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批評に関するmorimori_68のブックマーク (91)

  • 追記 こんな長文読む人いるだろうかと思って投下したけど大勢読んでくれ..

    追記 こんな長文読む人いるだろうかと思って投下したけど大勢読んでくれたみたいで感謝。 これでも最初はもっと長かったのを削ってたりする。 ブコメに少しだけ返事 穂高先生の一件で漏れてる視点としては、当時、女性弁護士なんて道がそもそもなかった時代に、子ども生んだあと弁護士に返り咲きなんて可能性は一切あり得なかった現実があるとも思うわ。今では想像もつかんと思うが 寅子の場合戻れるかどうかは雇用主の雲野が再雇用するかどうか次第だし、そこで寅子から頼まれたとして雲野が拒否するようなキャラには見えなかったけど。 (結果的にその後事務所の経営が悪化して雇えない状態になったがそれは結果論に過ぎない) この話に共感してた人たち、自分の経験(恐らく一般会社員だった自分が出産で辞めて再就職先が見つからなかったという経験) を寅子に重ね合わせてるんだろうけど前提が全然違うだろ。 久保田先輩が「仕事も家庭も満点を求

    追記 こんな長文読む人いるだろうかと思って投下したけど大勢読んでくれ..
    morimori_68
    morimori_68 2024/09/28
    濃い。匿名ダイアリーの華というか何というか
  • あなたも『銀河英雄伝説』がわか(らなくな)る。登場人物のなか最強、ヤン・ウェンリーとは何者だったのか。 - Something Orange

    Twitterで以下のように呟いたところ、ちょっと反響があった。 でも「「厭世的で皮肉屋で怠惰に見えるが実はすごい才能をもっており、不意ながら大活躍してしまい周囲にチヤホヤされる」キャラ」を作ってもヤン・ウェンリーにはならないんですよね。ヤンの質的魅力ってどこにあるのかというところはぼくはいまもはっきり言語化できません。 https://t.co/IBTFekZg4A — 海燕 (@kaien) 2023年10月9日 以下、このように続く。 ヤンの能力は「チート」ではないけれど「才能」ともちょっと違う気がする。「才能」はラインハルトが極めているわけで。初めて『銀英伝』を読んだときから30年間考えているけれど、ヤンというキャラクターはよくわからない。それなのに他の読者はわかっているらしいのが不思議。 — 海燕 (@kaien) 2023年10月9日 ヤン・ウェンリーを生み出したキャラクタ

    あなたも『銀河英雄伝説』がわか(らなくな)る。登場人物のなか最強、ヤン・ウェンリーとは何者だったのか。 - Something Orange
    morimori_68
    morimori_68 2023/10/14
    あれはたぶん、「著者が自分の理念を物語に落とし込むために作ったキャラクター設定だった筈が、物語そのものの慣性によってえもいわれぬ魅力が生じてしまった」のではないか。
  • 映画『バービー』への疑問、なぜトランプではなく、ビル・クリントンの写真なのか?なぜ東アジア系のバービーには台詞がないのか?新たな『映画政治家』ガーウィグ監督に対する忖度と神格化への懸念|CDBと七紙草子

    広告宣伝と映画の価値はまた違うもので、映画としてはよく出来ているのだろう、という思いもあり、またグレタ・ガーウィグ監督の『ストーリーオブマイライフ 私の若草物語』も良かった記憶があるので、初日が休日ということもあり早朝の初回に見てきました。 SNSでは、肯定派が「素晴らしいフェミニズム映画、これが大ヒットして世界は変わる!」否定派が「露骨なフェミニズムでうんざり」といった両極端なのですが、正直な感想としては 「大衆向けの中道路線、部分によってはフェミニズム批判ですらある映画」 という印象でした。 これは筆者だけの印象ではなく、フェミニストのコアな部分からもよく出ている声です。以下に東京大学大学院教育学研究科教授の隠岐さや香教授のツイートを引用します。 <引用>留学時代の友人からは「無知な人にフェミニズムの基礎を説明するレベルの内容」、個人的に好きな配信者(仏)は「ネオリベ自己実現の肯定に留

