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死刑制度に関するnamawakariのブックマーク (22)

  • 4年前に刑執行の元死刑囚、凶器から別人のDNA発見 米(CNN.co.jp) - Yahoo!ニュース

    (CNN) 米アーカンソー州で2017年4月にリデル・リー元死刑囚(殺人罪で有罪)の刑が執行された件をめぐり、殺人に使われた凶器から別人のDNAが見つかったことが分かった。リー元死刑囚は最期まで無実を訴えていた。 【音声】「最期の言葉はこれまでと同じで常に変わらない。私は無実だ」執行前に肉声で語る リー元死刑囚は1995年に死刑相当の殺人罪で有罪を言い渡された。その2年前、当時26歳のデブラ・リースさんが首を絞められ、小型の木製バットで殴られて遺体で見つかる事件が起きていた。 リースさんの隣人数人は調べに対し、リー元死刑囚がそばにいるのを目撃したと証言。ただ、元死刑囚一家の代理人が提起した訴訟では、「リー氏と被害者殺害を直接結びつける物証は存在しない」と主張していた。 リー元死刑囚は刑執行前に英BBCの取材に応じ、「私の最期の言葉はこれまでと同じで常に変わらない。私は無実だ」と語った。 死

    4年前に刑執行の元死刑囚、凶器から別人のDNA発見 米(CNN.co.jp) - Yahoo!ニュース
    namawakari
    namawakari 2021/05/23
    こういうことに対して怒らないといけないのは、死刑制度賛成の人たちだと思うんだけどね。制度に付きまとう問題なのに、制度を揺るがす問題の改善には励まない。改善に取り組んでいるのはいつも「人権派」ばかり。
  • デイビッド・T・ジョンソン/笹倉香奈訳『アメリカ人のみた日本の死刑』(岩波新書) 8点 : 山下ゆの新書ランキング Blogスタイル第2期

    7月4 デイビッド・T・ジョンソン/笹倉香奈訳『アメリカ人のみた日の死刑』(岩波新書) 8点 カテゴリ:社会8点 日の刑事裁判制度について研究してきたアメリカ人の社会学者が、死刑反対の立場から日の死刑について論じた。トルストイは『アンナ・カレーニナ』の中で、「幸せな家族はすべて似かよっているが、不幸な家族にはそれぞれの不幸のかたちがある」と述べましたが、このではそれをもじって「すべての廃止国は似かよっているが、死刑のある国はそれぞれ独自の死刑存置の理由がある」(1p)という問題意識のもと、日はなぜ死刑を廃止しないのか、死刑の廃止のためにはどのような道が考えられるかということを分析・検討しています。 外国人、特に自国で死刑が執行されているアメリカ人が日に向けて死刑の廃止を呼びかける内容になっているため、「まずはアメリカで死刑廃止を求めれば良い」と感じる人もいるかもしれませんが、

  • 【報告】7.15-16 人権委員会日本政府報告書審査を終えて‏ | 秘密保護法対策弁護団

    国連・自由権規約の審査において、秘密保護法の問題を審査してもらうため、 秘密保護法対策弁護団の2名の弁護士がジュネーブに行ってきました。 来週には勧告が出される予定とのことですので、注目して下さい。 以下、弁護団メンバーの海渡雄一弁護士の報告です。 *************************** 日の民主主義と人権の状況を憂えるすべての皆さんへ 秘密保護法の廃止を求めて闘いを続けている皆さんへ 海渡 雄一 規約人権委員会 日政府第6回審査を終えて 海渡雄一 (弁護士 日弁連自由権規約WG座長) はじめに 2014年7月15日、16日の両日にわたって、自由権規約委員会による第 6回日政府報告書審査がジュネーブの国連欧州部パレデナシオンで行われた。 私は、1998年第4回、2008年第5回に引き続いて3回目の審査立会と なったが、これまでにもまして、日の人権状況に照らして白熱

