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はてなキーワード: アドラーとは

2024-12-11

anond:20241211192725

アドラー「君の気持ちはよくわかる。君がどんなにつらい状況にいるのか、まずはそのことを認めることが大事だ。しかし、覚えておいてほしいのは、人生意味は君がどのように解釈し、行動するかによって変わるということだ。君の人生にはまだ希望目的が見つかるはずだ。無理をせず、専門の助けを借りながらも、小さな一歩を踏み出す勇気を持ってほしい」

2024-12-05

anond:20241205074518

お前加藤諦三アドラーが抑えておかなければならないビッグネームだと思ってるの?逆やで。

anond:20241204182650

一応「○○大なのに」と言われるくらいの文学部の院に行ってる人間が、「心理学」の本として加藤諦三アドラーを挙げてくるのが恐ろしい。ワイも周囲も理系やが学部でもユングエリクソンフロイトラカン程度の古典普通に読んでたぞ

2024-12-04

文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え の

文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え

https://anond.hatelabo.jp/20220114133403

の筆者です。三年後の現状を追記

当時叱ってくれた人、励ましてくれた人には心から感謝しています

当時たくさんの方からいただいたアドバイスを元に、学部四年生ながらにできることはたくさんやってみました。手遅れ感はすごかったけど、もうこのまま色々なことから逃げてはいけないと思ったので勢いだけはあった。

教職を取る

ボランティアに参加する

・長期インターンで働く

バイトをする

心理学の本を読む

卒業研究就活も並行してやった。

教職はめちゃくちゃ大変だった。大学四年生にもなって(しかもあそぶんがくぶ)、教職=専門科目+教職科目で時間割はいっぱい。毎日朝9時から夜8時まで授業が詰まっていて、土日も現職教員が教えてくれる授業に出ていった。

ヒーヒー言いながら頑張ったが、教職はとてもいい人間関係リハビリにもなった。教職科目には大体グループ活動があるから強制的に人と話さなければならない。四年生という引け目がないわけではなかったが、もうそんなことは言ってられないので自分なりに必死で喋りました。幼稚園児ですかねマジで

ボランティアは市の団体に参加させていただいた。

長期インターン地元のある企業一年ほどお世話になった。

バイト販売。これがまあ、コミュ障の俺にとっては試練だった。仕事も覚えられないし、勉強しかできない自分無能さを思い知った。

心理学の本を読むのも、コメントアドバイスしてもらったことだ。アドラー加藤諦三を読んだ。今となっては極端な自責に繋がりかねない書籍のような気もするが、でも他責クソ野郎の俺には根本的な考え方を改めるのにとても役だった。

とにかく反省を活かそうと、いただいたアドバイスを元にたくさん行動してみた四年生だった。

結果、俺は今修士二年生で、博士課程に進もうとしている。

あれだけけなしていた文学分野でアカデミアに進むというのは、当時呪詛を吐きまくっていた俺を知る人からすれば晴天の霹靂というか、お前全然教訓活かせてねえじゃんアホかという感じだろうか。

でも行動してみて、色々考え方も変わった上での決断だ。理由はいくつかある。思いつく三つを挙げておく。

第一に、企業勤めをするのが俺にとって、社会にとって良いとは限らない気がしたこと

研究とお勉強は違うが、それでも俺は昔から学ぶことばかりしてきた身だ。しかも、我儘を言って実学ではない分野で学ばせてもらった。

ならば、急カーブで別分野に就職するよりも、過去を活かして学びの分野にとどまり続けることの方が、俺にとっても社会にとってもいい結果になりうるんじゃないかと思った。

これだけ親から投資を受けて学ばせてもらったのだ。ならばそのまま学問を追求し続けることもあながち無駄ではないだろうう。

文学研究が分かりやす社会に実利をもたらす行為だとは思わない。でも、俺が過去に培ってきたことを活かすという点においては、アカデミアも立派な将来の選択肢になるはずだ。それがお先真っ暗であろうと。