    映画『バービー』への疑問、なぜトランプではなく、ビル・クリントンの写真なのか?なぜ東アジア系のバービーには台詞がないのか?新たな『映画政治家』ガーウィグ監督に対する忖度と神格化への懸念|CDBと七紙草子
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    morimori_68 2023/08/16
    鋭い分析。ネタバレ分も高いのであえて途中まで読んだ。
  • 手塚系と梶原系 二大ヒロインの系譜

    タッチは「熱血」を破壊したか? あだち充トラウマ作家論 いきなりだが、あだち充は、いわゆる梶原的スポコン路線に終止符を打った、フニャけた80年代ラブコメ時代の頂点に位置する漫画家である、という評価が一般的となっている。例えば、夏目房之介先生は「消えた魔球」において「タッチの最終回、もういいよ、疲れるから、の一言で熱血を終わらせたわけです」と語っておられるわけです。 だがしかし、当にそうなのか? タッチが熱血を終わらせたのか? あだち充は当にふにゃけたラブコメ作家なのか? と考えると、それは、違ーう!! のであります。 あだち充こそは、フニャけて中身の無かった80年代漫画界において、もっとも巨大なトラウマを抱えた怨念の作家であり、いわば、80年代ホイチョイバブル文化の中に己を擬態させながら大輪の怨念の花を咲かせた「ラブコメの皮を被った梶原一騎」だと思われるのです。 筆者が、自らの「あだち

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    morimori_68 2023/07/22
    あだち充についての「しろはた」のキャッシュ。本田透先生はお元気だろうか
  • 寡黙を日本の伝統として褒めそやすのは、もう止めにしませんか。|松尾潔のメロウな木曜日

    最初に告白しよう。この件で連載の貴重なスペースを費やすことを、ぼくは不意だと感じている。正直なところ、この件についてはもう何も言いたくない、書きたくない気持ちが強い。実際そんな選択肢もあるはずなのだ。 では、なぜ口を開き続けるのか。SNSやヤフコメで心ない罵倒を浴びると分かっていても、言葉を尽くしてしまうのはなぜか。英雄的に振る舞いたいのではない。ましてやマゾヒスティックな快感に酔いたいわけでもない。自分は穏やかな生活を好むタイプだし、正義感なんて爪の垢ほどしか持ち合わせていない。とめどない愚痴や陰口で家族や友人を失望させてきた卑小な人間だ。そんなぼくが口を開くにはいくつかの理由がある。だが最大の理由はと訊かれたら、迷わずこう答える。 「見て見ぬふりは気分が悪いから」 そう、いつも人を動かしてきたのは正義より生理ではなかったか。 前置きが長くなった。「この件」については詳しく述べるまで

    寡黙を日本の伝統として褒めそやすのは、もう止めにしませんか。|松尾潔のメロウな木曜日
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    morimori_68 2023/07/02
    これが火種か。軽みまじりの文体がかえって逆鱗に触れたとも思われるが…
  • 隅田金属日誌(墨田金属日誌) なんで日本映画って叫ぶのかね。東宝のラーゲリ映画はそれが気になるものだよ

    20年ほど前に「叫ぶ詩人の会」というのがあったのだけれども。 日映画もたいてい叫ぶね。登場人物の感情が昂ぶっていることを示すために役者に叫ばせようとする。また、逆に叫ぶことでそこが重要であることを示す。 半年前からラジオでしょっちゅう宣伝されていたけど、『ラーゲリより愛をこめて』の予告版はそれだった。 叫んでいるカットを宣伝で使うだけで見る気をなくすものだよ。鼻白むというのかねえ。日映画の何でもセリフで説明するもあわせて、つまらないのが予想できる。クライマックスとかカタルシスって別段にセリフで説明するものでもないし役者が叫ぶものでもないねと。 あとは「描写が軍事的に正しい」とか言っているあたりもねえ。 たしかに服装とかは正しいのだろう。 でも予告編を見る限りは妙に清潔な絵なんだよね。被服は薄汚れてもいないし、痩せこけていない、なにより餓鬼の眼ではない。 死ぬかどうかの瀬戸際が見えない。

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    morimori_68 2023/05/13
    雰囲気の再現が出来ていまいという話
  • 痛快でスピーディなクレージーキャッツの”変な歌”④植木等の「ハイそれまでョ」