    【報告】7.15-16 人権委員会日本政府報告書審査を終えて‏ | 秘密保護法対策弁護団
    namawakari
    namawakari 2014/07/20
    刑事司法について、ヘイトスピーチについて、慰安婦について、どの指摘も的確。死刑制度についてのレスキア委員の指摘を見ると、どうみても現状は中世といわれても首肯するしかないね。
  • 推定無罪と厳罰化 - Munchener Brucke

    推定無罪と厳罰化は別次元の話だ。むしろ厳罰主義を担保するにはより厳格な捜査、裁判が必要である。なぜならば世界で死刑が廃止された事例を見ると、冤罪処刑の直後が非常に多いからだ。世界で世論が死刑廃止を支持したケースはほとんどなく、早い段階で死刑を廃止した国は、いい加減な取調べや裁判で、無実の罪で処刑を行い、一時的に死刑制度への嫌悪感が高まった瞬間に死刑制度が廃止されている。その後冤罪処刑の記憶が薄れ、別の凶悪犯罪が起こると、ほとんどの国では死刑制度復活を支持する世論が高まるのだが、一度廃止した死刑制度を復活するのは極めて困難であることはご存知の通りだ。 ところが、諸ブログを見ていると、厳罰主義者に推定有罪論者が多い。凶悪犯罪者は無裁判即処刑にせよという暴論はともかく、凶悪犯罪者に弁護士は不要という言説はいたるところで散見される、凶悪犯罪者を弁護する答弁を聞いて腹が立つというのは感情論としては判

    推定無罪と厳罰化 - Munchener Brucke
  • 「死刑囚獄中ブログ」是か非か アクセス急増、広がる波紋(産経新聞) - Yahoo!ニュース

    確定死刑囚が執行を待つ間の日々や心境をつづった前代未聞のブログ日記「死刑囚獄中ブログ」が波紋を広げている。今後、同様なブログが続々と出てきた場合、裁判員制度の裁判員に死刑への「予断」を与えることにもなりかねない。死刑廃止運動の一方的な“オルグ”に利用されることも考えられる。ブログの管理人であるノンフィクション作家、斎藤充功(みちのり)氏(67)に聞いた。 [フォト] マブチモーター事件当時の写真と小田島死刑囚 ■死刑囚の日常つづる ブログ日記の筆者は、北海道出身の小田島鉄男死刑囚(66)。平成14年、千葉県松戸市のマブチモーター社長(当時)宅子殺害など3件の強盗殺人で4人を殺害したとして強盗殺人などの罪に問われ、19年3月に千葉地裁で死刑判決を受けた。弁護人が控訴したが同年11月、自ら控訴を取り下げ死刑が確定した。 ブログは確定直前の同年10月に始まり、執行を待つ東京拘置所での日

    namawakari
    namawakari 2009/05/03
    “予断”有りまくりの素敵な記事。/ドンドンやれと思う。「情報公開」だろ?
  • 「裁判員制度――死刑を下すのは誰か」(『現代思想』10月号) - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    昨日で10月も終わってしまったのだが、『現代思想』10月号の特集は「裁判員制度――死刑を下すのは誰か」であった。非常に難しい問題だが、14も原稿が載っており、それぞれ気合いの入ったものが多かった。私としては、できるだけ多くの原稿を紹介できれば、と思っている。*1 まず、討議は安田好弘・森達也「刑事司法の死の淵から」である。安田さんは、死刑廃止論者の弁護士として有名である。オウム真理教の教祖であった麻原彰晃の弁護や、先日の光市裁判で加害者の弁護を担ったため、名前を知っている人も多いだろう。ネット上でも苛烈な批判(そして誹謗中傷)も受けている。 安田さんは、いかなる思想信条で、光市裁判の弁護を行ったのかについて、明らかにしている。それは、これまでの裁判の経験をもとに、「裁判所はこう動くはずだ」という読みにしたがっていた。奇異で無理のある主張であったとしても、裁判の過程においては、とられるべき