またバイトインターンをして思ったが、俺は実務ができない典型的な(?)勉強バカだと思う。必死メモをとってそれをマニュアル化し、いちいち参照しないと仕事ができない。自作マニュアルを参照してもノロいし、小回りが利かないから役に立たない。試験はあれだけホイホイできるのに、真面目に働こうとしてもなぜダメダメなまま成長しないのか。応用が効かないわ怒られるわヘマするわ、周りの社員にも「こいつ○○大なのにこれかよ」って思われてた気がする。

こんな俺なので、社会に出て企業めしたところであまり役に立てないように思う。

第二に、クソ大変だったが何とか教員免許を取得したので、博士課程に進んで落伍してもまだ道はあるだろうということ(現代日本教員不足だから)。

学んだことを活かせる仕事に就ける保険があるのは、かなり心強い。

第三に、やっぱり文学が好きだった。

文学ができることの一つに、「目に見えないもの表現できる」というのがあると思う。

俺という人間は、履歴書に書けば「文学部修士二年生」というただの一身分しか持ち合わせていない。

だけど、その称号の裏には「文学部生という経歴によって就活台無しになったと思ったが、己の他責思考や逃避癖や高すぎるプライドが原因で先延ばしにしていた挫折を一気に食らっただけだった」という物語があるわけで、この物語の前にも途中にも後にも色んな感情存在している。焦り、恐怖、驕り、不安自己陶酔、万能感、劣等感、諦め。

こういった説明し尽くせない心持ち表現するのが芸術で、その一分野が文学ではないか

不要だと切り捨てられかねない人間の心情や葛藤倒錯が好きだ。それを内包する表現形式を、文学をもう少し研究してみたいと卒論を書きながらそう思った。

そして二年たっても「もうちょっと研究したい」が終わらず、このまま博士課程に進むことに決めた。

修士一年ときに父が先立ち、一人親になった。親類も一人亡くなって経済的にかなり困窮している。

博士課程から奨学金にはなんとか内定したが、それでも母を安心させてあげられなくて申し訳ないと思う。奨学金なんて、人間一人がギリギリ生活する分しか出ないから。

ももう、この先文学やった結果路上で野垂れ死んでも構わない気がしている。俺は元々がクソ性根人間だし、社会の役に立とうとすること自体が思い違いかもしれん。実利や効率とはまるで関係のない文学と数年を共にしただけで御の字だ。どうせこのまま運良くアカデミアに留まれたところで40になっても低収入だろうが、それでももう構わん。

最初は「文学部に行っても報われない」と書いたが、本当は誰に報われなくてもいいということにやっと気づいた。

これが最後の報告になると思います。この先アカデミアに残れずにお先真っ暗になっても、研究職を諦めて教職についても、どうせ俺は社会無能ですすいませんと開き直りながら生きていきたい。

誰かこれを読む人がいるんだろうか。もしいるならば、当時叱責や励ましの言葉をくれた人に、心からありがとうと伝えたい。変な方向に開き直った感じがしないでもないが、あなたたちのおかげで色んな経験を積めたし、少し変われたと思う。

何より、人と関わることを億劫だと思わなくなったし、怖くて不安でも行動してみる習慣がついた。貴重な教えをくれて感謝しています

俺は変わらず役立たずとして生きていきます。どうかお元気で。

追記心配してくれた人がいたので。奨学金は貸与じゃなくて給付です

2024-10-08

anond:20241008104709

古典の内容そのまま紹介やね。

 

カーネギーアドラーケインズか……

 