    クレージーキャッツの3枚目のシングルは植木等の二枚目風キャラクターを活かして、ムード歌謡風のゆったりした歌い出しで始まる。 もともとジャズ・ギタリストで、ジャズ・ヴォーカルも学んだ格派だから声がよく響く。 ところが伸びやかでつやのある美声によるラブソングは、途中でブレイクした途端に歌詞が急展開、曲調もガラリと変わってしまう。 そしてテンポも一気に早まり、ツイストのリズムに乗って最後のオチへとつき進んでいく。 クレージーキャッツの研究家であった大瀧詠一は「ハイそれまでョ」がステータスを築いたと評価し、サウンドとしても3分間のミュージカルとしても、クレージー・ソングにおける第1期の頂点だと語っている。 作曲と編曲を行った音楽家の萩原哲晶は大瀧との対話のなかで、この曲が生まれた経緯についてこう述べていた。 植木さんていうのは、もともとマトモな歌を勉強してきたんだから、多少はそういうのもやりたい

    痛快でスピーディなクレージーキャッツの”変な歌”④植木等の「ハイそれまでョ」
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    morimori_68 2023/05/07
    面白い。なお無責任については、天皇制国家における 無限責任→無責任 という丸山真男の有名なテーゼを踏まえていると思われる。
  • ララビアータ:福田恒存の保守主義 - livedoor Blog(ブログ)

    宇野重規氏の『日の保守とリベラル』(中央公論新社)を読んで、そこで論じられた福田恒存と丸山眞男の所論に対していくらか思うところがあるので論じてみたい。 福田恒存の保守主義 宇野氏は書第4章で、福田の独自の保守主義についてやや詳しく論じている。大雑把に言えば、福田氏の保守主義は次の二点に集約される。第一は「反イデオロギー」とでもいえるもの。もう一つは、「政治と文学の峻別」である。 福田に言わせれば、革新派はイデオロギーを掲げるが、保守派にとって重要なのはイデオロギーではない。保守とは生活感情であり、態度であって、決して主義ではないというのが福田の信念であった。p−116 福田は、D.H.ローレンスの研究者としてその『アポカリプス論』を重視していた。言うまでもなくローレンスは、アポカリプス論(『ヨハネ黙示録』論)で、ある種のキリスト教理解(ローレンス幼少期故郷の炭鉱労働者たちに典型的なもの

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    morimori_68 2023/04/11
    唸らされる
  • 「生きづらい私は発達障碍者でした」を読み解く

    「生きづらい私は発達障碍者でした」というタイトルでツイッターで掲載された漫画がある。名指こそされていないが、この漫画を痛烈に批判したはてな匿名ダイアリーの投稿がここ数日、バズっている。 私はこの投稿を見て、元の漫画を知った。この漫画はもちろん描写は拙いし、よく書かれているわけではない。しかし、私は作者に書きたい内容があり、そこにはある程度の普遍性があり、結果としてエンタメになりうると思った。この漫画を自分なりに読み解いてみたい。作品と、それに対する酷評へのリンクは一番下に載せてあるので、背景を知りたい方は先に見てみてほしい。 作者は何を伝えたいのか、そしてそれは伝わっているかこの作品は以下の流れで進行していく 1. 若い頃、仕事がどうしてもできない。努力をしてもうまくいかず、職を転々とする。 2. 結婚し、仕事を辞める。子どもが生まれる。子どもが成長し、発達障害と診断される。 3. そこか

    「生きづらい私は発達障碍者でした」を読み解く
    morimori_68
    morimori_68 2022/10/26
    寄り添った批評とはこういうのを言うのだろう
  • 宮崎駿のマンスプレイニング、底の浅い女性観

