場庁舎の解体工事について21日、町が建設リサイクル法で定められた事前通知を県に届け出ないまま内部解体工事に着手していたことが分かった。町は、22日に建物外壁に設置された大時計を取り外し、25日に外壁の取り壊し工事を始めるとしていたが、いずれも延期せざるを得なくなった。 平野公三町長は21日午後6時半過ぎ、出張先の盛岡市から帰庁して記者団の取材に応じ「どうして法を破ることになったのか、今後の改善策とともに明らかにしたい」と話した。「本体解体工事が1週間程度遅れるのか」と問われ、「(どの程度遅れるのか)工程表を見直して22日にも説明責任を果たしたい」とした。
東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が解除された福島県内の農村で、地域外の大学生らが稲作を体験し、地元住民と交流するイベントが盛んだ。自治体や住民らが主催し、今春は5町村で400人以上が田植えに参加。長期避難や後継者不足が響き、解除地域の作付面積は事故前の2割に満たない中で、古里再生を目指す農家の励みになっている。【尾崎修二】 休耕田が広がる浪江町酒田地区。5月19日、水を引いた田んぼに手で苗を植える大学生らの笑い声が響いた。「みんな楽しそうだ。見てておもしれえ」。同町の農家、松本清人さん(79)は笑った。
福島県警へ特別出向した65人を代表し、決意表明する鵜沼嘉津雄警部補=福島市中町の県自治会館で2018年4月12日、岸慶太撮影 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故で増大した県警の業務を応援するため、全国の都道府県警から出向してきた警察官65人の入県式が12日、福島市の県自治会館であった。出向者は治安面から復興に貢献する決意を新たにした。 65人は「特別出向者」として、北海道や大阪府など31都道府県と皇宮警察から派遣された。津波と原発事故の被害が大きかった沿岸自治体の警察署や県警の機動捜査隊などに配属。昨年度から継続して活動する14人とともに、避難指示区域の巡回や津波による行方不明者の捜索、災害公営住宅(復興住宅)の訪問などにあたる。 式では、震災犠牲者への黙とうに続き、松本裕之本部長が「多くの県民から注目され、大きな期待が寄せられている。(原発事故の)避難者をはじめ、県民の安心と安全を守
自らを一度のみ込んだ海を見つめる作山さん。4月から薬剤師になった=福島県いわき市小名浜で2018年3月7日午後4時46分、斎藤文太郎撮影 「拾った命。死ぬ気で生きよう」。東日本大震災で津波に流され一命を取り留めた人の中には、そう考え、新たな人生を切り開く人がいる。福島県いわき市出身の作山順さん(24)もその一人だ。九死に一生を得た経験から、命を守る仕事を志した。水産高校出身だが、大学の薬学部に進み、薬剤師の国家試験を突破。4月、福島を離れ、秋田市の大学病院で薬剤師として第一歩を踏み出した。 「進学できないぞ」。そう中学の教員に心配されるほど勉強が嫌いだった。県内で唯一の水産高校に入学した理由は、自宅に近いから。好きな釣りができない時は携帯ゲーム。震災当日も朝方までゲームに熱中し、昼過ぎに起きる自堕落な日々だった。
東日本大震災の津波で当時の町長と職員の計40人が犠牲になった岩手県大槌町の旧役場庁舎について、町議会(定数13)は15日、町が提案した解体関連費用などの補正予算案を可決した。解体と震災遺構としての保存とで町内では意見が分かれていたが、町は正式に解体に向けて動き出すことになった。 3月定例会最終日に追加提案され12人が採決。賛成、反対同数で、小松則明議長の裁決で認めた。 震災時、防災担当職員で旧庁舎屋上に避難して無事だった平野公三町長は「目にすることは耐え難いという人に寄り添う」と提案理由を述べ、2018年度中に解体し跡地は災害時の車の乗り捨て場にする考えを示した。
自らが作曲した大川小の校歌を演奏する曽我道雄さん=仙台市泉区の曽我さん宅で2018年2月21日、百武信幸撮影 東日本大震災の津波で児童・教職員84人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校が、児童数の減少に伴って今年度で閉校する。24日に閉校式があり、33年間歌いつないできた校歌を在校生と卒業生が合唱する。校歌の副題は「未来をひらく」。式に出席する作曲者の曽我道雄さん(88)=仙台市=は「校歌を胸に、古里の未来をひらいて」と願い、在校生も地域の先輩と一つになって歌う瞬間に特別な思いで臨む。【百武信幸】
復活した「法の脇獅子舞」を住民に披露する会員ら。踊りには躍動感があった=宮古市の津軽石公民館で2月11日、鬼山親芳撮影 東日本大震災の津波で一切の道具や衣装を流失した岩手県宮古市津軽石の郷土芸能団体「法の脇獅子舞保存会」が11日、地元であった津軽石郷土芸能祭に出演し、「復活の舞」を披露した。観客の住民からは祝福の拍手が湧き、出演者たちも「復興の励みになる」と感激していた。 津波は津軽石川河口の集落にも押し寄せ獅子頭や衣装、太鼓などすべての道具を保管していた公民館をのみ込み、流し去った。27戸あった住民らはその後、同じ津軽石地区に14戸が集団移転するなどした。跡地に住宅は再建できない。 地域に住民はいなくなったが、「法の脇」の通称名は残った。「何とか獅子舞を復活できないか」。そう考えていた住民に支援の手が差し伸べられたのは間もなくのこと。寺院や企業から申し出があり、太鼓や衣装を少しずつ調えて
東日本大震災の被災地の自治体間で復興の進み具合に差が出ている。国からの復興交付金を各自治体が積み立てている「復興交付金基金」について、岩手、宮城、福島3県で被害の大きかった沿岸部の計37市町村の執行率(2017年3月末時点)を毎日新聞が調べたところ、各県の自治体間の差は岩手で44ポイント、宮城で28ポイント、福島で68ポイントだった。平均で3割が未執行だった。職員不足に加え、平地の少ない三陸沿岸の自治体は、住宅再建や道路建設のため山を切り開いたり山林の所有者を捜したりする手間がかかり、事業完了に遅れが出ている。被災者の長期に及ぶ仮設住宅暮らしにつながっている。【鈴木一也、安元久美子、西銘研志郎】 自治体の多くは国からの復興交付金の全額か大部分を積み立てて基金化し、年度をまたぐ災害公営住宅(復興住宅)整備や高台への集団移転、道路整備などの事業に使う。事業費を支払う際に基金を取り崩すことから、
引っ越し前に移転先のプレハブ仮設住宅を訪れた相沢智美さん。仮の宿といった感じの壁や配線を見ながら「また仮設に引っ越すなんて、思わなかった」と漏らした=宮城県石巻市で2017年8月5日午前11時26分、百武信幸撮影 霧雨が降る8月上旬の昼下がり。飲食店勤務の相沢智美さん(34)は6年2カ月暮らした仮設開成住宅団地(宮城県石巻市)の部屋の鍵を市職員に引き渡した。くすんだ壁を前に「こんなに長く住むとは思わなかった」とつぶやいた。災害公営住宅(復興住宅)の抽選に当選しないまま、入居者の減った仮設を集約する市の政策に伴い、2日前に別の地区の仮設に移った。 被災者のニーズに合った復興住宅が見つからず、仮設暮らしが長期化するケースがある。聞けばそれぞれに、切実な事情がある。
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