    「裁判員制度――死刑を下すのは誰か」(『現代思想』10月号) - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
    namawakari
    namawakari 2008/11/02
    「だって、刑事弁護を社会に合わせたところで勝てやしない。社会に合わせても、社会は「救え」ではなく、「殺せ」と言ってるわけですから」
  • 国連自由権規約委員会の批判を無視して死刑を続ける国、日本 - good2nd

    法律上、事実上の廃止を合わせると世界の70%以上の国が死刑を廃止している。存置国の中でも2007年に死刑執行を実際に行った国はわずか24カ国である。東アジアを見ても、韓国では10年間、台湾では2年半の間死刑執行は行われておらず、中国でも近年執行数は激減している。G8諸国で日のほかに唯一死刑を執行している米国でも死刑執行は抑制傾向にある。 僕も何度も言及していますが、世界的な傾向としては死刑廃止、または執行数の減少という方向にあることは、すでに知っている人にとっては常識となりつつあります。が、もっともっと周知されるべきだと思います。諸外国を真似ろというのではなく、死刑が「当たり前」でもなんでもない、我が国の積極的な選択なのだという認識のために。 死刑廃止、前向きに検討を=日政府に勧告-国連委(時事通信) - Yahoo!ニュース で、今月、国連の自由権規約委員会からは様々な論点を巡って厳

    国連自由権規約委員会の批判を無視して死刑を続ける国、日本 - good2nd
    namawakari
    namawakari 2008/10/31
    ただ、死刑制度を廃止した国は更正や被害者の問題をどうしているのだろうという疑問もある。なんかいい本ないかな。
  • 時事ドットコム:死刑廃止、前向きに検討を=日本政府に勧告−国連委

    死刑廃止、前向きに検討を=日政府に勧告−国連委 死刑廃止、前向きに検討を=日政府に勧告−国連委 【ジュネーブ30日時事】日の人権状況を審査してきた国連の自由権規約委員会は30日、死刑制度の廃止を前向きに検討するよう日政府に勧告した最終意見書を公表した。第2次世界大戦中の従軍慰安婦問題でも、謝罪と補償措置を求めるなど、日に厳しい注文が多く出された。  同意見書は、日での死刑の執行件数が近年、増加したことに懸念を表明。執行当日まで事前の告知がないことや、高齢者に実施されたことなども問題視し、「日は死刑廃止を前向きに検討すべきだ」と勧告した。  従軍慰安婦問題では、これまで行われた元慰安婦への補償措置を、「十分ではない」と批判。日政府に対し、同問題での法的な責任を受け入れるとともに、被害者の大半が受け入れるような十分な謝罪と適切な補償措置を早急に講じるよう求めた。(2008/10

    namawakari
    namawakari 2008/10/31
    多分、恐ろしいまでの影響力を持つ中国ロビーの仕業。
  • 続・「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話 - on the ground

    未だ当たっておくべき文献は残っているのだが、もとより論文を書くわけでもないし、それなりに文献を渉猟する中で既にある程度言えることも出て来たので、ひとまず書いておくことにしよう。なお、エントリは以下の二つのエントリの続きとして書かれるので、予め参照を乞いたい。 被害者及び死刑(後半&コメント欄) 「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話(含コメント欄) 「国が仇を討ってやるから、勝手にやるな」 まず、全国犯罪被害者の会で代表幹事を務める岡村勲の手になる文章の一節を引いておきたい*1。 人問誰しも犯罪、特に重大な犯罪の被害者や遺族になれば、加害者に対して応報感情を持つのは当然だ。 昔は「仇討ち」という制度があった。殺害された被害者の近親者は、休職して仇討ちに行く。捜査費用は人持ちだ。首尾よく目的を達して帰国したら、武士の鑑として賞賛され、復職する。途中の艱難辛苦に堪えかねて、脱落した者