    旧TVアニメ版『うる星やつら』が終了した後、水曜日19時30分の放映枠では、同じく高橋留美子作品である『めぞん一刻』が放映された。 この時、雑誌『アニメージュ』では、何人かのクリエイターたちに「『めぞん一刻』のアニメ化についてどう思うか?」というインタビューを行い、それを記事として掲載した。 『アニメージュ』は、風の谷のナウシカの原作を連載していた雑誌なので、当然のように宮崎駿にも意見を聞いたのだが、宮崎の語った内容が、実に気持ち悪かった。 宮崎駿曰く「『めぞん一刻』なんて、五代くんが管理人さんを押し倒しちゃえば、それで終わる話なんですよ」という、正確な文面ではないかもしれないが、大体そういう言葉だった。語尾には「(笑)」も付記されていたように記憶している。 宮崎駿に限らず、昭和時代の男性クリエイターたちは、こういった「無理やり手籠めにしてしまいさえすれば、最終的に女性は男になびくもの」と

    宮崎駿のマンスプレイニング、底の浅い女性観
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    morimori_68 2022/10/16
    普通にその通り。筋が通っていて面白い。
  • BTSはなぜ闘わざるをえなかったのか 浅田彰さんが読み解く葛藤:朝日新聞デジタル

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    BTSはなぜ闘わざるをえなかったのか 浅田彰さんが読み解く葛藤:朝日新聞デジタル
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    morimori_68 2022/09/08
    紙面をさかのぼって読む
  • 朝ドラ『エール』は史実に基づくドラマのモラルを逸脱していないか?(中川 右介) @gendai_biz

    これでいいのか? 朝ドラ『エール』の、10月12日から16日の回が、「戦争を真正面から描いた」として評判がいい。 「戦場」シーンを出して、その残酷さと非情さ、理不尽さ、虚しさといったものをストレートに描き、号泣しない演技、音楽も排した抑制された演出も称賛に値するだろう。 これまでの朝ドラは主人公の大半が女性だったので、実在の人物をモデルにした一代記ものでも、「戦争」を描くとしても、間接的だった。 ヒロインの夫や恋人、あるいは息子が戦死する、人も空襲で家が焼けるといった悲劇はあっても、戦争は背景としてあるだけだった。その戦争を背景とした物語において、ヒロインは戦争の被害者にすぎなかった。 だが『エール』では、主人公が男性であり、戦争に積極的に加担した加害者側の人物がモデルなので、戦争を避けて通れない。その物語が要請する「戦争」をしっかりと描いた。 『エール』が純粋なフィクションで、窪田正孝

    朝ドラ『エール』は史実に基づくドラマのモラルを逸脱していないか?(中川 右介) @gendai_biz
    morimori_68
    morimori_68 2020/10/25
    たしかに甘いといえば甘い作りだけどね…。/コロナ災で脚本が練れたし安倍晋三が辞めたしでだいぶチャレンジができたと思う。あの二つがなかったらとんだ駄作になってたんじゃないか?
  • 〈法〉への憎しみーー外山恒一のファシズムにおける生成と構造 - 批評集団「大失敗」

    ※今年一月に左藤青の質問箱に来た質問に対する回答を大幅に加筆修正したものです。 外山恒一は普遍的たりうるか 「支配からの卒業」 〈法〉への憎しみ 終わりに:〈我々〉とは誰か 外山恒一は普遍的たりうるか 先に言っておきますと、以前にも僕は外山恒一さんについて論じたことがあり、また、それも一つのきっかけとして、二〇一九年に我々「大失敗」はそんじょそこらの賞では及びもつかない栄誉ある賞すなわち「外山恒一賞」を受賞しています〔追記:受賞じゃなくてよく見たらノミネートでした〕 さて、外山恒一さんは今年に入ってサイトを更新されました*1。「九州ファシスト党〈我々団〉」は「ファシスト党〈我々団〉」と改められ、活動エリアを全国とするよう方針が変更された。とりわけ「基政策」は大幅に加筆改訂され、少なからぬ反響を生んでいるようです。この「基政策」は、近視眼的で「常識的な」議論に拘泥するリベラルには(保守に

    〈法〉への憎しみーー外山恒一のファシズムにおける生成と構造 - 批評集団「大失敗」
    morimori_68
    morimori_68 2020/08/09
    丁寧だなあ。
  • 小沢健二は田島カンナが嫌い|🇫🇷の風見鶏|note