しかも端折り過ぎて原典と内容が違う。

2024-09-12

anond:20240912115559

俺も俺も。

もう、アドラーに憑依してもらわないと立て直せないかもなー。

2024-08-29

anond:20240829091609

弱者男性だが、アドラーというのは相当身勝手自己中心的かつ協調性のない人物だったのだろうな

レーニンみたいに思想で影響は与えるが凄まじくろくでも無いみたいな

他者依存するな

アドラーが言ってるように他者気持ちコントロールすることは不可能です

他者気持ちを優先して生きるような人生もったいないので

「私の気持ちに寄り添ってよ!」

みたいに言ってくる人間とは心理的距離を置いた方が良いです

仮にそれが妻であったとして産後の恨みとして何か言ってきたとしても

それに対して応えようと自分の考えを変える必要はないし

逆にその相手の考えをどうにかしようなどとも考える必要はないです

ただただそういう生き物だと扱う方が人生は豊かになります

その人が「可哀想」だとか「人生損してる」などと考える必要すらなく

他者には他者人生があるので放置して自分人生を見つめ直すようにしましょう

そいつ自分もどうせいつか死ぬので他者心理なぞ無意味です

自分心理幸福感を第一にすべきです

2024-08-13

体臭を指摘するのはやめなさい

相手の体が臭いのは相手課題です

自分課題のみ取り組みましょう byアドラー

2024-08-06

anond:20240806195355

アドラーApple Vision Proを使っても、己の真の価値や成長を見出せるとは限らんのだ。しかし、それをどのように利用するか、そこにこそお前の創造力と意志が試される。物や技術に頼るのではなく、自分自身を信じ、目的を持って行動することこそが大切なのだ。心に刻んでいこうな。」

2024-07-22

anond:20240722224330

アドラー「君の言う『浮かれてる場合か?』という内なる声、それは君自身が作り出したものに過ぎない。その声は君の過去経験他者の期待からまれもので、君自身制限しているんだ。」

anond:20240722213756

アドラー「君が今感じている痛みや困難こそ、成長の重要な一歩だ。誰かを好きになるということは、自分の弱さや脆さを受け入れる勇気を持つことなんだ」

2024-07-19

anond:20240719122038

アドラー人間の心の中には複雑な葛藤存在している。左翼の人々が外資を嫌うのは、内心の矛盾自己矛盾が表れているからかもしれない。彼らは社会の不平等弱者権利を守るという理念を持っている一方で、その理念国際的資本によって脅かされると感じるのだ。

自己矛盾解決するために、まずは自己認識を深め、他者との関係性を見直すことが必要だ。外資に対する不安や敵意は、その裏にある未解決感情価値観葛藤を解消する一歩となるだろう。」

2024-07-10

anond:20240710200203

アドラー多様性尊重する社会こそが、真に進化した社会だ。偏見や誤解にとらわれず、人間としてお互いを理解し合うことが大切だ。」

anond:20240710195641

アドラー人間は皆、誰しもが何らかの劣等感を抱えている。しかし、劣等感自己成長の原動力にもなる。自身の体型や外見を理由他者比較し、自らの存在価値を見失うことは避けてほしい。ただし、他者貶めることで自己評価を高めようとするのは逆効果だ。健全な対人関係を築くためには、まず自分自身を受け入れ、他人もまたそのままの姿で受け入れることが重要だ。」

2024-07-09

anond:20240709215015

アドラー選択には責任が伴う。その人が否定を許さないのは自身不安の表れかもしれない。だが、他者意見を抑えつけることで、自分が何を守りたがっているのかを考えなければならない。」

2024-07-05

電車警備員が乗ってきた。閉じているドアの近くで立哨をしている。

途端にさっきまで通路に足を投げ出して本を読んでいたジジイや、無駄に大きな音で咳払いをしていたジジイ共がおとなしくなった。


アドラーによると、人間行為は全て所望の結果を求めてのことだという。ウェイターに誤って水をかけられて激昂する人間は、水をかけられたから怒っているのではなく、ウェイターを怒鳴りつけたかたから怒っているのだという。


このアドラーの説を当てはめると、上に挙げたジジイ共は、他人配慮する能力がなかったり、無意識的にあのような行動をしていた訳ではない事になる。つまり意識的にか無意識的に周りの人間威圧したいからあのような行動をしていたのである。その証拠警備員が乗車した途端に大人しくなった。