    続・「刑罰は国家による復讐の肩代わり」という神話 - on the ground
  • 死刑は社会正義ではありえない - モジモジ君のブログ。みたいな。

    死刑についていくつかの記事を書いてきたけれども、「社会正義の臨界――光市母子殺害事件高裁判決」など参照しつつ。 sk-44氏の死刑存置論(1) 快楽殺人者の反省不可能性 まず、sk-44氏の記事の、前半について。 私が極刑としての死刑存置論者であるのは、ある個人的な問題意識とかかわる。他人と共有しうるものであるかわからない。以下に端的に記す。お断りすると気分のよい話ではない。 所謂快楽殺人者は、被害者の殺害を前提とする性犯罪者は、死刑台に送られて然るべき、あるいは、死刑台に送らないことには仕方がない。そうした認識と見解に私は同意せざるをえない。 「気分のよい話ではない」とあらかじめお断りされているので、この先については引用しない。代わりに、以下の議論に必要な限りにおいて、簡単に要約する。<快楽殺人者において、その人を殺したその場面の記憶は快楽そのものであり、生きている限りその快楽を繰り返し

    死刑は社会正義ではありえない - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 悩みに悩み続けている人たちの前で - sugitasyunsukeの日記

    山口県光市の母子殺害事件の広島高裁の差し戻し控訴審判決に関わるニュースを見ていた。この間、森達也さんの『死刑』を2回、ゆっくり読んでいた。死刑制度の是非については、ぼくにはあいかわらず何とも言えない。ろくに知らないことについて何かを言えば、何を言っても、必ず間違える。だから多くの事柄でぼくは沈黙を選んできたし、これからもそうする(それでも十分、無知なる饒舌を繰り返してきたし、これからも繰り返すだろう)。ぼくの日常の中で、死刑に直接関わる人はいない。誰も。影すら見えない。ただ、この事件について、また死刑制度の現状について、現時点での考えを、いくつか書きとめておきたい、とすごく思った。ので、書く。 死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う 作者: 森達也出版社/メーカー: 朝日出版社発売日: 2008/01/10メディア: 単行購入: 12人 クリック: 399回この商品を含むブ

    悩みに悩み続けている人たちの前で - sugitasyunsukeの日記
  • 井上達夫の死刑制度論 - sugitasyunsukeの日記

    世の中の殆どの事柄に、ぼくは自分なりの結論(納得)を出せていない。 死刑制度の是非もその一つなのだけれど。 以下の論考には考えさせられるものがあった。 ◆井上達彦「「死刑」を直視し、国民的欺瞞を克服せよ」(『論座』2008年3月号) 《民主国日において、死刑制度存続に対する最終的責任は【法相でも刑務官にでもなく】主権者国民に、特に死刑存置を望む国民多数派にある。死刑の正当化根拠としては、犯罪抑止効果、凶悪犯罪という法の否定の否定による法秩序の自己回復、被害者・遺族の復讐感情と一般社会の応報要求の満足など種々のものが挙げられるが、問題は、これらのメリットが当にあると言えるのかだけではない。仮にあるとしても、それらが「国家による殺人」や「司法的殺人」と呼ばれる死刑の重大な倫理的コスト(誤判により無実の者を処刑するリスクも含む)を補って余りあるほどの比重を当にもつのか否かを十分熟慮する責任

    井上達夫の死刑制度論 - sugitasyunsukeの日記
    namawakari
    namawakari 2008/04/25
    「死刑制度に賛成する国民の中からランダムに選ばれた者が執行命令に署名する制度も構想可能」選ばれても絞首刑のボタンは押せない、だから死刑制度には反対。
  • 予定調和的違和感 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~