    さて、このnoteは原則アンジュルム周りの話限定なのだが、小沢健二がらみの炎上が非常に興味深く、かつ、わざわざそのためにnoteをもう一つ立ち上げるのも莫迦莫迦しいので、今日は「浅生楽」名義で、いたって手短に自分が考えたことだけをつらつらと述べていければ幸いである。 あと、「小沢健二絡みの炎上」というのが一体どういう経緯のものなのか、どのような人がどのような形で炎上しているのかについては、以下の記事が網羅しているので、文脈を把握し切れていない人がいれば読んでいただければと思う。 で、結論から言うと、私は何故彼の発言がここまで炎上しているのかがわからない。いや、多少「議論を呼ぶ」であろうとは予測したが、何故この浅沼という人に「冒涜」とまで言わしめるのかがよくわからない。 私の解釈では、まず小沢はBLMに「トローリング」の意図があったとは考えていない。そして「トローリング」という言葉を、あくま

    小沢健二は田島カンナが嫌い|🇫🇷の風見鶏|note
    morimori_68
    morimori_68 2020/08/06
    面白いな、これ。
  • 現在のJ-POPに至る“ネガな東京”はこのとき誕生した | “東京”はどのように歌われてきたのか(前編) - 音楽ナタリー

    “東京”はどのように歌われてきたのか (前編) [バックナンバー] 現在のJ-POPに至る“ネガな東京”はこのとき誕生した タイトルに“東京”が含まれる曲から見る東京のイメージの変遷 2020年7月1日 19:10 495 44 都知事選の投開票日を直前に控えた東京。日の首都として政治・経済の中心を担い、多様な文化を発信する一大都市でもあります。 日の大衆音楽歴史を紐解くと、過去から現在に至るまで、実に多くの東京について歌う楽曲があることがわかります。“東京”“TOKYO”などをタイトルに冠した曲だけでも確認できた限りで1500曲以上。“銀座”“六木”“麻布”など東京の中の地名や、タイトルにはなくても歌詞に歌われている曲まで含めるとさらに膨大な数に上ります。 それらの楽曲の中で歌われる“東京”像は千差万別。曲によっては夢のような街であり、別の曲では非情な冷たい街であり、複雑な愛憎入

    現在のJ-POPに至る“ネガな東京”はこのとき誕生した | “東京”はどのように歌われてきたのか(前編) - 音楽ナタリー
    morimori_68
    morimori_68 2020/07/02
    なかなかいい。後編にも期待
  • ケラ 『フローズン・ビーチ』 - charisの美学日誌

    [演劇] ケラ・サンドロヴィッチ『フローズン・ビーチ』  シアタークリエ 7月31日 (写真↓は舞台、カリブ海のある島の豪華な別荘の一室、1887年、1995年、2003年の三回、友人である4人の女たちがこの部屋に集まる。写真下は、左から市子(ブルゾンちえみ)、千津(鈴木杏)、愛(花乃まりあ)、咲恵(シルビア・グラブ)) 今回は、ケラは上演には関わっておらず、鈴木裕美による演出。1999年の岸田戯曲賞受賞作品で、選考委員が言ったように、その時代の気分が先鋭に表出されている。「バブル期からその崩壊までの過程の、その時代感覚を軽やかに辿っている」(別役実)、「今のむかつくという気分に、あっけらかんと正直であり、なおクレバーな作品。市子というキャラクターはこれまでの日の戯曲に出てきたことのない新しい狂人である」(野田秀樹)。1887年から2003年までの16年間、バブル期の狂気に近い躁状態から

    ケラ 『フローズン・ビーチ』 - charisの美学日誌
    morimori_68
    morimori_68 2019/09/26
    劇評。興味深かった。
  • ララビアータ:美術館 - livedoor Blog(ブログ)