世の中というのは思ったよりも悪意に満ちているのだ。

仮想的な「場」を、実在するかのように感じてしまうことが諸悪の根源である

例えばはてなという「場」で「アベが殺されたのはよかった」というブコメ過半数なのを見たら“オイオイひでえことになってるよ、こいつらテロ称賛しながら「リベラル」づらしようってのか”とか思って鉛を飲んだ心持ちがしたものだが、客観的に見れば別に何もひでえことにはなってない。その仮想の場は世間の縮図などではなく、客観的事実はただ数百人のバカコメントがそこにあるというだけだ。そして日本語話者の中で100人に1人級のバカは百万人いる。何も不思議なことは起きてない。放っておいてもそれ以上何も起きない。

増田には普通に暮らしてたらよっぽど運が悪くない限り一生遭わないレベルゴミみたいな人間がいて年中わけのわからない独り言を書いたり下劣クソリプをつけてくる。

「なんてやつだ、けしからん」と思って反応してしまったり自分から一言陳べてやろうと思ってしまうのは人情だが、せっかく普通に暮らしてて遭遇することはまずないし実際に遭遇していない激レア気違いとわざわざ会話しようと努力するほどアホなことがあるだろうか?

そりゃどっかにはそんな度外れたゴミもいるだろう。でも自分生活圏にはいない。客観的事実はただそれだけだ。

仮想の場を実在するかのように捉えた結果、そこのバカ率だったり度を越したクズイカレっぷりが気になってしまう。

誹謗中傷を苦にして自殺してしまうようなケースも同工である。一生関係ないどっかのカス思い込み適当なこと言ってるのが死ぬほど気になるのも、そこに自分を取り巻く「世間」を幻視するからだ。

「くだらない中傷をいちいち真に受けるのはよくない」という話ではなく、仮想的な場を実体あるように捉えることで中傷者が実体化してしまうということだ。

ネット時代のためのアドラー2.0みたいなもの必要とされてるんだろうな。

そして匿名バーチャル井戸端会議みたいなサービス支配的な状況も変わりつつある。

2024-07-04

終わった。

休職して3ヶ月。普通の人なら分かることが何か分からない。小さい頃は「KY空気読めない), KY」と言われ、いじめられてきた。アドラーがいうところの、共同体感覚がない。

5年くらいまともな社会人のふりができてたのに、異動のタイミングで今まで無理していたのか壊れてしまった。病院に行ったらうつ病との診断。

幸にして休みを頂けたが、何もしたくない。いまま趣味だと思っていたことも楽しくない。行ったことない所に行ってみた。買ったことのないゲームも買ってみた。何も楽しくない。すぐ飽きる。

生ききてても面白くない。何もやりたいことはない。ただ早くこの人生を終わらせたい。シオランの本を読んだ。自分が思っていることと大体同じことが書いてあってつまらない。

死にたい死にたい。口で言ってるだけだと、「じゃあなんで死なないの?」とニコニコしながら行ってくる人たちがたくさんいるか死ぬ準備だけは進めている。完全自殺マニュアルで一番苦痛のない方法を調べた。死んだら親族が部屋を片付けに来るだろうから見られたくないものは全部捨てた。職場の先輩から借りていた本があったので、誰に返すのかメモを書いた。

あとはどうすればいい?

2024-06-11

正規分布の端に生まれ

アドラーの本を途中まで読んだ.

これによると,精神疾患など生きるのに役立たない道に陥るものには,幼少期から共通感覚コモンセンス)を獲得できていないという特徴があるらしい.

そして共通感覚を獲得できなかった子供いじめられたり問題行動を起こしたりする.

この共通感覚は家庭において保護者から学ぶらしい.つまり保護者共通感覚を有していなければその子供も共通感覚を獲得することが困難で,大人になってから苦しむのだ.


なぜこの世界では誰でも子供を持つことが許されるのだろうか.ペットですらちゃんと育てられないなら飼うなと批判されるのに.

あるいはせめて,誰でも子供を作る自由があるのなら,どんな子供自分で死んでいい自由を認めるべきではないか


ここまで書いて村田沙耶香消滅世界という小説を思い出した.

