秦代に歙県が設置され、会稽郡、丹陽郡、新安郡などに属した。隋代に歙州が設置され、歙県に治所がおかれた。歙州は北宋の徽宗の時代に徽州と改称され、元代には徽州路が、明清代には徽州府が設置された。隋から近代にいたるまで歙県は徽州地区の政治・経済・文化の中心であった。1988年には歙県の西部地区が黄山市に編入され、徽州区となった。 徽州では書院や社学が林立し、進士及第者は6百人近くにのぼる。さらに文化面で活躍した人物も輩出し、著名な人物には、作家の張潮・汪道昆・章衣萍、言語学者の戴震、画家の弘仁・黄賓虹、教育者の陶行知などがいる。 また「文房四宝」の徽墨・歙硯の産地である。さらに京劇はこの地方の徽劇が北京に伝わったものと言われている。他にも新安画派・新安医学を生み出し、安徽料理は中国八大菜系の一つに数えられている。 それら教育・文化の発達の背景には、南唐・宋ごろより徽州商人(新安商人)が商業活動で