    丸山真男は「盛り合わせ音楽会」という小論で、芸術作品をそれが芸術作品であるというだけの理由から、傾向と問題意識においても様式においても価値観においても全くい違う諸作品を、安んじて一緒くたに並べる無神経さを批判している。彼はラートブルフに言及しながら、それぞれの作品をその真の精神性において鑑賞せず、いわば等しく文化財としての価値を証明されたものとして物神化する「精神的文化の無差別的享受性」を批判する(著作集第三巻p−340)。 このような批評も、ある種の文化物神的権威主義に対しては一定の意義を持つだろうが、次のように説くに至っては、さすがに偏狭な文化保守主義という別種の権威主義ではないかという疑いをぬぐい切れないのである。 僕の論法を進めていくと何々アーベントといったふうに同一人の、もしくは同傾向の作品だけを選んだ音楽会以外は無意味だという結論にならざるを得ません。(同P―338) この伝

    morimori_68
    morimori_68 2019/09/17
    キュレーションとは何であり、そこに何が必要とされるのかという話
  • ララビアータ:ミキ・デザキ監督『主戦場』 - livedoor Blog(ブログ)

    渋谷で『主戦場』を見てきた。 http://www.shusenjo.jp/ この映画は、いわゆる「従軍慰安婦」をめぐる論争を、その主要な当事者にインタヴューしながら、ていねいにたどっていくドキュメントである。あくまでも言論とそのアリーナを信じる点で、いかにもアメリカらしいということができる。 我が国の監督だったら、このような問題では、対立する両陣営があまりにもかけ離れているから、水掛け論になるのは見えているとばかり、早々と「議論」は諦めてしまうだろう。かくて初めからどちらかの陣営のプロパガンダとなり、その結論を説得しようとして、過剰な感情に訴えることになる。そのような態度が初めから顕わだと、対立する陣営は警戒して、率直なインタヴューなどには応じないのが普通だ。ところが、ミキ・デザキ監督は我々から見るとどこまでもタフで、平気で中心部に切り込む。たやすくシニシズムに流れる我が国の政治風土とは

    morimori_68
    morimori_68 2019/06/11
    監督がタフで、その背景にはアメリカ的社会風土があるというのはその通りだと思う。
  • 昭和の終わり、平成の終わり - REALKYOTO

    浅田 彰(あさだ・あきら) 1957年、神戸市生まれ。 京都造形芸術大学大学院学術研究センター所長。 同大で芸術哲学を講ずる一方、政治、経済、社会、また文学、映画、演劇、舞踊、音楽、美術、建築など、芸術諸分野においても多角的・多面的な批評活動を展開する。 著書に『構造と力』(勁草書房)、『逃走論』『ヘルメスの音楽』(以上、筑摩書房)、『映画の世紀末』(新潮社)、対談集に『「歴史の終わり」を超えて』(中公文庫)、『20世紀文化の臨界』(青土社)などがある。 最新のエントリー 19.05.01 昭和の終わり、平成の終わり 19.03.29 原美術館のドリス・ファン・ノーテン 19.03.07 マックイーンとマルジェラ――ファッション・ビジネスの大波の中で 18.12.07 映画のラスト・エンペラー――ベルナルド・ベルトルッチ追悼 18.11.03 トランプから/トランプへ(5)マクロンとトラン

    morimori_68
    morimori_68 2019/05/10
    遅ればせながらブックマーク。明晰である。読み直す
  • 誰も知らない、万引き家族、そして北の国から。|坂上なつめ

    万引き家族、観てきた。カンヌでパルムドールをとったことで、公開前から(しばしば的を外した感じで)話題になっていて、原点回帰っぽいテーマの作品を普通に楽しみにしていた私としては、ノイズが多くて嫌だなぁ、という感じはあったけど、久しぶりにちょっと期待して映画館まで観にいったのだ。 「久しぶりに期待」というのが何故かというと、過去数年の是枝監督の作品は、同じような演者ばかり集めて同じ曲のリミックスを延々聞かされる年次イベントみたいな感じが続いていて、もうやりたいことは終わっちゃったのかなぁ、という気さえして、ロードショーを張り切って見に行く気持ちがなくなっていたからです。 異色作と言われた「三度目の殺人」も実は観に行ってない。だって、あれだけのキャストを揃えて藪の中(羅生門)的なことをやって、面白くならないほうがおかしいと思ったし、そういう作り方には映画業界の保守的なうちわのサークル感も感じたし

    誰も知らない、万引き家族、そして北の国から。|坂上なつめ
    morimori_68
    morimori_68 2018/10/19
    見事だ。樹木希林を論じたところなど最高。あまり関係ないんだが、おれ『北の国から』ってなーんか受け付けないんだよな。