    来は、最高裁が破棄自判してもおかしくなかった事件だけに、判決の結論そのものに対しては違和感はない。 だが、そこに至るまでの(メディアの報道等も含めた)プロセスが穏当なものだったといえるのかどうか、検証されるべきことは多いと思う。 「山口県光市で1999年に母子が殺害された事件で、殺人や強姦致死などの罪に問われた元少年の被告(27)の差し戻し控訴審判決が22日、広島高裁であり、楢崎康英裁判長は無期懲役とした一審・山口地裁判決を破棄し、死刑を言い渡した。」 (日経済新聞2008年4月22日付夕刊・第1面) そもそも最高裁が、 「無期懲役は甚だしく不当。特に考慮すべき事情がない限り、死刑を選択する以外にない」 とまで言ってしまった時点で下級審に過ぎない高裁がとりうる選択肢は限られていた。 仮に、差戻し後1年近く被告人がひたすら法廷でわび続けたとしても、結論がひっくり返った保証は全くないわけで

    予定調和的違和感 - 企業法務戦士の雑感 ~Season2~
  • 光市母子殺害事件の差戻審判決 - good2nd

    以前に何度か言及したこともあり、最高裁での検察側・弁護側それぞれの弁論要旨その他を読んでいたこともあって、自分なりにかなり関心を持って判決の報道や判決要旨などを読みました。最高裁での差戻し決定は、死刑を回避すべき特別の事情がなければ死刑とするほかないというものでしたし、今回の死刑判決は予想できたことではあります。ただ僕は弁護側の主張に一定の説得力を感じていたので(この点は、マスコミ報道しか見ていない人にはまず理解できないのではないかと思います)、判決理由で事実に関する弁護側の主張がことごとく退けられているのを見ると、新たな供述が当に全てウソだと言いきれるのだろうか、という疑問は残ります。判決要旨を読んでみても、率直に言って一審と前の控訴審の事実認定をそこまで「揺るぎなく」認めることができるものなのか、にわかには納得しきれない部分はあります。まあ、素人目に要旨を読んだだけではあるのですが。

    光市母子殺害事件の差戻審判決 - good2nd
  • Because It's There光市事件・差戻控訴審:広島高裁平成20年4月22日判決は元少年に死刑判決~広島高裁判決の問題点について検討

    Author:春霞 ・社会問題について、当のところ法律的にどうなのかを検討しています。裁判例の検討もしています。 ・判り易さを心掛けていますが、法律論のレベルをあまり下げていないので、難しいかもしれません。 ・演奏会の評論も少し。 ・過去のエントリーに対して、度々追記しています。 <12月28日付お詫び> 私事の問題がやっとよい方向となり、エントリーを更新する時間を設けることができました。エントリーの更新とともに、コメントへのお返事もしていきたいと思います。 <7月27日付“再びお詫び”> 4月頃から切実になってしまった私事の関係なのですが、再び同様の事態が生じており、コメントへのお返事をする時間がなかなかとれずにおります。エントリーの更新よりも、コメントへのお返事をするべきという気持ちも強いので、大変心苦しく思っております。ただ、郵政選挙がブログを開設した動機であったため、政権交代選挙

  • 自滅した日本 - シートン俗物記

    母子殺害死刑判決 村さん「墓前に報告したい」 22日、広島高裁であった山口県光市母子殺害事件差し戻し控訴審の判決宣告。元少年への極刑に、遺族の村洋さん(32)は「刑を受け入れてほしい」と言った。 判決終了後、村洋さんは広島高裁近くのホテルで記者会見に臨んだ。 カメラのフラッシュがたかれるなか、しばらく目を閉じた後、「判決を下してくださった広島高裁には感謝しております。今回の裁判の裁判所の見解は極めてまっとうだと思うし、正しい判決が下されたと思っています」と涙を浮かべながら話し、「亡くなった2人の墓前に早く報告に行きたい」と語った。 何度も判決を評価した。「素晴らしい判決文でした。私が裁判を通じて疑問に思っていたことを明らかにしてくれた」「遺族全員が希望していた判決」 死刑判決が出るまでに9年の歳月がかかった。村さんは「時間がかかったということはそれだけ判決が重いものであると思う」。