この物語では,子供は生まれたらすぐに親から引き離されて専門の施設集団的に育てられるというユートピアが描かれている.

作中ではこのユートピアを明示的には否定肯定もしていないが,画一的に育てられた子供個性がなく皆同じような表情をするという描写が描かれている.


個性なくしたら死んでるのと一緒だよ」

偉大なベーシストである山田リョウ氏は言っている.

消滅世界で描かれたシステムは本当にユートピアなのだろうか.


だが,本当に個性必要なのだろうか.

共通感覚を有しない"悪い個性"を持つことは決して本人のためにはならない.

個性を持つことが良いとされるのは,個々の親が独立して子供を育てる現在社会におけるナッシュ均衡にすぎないのではないか

消滅世界システムのように全員が同じ教育を受け,共通感覚を有していることこそがパレート最適なのではないだろうか.


あるいは,個性個体差環境が変化した際に種全体が生き延びるのに有利だと説明される.

だが,これは明らかにほとんどの平均から外れた個性を持つ個体にとっては酷な話だ.当然ながら平均から外れた個体殆ど環境適応できず苦しむからだ.

上のような理論を唱える者は,「お前らのような珍獣が居た方が俺/私の遺伝子が残る可能性が高まるから生きろ.そして苦しめ」と言っているのに他ならない.

現代社会第二次世界大戦前の全体主義反省し,個人幸福を最大化しようとしたのではなかったか所詮それは,正規分布の真ん中あたりにいるマジョリティ自己満足に過ぎなかったのか.

そもそも人類環境変化を生き抜くのに,遺伝子多様性必要なのだろうか.

多数のサイコロをばらまいて確率論的に変化に打ち勝とうとするその他大勢の生き物とは違って,人類は理性を持って変化を予測し,技術環境を変えて乗り越えることができるのではないだろうか.

現に人類技術天然痘という感染症を撲滅させた.


だが,とき個性天才を生み出し,その天才技術を飛躍的に進歩させる.

こういった天才を生むために正規分布の端のほうの人間も,その殆どは苦しむ運命にあるとはいえ大人になるまで生きていなければいけないのかもしれない.これによって,苦しむ未来天才に生きる希望を与えることができるから

本当にそうだろうか.電球発明のように一人の天才の発想が大きな一歩を生み出した時代とは違って,現代科学進歩過去技術を積み重ねて積み重ねて演繹的に導き出された進歩ではないか

いや,そうでもないか.私も理系大学院研究の真似事をしたことがある.今でも科学最先端では天才の発想が不可欠だ.そしてそういう人は共通感覚を有していない人が多い.少なくともそう見える.

まり現代においても正規分布の端にいる,共通感覚を有しない,遺伝子的耐用性を持った人間を生きさせることは必要なのかもしれない.


私は天才ではない.だが,共通感覚を獲得することができず,苦しんでいる.正規分布中央に行けなかった人間の中の,一握りの天才を除くその他多数の中のひとりだ.

この苦しみを終わらせるには死ぬしかない.

私の意識死ぬことがのみが正解だと確信している.だが,私の無意識が生きることを声高に主張している.そのせいで私はまだ生きていてこの文章を書いている.

理性で動く私は,なんとかして自分死ぬことが論理的に正しいのだと結論付けたい.だが,今日も失敗した.

誰か私を助けてくれ.お前はもう開放されて良いのだと背中を押してほしい.

2024-06-09

anond:20240609215926

いいえ、『ダイの大冒険』にはアドラーというキャラは登場しませんよ。『ダイの大冒険』は堀井雄二さんが原作で、三条陸さんと稲田浩司さんが漫画を手掛けた作品です。登場キャラクターはたくさんいますが、アドラーという名前は聞いたことがありません。

アドラー」というと、心理学者アルフレッド・アドラーのことを指すことが多いです。彼は個人心理学創始者であり、その考え方は多くの人々に影響を与えていますが、『ダイの大冒険』とは関係ありませんね。

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