    自滅した日本 - シートン俗物記
    namawakari
    namawakari 2008/04/23
    コメント欄の反応があまりにも予想通りすぎてなんともはや…
  • 本当に死刑でよかったのか - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。

    光市事件に、判決がくだった。 産経:【光市母子殺害】被告に死刑宣告 新供述は「不自然、不整合、到底信用できない」 http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080422/trl0804221202010-n1.htm 読売:光市母子殺害、当時18歳の男に死刑判決…広島高裁 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080422-OYT1T00269.htm?from=any 朝日:光母子殺害、元少年に死刑判決 広島高裁差し戻し控訴審 http://www.asahi.com/national/update/0422/OSK200804220010.html?ref=any なぜこの事件は無期懲役ではなかったのだろうか。私が調べた限りでは、殺意があるとするには難があるし、計画性にも疑問符をつける。(計画的に犯行を行お

    本当に死刑でよかったのか - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。
  • 判決下る - 妄想日記

    光市母子殺害事件の差し戻し審ですが、死刑判決となりました。 当時18歳に死刑判決=回避する事情なし−光市母子殺害差し戻し審・広島高裁(時事通信) 山口県光市で1999年に起きた母子殺害事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた当時18歳の元少年(27)の差し戻し控訴審判決公判が22日、広島高裁で開かれ、楢崎康英裁判長は「死刑を回避する事情を見いだすすべもなくなった」と述べ、死刑を言い渡した。 (中略) 村弥生さん=当時(23)=と長女夕夏ちゃん=同(11カ月)=への殺意などを一転否定したことを「虚偽の弁解」と断じ、「元少年は犯した罪の深刻さと向き合うことを放棄し、死刑を免れようと懸命になっているだけだ。反省心を欠いており、極刑はやむを得ない」と述べた。 (中略) 元少年の年齢や精神的な未熟さを犯行の背景とする一方、死刑を回避する事情とまではいえないと指摘。その上で「遺族に対する

    判決下る - 妄想日記
  • 自分のための備忘録

    被告側が上告したとも聞いていたのでなにも書くまい、といったんは思ったのだが、思い直して今日の判決についてメモ書き。 ・殺人事件の認知件数が戦後最低となった(2007年)ことが明らかになった年(2008年)にこの判決が下ったこと。 ・犯行時未成年で逮捕後現在に至るまで身柄を拘束されている被告は、ただの一度も参政権を行使できず、死刑の是非を含むあらゆる争点に関して、選挙を通じて自らの意思を表明する可能性すらもたなかったのに、死刑判決が下ったこと。 ・一審、二審の無期懲役判決に対して被告人は控訴・上告しておらず、それゆえ下級審段階とは主張を変えることを事実上強いたのは控訴・上告した検察および高裁に差し戻した最高裁であるにもかかわらず、下級審段階の主張を覆したことが非であるかのような判決が下ったこと。 Comments

  • 「報復の代行」としての死刑?、そして感情――報復権は死刑の根拠たりうるか(3) - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」

    Skyhookさん、悲しみの聖母さん、コメントありがとう。 Skyhookさんのおっしゃるとおり、駒村さんは、「死刑は、国家が、報復権を人になりかわり、適正かつ安全に代行する制度であるといえよう」「『報復の代行』という説明以外に、国家による暴力の独占を正当化できる十分な説明があるかといえば、完璧な説明を自明のものとして私たちが持ち合わせているわけでもない」と書いていますから、skyhookさんが書かれているように、「『報復の代行』としての死刑を正当化」する主張と捉えられても仕方ない」というあいまいな面が残っています。ですから、前回のエントリーにおいて、駒村さんの論旨を丁寧に説明していなかったので、ここで説明して、どこが破綻しているか説明する必要があるでしょうね。 その論旨は、こうです。 自然権としての報復権という捉えかたには異論があるだろうが、報復権を国家が取り上げて暴力の独占し、その代

    「報復の代行」としての死刑?、そして感情――報復権は死刑の根拠たりうるか(3) - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」